2.兆し
外の神・邪神<シュブ=ニグラス>ことシュニスと同居するマンションの一部屋、件の邪神の部屋にて化粧台の前に座るタマキは、ぽけーっとした顔で鑑の中の自分を見ていた。
そこに映るタマキは薄らと化粧をしていて、いつも適当に一本に結っていた髪はハーフアップにされており、服もいつものようなラフなものと違い、清楚感ある白いブラウス、しかも御丁寧にフリルの装飾付きで、胸元にはチェックのネクタイ。
後ろに立つシュニスは満足そうに笑みを浮かべ、何度も頷く。
「ほらぁ、かわいいでしょぉ?」
そんな言葉を聞いて、タマキはハッとした表情を浮かべた後に顔をしかめる。
「っ……! いや別にっ、シュニスと似てりゃそうなるだろっ!」
「それでも私とタマキは別人だから……どう? ちょっとはオシャレしようかなーって気にはなった?」
「ならねぇし! くっ、なんでこんなかわいい服っ……」
タマキ自身、シュニスに対し普段からこんな態度ではあるし、少し反抗的である。
だがそれでも、シュニスに対して感謝がないと言えば嘘になるだろう。彼女がこうして体を“構築”してくれなければ自分はどうなっていたかわかっていたものでもないし、彼女のおかげでこの街で命を落とす危機を免れているのだ。
だからこそ、本日の“デート”に関しては少しは彼女の要望に譲歩しようと思ったわけではあるが……結果的にこの始末。
タマキの男としての尊厳は無残にも破壊の限りを尽くされた。
「なんでそんなに嫌がるのかしら、女の子の身体なんだからもっと楽しめばいいのにぃ」
「オレは男だっ!」
頑なに主張するタマキに、シュニスは笑みを浮かべたまま頷く。
「とか言いつつ、女の子の身体、楽しんでるでしょ?」
「は、はぁ!? なに言っちゃってんですかこの邪神さま!?」
「え~だって昨日とか、お風呂で一人───むぐっ!」
シュニスの口が塞がれる……顔を真っ赤にしたタマキによってだ。
化粧のせいでなく、その赤さは天然ものなのは間違いない。
茹蛸のように真っ赤になたタマキは涙目で首をぶんぶん横に振るので、シュニスは大人しく頷く。
「もぉ、良いじゃない。私は好きよ、かわいいタマキ」
「なんで知ってんだ! じゃなくて、うっさい! さっさと行くぞ!」
立ち上がったタマキの、ハイウエストの黒いスカートが揺れる。
「うっ……違和感がすげぇ」
「下着も貸してあげるのに、いつもボクサーショーツでしょ」
「これ以上は、オレの男としての尊厳がっ……」
先ほどより熱は引いたとはいえ、赤い顔でスカートを押さえるタマキに、シュニスは満足そうに笑顔を向けた。
邪神、曲がりなりにも神であるのにあまりにも俗的だが、シュブ=ニグラスとはそういう存在なのだ。
今はまだ誰に語ることもないだろうが、シュニスはそういう“人”だと思っている周囲の人間は、誰も疑問に思うこともない。
「わかったわよぉ、私だってタマキに嫌われたくないしねぇ」
「ぐっ、べ、別に嫌いにはならないけど……助けられても、いるし」
顔を逸らしながらそう言うタマキに、シュニスが固まる。
数秒してそれに気づいたタマキがシュニスの方を見れば、眼を閉じたままだというのにパァッ、と効果音がつきそうなほど表情を変え、笑顔を浮かべたシュニスがタマキに抱き着く。
身長はシュニスの方が五センチほど高いので、両腕を回されれば斜め上から重さを感じる。
「かわいいなぁ私のタマキは!」
「もお、行くって言ってるだろぉ!」
文句を言いながら、シュニスをグッと押して退けて、タマキは咳払い。
「あ~、タマキ好きぃ、料理できるし洗濯できるし掃除できるし……もしや、お嫁さん適正高いんじゃ?」
「旦那さんだったそれぐらいできて当然の世の中なのでセーフ!」
両手を水平にめいっぱい広げ、必死の表情でタマキは叫んだ。
◇
東京、タカマガハラから離れ、都会感も徐々に薄れる街のその一角に───野次馬が集まっていた。
ビルとビルの狭間の路地裏の入り口に、規制線が張られており、その黄色のテープの前には二人の女性警官が立っている。
すぐにマスコミたちも集まってきて、徐々にその輪が広がり興味本位で集まる人々も増えてくるのだが……程なくしてその近くの道路に黒いバンが止まった。
その黒いバンには【カグヤ】の文字。
「あ、今! カグヤが到着しました!」
人混みの中、キャスターらしい女性がカメラを前に声を上げる。
バンの後部座席のドアが開くとアキサメとシノブの二人が降りた。
人々の注目を集めながら、あまり感情を表に出さぬように努めつつ、アキサメとシノブは野次馬タチの方へと歩き出す。
まるでモーゼが如く、人々の海を割り、二人はそのまま黄色の規制線へと接近、警官二人の前に懐から手帳を取り出した。
「タカマガハラ直轄【カグヤ】総長、アキサメ・タカナシ」
「同じくカグヤ、第一機動隊隊長、シノブ・ケイラです」
警官二人は、アキサメたちに敬礼をすると規制線テープを持ち上げる。
身を軽く屈めてその下を通る二人は、既にスーツの女性数人がいるその先を目指して歩き出す。
そして野次馬たちから離れるなり、アキサメは溜息をついた。
「今回はやけに野次馬もマスコミも多いな」
「まぁ今回の第一発見者は一般市民でしたから……それに、結構悲惨なことになってるそうですし」
シノブのその言葉に眉を顰めつつ、アキサメは“現場”に近づく。
スーツを着た女性数人が、アキサメを見るなり軽く会釈をしてソレから離れれば、そこには───肉の塊があった。
コクーンやショゴスともまた違うその肉塊、その周囲の壁や地面には赤黒い血液が飛び散っていて、むせ返るほどの鉄の匂いにシノブは顔をしかめつつ顔に手を添える。
「やっぱり……」
肉の塊、と言えばそれまでなのだが、全長2メートル近いそれは───未だ、脈動している。
脈動するたびに、肉塊から飛び出た管から僅かに血液が零れていた。
「……魔術の痕跡があるな」
「魔術、ですか」
肉塊の真下に描かれた魔法陣のようなものを見て、アキサメがぼやけば、シノブもそれを見やる。
壁にも地面のソレに似たようなものが描かれているところを見れば、彼女らにとっては犯人のグループがハッキリと理解できた。
白い防護服を着た数名がやってくると、肉塊へと近づいて器具を取り出し何かを調べ出す。
スーツ姿の女性たちは、逆に地面や壁に描かれた魔法陣へと近づき何かを話しだした。
「邪教だな、おそらくシュブ=ニグラスとタマキを召喚した者たちと同系統の」
「外の神を崇拝するカルトですね」
「今日は、あの二人は休暇だったか」
頷くシノブに、アキサメは眉を顰める。
「……まぁ呼び出すほどではないか、どうせ一日二日で足取りがつかめるものでもないしな」
そう言っている間に、肉の塊は体内の血液を出し続けているせいかどんどんと“しぼむ”。
脈動も弱くなっていき、徐々に勢いを失うことから、遅かれ早かれその活動が停止するのは目に見えたことであり、慣れているようにテキパキと仕事をこなす防護服の者たち。
アキサメはポケットから携帯端末を取り出し、時刻を確認。
「これを終えて昼食とするか、近くにおあつらえ向きの場所もある」
「シュニスさんに何か知ってるか聞くだけ聞いてみますか?」
「いやいい、それに二人揃ってどこかに行っているんだろう。アオイから聞いたところによれば……わざわざデートの邪魔をして馬に蹴られたくはないさ。タマキをシュニスから略奪する目的でもない限り、な」
そう言って苦笑するアキサメが、携帯端末をポケットにしまい、代わりに取り出したゴム手袋を装着する。
ふと、無言のシノブが気になり横を向けば、シノブは───だらしない顔をしていた。
「タマキさんを略奪婚……へぶっ!」
その、にやけた横っ面を容赦なく叩かれる。
だがしかし、引っ叩いた張本人たるアキサメは慣れた様子で、眉一つ動かさないまま膝を降ろした。
シノブも別に気にした様子なく、ハッとした表情を浮かべるなり近くのスーツの女性へと近づき、タブレット端末を覗き見て真面目に真っ当な会話を開始する。
アキサメは、そんなシノブを横目に見て眉を顰めた。
「優秀なんだかな……アレがなければ」
◇
一方で、件の二人こと休暇中のタマキとシュニスはショッピングモールへとやってきていた。
タカマガハラのサクラから与えられ、今ではすっかり自宅として定着しているマンションから鉄道を使い数十分、高層ビルが立ち並ぶ都内中央から離れたそこで、気分転換がてら文字通りショッピングである。
……と言いつつも、タマキはシュニスに付き合って手を引かれるままに歩くだけなのだが。
決して口には出さないが、その恰好然り、タマキなりに諸々の礼も含んだ此度の外出はシュニスとしても満足なようで、タマキの手を取り歩く彼女はいつもより上機嫌に思えたし、その手を離してブティックで洋服や小物を見ている姿はその二十代ほどの容姿よりも幾分か幼く見えた。
そうして見ているだけで楽しそうなのが伝わってくるのだから、タマキとしても快い気分で……。
ふと、近くの姿見と目が合って、自分の表情が緩くなっていることに気づく。
別にそれは悪くもないのだが、問題はそこではなく……かけている肩掛けバックの紐を掴んで立っている自分がやけに“女性”らしく見えてしまったことだ。
顔を左右に振って、数度頷く。
「ん、まぁいや……うぅ~ん」
この格好で男らしい動きやらをして悪目立ちするのも嫌なので、ある程度は、と思ってはいたが……。
「ほらタマキ、これ持っててくれる?」
「え、あ、ああ……」
突然話しかけてきたシュニスに曖昧に返事を返しつつ、タマキはそれを受け取る。
すぐにそこから離れてなにかを見に行くシュニスを尻目に、タマキは渡されたそれが洋服───ワンピースだったことに気づき、それを持ち上げてみた。
難しい表情を浮かべてワンピースと向き合うタマキは、それでもどこか人目を集めるようで……男女比1:9で女性同士の恋愛も珍しくないその世界では、すっかり絵になるタマキをどこか熱っぽい視線で見やる女性は多い。
だが、そんなことに気づくわけもない“
「んー……」
難しい声を出しながら、もう片方の手でワンピースのスカートをつまんで広げて、斜めを向いて見たりと左右に揺れたり回転してみたり……その度に、ハーフアップにされた長い金髪が揺れる。
無意識に、彼女の口角が上がっていたりもするが、タマキ自身がそれを気づくわけもない。
「あら、タマキったら楽しそうねぇ」
「っ!!?」
不意にかけられた声にビクッと跳ねて、ギギギ……と音を立てるように首を声のした方向に向ければ、そこには無論、邪神様。
タマキと同じ金色の髪をもつ女が、ニコニコと笑顔を浮かべている。
傍目からは姉妹にでも見えるだろう二人。
「それ、買う?」
「……いらない……っ」
耳まで真っ赤にした今にも呻き転がりそうなタマキは、搾り出すように言葉にしてそのワンピースをシュニスに差し出せば、彼女は抵抗するでもなく受け取る。
タマキはと言えばそのまま口を噤んでいるが、シュニスはタマキへと近づいて……。
「似合ってたわよ?」
「う、うっさい……!」
照れ隠しに、語尾強めの言葉を放ってブティックを出る。
「あら、本当なのに……」
頬に手を当てて言うシュニスは、手に持ったワンピースを広げて見てから、満足げに頷く。
一方でブティックを出たタマキは、その店横で両手を後ろ手で組み、壁に背を預けシュニスを待つことにした。
そうしているタマキは、やはり絵になるようで道行く人々は彼女を二度見していく。
妙な魅力が彼女にはあるのか、シノブが心酔するのも仕方のないことなのだろう……いや、やはり心酔しすぎなのでシノブは例外とする。
「ん~……」
どのぐらい待つかわからないので、とりあえずシュニスにはお手洗いに行くとケータイでメッセージを送り歩き出すと、すぐに……。
「お姉さん! なにしてるんですか!」
声をかけられて、立ち止まる。
どうせなんらかの営業なのだろうとそちらを見れば、そんな様子でもない“男”が立っていた。
少ないとはいえ割合で言えば十人に一人はいるのだから、それほど珍しくもないのだが、この世界において二十余年の間にこの国の在り方はすっかり変わり、所謂これは……ナンパではなく逆ナンである。
それを知ってか知らないでか、タマキは戸惑う。
「え、あ、そのっ……」
初めてのソレに戸惑いながら、タマキはその黒い瞳を下に向け、左右に泳がせる。
「あ、すみません急に、でもここ来るの初めてなんで、お姉さんに時間あるならちょっと道を教えて欲しいなって」
「そ、そのっ……お、自分も、初めて、でっ……」
別に、それほど極端な人見知りでもないのだが、こと特殊な状況に至っては仕方のないことだろう。
後ろ手に組んでいた両手は、胸の前で指を弄っており、おどおどとした雰囲気に男の方は眉を顰めて後頭部を掻く。
さすがにそれほど怯えられてはバツが悪いというものなのだろう。
だが、すぐに笑顔を浮かべて、男は少し背を丸めてタマキと目線を合わせた。
「その、素直にお姉さんが好みでさ、ちょっと相手してもらえたらなって……時間あるならで良いんで少し話でもしません?」
「ひゃっ、そ、そのっ……えっと……」
目線が自然と会う位置まで顔を下げられて、タマキはさらに戸惑う様子を見せる。
男の方もさすがにこれ以上は無理だなと、諦める姿勢に入り軽く息をついたのだが、タマキはそれを別の意味に感じた。
そもそもタマキの感覚ではナンパはヤンチャな人間がするイメージがあり、タマキは生憎そういう人間との接触をなるべくしてこなかったタイプだ。
だからこそ、目の前の相手は怖い人間だという偏見が先行し、怯えていたわけである。
「ひっ……」
怯えるような声を出すタマキに、男は顔をしかめた。
別にそのつもりはないし、女性にそういう反応をされるのも初めてだったからだろう。
だからこそすぐに離れようとはしたが、それより早く───金色の髪が前を横切る。
「あらタマキ~なにしてるのぉ?」
「ひゃっ!?」
タマキが横から腰を引かれ、そちらにしな垂れかかった。
腰を引いたのはシュニスで、タマキはそんなシュニスに縋るような形になるのだが、今更それを気にできるような余裕もない。
男の方は“保護者”らしき相手が現れたことに安堵の息を吐きつつも、似てはいるが二人の距離感が“そういうことだ”ということを理解し、少し残念がりながら軽く手で謝罪するジェスチャーをしつつ離れていく。
残されたタマキは、そんな男性の様子に『怯えすぎて悪かったな』ということを思いつつも、男を相手に怯えた自分に違和感を感じる。
「……なにやってんだよおれぇ」
「タマキ、大丈夫?」
情けなさに声を出しつつも、顔を横に向ければシュニスの顔が吐息すらかかる距離にあったことに気づく。
息を飲み、顔が熱くなっていくのを感じながら、思わず胸の前で合わせていた手をギュッと祈る様に握りしめる。
シュニスは微笑を浮かべながら、腰に回している方とは逆の手で、タマキの頬をそっと撫でた。
「ん、タマキ?」
「ひぇあっ!? ななな、なんでせうか!?」
明らかに動揺しながら、シュニスから離れようとするも、腰に回された手がしっかりとタマキを押さえている。
変わらず、頬を撫でられ、タマキの表情が僅かに蕩けて眼が潤む。
よくわからない自身の状態に、困惑するタマキ。
「大丈夫よ、私がいるから……だから、あまり一人で行動しちゃダメよ?」
「……そ、そういうのは、男のおれがぁ……」
宥めるようにいうシュニスに、タ言い返そうとするタマキであったが、言葉は尻すぼみに消えゆく。
腰に当てられていた手が離れて、タマキは自分だけで立つものの、シュニスは距離を離すこともなく近くにいた。
そしてそのまま、シュニスはタマキの頬に手を当てたまま微笑む。
「タマキ、可愛いから」
「あぅっ……」
両手を使って赤い顔を隠そうとするタマキに、シュニスは相変わらずの閉じた瞳で、そのままタマキの頬に当てた手の親指でその柔肌を撫でる。
雪のように白いはずの肌は赤くなっており、戸惑うタマキ。
「今日は私の彼女なんだから……ね?」
「ひゃ、ひゃぃ……っ」
弱々しく返事をするタマキを見て、シュニスは満足そうに頷く。
そしてタマキは数分後───自身のザマに悶えた。
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