第9話

「おはよ~」


「……おはよう」


望月は大きく手を振って、佐久は小さく手を上げて白馬に声をかける。


週末の日曜日、朝九時。木々の隙間から差し込む春の日は優しく、山から草木の香りを運ぶ風は香しい。


霧ヶ峰市からバスで三十分ほど行った里山、霧去山の登山口。


待ち合わせ場所のバス停では目の前に森のかたまりのような山がそびえ、すぐ近くの

舗装道路では乗用車やトラックが行き交っている。


 穏やかな日差しと心地よい風、絶好のハイキング日和だった。空を見上げながら白馬は胸をなでおろす。これが雨なら中止しなければならないところだった。


望月はハーフパンツに黒のレギンス、上着は青いパーカーを羽織ってちょっとした山ガールだ。


佐久はソフトジーンズに上は茶のジャンパーと、アウトドアな活動に慣れていないためかごく地味な出で立ち。


それでも彼女の透けるような白い肌と宝石のような瞳は色褪せない。


「おはよう。榛名さん、妙高さん。体調に問題はない?」


「大丈夫! 元気いっぱいだよ」


「……体温も平熱、酸素飽和度も正常。排便も良好。発作もなかった」


「そ、そう」


「じゃ、じゃあ、行こうか」


 少し熱くなった頬をごまかすように、白馬たちは登山道に足を踏み入れた。舗装された道路はすぐに土の地面へと変わり、歩くたびに落ち葉の乾いた音がする。


 春山ならではの鮮やかな赤いヤマツツジの花がところどころで咲き誇り、竹林の隙間からは白馬たちの腰ほどに伸びたタケノコがモンスターのように見えた。


「うわ、何あれ? ツツジ? でもたっか、私たちの背丈越えてるんだけど」


「……あの竹林に所々生えてる、茶色くて先の尖った不気味なのなに?」


「ヤマツツジだね。市街地の濃い紫のサツキツツジとは色が違うし、剪定もしないから高く伸びるんだ。あの茶色いのはタケノコの伸びたやつ。もう少し成長するとあの焦げ茶色の皮がはがれて、中から青竹が出てくるんだ」


「……ああ、よく見たら道の駅で売ってる掘りたてのタケノコに似てた」


二人に合わせ、普段よりかなりゆっくりと歩く。


グループで登るなんてうっとうしいと思っていた。自分のペースを乱されるのが嫌だ

と考えていた。


でも自分には見慣れた景色を喜んでくれるのは、そんなに悪くない。


さらに歩を進め、やや傾斜が急になった。


佐久の息が切れやすくなったので後ろの様子を気にかけつつ、こまめに振り返って様子を見る。


初心者を連れていく場合には、先頭が副リーダー、一番後ろをリーダーが務めるのが原則だ。だが今回は観光目的でもあるので白馬が先頭を歩く。


霧去山は標高差の小さいごくなだらかな山なので、急な坂道もすぐ途切れる。


「……ちょっと、休憩」


佐久が息を整えている間に白馬は首から下げていたミラーレスの一眼カメラを取り出す。


「これ、いいかな」


両足を広げて膝を伸ばし体を安定させる。脇を締めて手ブレを抑えつつ、空を背景に山ツツジを写真に収めた。


開けた日当たりのいい場所に生えていることもあり、先ほどの山ツツジよりさらに高い。


「お~、かっこいい」


「……なんだかカメラマン、って感じ。スマホじゃないし」


「父さんのマネをしてるだけだよ」


「……過ぎた謙遜はかえって嫌味。誉め言葉は受け取っておくといい」


 佐久が真似をしてスマホを取り出し、適当な写真を撮る。だが被写体が真ん中に無く、手ブレで画像がぼやけてしまっていた。


「白馬くんのは、っと。うわすごくない?」


「……同意。写真には素人だけどすごいのだけはわかる」


 白馬の撮った写真は青空をバックに山ツツジの濃い赤の花を見事に捉えている。青と赤のコントラストがカメラの液晶画面の中で一枚の絵画を成していた。


「コツとかあるの?」


「うん。しっかり両手で固定して、脚も伸ばして動かないようにする。それから息を止めて撮るとブレにくくなる。それに色々撮りたくなるけど、写真は引き算だから」


「……引き算? 数学の話?」


「いや、撮る対象を削るってこと。もったいないかもだけど、アップで撮って周りの余計なものを画面から外したり。背景を空にしてシンプルにしてみたり」


 佐久の写真は無数の山ツツジの花が背後の木々にまぎれて、見えづらくなっていた。


 スマホの液晶画面を真剣にのぞき込む佐久を見て、白馬は慌てて付け加える。


「ご、ごめん。また夢中になって。自分で見るための写真なら、撮りたいようにするのが一番だと思うよ。楽しめないなら意味がないし」


「何が? 別に聞いてて面白かったしいいんじゃない?」


「……私もそう思う。知らない世界を垣間見るのは楽しい」


 やらかしたと思ったが、二人は本当に気にしていない様子なので安堵する。


 三人は再び、頂上に向かって歩き始めた。

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