第24話  私のご主人様に対する小言

冬風ふゆかぜ こおり



学校が終わって一人で家に帰る途中、私はずっとお昼休みにあった出来事を思い返して何度も深呼吸を重ねました。


たまになら、なんて。


……あんな緩んだ顔で、感情に飲み込まれた状態で言ってしまうなんて。恥ずかしくて死んだ方がいいんじゃないかと思うくらい、あの時の私はバカでした。


なにを思っているのでしょうか、私は。先にご主人様と距離を置いた方がいいと言ったのは私で、学校でも極力関わらないように決め込んでいたのも私なのに、なんで。


だからと言って、今さらダメって言えるわけもないですし……自分が自分じゃないみたいで、その感覚が嫌で嫌でたまりません。


心配ですと言った言葉は、まごうことなき事実ですが。



「…………………」



中毒を取り越して音楽に狂っているご主人様は、また深夜に作業をしようとするはずです。あのデカいスピーカーが並んでいる部屋に閉じこもって、ずっと。


それが悪いことだとは思いませんが、ご主人様の体調を気にする義務がある私としては、やっぱり気になってしまいます。



「…………義務、ですから」



……そうです。主人の健康を管理することも立派なメイドの仕事ですから。


作業に没頭するのはいいけど、あのまま睡眠もろくに取らずに学校で寝続ける姿を見過ごすわけにはいきません。


よって、ご主人様が家に帰って来た時、私はご主人様に言ったのです。



「えっと、つまり夜にちゃんと寝ているかどうか監視するってことでいいよね?」

「監視って言うほどではないと思いますが……そうですね」



学校の制服ではなく、ラフな服装でソファーにもたれかかっているご主人様は困ったように後ろ頭を掻きました。


私は少し固まった表情を崩さずに、言葉を続けます。



「2時間おきで深夜の1時、3時、5時にご主人様の部屋にお訪ねしてもよろしいでしょうか」

「いやいやいや、なんでこんなことに?ていうか、どうしてそこまでするの!?」

「……ご主人様は、今日も科学の先生に指摘されてたじゃないですか。顔色もよくないですし、朝に起きるのも窮屈そうに見えたので」

「ああ、そりゃそうだけど……優先順位ってもんがあるからさ、仕方ないじゃん」



その優先順位、という言葉に少しだけ違和感を抱いてしまいます。


確かに、そうですね。ご主人様の一番は音楽ですし、なんなら勉強をする必要すらないのですから。



「それを差し置いても、深夜まで作業をし続けるのは体によくありません。私には、ご主人様の体調を管理する義務があります」

「……俺は氷にそんなこと望んでないけど?」

「知っております。ご主人様は私になにも望まないじゃないですか」

「………………………………」



いたって真面目な顔でそう伝えると、ご主人様は言葉が詰まったように天井を見上げました。私はこんなおこがましいことを言っていいのかと悩みつつ、俯いてしまいます。


自分で言っておきながら理由も分かりませんし、なんでこんな風に小言を言ってしまうのかも分かりません。


でも、私がご主人様を心配していることは確かな事実で、私はその感情を既に受け入れております。抱いてはいけない感情だという自覚があるのに。



「……ごめん」



その浅はかな感情を見抜いたのか、ご主人様は。



「これだけは譲れないかな。心配してくれてありがたいけど、やっぱりダメ」

「……………」



さっきの困り顔をすぐにかき消して、私以上に真面目で意志の固い顔で、そう言いました。



「……で、でも」

「学校にいる間は作業できないからね。他の音楽をディグることもできないし、作曲もできないし、やれることがあるとしたらせいぜい歌詞を書くくらいだけど、それを差し引いても学校で奪われる時間が多すぎるよ。睡眠時間は確かに足りないけど、俺にも他に方法がないんだ」

「…………………」



……やっぱり、そうですね。いや、当たり前かもしれません。


ご主人様は既に何度も結果を出した顔のない天才作曲家で、別に学校に通う必要すらないのですから。ご主人様が音楽に見せる執着と、冬休みにこの目で見た生活パターンを考えると……ご主人様の言葉にも、納得がいきます。


でも、あのまま疲れが溜まって行ったら本当にいつかは体を壊すかもしれないのに。


モヤモヤして、落ち着かなくて、どうすればいいか分からなくなります。こんなにも強い言葉を頂いたのですから、メイドの身分で反論できるわけはなくて。


でも、深夜にエナジードリンクを飲みながら夜更かし作業をし続けるご主人様の姿を想像すると、胸がじみじみと痛くなってしまいます。



「……かしこまりました。ご主人様がそこまでおっしゃるのなら」

「うん、ありがとう」



ですから、私はせめてものの抵抗をしてみます。



「ですが、最初の提案だけでも許可していただけませんか?ご主人様が眠っているかどうか、確認する作業だけは」

「……………えっと、確認だけだよね?別に、早く寝ろとか言うんじゃなくて」

「はい」



一度ダメって言い切られたのだから、私はこれ以上ご主人様に小言を漏らすわけにはいきません。ですが、行動は時に言葉以上に力を持っています。


私が深夜に、何度もご主人様の部屋をお訪ねしたらさすがにご主人様でも少しは私を気にするでしょう。私の顔を見て、少しは早く寝なきゃと思ってくださるかもしれません。


音楽に執着はしていても、ご主人様は………根が優しいですから。私が今まで見て来たどんな人よりも、この人は優しいから。



「……どうしてそこまでするの?」



そして、今回も私の算段を見抜いたはずのご主人様は仕方ないと言わんばかりの顔で、そう聞いてきました。


私はいたって短い言葉で、その質問を跳ね返します。



「メイドの、義務ですので」



義務という仮面を被って、私は心配という本心を包み隠そうとします。ご主人様のことを心配しているという自覚があっても、それを潔く認めたくはなかったので。


私の顔を見て、なにを思ったのでしょう。ご主人様は肩を竦めてから含み笑いをするだけでした。

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