第十二話 二枚の脅迫状

 「最初に登場するのは今人気絶頂中のアイドルグループ! 『ラッキーセブン』だぁ!!」

 司会者の声が聞こえるが、観客の歓声は聞こえない。何故ならばこれはリハーサルだからである。

 「ねぇねぇたかはしさん」

 あずまは「ラッキーセブン」のマネージャーである高橋てつに聞いた。

 「なんでしょうか?」

 「ずっと気になってたんすけど、あれって本当に歌ってるんすかね? あんなに激しく踊りながら歌うなんて……」

 「何をおっしゃるのですか、あれは口パクに決まってるじゃありませんか」

 「っすよね~。やっぱりできないか」

 「……」

 高橋は「ラッキーセブン」結成当初からマネージャーを務めている。五年以上アイドルたちの話を聞いてきたことで、人の調子は「声」で判別できるようになった。

 彼は三十分前の東の心の底に何かが、それこそコーヒーがマグカップにこびりついたように残っていた声と、現在の何も考えていない楽天的な声の落差に驚いていた。

 自分が見てきた人間なら、たった五分で悩みがきれいさっぱり消えるなんてことじゃ考えにくいからだ。

 つまりそこから高橋が出した結論は、

(東さん……他愛のない話をすることで何かを忘れようとしている……?)

であった。

 そして高橋の考え方は、半分的中していたのである。

 東は今日の午前中に起きたについて振り返っていた。そしてモニカの危機感の欠如っぷり(前話参照)。東の心のマグカップにコーヒーのようにこびりついていたのは、「深慮」であった。

 (ここから先、俺の周りで不運が続く気がする……脅迫状の出し主はモニカさんじゃなくて、を狙っている……?)

 高橋の予想で間違っていたのは、東がそのような不安を忘れようとしている、という点であった。


 十分後、リハーサルが終わった。

 そして「ラッキーセブン」のメンバーは休む暇もなく本番の衣装に着替えることになる。舞台にかかわったことのある読者諸君は知っているだろうが、これはリハーサル(ゲネプロ)の手順がトリからトップバッターへ、すなわち「逆ゲネプロ」が行われたからである(逆ゲネプロの利点として、トップバッターのためのステージ配置を本番直前で用意しなくてよいところがある)。

 というわけで東は今度こそモニカの着替える楽屋の前で待機しようとしたが……

 「だーかーらぁ、東さんも入ってください!」

と、またしても無理やり楽屋に連れ込まれてしまった。

 これにはさすがの東も、もしかして護衛というのはこういうことが当たり前なんじゃないかと思い始めた時……

 「ね~ぇ~東さ~ん。私がすぐそばで着替えてるのに、何にも思わないんですかぁ?」

 「……ハァ、何を言って」

と、東が言いかけた時、


 「私ぃ……東さんの事ずっと気になってたんですぅ」

 モニカが後ろから東の背中にくっついてきた。

 「ねぇ……東さん、初めて街中でお見掛けした時から、ずっと胸のトキメキが収まらなくてぇ……」

 東は肌で確信した。モニカは現在、その身になにも纏っていない!!!

 「モニカさん」

 「ねぇ東さん? ライブなんかほったらかして、現役アイドルの私と……イイコトしましょ♡」


 彼女の体温、彼女の豊満な肉体の柔らかさを背中で感じ、彼女が耳元で甘く囁いてくるのである。

 男子の諸君よ、もし君が東敏行ならば、この後どのように応対するのが正解であるか?

 欲望のまま彼女を押し倒す? もしこれがラブコメならばそのような選択肢もあっただろう。

 しかし、これはラブコメではない。ミステリーである。もっと言えば拝金主義ミステリアスコメディである。そんな男子の理想的展開へ向かうほど東は甘くない。

 ……さて、答え合わせの時間だ。正解は……


 「いい加減にしろ!!!」

と声を荒げ、そのままモニカを突き飛ばす、であった。

 その声は怒りからくるものというよりも、呆れからくるものであった。

 「あんた自分の立場が分かってんのか!? 命狙われてんだぞ!! こんなことしてたら……」

 そこまで言って、東は自分が何を言ったのかをようやく理解した。

 「……とにかく、さっさと着替えてくださいっす。もう本番始まるっすよ」

と言って、楽屋を出て言った。



 結局、その後も何もなく本番は迎えられ、無事に達成した。

 東は舞台袖で不審者がいないか監視していたが、今回は不思議と謎の視線を感じることはなかった。

 次の撮影地へ向かう途中。

 「あの……東さん」

 車の中でモニカがこっそりと隣に座っている東に話しかけるが、東は先の展開の事もあり彼女を無視する。

 「……ごめんなさい。私、良くないことしちゃったってわかってます……」

 「……」

 「でも……! 私、本気なんです……! アイドルが恋愛しちゃいけないなんて時代はもう終わったんですよ! だから、私……!!」

 「口調」

 東がぽつりと言った。

 「……え?」

 「いつものほんわかボイスじゃないっすね、やっぱりキャラ付けだったんすか?」

 「あ、いやそれは、その……」

 モニカは一瞬口ごもるが、また話し出した。

 「一応、普段は結構ふわふわしてるんですけど、真面目な場面ではしっかりした口調になるって、みんなからはよく言われますぅ……」

 「……いいっすか、一度しか言わないからよく聞くっす。この会話はおそらくされてるっす」

 「……え!?」

 自分の非を謝るつもりだったのに、急にそんなことを言われたのでモニカは急に不安になった。

 「今んところの僕の予想を張っとくっすけど、犯人が脅迫状を出したのはただのいたずらでもなければ、モニカさんの人気を妬んだものでもないっす。あれは間違いなく、の仕業っすよ」

 「それって……私の事を好きな人がって、ことですか?」

 「そうっす。元々『ラッキーセブン』は地元でこそ有名でも全国的には無名だったローカルアイドル。それが最早武道館でライブするレベルにまで達しちゃったんすよ。そうなると一部の馬鹿みたいなファンが『なんだかモニカちゃんが遠くに行ったみたいで寂しいなぁ』とか言い出すんすよ。最初からテメェのそばになんかいないっちゅうのにね!」

 「でも……! いくら寂しい思いをしても、私のファンならラッキーセブンが武道館ライブなんてことになったら喜んでくれるはずですよね?」

 「それを素直に喜べない連中のことを『厄介オタク』っちゅうんすよ。最早ファンではないっす。いや、ファンの語源がfanatic(狂信者)だし、やっぱりファンなんすかね? まあとにかく、今すぐ盗聴器を調べるっすよ。ちょっと失礼……」

 東がボディチェックを行うと、モニカが付けていたリボンの中から盗聴器らしきものが発見された。

 「やっぱりあったっすか……このリボンは私物っすか?」

 「はい、というか、事務所側が用意してくれたもので……」

 「となると……関係者が犯人なんすかね……とにかく、僕のことはあまり口にしないでくださいっすよ、モニカさん自身の安全のためにも」

 そんな話をしているうちに、次の仕事場である東邦新聞社に着いた。

 東がまた先導してモニカを連れていくと、モニカが急にこんなことを言った。

 「……東さんも、口調変わってましたね」

 「……!」

 あの時揉めた時のことを言っているのであろう。

 「アイドル私たちはファンの皆さんに夢を売るのが仕事ですけど、もしかして、東さんも……」

 「僕のどこがアイドルだって言うんすか。僕はアイドルなんか……」

 その時、

 「東さん! 東さん! 大変です!」

 後ろからレイが追いかけてきた。

 「あれぇ? レイちゃんどうしたんですかぁ?」

 スイッチが切り替わったかのようにモニカの口調が変わる。

 「さっき高橋さんから預かったんですけど……これ、東さん宛に」

 東がレイから受け取ったのは、丸文字で書かれたポストカードだった。

 内容は以下の通りであった。


 「これ以上モニカちゃんに近寄るな。モニカちゃんは俺と幸せになるんだ。これ以上俺の恋路を邪魔するならまずはお前から排除してやる」


 「うっわ……」

 東は身震いした。彼も今まで様々なトラブルに巻き込まれてきたが、このような勘違いした哀れなバカの唯我独尊的台詞は何度見ても身の毛がよだつ。

 「あぁ……これは困りましたねぇ……」

 流石のモニカも苦笑いしていた。

 「じゃあ、あの……私はお先に」

 レイが東の横を通り抜けて先に行こうとしたが、

「ああ、ちょっと待って」

と東が引き留めた。

 「指先が汚れてるっすね、大丈夫っすか?」

 そういわれてレイが自分の手を確認する。東が指摘した通り、指先に微かに黒い汚れがあった。

 「……ああ、これは、ワイヤーを素手で掴んじゃったので……」

 そう言ってレイは行ってしまった。

 東は保管していた一枚目の脅迫状を取り出して、自分宛の脅迫状と見比べてみた。

 「筆跡は同じ……しかしよくもまあ俺がモニカさんについてるって知ってたっすね」

 「東さん有名人ですから、地元の皆さんに顔知られちゃってるんじゃないですか?」

 「それがっすね、僕普段黄色いジャージ着て生活してるんすけど……」

 「ああ、私が事務所行ったときに着てましたね」

 「それでいきなり違う服着たら、絶対誰もわからないんすよ」

 「成程、確かに……」

 「つまり、これはほぼ確実に内部の人間による犯行……それもモニカさんのスケジュールまで細かく知っているとなると、やっぱり僕一人じゃ守り切れないかもしれないっす」

 「そんな……! 私、どうしても武道館でライブしたくて……!」

 「命がなければ歌うことすら無理っしょ。このことで出る損害賠償は全て犯人に請求すればいいじゃないっすか」

 「それじゃあ、この手紙を送ったファンの方は、永遠に東さんを恨みますよ? そんなの悲しいじゃないですか……!」

 モニカの声には、どこか東の身を心配しているだけでなく、脅迫状の送り主も心配している感情が混ざっていた。

 「……モニカさんは優しいっすね」

 その時、東が微笑んだ。モニカの優しさに呼応した、自分がモニカを想うことからくる微笑みだった。

 「でも、僕は探偵っすから。恨まれてなんぼの仕事っす。むしろ依頼人の恨みを代わりに引き受けるのも、探偵の仕事っすから。モニカさんは僕の事なんか気にせず、自分を大事に思ってくださいっす」

 「……ふふ」

 モニカからも思わず笑みがこぼれた。

 「やっぱり私、東さんの事大好きです!」

 「……その台詞、さんが聞いたら悲しむっすよ……」



 東は気づいていなかった。

 モニカとの会話が夢中になっている間に、今まで何度か受けていたが今もなお受け続けていることに気づいていなかった。



 二人を見つめる、嫉妬と愛憎に満ちた、黒く、黒く吸い込まれそうな瞳……



第十三話 オンステージ に続く

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