第24話


舞村ひなた。

パソコンの画面上に写真と名前が写っていた。

名前の後には本名と生年月日、細い棒線を挟み、没年月日で括弧が閉じられている。

名前の下には出演した主な作品が並んでいた。

細かい経歴まで見る気になれず、ザクロは椅子の上で大きく背伸びし、何度か首を回す。

手元に準備していたコップに口をつけた。引っ越した先のリビングは、ダイニングのテーブルにザクロが、ソファに琥珀がいるのが定位置になっていた。


「琥珀さんが18の時か」


画面の没年月日から、琥珀の年齢を計算する。琥珀とザクロは同い年のため、自分の年を考えればいいだけだ。

経歴の部分にカーソルを合わせ、クリックすれば、細かい作品が溢れ出す。

画面をタッチしてスライドさせれば、そう遠くない位置に最後の作品があった。その一つ前に、琥珀が演出をしたライブイベントが載っている。

開催された日付を見て、没年月日を再度確認する。そうしてから、ザクロはパソコンを閉めた。


「三角関係はないだろうし、歌……も揉めるわけがない」


いつの間にか力のこもっていた眉間を指で揉みほぐす。

自殺したのは、琥珀のライブにゲスト出演してから三か月ほど経った頃だ。

関連付けられても仕方ないが、関連するとも思えない。何よりこの二人の間でぶつかるものとは、何なのか。

琥珀の発言がなければ、ザクロはその可能性をすっぱりと切っていた。


「演出、役者、セリフ……演技?」


思いつくものを口に出していく。役者同士がぶつかる理由なんて、ザクロには分からない。

だが、琥珀が一番大切にしているものは歌で、舞村が一番大切にしていたものは、おそらく演技。

ザクロは顎の先を親指と人差し指で挟むようにして、拳を顎の下に当てた。


(でも、演技をするなら命がけでしろって)


祖母に言われたと琥珀は言っていた。その気持ちがないなら、一生しないようにと。

実際、琥珀は歌だけで生きている。演技に口を出すようには思えなかった。

暗礁に乗り上げた思考の波が落ち着くように目を閉じる。

遠くから、少しずつ足音が近づいてくるのがわかった。


「なぁに難しい顔してるの?」

「早かったですね」


琥珀がリビングの戸を開けて入ってきた。

その音で休めていた目を開き、少しだけ体を動かす。

湯上がりの琥珀は肩にタオルをかけているものの、キャミソールにホットパンツと薄着のままだ。

ザクロの言葉に、琥珀は肩を小さく上げて答えた。


「あまり長風呂すると心配で見に来る人がいるからね」

「家のお風呂で一時間も入る人がいるとは思ってなかったんですよ」


「ふふ」とその時のことを思い出して小さく声を漏らす琥珀に、ザクロは苦笑した。

ザクロ自身はカラスの行水だ。温泉などならまだしも、家のお風呂でまで長時間くつろぐことはない。

琥珀は冷蔵庫に向かうと中からお茶を取り出してコップに注いだ。この頃、お気に入りらしい麦茶だ。


「ザクロも長風呂すればいいのに、気持ちいいわよ」

「裸で長時間がいるって、怖くないですか?」


ついついザクロが素で応えると、琥珀は信じられないものを見たというように目を大きくして額に手を当てた。

オーバーリアクションで、天井を仰ぎ見る。


「それもある意味職業病かしら」


「ですかね」と答えるしかできない。

ザクロ自身、小さい頃は普通にお風呂に入っていたのだ。だがボディガードなんて職業につくと、気を抜く隙がなくなる。

なるべくすぐに動きたい。お風呂は一番身動きがとれなくて、苦手だった。


「福山と、朝霞だっけ……あなたの同僚」


ザクロの対面に座った琥珀が、半分ほど飲み干されたグラスをテーブルの中心近くに置く。

それからテーブルに両肘をつくと、両手を組み顔をのせた。

じっくりと自分を見てくる琥珀の視線にザクロは少しだけ椅子を引いて、構えた。


「よく覚えてますね。あの日はすみませんでした」


小さく頭を下げる。

何が琥珀の中から飛び出すか、見当がつかない。


「仕事だもの仕方ないわ」


それだけで、琥珀は言葉を止めた。

しかし、視線はザクロに突き刺さったままで、居心地の悪さになんとなく座り直した。

答えの分からぬまま、自らの元同僚について説明する。


「福山は、同じ時期に入った同僚です。朝霞は後輩になります」


言葉少なく、端的に。いつもの調子でを心がける。どれが琥珀の知りたいことか分からない。

ザクロ自身、琥珀に余計な情報を与えたくなかった。

意識して話すザクロに気づいたのか、琥珀の瞳が細長く変化する。


「ふーん。好きだったり、付き合ってたってことは?」


低い声で聞かれた内容に、ザクロは口をぽかんと開けたまま固まる。

想像もできない。いや、したくない内容だ。

ザクロは大きく顔の前で右手を振って否定した。


「は、ありえないですよ。福山はああ見えて、可愛らしい奥さんがいますから」

「へぇ」


脳裏に浮かんだのは、いかつい顔で立っている福山とその隣で朗らかに微笑む奥さん。

いつかに見せてもらった写真。美女と野獣をそのまま日本人で形にしたような二人だったが、意外にも奥さんには頭が上がらないらしい。

いけない。

琥珀の視線が鋭いままなので、余計なことまで考えた。


「この頃、よく話してるから、そういう仲なのかと思って」

「仕事の話です」


ザクロも両手を組み合わせ答えた。

信用を得ようとする政治家がよくやるような姿勢だ。

琥珀の猛攻は止まらない。壁にかけられている時計の針の進みがやけに遅く感じられた。


「そんなに話すことがあるの?」


琥珀が一歩踏み込んでくる。

苦いものがザクロの胸に湧き上がる。誤魔化すように「ええ」とだけ相槌を打った。

十中八九、琥珀はザクロの隠し事に気づいている。


「イベントほど集まる仕事でもないのに、人が増えるってことは何かあったってことでしょ」

「必要な連絡事項です」


どうにか押し切ろうとしたザクロに、琥珀はぐいっと顔を近づけた。急に立ち上がったことで、椅子が床を叩いた。

衝突をさけるようにザクロは、とっさに体を引く。椅子の背もたれの限界までのけぞった。


「ザクロ」

「……はい」


困る。困った。困ってしまう。

琥珀が真剣な顔で、まっすぐに何かを語る時、ザクロは反論できない。

そういう場合は確実に歌か仕事の話であり、琥珀の譲れない部分。彼女の核とも言えるアーティストとしての琥珀の部分だったからだ。

真っ直ぐな瞳が、噴火前のマグマのような熱さを持ってザクロを征服にかかる。


「私は、自分のことは自分で決めたい。スキャンダルまみれでも、自分が決めたことなら構わないのよ。だけど」

「勝手に決められるのは、腹に据えかねる、ですか」


そこまで言われれば、もう何が続くかわかっていた。

歌手として、歌に関わることになると、琥珀はとても頑固になる。

今までも何度かぶつかって、そのたびにザクロは負けていた。

はぁと大きく息を吐き、一度目を閉じた。


「琥珀さんは、歌に集中してもらいたかったんですが」


琥珀の仕事は歌で、周りのことはザクロの仕事だ。わざわざ耳を汚すことはない。

予防線を張ったザクロに琥珀はにっこりと笑った。

椅子に座ってくれたので、ザクロもようやく元の姿勢に戻れる。


「ザクロの嘘が気になって仕方なくて」

「そんな分かりやすくないかと」


笑いながら琥珀が麦茶に口をつける。ザクロは首を傾げた。


「言ったじゃない。私、他人の嘘とか隠し事を見抜くのは大得意なの」


「だから、早くして」と言われ、ザクロはとうとう観念した。

隠し持っていた脅迫状の一部を琥珀に封筒ごと差し出す。連日量と過激さを増している。


「これです」


ザクロが差し出した封筒を、琥珀は目で確認してから手に取った。

裏表を見返し、封が切ってある部分から中身を取り出す。

カサリと紙が擦れる音がした。


「脅迫状、ね」


ひと目見て琥珀の動きが止まる。油を差し忘れた機械のように、ぎこちなく口が動いた。

シンプルな脅迫状は新聞の切り抜きで、文章が作られていた。


『琥珀は人殺し。人殺しに仕事をさせるなら、仕事をできないようにしやる』


何も知らなかったら、スルーした。記事になるくらいだから、舞村の死を琥珀のせいだと考える人間は一定数いるのだろう。

だけれど、数ある脅迫状の中で、琥珀自身が口にした内容と一致したのはこれだけなのだ。


「ただの脅迫状です……でも、琥珀さん、前、言いましたよね?」


紙を支える手が力なく机の上に置かれる。

字面を見つめる瞳は、泣いているようにも、さまよっているようにも見えた。

琥珀という人間の一部分が見えた出来事をザクロは忘れていない。


『私、人殺しなの』


あの時見えた混沌とした何か。その答えが、この脅迫状には隠されているように思えた。

同時に、そこに触れてしまうことは歌手として生きている琥珀のバランスを崩す気がした。だから、触れられなかった。

でも、もう、その時期は終わってしまったのだ。

ザクロは一度深呼吸をした。


「その理由をよければ聞かせてくださいますか?」


琥珀の過去まで背負う一歩をザクロは踏み出した。

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