バックマスキング

BISMARC

第1話 ボーカルの失踪 (1)

「KENが自分の意志で姿を消したはずはないのよ。メジャーデビューが決まってたんだから」


 女社長の言葉に、謙太は内心「やった!」と叫んだ。


 謙太は去年、大学を卒業したばかりの24歳で、木下探偵事務所に入って2年目だ。

 子供の頃から探偵や刑事が活躍するドラマが好きだった謙太には、「探偵らしい」活躍をしたいという憧れがあった。

 が、実際に探偵事務所に入ってみると不倫調査や身上調査が業務のほとんどで、事件を鮮やかに解決するどころか、事件性のありそうな調査自体、縁遠い。


 だが今回、謙太が単独調査を任されることになったのは、人気急上昇中のバンドのボーカルがメジャーデビュー直前に失踪した、という捜索案件だ。

 それを木下所長から聞かされた時、謙太は今度こそ「探偵らしい」活躍ができるのではないかと期待に胸をふくらませた。


 そして今、依頼主の芸能プロダクションであるノース・エンタープライズの女社長の話を聞いて、謙太の期待は高まった。

 「自分の意志で姿を消したはずはない」ならば、それはつまりなんらかの事件が起きたことを示しているからだ。


 できるならガッツポーズを決めたいと謙太は思ったが、そんなマネが許されるはずはない。

 だから笑みが浮かびそうになる口元をぐっと引き締め、目が笑っているのを悟られぬよう、視線を落としてノートPCでメモを取るフリをした。


 録音されているとなると、話したがらなかったり口が重くなったりする人が少なくないので、依頼人や関係者から話を聞くときにはボイスレコーダーのたぐいは使わないことにしている。

 中にはPCでメモを取るのもいやがる相手もいるので、そういう時には紙の手帳に手書きだ。


「素人質問で申し訳ありませんが、メジャーデビューというのはやはり凄いことなんですよね?」

「そりゃそうよ。うちのタレント達は皆それを目指してる。KENは特にデビューを喜んでたわね」

「≪ブリリアント・ノイズ≫の他のメンバーの方々も喜んでらっしゃったでしょうね」


 謙太の言葉に、女社長の北原は満足そうな笑みと共にうなずいた。

 年齢はおそらく50代前半――だと謙太は思ったが、実際には60歳の誕生日を3か月前に迎えていた――若草色のスーツをすっきりと着こなした姿は年齢の割には若々しく、往年の美しさを彷彿とさせる。


(笑えば今でも美人だな。20年前なら、不機嫌面でも美人だったかもだけど)


 内心、思ったが、無論そんなことはおくびにも出さない。そして、北原の隣に座っている男が横目でちらっと上司に視線を向けたのも見逃さなかった。


(これは個別に話を聞いたほうがいいな…)


「それで、KENさんの失踪に気づかれたのはいつになりますか?」

「佐川君から報告を受けたのは昨日だけど、いなくなったのは…」


 言って、北原は隣の男を見た。


「先週の金曜、メジャーデビューの件で打ち合わせする為に連絡を取ろうとしたんですが、取れなかったんです。電話もSMSもDMも全部ダメ。

 それで他のメンバーに電話したら、彼らも水曜ごろからKENと連絡を取っていないと言い出しまして」

「なんでその時すぐ報告しなかったのよ」


 北原の叱責に、男は「すみません」と頭を下げた。


「KENもいい大人ですから、1日、2日連絡が取れないだけで騒ぎ立てる必要もないかと思いまして」

「1日、2日じゃなくて3日も経ってるじゃないの」

「いえ、ですから、連絡が取れなかったのは金曜でしたから、週が明けても連絡が取れないようならご報告しようと…」


 佐川の言い訳に、北原は深く溜め息をついた。


「あのね、佐川君。≪ブリリアント・ノイズ≫はここ数か月で人気が急上昇。KENはその中でも一番人気のボーカリスト。

 メジャーデビューが正式決定して来月からレコーディングが始まるスケジュールだし、来週早々にはマスコミに大々的に発表する予定だったのよ?」

「それは…はい。マネージャですから存じてます」

「それを知ってて何で事態の重要性がわからないの? 何のために私のプライベートの電話番号を教えてあると思ってるの? こういう緊急事態のためでしょうが」


(うわ…荒れだしちゃったよ)


 謙太は心の中でぼやき、溜め息をつきたい気持ちを抑えた。そして、これが仲裁に入ったほうがよいケースなのか傍観したほうがよいケースなのか、頭の中で天秤にかける。

 こういう時、謙太が参考にするのは彼が勤める探偵事務所の木下所長が作った顧客対応マニュアルだ。


 それによれば、言い争う2人または3人の間の力関係があいまいな場合、放っておくといつまでもいさかいが終わらないおそれがあるので仲裁すべし。

 力関係が明白な場合、弱い側に味方すると顧客のキーパーソンを敵に回すことになるので基本的にNG。

 強い側に加担すると、弱い者いじめになって恨まれる可能性がある上、強いほうへのおべっかと取られてかえって心証を悪くする場合もあるので要注意。

 相手が4人以上の場合、外野が何か言っても雑音レベルにしかならないので、ある程度落ち着くまで黙って静観すべし。


 今回は仲裁すべきケースでも静観すべきケースでもなく、どちらに味方するにしろ要注意のケースだ。


 なので、誠実そうな表情を浮かべながら暫く黙って見守ることする。


 この「誠実そうな表情」と「丁寧な言葉遣い」は、「清潔感を与える身だしなみ」と並んで木下所長が重要視する3本柱だ。


――言葉遣いと身だしなみは社会人として当然のマナーだが、俺たちは何かと胡散うさん臭く見られがちの探偵事務所なんかやってんだから、誠実と誠心誠意を貫け。


 それが木下の処世訓であり、木下探偵事務所のモットーでもあるのだが、入社して初めて所長からその言葉を聞いたとき、謙太はがっかりしたものだった。

 誠実と誠心誠意は良い。

 言葉遣いと身だしなみも社会人として当然と言われれば、そのとおりなのだろうと思う。


(でも、探偵事務所が胡散臭いって経営者自身が公言するなんて…)


 今から思えば、木下は世間から胡散臭くだと言っただけであって、自らそのとおりだと認めたわけではなかったのだが、その時の謙太にはがっかりするだけの理由があった。



――探偵事務所? なんだか胡散臭いな…。

――せっかく大学まで行かせてあげたのに、そんな怪しそうな所しかなかったの?


 木下探偵事務所に就職が決まったとき、両親からそう言われたのを謙太は思い起こした。


――怪しくなんかないよ。ちゃんと探偵業法に基づいて警察に届け出を提出してあるし、公安委員会から探偵業届出証明を交付されてる。面接の時に確認した。

――探偵業法? そんなものがあるのか。


 謙太はうなずき、あまり言いたくない言葉を口にした。

――兄ちゃんが言ってた。


 謙太の言葉に、両親の表情が変わった。

 懸念から、安堵へ。


――なんだ、蒼司がそう言ったのか。

――じゃあ、間違いないわね。

――……間違いないよ。現役の警察官が言ったんだから。


 そう、謙太は呟いた。

 そして、自分の就職祝いに寿司でも取ろうと喜ぶ両親を笑顔で見やりながら、胃のあたりが重苦しくなるのを感じていた。



「それで、警察へのご連絡はなさったんでしょうか?」

 佐川が平身低頭して謝り倒し、北原が何度目かの溜め息をついて口をつぐんだ時、回想から現実に立ち戻って、謙太は聞いた。

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