第11話 夢で逢いましょう

 頭が割れるような痛み。

 全身から力が抜ける気怠さ。


 ここは……スフィア伯爵邸?


 気づいたら私はスフィア伯爵邸の小屋にいたのですが……何かしら、少し違和感が……足音?


 タッタッタッと軽い足音に後ろを見ると……私?


 見覚えのあるワンピースを着た、五歳か六歳くらいの頃の私がいます。

 どうやらこれは私の記憶のようです。


 ふふふ、懐かしいです。


 この頃は山小屋の回りに柵があって、この内側でなら好きに遊んでよくて。


 切り株のテーブルに小枝のフォーク。

 雑草を集めてできた私だけの花壇。


 懐かしいです。



 パキッ



 雑木林のほうから音がして、小さい私と同時に私もそちらを見る。


「ひっ」


 雑木林からこっちを見ていたのは、ラシャータ様?


 ああ、あのドレスは覚えています。

 これは《あの日》の記憶です。



『レティがもうひとりいる』



 小さい私の言葉にラシャータ様の顔が歪みましたが、すぐに笑顔になります。

 冷たい感情が隠し切れないその笑みに、小さな私を庇うように前に立ちます。


「っ!?」


 ラシャータ様が私の体をすり抜けて、小さな私の手を取ります。


『あそぼう』


 そう、あの日突然現れたラシャータ様は私にそう言いました。



 それまで私は自分に異母妹がいるなんて知らなくて。

 初めて会った自分と同じ年頃の子どもに戸惑いつつもワクワクしていたのです。


『いこう』


 小さな私はラシャータ様に腕を引っ張られて柵の外に出ます。


「だめよ」

『おそとにでちゃダメなの』


 柵から出ようとしない小さな私にラシャータ様が首を傾げる。


『どうして?お母さまがそう言ったの?』

『お母さまじゃないよ、お母さまはいないもの』


『あなた、わるい子なのね』


『どうして?』

『お母さまがいないから。わるい子なんだから、こっちにきて』


 悩む小さな私の手を引いて、ラシャータ様は強引に柵の外に連れ出しました。


 そして、やっぱりこっちに行くんですね。



 山小屋からある程度離れたところでラシャータ様は小さな私の手を離しました。


 そして小さな私を連れてきたことを忘れたかのようにグングン先に進みます。


『どこにいくの?』

『あなたはだれ?』


 小さな私の問いかけにも答えてくれません。


 そう、私はこのとき後ろを振り返りました。

 そして山小屋への道があることにホッとしたとき、

 


『ここは?』



 そう、この日ラシャータ様が私を連れてきたのはスフィア伯爵家の墓地ぼち

 歴代の聖女が眠る場所。



『この石はなに?』


 小さな私の問いかけを無視してラシャータ様は周りに咲いている花を摘んでいます。


『んーと、どこだっけ?』

『なにをさがしてるの?』


 ようやく口をきいてくれたのが嬉しくて、小さな私はラシャータ様に訊ねます。

 それなのにラシャータ様は何も答えず、弾むような足取りで墓地を進んでいきます。



 私は中央にある大きな墓石を見上げました。

 このときは分からなかったけれど、初代聖女モデリーナ・フォン・スフィアの墓。


 その墓を囲むように彼女の娘たち、孫娘たち。

 聖女の力を継いだ女性たちの墓があります。


 立派な墓もあれば、粗末な墓もあります。


 スフィア伯爵邸にいたときは知りませんでしたが、ウィンターズ公爵邸で『フレマン侯爵家の滅亡』を読んだときに知りました。


 聖女の系譜は輝かしいだけではないのです。


 スフィアの血に宿る聖女の力を巡る醜い争い。

 聖女を増やすために幾人も夫を与えられた聖女もいれば、幼少期に誘拐されて数年後にある貴族の座敷牢で発見されたときには気が狂っていた聖女もいたそうです。


 残っているのは聖女の美しい歴史だけ。

 薄暗い歴史はひっそりと、名もない墓になって歴史の闇に沈められたのでしょう。

 


『あった、あった』


 ラシャータ様の笑い声がして、ハッとしてみれば小さな私はラシャータ様と一緒に小さな墓石の前にいます。


 ああ、だめです。


『お異母姉ねえさま』

『おねえさま?あなた、おねえちゃんがいるの?』


 小さな私の問いかけに、ラシャータ様は名前のない墓石から目を離しません。


『死んでしまってとてもかなしいの。ねえ、お異母姉さま。お父さまから、お異母姉さまはわたしとそっくりだったって聞いたの。銀色の髪の毛で、目はピンク色で、名前はレティーシャ』


『レティーシャはわたしだよ。でもわたしは死んでいないないよ』


 小さな私の叫びもラシャータ様は無視します。


『お母さまがおしえてくれたの。うちのお庭にある小さな木のお家にね、私と同じ顔のユーレイがいるんだって。レティーシャって名前の、お母さんのいないかわいそうなユーレイ』


『ちがうよ!わたしはユーレイなんかじゃない!!』



 小さな私の叫び声と同時に、周囲の風景がバッと変わりました。


「ウィン?」


 目の前には黒い大きな犬がいて、何も考えられずに私は駆け寄って手を伸ばす。


「っ」


 伸ばした私の手はウィンの体をすり抜けます。

 さっきのラシャータ様と同じですね、これも私の記憶なのですから。



『お前、どこから来たのです?』


 後ろを振り返ればまた私です。

 でも今度は……十六、七歳くらいでしょうか。


 昔の私はウィンに手を伸ばし、その艶やかな黒い毛を撫でます。


 なんとなくあの黒い毛は公爵閣下に似ていますね。

 あの毛は硬そうに見えるけれど、ふわふわしていて、触り心地が最高なのです。



『ケガをしているのかしら?』


 そう、あの日初めて会ったとき、ウィンはケガをしていました。

 過去の私もそれに気づいて、手の平についた血をジッと見ています。



『ケガをして私のところにくるなんて頭がいいですね。さあジッとしていてください』


 覚えています。

 私はこのとき聖女の力でウィンのケガを治しました。


 そのことを恩に感じたのでしょうか。



『ほら、もう大丈夫ですよ。もう行きなさい』


 私はそう言ったのに、ウィンはきかずに小屋に帰る私についてきたのです。


 この頃の私は小屋に一人で住んでいて、運ばれてくる食料も少なくて食べるものに毎日困っていました。


 犬とはいえ生きているものを傍におく余裕はありませんでした。



『仕方がないですね』


 それなのに私は、追い払ってもずっとついてくるウィンを受けいれてしまいました。

 仕方がないなんて言いましたが、私は本当な寂しかったのです。


 ひとりぼっちの幽霊。



 私を死んでいることにした理由ももう分かっています。

 死んだことになっている聖女わたしならば伯爵が自由に使えるからです。


 聖女は国に管理され、聖女の力を使うときには例え家族でも国の許可がいります。


 伯爵はそれが赦せなかったのでしょう。

 自分のものなのに。


 母が死んだあと、私は母が実家から連れてきた三人の侍女に育てられました。


 あとから知ったのですが母が連れてきた使用人は、彼女たちを除いて、全員フレマン侯爵家に戻されたそうです。


 私が生きていることを誰にも知られないためでしょう。


 それでは彼女たちはどうして残ることを許されたのか。

 若く美しかった彼女たちが何を代償にして伯爵邸に残って私を育てたのかは今の私には分かります。


 そうまでしたのは母への忠義か、それとも別の目的があったのでしょうか。


 いまはもう確認する術がないので理由は何でもいいのです。

 私に与えてくれた愛情が縁起でも別に構わないのです。


 彼女たちは私の大事な人たちで、彼女たちに向けていた親愛を向ける相手が欲しかったのです。


 乳母が契約していた家守り精霊のドモには危険だと言われましたが、たった一人の家族に救いを求めていた私は何の脈絡なく『大丈夫』と言い続けました。


 ウィンストン、愛称「ウィン」。


 ウィンはいつも私の傍にいました。

 暖房のない小屋でつねにくっついていて、一緒に眠った夜はとても暖かかったです。


 私にとってウィンが全てでした。

 

 私はウィンストンを愛していたのに……



「ウィン?」



 不意に温もりが消えて足元をみたら、血だまりがあった。


 反射的に一歩下がればパシャリと血が跳ねて、足が何かにあたる。


「ウィン!」


 これはいまの出来事ではありません。


 ウィンはあの日死んでしまいました。

 伯爵に命じられた使用人たちに傷つけられ、終いには火をつけられて。


 伯爵が私に言うことを聞かせるために。


 ウィンストンは伯爵の妄執の犠牲になってしまったのです。

 私のお母様と同じです。



「お母様」



―――レティ。愛しているわ、私のレティ。



「お母様。お母さま、どこなの?おかあさま!」



 お母様の声がしたと思った瞬間に悪夢は消えて、温かいものに包まれます。

 頬に触れる温かな感触は最愛の黒い犬と同じ温もりで。




「ウィン……愛しているわ、ウィンストン」

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