6 きらきら! ポインセチア・ニューロッド

 空は、どろりとした闇におおわれていた。

 三日月となった赤い月は、精霊たちの光をまとい、いまだに欠け続けている。

 ふたりが窓の外を見おろすと、庭に放りっぱなしになっていた黒魔法師たちが炎のカゴのなかで、ぞわぞわと動いている。

 さっきまでとは、明らかに雰囲気が違う。

 黒い霧のようなものをまとっていた。

 どす黒く変色した魔力が、からだからにじみ出ている。

「魔力がさっきとは段違いだ。どうなっているんだ?」

 ぐわりっ、という異様な音がした。

 炎のカゴがねじ曲げられたのだ。

 黒魔法師たちが、ぞろぞろと炎のカゴから出てくる。

「……めんどうだな」

「ポーチ。きみのおじいさまのほうが、めんどうくさいんじゃないのかな」

「うん、そのとおりだ。この世でおじいさまほどめんどうなものはない」

「じゃあ、このていどのトラブルは楽勝だよね」

「……お、おお。そうだな」

 にこにこと背中を後押ししてくるソーダに、ポインセチアはため息をついた。

 まったく、口だけはうまいところが、チョコレートパインだ。

 ポインセチアは杖をかかげ、呪文を唱える。

「紫の炎のむくろよ、水晶の翼を持ち激しく燃えさかれ」

 夜の空に、魔法陣が浮かびあがった。

 使い魔召喚の陣。

 赤い三日月が浮かぶ夜空に、ばさり、と翼を広げたパープルドラゴンを見あげ、ポインセチアはその名を呼んだ。

「むくろ!」

 名前を呼ぶと、むくろは嬉しそうに「ぐるる」と応えた。

 むくろの大きな口のなかに、炎の集まりが、ぼわっと生まれる。

「強く気高き紫翼を持って、優雅なる業火でなぎはらえ!」

 丸い炎がぼぼぼっ、と黒魔法師たちを取りかこむ。

 ぶわりと炎が広がり、その場を飲みこんでいく。

 しかし、黒魔法師たちはうろたえることなく、自分たちの杖を手にした。

 どろどろしたなまりが溶けたような、不気味な杖だ。

「じうろり、ぼるうど、でろんろ、ぼるうど……じうろり、ぼるうど、でろんろ、ぼるうど……」

「なんだ、あの呪文は?」

 ソーダが顔をしかめる。

 ポインセチアも、聞いたことのない呪文だった。

 確実に、嫌な予感がした。

「——黒魔術の呪文だ」

 それは、澄んだかき氷がとけていくときのような、きれいな声だった。

 どこから聞こえてくるのかは、わからない。

「……お前は、誰だ? あれが、なんの呪文なのか知っているのか」

「禁忌呪文だな」

「まーた禁忌呪文……」

「はは。禁忌ってのはな、破るためにあんだよ」

 大げさに笑うかき氷のような声にかぶせるように、ポインセチアが叫ぶ。

「あの呪文のことを知っているんだろう。はやく教えろ」

「あれは、強奪の呪文だ」

「ご、強奪って、何を……」

「あいつらが何を強奪するつもりなのかは、わからない。強奪の呪文は、術者によって効力が異なり、おしはかることが難しい呪文なんだ」

「……どういうことだ?」

 まわりくどいいい方をする見知らぬ声に、ポインセチアは目をすがめた。

「使う魔法師のレベルによって、何を強奪できるかが決まるんだよ。例えば、初心者レベルの魔法師だったら、相手から奪えるのは消しゴムのカスレベルのものだろう。だがな、ベルリラ・プリンガレットほどの術者なら、相手の命を強奪することだってたやすいのさ。だから、禁忌とされてんだ」

「なるほどな……」

「強奪の呪文は、定められたフレーズを十三回唱えなければならない。十三ってのは、魔の数字だ。もっともちからにあふれ、黒魔法師にとって縁深い数字。このくらいは、お前らでも知ってんだろ」

「当たり前だ。授業で習ったからな。うちの執事は、優秀だから古代魔法の分野まで完璧に網羅しているぞ」

 得意げに背をそらせる、ポインセチア。

 ソーダが「知ってる知ってる」と、すかさず相ずちを打った。

「だが、いくら魔力があがっているからとはいえ、あの黒魔法師たちがベルリラ・プリンガレットほどの魔法師だといえるのかといえば、それは違う。プリンガレットの好々爺には、遠くおよばないだろうな。だがこいつら、かなり強くなっているぞ。どこまでやれるか、見ものだな」

 冷えきった声が、きん、といい放つ。

 だとすれば、彼らは何を強奪するつもりなんだ?

 ああ、めんどうだ、とポインセチアは手のひらを振りかざした。

「むくろ、燃やせ!」

 ごおおお、と黒魔法師たちを取り囲む火力が強くなる。

 ソーダがあわてて、ポインセチアの手を握った。

「ちょっと、ポーチ! いくら面倒くさがりのきみだからって、ここでヤケになっちゃだめだよ。もっと、作戦を」

「じっくり考えてなどいられるか。長期戦はまずい」

「ポーチ!?」

「この大魔法戦争をギネス級の速さで終わらせる。それが、持久力のない私に残された唯一の手段だ。もうすでに、足が棒のようになりはじめているぞ!」

「……喫茶店のプリン・ア・ラモードではなく、プロテインバーに行くべきだったかな」

 ジロリ、とソーダをにらみつける、ポインセチア。

「プロテインで筋肉がついたところで、それを維持する体力がない。そもそも筋トレをするための体力がないんだぞ?」

「よーし。速攻で終わらせよう。ポーチ!」

 むくろの炎に、黒魔法師たちが逃げまどっている。

 強奪の呪文は、いったん途切れたようだ。

 呪文さえいい切らせなければ、魔法は発動しない。

 ふたりは、ホッと胸をなでおろした。

「でうぼるでろぼる、ろりうどんろうど、ぼうるり、ぼるうど、でろんろ、ぼるうど……」

 どろりとした、耳をねばつかせる呪文。

 ぞわり、とふたりの背後に寒気が走る。

「ご、強奪の呪文……どこからッ?」

 ソーダがあたりを見渡すと、今まで対峙していた黒魔法師たちとはまったく逆方向から、聞こえることに気づいた。

 屋敷の庭につらなる、生垣のヒイラギが、がさりとゆれる。

 まったく気にしていなかった。

 まさか、むくろの攻撃を逃れるために、ひとりだけここに逃げこんだものがいたのか。

 ソーダが叫ぶ。

「まずい、ポーチ! 強奪の呪文が……」

「でうぼるでろぼる、ろりうどんろうど、ぼうるり、ぼるうど、でろんろ、ぼるうど」

 ポーチの耳に、あの呪文が聞こえた。

 それは、鮮明にはっきりと、一字一句聞き取れた。

「十三回、唱えたぞ」

 ねばつくような、気味の悪い声だ。

 しげみからガサリ、と黒いローブの男が現れた。

 黒魔法師が、杖を天に指ししめす。

「強奪の呪文! さん奪せよ、えーとえーと、何を奪えば……」

「考えてないんかいっ」

「うるさい! ずっと考えてたけど、おれの魔力で何が奪えるのかわからないんだよ!」

 ポインセチアはあきれながらも、杖をふるった。

「むくろ!」

 紫の竜が、ポインセチアの声に応え、翼をふるわせた。

「そぐように、吐け。紫紺の炎!」

 短縮呪文に、むくろが反応する。

 ぼわあ、と紫の炎が黒魔法師たち目がけて吐き出される。

 だが、同時に黒いローブの男も叫んでいた。

「ぐぬぬ! さん奪せよ、黒に反逆するものたちの呪文を!」

「なに!?」

 男の前に、強奪の魔法陣が浮かびあがる。

 ポインセチアが唱えた呪文が、きゅるるるる、とそこに吸いこまれていく。

「でうぼるでろぼる、ろりうどんろうど、ぼうるり、ぼるうど、でろんろ、ぼるうど」

 ハッと、ふたりが顔をあげる。

 ぶつぶつと聞こえるそれは、まぎれもなく強奪の呪文。

「十三回目だ!」

「っく、またか!」

「さん奪せよ、黒に反逆するものたちの杖を!」

 次の男の前にも、強奪の魔法陣が浮かびあがる。

 ポインセチアとソーダの大事な杖が、きゅるるるる、とそこに吸いこまれていく。

「ふはははは! さっきの未熟者と違って、おれは十三回唱えているあいだに、しっかりと強奪するものは考えていたのだあ!」

「魔力が強化されているくせに、しっかりとした小物感!」

 ソーダのツッコミのあいだにも、五人の黒魔法師たちが次々と呪文を唱え続けている。

「ああ、杖がなきゃなにもできん! さっさとしゃっくんを喚びだして、彼らをぐるぐるにして、口をふさいでしまえばよかったか」

「ぴゃー!! ホッとしてごめん。ぼくにとっては、ラッキーだった」

 ゾゾッ、とからだを震わせるソーダ。

「いや、なにもできなくはないぞ」

 ポインセチアの叫びに、さっきのかき氷のような声の主が、あっけらかんと騒動に参加してきた。

「いい加減、お前は誰なんだ」

「今はそんなことはいいだろうが」

「……杖がないのに、どうするっていうんだ」

「忘れたのか。お前の杖。父親はどうやって作り出していたのか」

 ポインセチアの杖は、生まれたその日にリースが自らの髪の毛に魔力を注ぎ、作り出してくれたものだ。

 まさか、と思った。

 ポインセチアは、自分の髪をさらりと触る。

 月光に透ける、銀色のセミロング。

 子どものころから、スサノヲがていねいにブラシでといてくれていた。

 リースがポインセチアを褒めるときには、その大きな手のひらで、この銀色の髪をなでつけてくれた。

「この髪にはね、プリンガレットに代々受け継がれている魔力が流れているのだよ。髪の毛は、もっとも魔力が宿る場所なのだ。大切になさい」

 リースはいつも、そう語ってくれた。

 ポインセチアは、手入れの行き届いた銀髪から一本を選び、ぷつりと引きぬいた。

「それにすんのか」

「どれでもいっしょだろう」

「お前がそうだと思って引きぬいたんなら、それなんだろうな」

 よくわからないことをいうかき氷だ、と思いながらも、ポインセチアはたずねた。

「それで、杖にする方法は?」

「お前自身がよく知っているはずだがな」

「お前……もしかして、ファンタジーアニメにありがちな案内マスコット的立ち位置をやろうとしてるのか? だとしたら、あきらめたほうがいい。かわいい萌え声とはほど遠い声帯だぞ」

「どういう意味だよ、それ。萌えってのは、命の芽吹きのことだろうが」

 かき氷が、呆れたように続ける。

「ポインセチア・プリンガレット。おれがどうして貴重な魔力を使ってまで、こうしてお前たちと会話をしているか、わからねえのか」

「知るわけがないな。知ったかぶりのオジサンめ」

「偉大なる魔法師に向かって、オジサンとは許しがたい暴言だぜ!」

「自分で偉大っていうタイプなのか……」

「本当に失礼な一族だな! ベルリラ・プリンガレットといい、めちゃくちゃなやつらの集まりだ、プリンガレットはッ!」

「おじいさまを知っているのか」

 かき氷の口ぶりに、ポインセチアは思わず口をはさんだ。

「あの老木ことは、今はいい。それよりも、杖を作れ。話はそのあとだ。頭に思い浮かんだことをしろ。そうすれば自然にできあがる」

 いわれたとおりにすると、頭にすうっとイメージが浮かびあがる。

 これは、呪文だ。

 ポインセチアは流れるままに、言葉をつむいだ。

「価値あるものを宿し銀糸に、今宵の月光を注ぎ、我を導くしるべとなれ!」

 空に浮かぶ、赤い月。

 それとは、異なる月の輝きだった。

 空から差しこむ銀色の光は、今見ている空とは違う、もっともっと奥から降り注いでいる。

 光はポインセチアが握る銀糸に注がれ、次のまばたきの瞬間には、美しい銀色の杖へと変わっていた。

「この杖……」

 見たことがあった。

 美しい装飾がほどこされた、ポインセチアの新しい杖。

 先端に金色の満月、夏の海を思わせるスカイブルーの宝石が埋めこまれた星。

「おじいさまの杖に似ている……」

「ポーチ! こっちはもう限界だよ~」

 ソーダは、むくろの後ろに隠れながら、なんとかやりすごしているようだった。

「あれ。その杖、どうしたの」

「あの変な声の主に教えてもらって、自分の髪で作ったんだ」

「……本当に? 信じられないけど」

 こまったようにソーダが、人差し指を立てる。

「杖は、代々親に作ってもらうもの。親の遺伝子と魔力がこもった杖に、己の魔力を注ぎ、ようやく魔法として成り立つ。魔法師とは血が重要なんだって、そう習ったじゃない」

「……そういえばそうだな。これは、おかしな話だ」

 自分でも、不思議な気持ちを隠せず、呆然としてしまう。

 そんなポインセチアに、ソーダは「ふふっ」と笑みをこぼす。

「あいかわらず、面白い女の子だね、きみは。これだから、目が離せないんだ。聖なる炎(トーチ)」

「突然、ナンパになるな」

「うーん。ナンパなんかじゃないのに」

 ポインセチアは、新しい杖でカシャン、とソーダをつついた。

 がんばってくれていたむくろにお礼をいうと、何回目なのかもわからない、強奪の呪文がはびこるなか、銀色の杖をひとなぎする。

「紫の炎、むくろよ。水晶の翼を持て。切り裂き、とどろかせ、ひとつなぎの炎でもって、黒を制圧せよ」

 銀の杖が、星屑のような光をまとう。

 むくろがそれに応えるように吠えると、紫色の炎が、あたりを包みこんだ。

 黒魔法師たちの杖が、じゅわじゅわと燃えていく。

 黒魔法師たちをまとっていたおどろおどろしい魔力も蒸発するように消えていく。

 それと同時に、自分たちの杖がゆらりと宙を漂いながら、もどってきた。

 手のひらにぴったりとなじむ、大切な杖の帰還にソーダは安心した顔を浮かべた。

 ポインセチアも父から送られた杖を手にすると、さっき作った杖は泡のようにしゅわり、と消えてしまった。

 ソーダが、目をビー玉のように丸くする。

「せっかく作ったのにね、ざんねん」

「……まあ、杖が帰ってきたんだから、困ることはないだろう」

「ポーチ。あの声の主だけれど、本当に何者なんだろう? きみに魔法の法則を無視して杖を作らせるなんて、なんだか怪しくないかな」

「そうだな。あいつ……どこいった?」

 今までは、聞きたくなくても聞こえていたのに、話題にあがったと思ったら、声の主はうんともすんともいわなくなってしまった。

 黒魔法師たちは、杖をなくしたせいか、ぱらぱらとその場を逃げ出していく。

「ふふん。杖をなくした魔法師なんて、おむつをはいていない赤子のようなもんだね」

「その例え、あっているのか?」

 黒魔法師たちをベルリラに引き渡そうとしただけなのに、とんだ時間をくってしまった。

 忘れてなどいない。

 今は、大魔法戦争の真っ最中なのだ。

「トット・ベリーマフィンを追いかけよう」

 ぜったいに乗り物酔いするに決まっているが、背に腹はかえられない、とポインセチアはむくろに飛び乗った。

 ソーダもそれに続く。

 久しぶりに主人を背中に乗せたむくろは、嬉しそうに「きゅーん」と鳴いて、赤い三日月が浮かぶ夜空へと、翼を広げた。

「でもさ、その前にすることがあるんじゃないかな」

「はっ? トットを追いかけること以外になにがあるっていうんだ」

「ベルさんが不老不死になったことを、報告しなきゃいけないんじゃない? リースさんに」

「んああああ!!!!! 忘れていた!!!!!」

 まだ出発して五秒なのに、すでに三半規管がぐるぐると周りだし、むくろが心配そうに「きゅいん」と鳴いた。

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