炎華の獅子

「君たち、体調に問題はない?」


 翌朝。目を覚ました明たちにサーシャはいたわるような言葉を寄こした。


 不思議なことに昨日の夜に目が覚めた時点で怪我の類はさっぱり消えていた。改めて全身を見ても特に目立った痛みなどはない。


「俺は大丈夫です」


「私も……」


「それは良かった。君たちは忘れているかもしれないけれど、ここはルダニア領にある『ドルボォス大森林』と呼ばれる瘴気域でね。この森の空気は瘴気と呼ばれる毒なの。人によっては半日で体調を崩す場合があるから確認のためにね」


 毒の空気と聞いて思わず口に手を当てる。そんな様子を見て、鍋をかき交ぜていたフーラさんが喉を鳴らすように笑う。前髪が長いためか、顔を上げても目元だけは見えない。いわゆるメカクレというやつだ。


「瘴気域のど真ん中で眠りこける余裕があるんなら、そう心配することはねえよ。恐らくだが、あと数日動いたとしても問題ないはずだぜ」


「ええそうね。だから安心して。それと、みんな目を覚ましたようだし改めて自己紹介させてもらってもいいかしら?」


 望海の方へ目を遣ると無言ながら頷いていたので、俺も肯定と共に頷きを返す。


「こちらこそお願いします」


「ありがとう。それじゃあまず私から」


 燃えるような赤髪を軽く揺らして優雅な仕草でお辞儀をするサーシャさんに、慌てて礼を返す。


「私はサーシャ・リードリッシュ。ルダニアで冒険者をしています。そして彼らは私のパーティー『炎華の獅子』のメンバーです」


 サーシャさんは一人一人を指しながら簡単な紹介をしていく。炎華の獅子のメンバーは全部で六人いた。


「今、朝食を作ってもらっているのはフーラ・ロレンツ。ルダニア一の弓の名手で、このパーティーの副リーダーをやってもらっているわ」


「そんな持ち上げられたらこっぱずかしくていけねえや。まあ、飯もそろそろできるから終わったら食いな」


 昨日の夜は薄暗く、よく見えていなかったがフーラさんの緑髪は地毛なうえにかなり鮮やかで、元の世界ではまず見ない色だった。他のメンバーも青だったり赤だったりと髪色だけで個性豊かだ。


「ローブを着た大柄な彼がジョルジュ・ドッシャーで、こちらの眼鏡の彼女はクレア。シンシス。戦闘ではフーラと一緒に後衛を担当しているわ。そして、あそこの亜麻色の髪色をした双子はタウセット兄弟のロビンとルビン。彼らには前衛と中衛を担当してもらってるの」


(ローブのスキンヘッドがジョルジュさん、群青の髪色で三つ編み眼鏡の女性がクレアさん。ロビンさんとルビンさんは……首のスカーフの色が白い方がロビンさん、黒い方がルビンさんか)


 名前と顔を一致させながら軽く挨拶する。彼らは三者三様に疲れた表情をしているものの、気さくで人当たりが良い人ばかりだった。


「それじゃあ、次はあなたたちの番……」


 俺と望海の腹が盛大に鳴った。顔を合わせた望海の顔は、茹でだこのように耳まで真っ赤だ。そして恐らく、顔が火照っている俺自身も似たような状態だろう。


(なんでこういうときに息ピッタリなんだ……!)


 野営地は笑いに包まれる。穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。昨日の穴は勘弁願いたいが。


「……朝食を食べながらにしましょうか。フーラ、出来てるわよね?」


「おう、今日は調査の最終日だ。二人とも遠慮なく食べな」


 こういう気遣いに大人の余裕を感じてしまう。見た目だけで言えば、彼らは二十代に届くかどうかに見えるが、言動には落ち着きがあった。


「調査の最終日ってどういうことなの? ……もしかして、私たちが足手まといだから仕事を中断しなくちゃいけないってことかしら」


「決してあなたたちのせいではないから、心配しなくても大丈夫よ」


 不安げな望海を安心させるようにサーシャさんは微笑む。その言葉を引き継いで先ほど紹介されたクレアさんが話を続ける。


「瘴気域の空気は人間には毒となります。特にこのドルボォス大森林は広大ですから、深入りしすぎると元気なうちに安全な場所まで帰れなくなってしまいます。なので、内部調査も慎重に行うのです」


「なるほど……」


「僕たちがここに侵入したのは……いつだっけ?」


「瘴気のせいで判断も鈍ったか、ロビン? 今日から五日前だ」


「やだなあ、兄弟。お前の記憶がちゃんとしてるかテストしてみたんだよ」


 ルビンさんとロビンさんのやり取りは陽気ではあるが、二人とも疲労が顔に出ている。この場の何人かは余力がありそうなところを見るに、瘴気への耐性には個人差があるらしい。


 軽い自己紹介――といっても自分の名前くらいしか話せることはなかったが――と共に食事を終える。フーラさんが作ってくれたのは素朴な味のスープだったが、干し肉の塩味と合わせるとちょうど良く、あっという間に平らげてしまった。


「全員、荷物をまとめて。武器に不備がないかも点検しておきなさい」


 炎華の獅子のメンバーはてきぱきと荷物をまとめ始める。何もすることはない俺と望海は顔を見合わせて、使ったばかりの調理器具を片付けているフーラさんに声をかけた。


「良かったら荷物だけでも持たせてください」


「わ、私も!」


「おう、悪いな。その代わりと言っちゃあなんだが、魔物が出ても俺らが守るから安心してくれや」


 今使ったばかりの食料や調理用具、その他かさばる荷物を二人で分けて背負う。それにしても、魔物というのは昨日のような化け物のことだろう。それが出てくると考えるとぞっとしない。


「よし、行こう。今日は探索ではなく帰還だ。しかし、油断はするな。普段とは違い、アキラやノゾミもメンバーに加わっている。疲れているとは思うがもうひと踏ん張り頑張ろう!」


 一転して勇ましいサーシャさんの号令でパーティーの雰囲気が引き締まる。置いて行かれないように彼らの後ろをついていく。


 歩くのはうっそうとした森の中。雑草はしぶとく背を伸ばそうとしているものの、木立が日光を遮っているため足元が見える程度には余裕があった。しかしその反面、木の根が伸び放題ででこぼことしているし、コケのような植物が踏ん張りを効かなくさせるので歩くだけで体力を消耗する。


 体感で一時間ほど歩いただろうか。炎華の獅子のメンバーの張りつめたような緊張感にあてられていたから、もう少し短かったかもしれない。そんなタイミングで一行の足が止まった。


「前に魔物がいる。数は……十ちょっとですね」


 一番前を歩いていたサーシャさんが声を潜めて言う。それに合わせてそれぞれが自身の武器を構える。剣や弓などの元の世界ではとうてい触れることのなかった〝殺す道具〟の持つ重力が視線を絡めて放してくれない。


 サーシャさんの言う通り、前方に流れる川沿いに猪か野犬のようなシルエットがいくつか見えた。来る途中教えてもらったのだが、野生の動物と違い、魔物は全て目が赤いらしい。それらも例外なく赤く目を光らせている。


「まもなく接敵する。フーラとジョルジュはアキラたちを守れ! ……いくぞ!」


 魔物の群れの背後を取った瞬間、サーシャさんが真っ先に駆け出した。それと同時に、紙のようなものを自身の剣に触れさせる。


【コード:ファイア】【コード:ウインド】


 その剣から無機質な例の声が聞こえたと同時に、彼女の体はその場から消えた。


 サーシャは風に乗って距離を詰める。本来なら疾走の邪魔となるほど密に生えている木立を逆に速度を出すための足場にして、人間離れした速度で飛んでいく。あっという間に群れと接敵。掛け声とともに剣を振るう。


「燃えろ!」


 四足歩行の獣のような魔物が三体まとめて炎の剣に切り裂かれた。炎によって喉と胴体を焼かれてしまった彼らは、かすれるような悲鳴を上げて倒れる。


 その攻撃を免れた何体かは突然の奇襲に浮足立って散り散りになり、他のメンバーの攻撃によって倒されていく。飛来した風の刃にずたずたにされるものもいれば、ナイフで切り裂かれるものもいた。先の鋭い岩が飛んできて串刺しになったものもいた。


 炎華の獅子の包囲を潜り抜けて川に飛び込んだ魔物もいた。てっきり誰かが追撃するものかと思ったが、他のメンバーは自身の倒した魔物の生死を確認し始めて見向きもしていない。


「何もかも忘れちまってるってことは、二人とも知らねえよな」


 魔物に逃げられてしまいそうではらはらとする俺たちの横で、弓を構えるフーラさんが矢をつがえながらニヤリと笑う。


「こいつは詩片サームっていうもんだ。これに込められた術式を、この……使っつーモノにこすって魔法を発動させる!」


 フーラは一本の矢と共に彼らが詩片サームと呼ぶ紙を懐から取り出し、指の隙間に挟みながら矢を弓につがえる。そして、使と言って指で示した緑色の耳飾りに詩片を当てるようにしながら矢を引き絞った。


【コード:ウインド】【コード:ウインド】


 詩片からは二度同じ音声が聞こえる。


「魔法ってのは、結構融通が利くもんでな? サーシャは風に自分を乗せて速度を生み出してたが、俺の場合は……っと」


 軽い調子で放たれた矢はものすごい速度で魔物へと飛んでいく。先ほどは軽く謙遜していたがその腕は確かで、視界を遮る枝葉の間を縫うように魔物へと一直線だ。しかし、それに感づいた魔物が流れに逆らって泳ぎ始めたせいで、当初の射線から外れてしまう。


「逃げられちゃう!」


 たまらず望海が声を上げるが、フーラは余裕の表情を崩さない。


「大丈夫だ」


 避けられたと思われた矢は急に進路を変えて魔物を急襲する。追尾する矢はあっという間に魔物の眉間に突き刺さり、その命を終わらせた。


「とまあ、俺の場合は、同じ詩片で速度だけでなく追尾能力を乗せることができたりする。他にも色々あるんだが、お前らが天使を手に入れたら続きを話してやろう」


 そんなことを話しているうちに、魔物の群れは全滅した。不思議なことに魔物の肉体は灰のようになって風にさらわれてしまった。


「アキラ、ノゾミ! もう大丈夫だ。こっちに来いよ」


 タウセット兄弟に呼ばれたので向かってみると、灰になった残骸の中からは豆粒ほどの小さな石が転がり出てきている。


「こいつは集魔石って言ってな。その名の通り魔力を蓄える性質がある。魔物を倒せばこいつが手に入るんだ。魔法に関わる全ての道具の材料になるから、町まで持っていくとしっかりとした値段で買い取ってもらえるんだ」


 黒いスカーフのルビンさんが説明してくれたそれは、紫色に妖しく光るガラスのような石だった。魔力を集めると言われると思わず納得してしまうような説得力が、その輝きにはあった。


「足止めを食らいましたが、王都まではもう少しです! 休憩はせずに進みましょう!」


 サーシャさんの掛け声一つで行軍を再開する。


 彼女の言葉に間違いはなく、その後は魔物との遭遇がなかったおかげもあって、日の高いうちにルダニアの王都を一望できるという丘までたどり着くことができた。


 王都全体を囲むように防壁がそびえたっており、その外側にはお濠が掘られている。人々は二つある門から出入りしているらしい。

 白塗りの大きく綺麗な建物と、質素ながら堅牢そうな大きな屋敷が街並みの中でもひと際目立っていた。


「今から行くルダニアって国はどんなところなんですか?」


 隣を歩くジョルジュさんに尋ねてみる。


 今年の身体測定で百八十三センチあった俺よりも、ジョルジュさんは頭一つ分以上さらに背が高い。穏やかな雰囲気をまとうこの人は、このパーティーの中では最年長なのだそうだ。


 ジョルジュさんは頭をかいてう~んとうなってから口を開く。


「一応ここらの森も元々はルダニアの領内で、今から向かうのは王都なんだ。で、どんなって言われると……そうだなぁ、まず現国王はこの国を建国した人でね。その名もドラム・ルーダニア。彼は冒険者として若いころから成功して、巨万の富と名誉を手に入れたんだ。そして、二十年前にそれらすべてを使って自身の故郷の町周辺を統治し、その国をルダニアと名付けた」


 そう言って、彼は石造りの大きな屋敷を指さす。


「あれは王様の住む屋敷でもあり、まつりごとを司る行政の要でもあるんだ」


「王様の住んでるところっていったら……もっと豪奢なお城とかだと思うんですけど」


 確かに立派な建物だが、堅牢さはあれ派手さがない。近くにある白い壁の建物の方が万人の目を引くだろう。


 ……言い切ってから気付いたが、スタンダードな城のイメージが記憶としてあると言ってしまったようなものだ。記憶喪失なのを徹底してもう少し言葉を濁すべきだったか。


 さすがに考えすぎだったようで、ジョルジュさんは気にするそぶりも見せず疑問に対して答えてくれる。


「うちの国の王様はこう……貴族っぽい贅沢があんまり得意じゃないらしいんだ。彼の家臣はもっと威厳のある所に住めって説得したらしいんだけど、結局説得しきれずに今の屋敷に住んでいるんだってさ」


 元々冒険者だったことで庶民の感覚が抜けないのだろうか。


「ちなみに、王様の出自が出自だから冒険者の扱いが他の国と比べても良かったと言われているよ。僕は十年以上前に隣の国へ行ったっきりだから今はどうか分からないけどね~」


 そういって優しく笑うジョルジュさんの声色からは、昔を懐かしむような気持ちが感じられた。


 日本と違って隣国とは陸続きのはずだ。冒険者なら色々な国を回ったりしていそうだが、隣の国はよっぽど遠いのだろうか。


「瘴気域が国と国の間にあるせいで、大体十年位前に国交がなくなったんだよ」


 考えてみれば分かることだった。瘴気域の広がりは人々の繋がりすらも絶ってしまっているのだ。


 十年。そんな長い年月にわたって国が封鎖されていると考えるとぞっとしない。


「五年位前までは、隣の国となんとか連絡を取ろうと瘴気域を強行突破しようとする人たちもいたんだけどね。瘴気と魔物の壁に阻まれて、成功した人は未だにいないらしいんだ。隣国からルダニアへ来られた人もいなかったしね」


「向こうまでなんとかたどり着いたけど、帰ることができないとか……」


(いや、隣国からルダニアへやってきた人がいないということは、それも望みが薄いか)


 そんな考えを否定するでもなく、ジョルジュさんはゆっくりと頷いた。


「うん……うん。そうだといいと僕も常々思っているよ。僕たち冒険者は無理やり瘴気域を抜けるのではなく、瘴気域の主を打倒してその地域を開放するというやり方を今も試しているのさ」


 主? 倒す? 気になるワードが出てきたが、聞き返す前に話は次の話題に移ってしまった。


「そういえば、あっちの白い建物は見えるかい?」


 明るい調子でジョルジュさんは次の建物を指さす。町とは目と鼻の先の距離まで来ており、壁に隠れて大半の建物は見えなくなっていたが、ジョルジュさんが指さした先の白い建物の高い屋根だけは確認することができた。


「あれは教会でね。僕らの活動の要である冒険者組合も併設されているのもあって、多分この町で一番活気がある場所だと思うよ」


 教会といえば厳かなイメージだ。活気があるという言葉とはどうしても結びつかない。質問してみようとも思ったが、どうやら先に城門前にたどり着いてしまって話を聞きそびれてしまった。


 高い防壁と深いお濠は見るからに堅牢で、魔物たちが一斉に攻めてきたとしてもびくともしないだろう。そして何より、これぞファンタジーという町の見た目が否応なしにテンションを上げさせた。


「通行証を!」


 金属鎧を着込んだ門番らしき男がサーシャさんに声をかける。


「おや、炎華の獅子の皆さんでしたか! でしたら通行証は結構ですよ!」


 厳しそうな門番にまさかの顔パス。もしかして、サーシャさんたちってかなりすごい人なのではという考えが頭に浮かんだ。


「いえ、私たちだけ特別扱いを受けるわけにはいきません。それに今回の調査では彼らを保護したので」


 サーシャさんに促されて前に出ると、門番の態度が露骨に変わる。猜疑心のこもった視線が無遠慮に俺たちを値踏みする。


「こいつらは?」


「ドルボォスの森に倒れていたの。一日過ごしてみたけれど、彼らに問題はないわ。何かあれば私たちが責任を持ちます」


 門番は少し考えたあと、渋々といった風にサーシャさんの差し出した通行証を確認した。


「他でもない貴方たちが言うのですから通行を認めましょう。しかしいつまでも身元不明のままで町に置いておくわけにはいきませんから、役所や組合の手続きは早めに済ませておいてください」


 厳しそうな門番にここまで言わせるとは。彼女たちはこの町では相当信頼されているらしい。


 それでも向けられる疑いの目をかいくぐって門を通過すると、サーシャさんがくるりと振り返る。


「ようこそ、私たちの国ルダニアへ。この国は冒険者によって興った国です。二人がどんな決断をするのかは分かりませんが、冒険に満ちた良き日々が過ごせることを願っています!」

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