章閑話—15 メイドと執事—5

 ふと目を開けると、もう直ぐ夜が明けるところだった。カーテン越しの窓が白く浮かび上がっているのが見える。

 瞼が重くて瞬きをすると違和感があった。やけにボーッとする頭でどうやってここまで来たのだったかを思案する。


 無意識に左手を動かそうとして、痛みに顔を歪めた。

 重い頭を動かしてそちらを見ると、腕には白い包帯が巻かれ消毒用なのか鼻につくアルコールの匂いがした。


「カナリア……!」


 その瞬間に昨夜の記憶がどっと押し寄せ、無理矢理身体を起こそうと痛いのも構わず左手を引いた。

 引こうとしたが、その手が固定されていて動かせない。私の手をぎゅっと握り、ベッドにもたれるように伏せていたのはクーラだった。


 起きあがろうとした気配に目敏く気付いたクーラが、バッと顔を上げる。


「あ……」

「ナタリー!! 目が覚めたんだな。大丈夫か——」

「カナリアは!? カナリアは無事?」


 起きあがろうとするのを手助けしてくれる彼に掴み掛かるように問いただす。それに「落ち着け」と宥める彼がフッと表情を緩めた。


「アズベルト様が救出されて、先程屋敷に戻られた。大きな怪我も無くご無事だ」

「っ!! ……っ……良かっ……」


 それを聞いた途端に待っていたかのように涙が溢れた。瞼に違和感を感じる程泣いた後だったが、涙は次から次から溢れて止まらない。

 フラっと身体から力が抜けたところをクーラが支えてくれる。穏やかに微笑む彼の顔を見たら、緊張が解けたのか何だかやけに安心してしまって余計に泣けてしまった。


「大丈夫……もう大丈夫だ……」


 そう言って抱き寄せてくれた彼に甘えた。母以外の前で、こんなに誰かに縋り付いて泣いたのは初めてだ。兄の前ですら無かったと思う。

 声もしゃくり上げるのもお構いなしに、込み上げてくる全部を吐き出すように泣いた。


 どんなお叱りも罰も受けよう。

 私のせいでカナリアを危険に晒してしまったのだ。

 例え専属で無くなってしまったとしても、ここをクビになったとしても、カナリアが無事だったのならそれでいい。



 散々泣いてようやく落ち着くと、クーラに再びベッドへ寝かされてしまった。

 直ぐにでもカナリアのところに行きたかったが、今は薬の影響でまだ眠っている筈だからと嗜められてしまった。


「それに事後処理で旦那様も忙しくされてる筈だ。ナタリーだって薬の影響が残ってるだろうし、もう少し休んでから一緒に行こう」

「……うん」


 ずっとついてくれたのだろうか。クーラだって疲れている筈なのに。

 あんな椅子に座った状態で眠っていたなら身体を痛めてしまう。私のせいで風邪なんて引かないといいけど……。


「私は大丈夫だから、クーラもちゃんと休んで」

「オレのことはいいから、今は自分の身体の心配をしてくれ」

「でも……」

「今すぐ目を閉じないと添い寝するぞ! いいのか?」


 そう言って再びベッドの側の椅子に座り、掛布を肩まで引き上げてくれている。

 こんな風に家族以外の誰かに心配されることが、何だか気恥ずかしくてくすぐったい。同時にとても嬉しく感じるのは、彼だからだろうか。

 添い寝じゃ罰にならないのにと思いながら目を閉じた。

 やっぱり薬の影響が残っていたのか、いくらもしない内にうとうとしてくる。



 眠りが浅かったせいか都合のいい夢を見た。

 自分の中では覚悟をしていたつもりだったが、やはり不安になったのだろう。

「ここを出て行く事になるかもしれない」と、誰かにぽつりと零していた。

 途端に身体を温かく包まれる感じがして、酷く穏やかな気持ちになる。


『その時はオレも一緒だ』


 誰が言ったか分からないその台詞が、イヤに耳に残った。

 そんなの駄目だと言わなければいけない事が分かっていたのに、それを嬉しいと思い、頬が緩むのを止められなかったのだ。

 それなら辛くないかもと思いながら、ゆっくり沈んでいく意識を手放した。




 緊張に身を固くしながら、カナリアとアズベルト様がいる部屋の扉をノックする。

 中からカナリアの声が聞こえると、安堵と恐怖が一度に押し寄せた。

 何かを確かめるようにクーラを見上げると、優しく微笑む彼が頷いてくれる。

 それに勇気をもらって扉を開けた。

 足を踏み入れると直ぐにカナリアが胸へと飛び込んで来た。

 お互いにぎゅっと抱き締め合い、やっぱり溢れてくる涙を拭いもせずに無事を喜びあった。

 何を言われても全て受け止める覚悟でいたのに、責めるどころか身体の心配をされ、感謝の言葉を掛けてくれたのだ。

 カナリアも、アズベルト様も、純粋に私の無事を喜び許してくださった。

 一向に止まらない涙を流しながら、生涯を掛けてこの二人に尽くそうと、改めて心に固く誓った。


 薬は抜けたし、身体も動くから休みは必要ないと言ったら、カナリアとクーラに反対され説得されてしまった。


「本当になんとも無いのに……」


 そう言って聞かせても全然信じてもらえない。それどころかアズベルト様にまで「今日だけは休むのが業務だ」と言われてしまった。

 しかもだ! 監視役兼お世話係として、クーラが任命されてしまった。

 喜んでその任務を受ける彼の顔が見られない。この後は仕事に戻るつもりでいたせいか、今更ながら酷い醜態を晒した彼に、どんな顔をすればいいのか分からなくなってしまったのだ。

 急に自分がしでかした事が恥ずかしくなって俯いてしまった。


「どうした? 気分悪い?」


 小声で労ってくれるクーラにふるふると首を振ると、背中にそっと手を当てがわれエスコートされてしまった。その仕草に、自分が大切にされているように思えてしまい、自意識高すぎでしょうよと顔が熱くなる。

 扉に向かって歩みを進め、退出する前に揃って二人に挨拶をする。去り際に見たカナの顔が酷く嬉しそうで、絶対に勘違いしてるなと思うとそのせいで更に顔が熱くなってしまった。




 いつも使っている部屋に戻ると、やはり当然のようにクーラも入ってくる。

 私を先に部屋へ入れ扉を閉めると、つかつかとベッドまで歩いて行く。乱れたそこを手早く整え、こちらを振り返りポンポンとベッドを叩いて、ここへ座るようにと促して来た。

 示された通り、そこに座る。するとわざわざ椅子を私の正面に置き、目の前に座ったのだ。

 膝がぶつかりそうな程近い距離に戸惑い、そわそわしてしまう。恐る恐る見上げた彼の表情は、いつもと違って少し強張っているように見える。


「仕事に戻ろうとした位だから、身体は大丈夫だな」

「……ええ」

「だったら、オレはナタリーに言いたい事がある」


 こちらを見つめる眼差しが真っ直ぐで強くて、少し怖い。

 今まで一度でもそんな風に見られた事が無かったせいで、突き刺さるような視線に心臓が握られるような思いがした。


「オレは怒ってる。ナタリー、君にだ」

「え……」


 クーラから寄越された予期せぬ驚きの言葉に、心臓が嫌な音を立てるのを怒りを湛えた視線を受け止めながら聞く事しか出来なかった。

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