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「ナタリーはクーラのことどう思ってるの?」
「……え?」
今日のお茶の時間に食べる為のプリンを一緒に作りながら、カナはナタリーを固まらせる直球の質問をしていた。今は別荘のキッチンに二人だけ。執事は何名か来ているが、今はアズベルトの執務室にいる筈だ。因みにクーラは来ていない。
プリンの材料は先日、オラシオンに視察に行った際、シュトレーゼ夫妻から頂いたものだ。オラシオンを代表する筆頭農家である夫妻は、カナリアの両親とも懇意にしており、アズベルトの事も古くから知っている。カナリアの事を娘のように思ってくれている彼らは、買い取ると言ったのに「元気な赤ちゃんを産む為にはたくさん食べて栄養をつけなければ」と、馬車に乗り切るか不安になる程の手土産と共に送り出してくれた。
あの日、知らないうちに投下していた爆弾のおかげで、すっかり溺愛モードに入っているアズベルトを宥めるのに苦労したことは記憶に新しい。
そんなこんなで、二人の関係について女子会を開けずにいての今である。
ナタリーは一瞬目を泳がせたものの、直ぐにいつものクールな表情に戻った。
「どうと言われても……仕事仲間としか……。まぁ、その中でも仲は悪くないとは思うけど」
「それだけ?」
「……ええ」
今の間は? と思いながらも、カナは特に追求しないままずっと気になっていた事を聞いた。
「ナタリーはお見合いとかしないの?」
「私に求婚するような物好きなんていないわよ」
適齢期の令嬢な筈なのに、ナタリーは悩む素振りも気にする素振りも全く見せずに言い切った。
「どうして?」
「どうしてって、利益が無いからよ。私は学院に行って無いから資格がある訳では無いし、社交界へも出ていないから貴族間の繋がりも持って無い。家は子爵の爵位があるけど、領地はそんなに大きくないし、私自身が三兄妹の末だしね」
ナタリーは自分に貰うだけの価値なんか無いと言って笑ったのだ。カナはそんな風に自分を貶める友人の事が腹立たしいと思った。彼女自身が彼女の魅力をまるでわかっていないように思える。
「そんな事ないわ!! とっても気が利いて働き者で、責任感が強くてお料理もお掃除も得意なのに、貰い手がないなんてそんなのおかしいわ!! 絶対間違ってる!!」
プリンは泡立ててはいけないと自分で言っていたクセに、カナはぷりぷりと怒りながら器の中身を盛大にかき混ぜている。まるで自分の事のように頬を膨らませる彼女に、ナタリーの口元が緩んでいく。
「そんなものよ。……でも私、結婚したいだなんて思ってないから。今のままでいいのよ」
「思わないの?」
クスっと笑い、カナの手から器を取り上げた。「泡立てちゃいけないんじゃなかったの?」と見せつけるように器を持つと、カナの目尻が申し訳なさそうに下がっていく。
「私はカナの側でこんな風におしゃべりしたり、お菓子作りをしている方が、よっぽど楽しいわ」
「……っ!」
カナの瞳が大きく開かれ、隣で笑う少女を映す。ナタリーはナタリーで急に手を止めて瞳を潤ませるカナに首を傾げて見せている。
「……今、カナって……」
「!!」
初めてナタリーが『カナ』と呼んだ。リアでもカナリアでも構わなかったのだが、それでも前よりももっとずっと心の奥の方が近づいたような心地がして、カナは胸の奥が温かくこそばゆい気持ちになるのを感じていた。
「とっ、とにかく! 私は今のままでいいの!! ほら、手を動かさないとっ! アズベルト様をお待たせしちゃうでしょう」
いつものクールなナタリーも素敵だけれど、こんな風に頬を染めて恥ずかしそうに世話を焼いてくれる姿も可愛らしくて、今度はカナの口元が緩んでしまう番だった。
出来上がったプリンを持ってアズベルトの執務室のドアをノックする。入室を許可する声が掛かり中へ入ると、難しい顔をした彼が書類と睨めっこしていた。そんな姿も素敵だなぁと眺めながらカナは扉を閉めると、押してきたワゴンを執務机の前にあるテーブルの側へとつけた。
「アズ、休憩しない?」
「ああ……そうしようかな」
茶葉を蒸らしているティーポットをテーブルに移していると、アズベルトが側の椅子へと腰かける。その顔には疲労の色が見てとれた。
「何だか大変そうね」
「うーん。オラシオンの領地が、今年は雨不足らしくてね。作物の生育が遅れているらしいんだ」
「そうなの? この間ゼジルさんの農場に行った時はそんな風に感じなかったのに……」
カップにお茶を注ぐと、プリンと共に彼の前に置いた。
「シュトレーゼの農場は大河が近いからね。水がきちんと確保出来ているんだよ」
「じゃぁ河が遠い農家さんは雨に頼るしかないの?」
「現状はそうだな」
「そうか……水道が整備されている訳じゃないものね。……せめて井戸水が自動で汲み上げられたら良いのに」
雨が降る降らないに関しては自然界の話の為、どうする事も出来ない。極端に雨が少ない時には雨乞いの儀式を執り行う事もあるそうだが、それにも膨大な準備とお金が掛かるのだ。幸い地下水が豊富なオラシオンでは井戸が多く確保出来ているようだが、汲み上げは人力だ。それではやはり賄える範囲がどうしても限られてしまう。
「そう。その自動化を進められないか検討中なんだ」
「え? そうなの?」
「ゲネシスがカナの話に酷く感銘を受けたようでね。王国で発掘されている魔石を活用出来ないか、研究に入ったようだ」
「ゲネシス様、流石ね」
王国が保有する鉱山の中には魔力を込める事の出来る鉱石、『魔石』を採掘出来るものがある。城に勤める魔術師の仕事の一つに、この魔石を有効活用する方法を研究する事も含まれていた。
ゲネシスはカナとの対談後、この魔石を蓄電器として活用出来ないものか、研究に入ったという。大きな動力を手に入れる事が出来れば、今ある環境もきっと大きく変わる筈だ。
「上手くいくと良いわね」
「そうだな」
アズベルトは凝り固まった身体を伸ばす様に軽く腕や肩を動かした後、楽しみにしていたおやつのプリンを一口食べた。途端に瞳が驚きに開かれる。
「この間と味が違う。これも美味いな」
これは……と言いながら、もう一口掬うと口へと運ぶ。何かを当てようと思案する彼を、カナは微笑ましげに見つめている。
「うん。もしかしてクワワかな?」
「そうなの! 今日は農場から頂いた野菜を蒸して裏ごしして混ぜてあるの。そうすれば栄養も取れるし、アズのように忙しい人にも良いと思って」
「……そうか」
嬉しそうに目元を緩め、愛おしげに見つめてくる彼が眩しくて、カナの心臓が静かに音を立て始める。
これに慣れろって……なかなか難しいと思うのだけれど……
そんな事を考え熱くなった頬に気を取られながら、カナもプリンに口をつけるのだった。
「そうそう。ちょっとこれを見て欲しいんだ」
「まだ計画の段階なんだけど……」
アズベルトの隣から覗き込もうとして引き寄せられた。椅子に腰掛けたアズベルトの膝に座らされ、背中からすっぽりと包まれてしまったのだ。
「アズ!」
「少しだけ」
「もう」なんて言いながら、ちっとも嫌だなどとは思っていない。一気にうるさくなりだす心臓の音が聞こえないようにと願う。
「カナリアの父君とゼジル殿には話したんだが、統合を機に新しい施設を作ろうと思うんだ」
「新しい施設?」
「ああ。今は使われていない建物を改修して、カナが言ってくれたみたいに新鮮な野菜やミルクを買える場所にしようと思う」
「!!」
机上に広げられたのは間取り図と建物の概要や目的、集客予想などがまとめられた企画書だった。どちらにもびっしりと事細かくメモ書きがされている。
「食堂も入れようと思ってる。カナが作ってくれるようなお菓子が買える売店も入れて、休憩出来るようなスペースやなんかも確保して、まずは街人が利用しやすい市場のようにしてしまおうと考えてる」
「素敵ね!!」
「その後に、カナが言っていたような観光客目当ての施設を作ろうと思うんだ。観光先を絞って、宿屋を整備して、土産専門の店を置いたり」
「私も是非行きたいわ!!」
「そうだな。完成したら一緒に行こう」
お腹に回された腕にきゅっと力が込められる。
「カナにも手伝って欲しい」
「え、私?」
「レシピを考えてくれないか?」
「!?」
「食堂で出すメニューに、売店で売るためのお菓子のレシピなんかを。今後オラシオンで展開する事業の料理の監修を頼みたい。あぁ! プリンは是非置いて欲しいと、母君とシュトレーゼ夫人から要望書が届いたよ」
アズベルトはクスクスと笑いながら、「よほどお気に入りのようだ」と、笑みを深くしている。
カナは彼の膝の上で穏やかに此方へ向けられた琥珀色を見つめた。
「カナはずっと仕事をして生活してきたのだろう? 貴族社会の窮屈な暮らしよりも、こちらの方がよほどやりがいがあるだろう。キッチンを堂々と使える理由も出来る」
「……いいの? 私が、やっても……」
「元々カナのアイデアだ。自分でやりたいだろ?」
「嬉しいっ、……ホントに? ホントにいいの……?」
嬉しそうに、だけれど少し不安そうにカナが表情を歪めてアズベルトを見つめれば、彼はもちろんとばかりに微笑みを輝かせる。
「これから式の準備で忙しくなるだろうから、動き出すのはその後からになるけど……やってくれる?」
「もちろんよ!! 頑張るわ!! たくさん売り上げて、その収益がオラシオンやフォーミリオの助けになってくれたら、こんなに嬉しいことはないわ!」
興奮気味に話すカナの首筋にアズベルトの唇が触れた。その瞬間に二人を取り巻く空気の糖度が増していく。いきなりの事に驚いたカナの身体が過剰に反応し、肩がビクリと跳ねた。空気的にも本能的にもこれはマズいヤツだと分かった。
「アズっ、待って……」
「君のそういうところ、本当に好ましいと思うよ。俺の元に来てくれた事、本当に感謝してる」
腹部に回されていた大きな手が、カナの身体の線をなぞっていく。その動きと感触がぶるりと身体を震わせた。陽の高い時間だというのに変な気分になりそうで、カナは慌てて身を捩った。
「アズ! お仕事中でしょう?」
「カナが足りない。補充したい……」
それが何かとでも言うように、今度は首の後ろに唇が押し当てられた。吸い付くようなキスをされ、ピリッと痛みが走った。
「ちょっ、ダメよ! こんなに明るいのに——」
「じゃ暗ければいい?」
触り方……変な声が出ちゃいそう……扉の向こうには人がいるのに……
「そういう事じゃ……」
「カナ、少し。……少しだけでいいから」
見上げてくる琥珀色は少しの懇願と熱を孕み、恥ずかしさのあまり逸らしてしまいたい筈の視線を絡め取って離さない。
「カナ」
ずるい人……
名前を呼ばれるだけで胸が震えた。彼が触れるだけでそこから身体が熱を持った。視線が絡まればもう逃げられはしない。
逃げる気などさらさらないのだけれどと思いながら、返事の代わりに自らの手を彼の頬へと伸ばした。その手に大きな手が重なる。
引き合うように唇が重なった。
アズベルトの首へ腕を伸ばせば、カナの腰へ腕が伸び絡んでいく。
結局、その後のアズベルトの仕事は幾ばくか押すこととなったのだった。
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