第八話 隠された情報

 あずまが事務所に戻ってきたのは、夜も更けに更けた午後十時半ごろであった。

 「あぁ……疲れたっすね……」

 東は帰るなり、何も敷かれていない床にビターンと倒れ伏した。痛くないのだろうか?

 「東さん! 床で寝ちゃダメです!」

 香菜が慌てて東を揺り動かした。

 「大丈夫っすよ……とにかくとっとと風呂入って寝る……」

 ふらふらと起き上がると、その足で風呂に向かおうとした、その時。


 「ちょっと待ったああああ!!」


 香菜が東の行く手を阻んだ。

 「なんすか香菜さん……僕風呂入りたいんすけど……」

 「いいえ! 先にお風呂に入るのは私です!」

 「なんすかそれ……家主っすよ? 僕家主っすよ? 僕が優先されて然るべきっすよね?」

 「いいえ! ここはレディーファーストを行使するときです! 女の子を汗だくのままほっとくだなんて男としてまずいですよ!?」

 「あんたもう女の子って年じゃないじゃいっすか……」

 「な、なんですって~!?」

 一触即発、たかが風呂の順番で火花を散らしあう二人。

 しかし、ここで意外にも東が

「わかったっすよ……先に入ってもいいっすよ……」

と、素直に順番を譲った。

 「え……? いいんですか?」

 「僕は疲れてるんすよ……ああそうだ、風呂にはコンディショナーはおろかシャンプーすらないんで我慢して……」

 そう言うと東は部屋に閉じこもってしまった。



 東の部屋は、決して何も物がないというわけではない。

 ベッドはあるし、作業用の机もある。

 東はベッドにあおむけに倒れ伏すと、何やらスマホを操作し始めた。

 ……聞き込み調査の時、誰かが言ったあの言葉が心に引っ掛かっていた。

 『ここ数日ニュースにもなってないし。『からんころん』とかいうのは、よくラジオで聞きますけど』


 (誘拐事件のニュースがないことと『からんころん』がラジオで見たって言われてることは、絶対関係している……!)

 その時、東の目にとあるニュース記事が留まった。

 「……からんころんの話が、ネットニュースに……!」


 一方香菜は風呂場にて、

「東さん、なんか様子がおかしかったな……ただ疲れているというよりは、何か思いつめているような……」

と思っていた。

 「って、本当にシャンプーないじゃない……ボディソープじゃなくて固形石鹸だし……今度買ってこなきゃ」



 翌朝、東は何かの物音で目が覚めた。

 寝ぼけた脳で判断するに、おそらく香菜が何か朝食でも作っているのだろう。

 ……あれ? まさかとっておきの高級食材「卵」とか使ってないっすよね!?

 不安を抑えられなくなった東は跳ね起き、扉を勢いよく引っ張った。

 「あ、東さん。おはようございます」

 案の定、桃山が食卓に皿を並べていた。

 「まだ六時半ですよ。もう少し寝ていてもよかったのに」

 「いや……いろいろ突っ込みたいんすけど、まず早起き過ぎないっすか?」

 「習慣ですから、お気になさらず」

 「食材はどこで?」

 「ランニングの帰りにコンビニで買ってきましたよ? 私の自腹で!」

 「ああ、そりゃどうもっす……」

 感謝を述べつつ席につく東。

 今朝の献立は、メロンパンに目玉焼き、そしてバナナである。

 「いただきます……それにしても甘い物なんて久しぶりっすね……」

 「ちゃんとバランスよく食べなきゃだめですよ? 夕べ相当疲れているように見えましたけど、カロリー足りてないんじゃないんですか?」

 「いやあれは……疲れてるんじゃなくて、昨日の出来事が……」

 何か、とても大事な情報を見落としている気がする。そんなことを想いながら、東はスマホでラジオアプリを開いた。

 「ラジオ、聞いてるんですか?」

 「普段は聞いてないっすけど……ここ数日はラジオが重要っす」

 そして午前八時……

 「DJモニカの、ゴールドモーニングレディオー!」

 「キャー! モニカちゃんの生配信! モニカちゃんの生声えええ!!」

 「やかましいっ!! 静かにするっす!!」

 知らない人間に説明しよう。香菜はご当地アイドル「ラッキーセブン」のセンターを務めるモニカというアイドルの大ファンなのである。

 「今日のお便りコーナーですが……なんと、『からんころん』に関するお葉書が四枚も来ているんですぅ!」

 「なんだって!!」

 東がキャラも忘れて跳ね上がった。

 「武蔵金山跡に現れるという侍の亡霊『からんころん』……一体その正体は何なんでしょうか!? 私、気になりますぅ!」

 東はスマホをスリープすると、朝食も残したまま突然身支度を始めた。

 「ちょっと、東さん!? どこへ行くんですか?」

 香菜が戸惑いながら話しかける。

 「ラジオ局っすよ! 葉書の提出人を調べるっす!」

 メロンパンを片手に、東が答えた。

 「ちょっと! まさかアポも取らずに突撃するんですか!?」

 香菜が戸惑いながら尋ねる。

 「そんなもん道中で取ればいいじゃないっすか! とにかく、あのラジオ絶対!!」

 そんなことを言い捨て、わき目もふらず飛び出してしまった。


 「タクシー!」

 後から追いかけてきた香菜は絶句した。あの東が、つい前日にタクシーは金の無駄以外の何物でもないとのたまったあの東がタクシーを呼ぶなんて!!

 「ゴールドFMまで! 特急でよろしくっす!!」

 「ていうか、いいんですか!? タクシー乗っちゃって……」

 「今は一刻を争うっす!」

 東はスマホを操作しながらぴしゃりと言い放った。

 「あと! あの……買収ってどういうことですか?」

 「夕べからずっと気になってたんすよ。なぜ少年の誘拐事件とかいう特ダネはどこも報道しないのに、『からんころん』とかいう侍のコスプレは報道するのか。昨日はネットニュースにもなってたし、こんなのおかしいっすよ!」

 「で、でも、そういう残酷な事件よりもゴシップの方が人気が出るとか、ありませんか?」

 「それは99%ないっすね。『からんころん』の正体なんてちょっと調べればわかること、なんも面白くなんかないっすよ。それをわざわざニュースにしようなんて考えるプロデューサーはセンスが絶望的か、金に釣られたかのどちらかしかないっす!」

 「だからって……だれが買収するんですか? 何のために?」

 「それは勿論、犯人が誘拐事件を世間から忘れさせるためにっす!! 昨日の聞き込みからしてみても、身近なところで子供が行方不明になってるのに、知らないどころか無関心な答えばかり!! おそらく犯人は『からんころん』という目くらましと誘拐事件の存在抹消のために、各マスメディアに金を渡してるんす……ていうかいつになったら電話に出るっすか!!?」

 東のスマホにはいまだに「発信中」と表示されていた。

 「ま、まあ……今は生放送中ですし、人が足りてないのかも……」

 香菜がフォローしたのもつかの間、

プツッ

 『只今、電話に出ることができません……』

 無慈悲にも流れるシステム音声。

 「……もういい、アポはいらないっす」

 「それで……もし本当に賄賂が流れてたらどうするんですか?」

 「あっはっは、決まってるじゃないっすか」

 愚問とばかりに笑い飛ばした東が見せたカバンの中には、なんと大量の札束が詰め込まれていたのである。

 「ちょっと! そんなにたくさんのお金……!」

 香菜は思わず声を荒げようとし、抑えてから

「……何に使うんですか」

 抑え気味の声で東に問うた。

 「そりゃあ、渡すんすよ。美術館の時と同じっす。賄賂に対抗できるのは、それ以上の金だけっす! この金で『からんころん』に関する報道の取りやめと、誘拐事件に関する報道を行うように交渉するっす!」

 香菜はなんと反論しようとするか迷ってしまった。確かに東は賄賂によって美術館の事件を解決に持ち込んだ。しかし、いくら事件を解決するためとはいえ、賄賂などというグレーなやり方が許されるのだろうか。

 (ちなみに刑法における収賄罪は公務員の不正行為を罰するものであり、贈賄罪は公私双方を罰するものである。つまり東のやっていることは罪に問われる可能性がある)

 迷っているうちに、タクシーはゴールドFM本社に着いてしまった。

 「じゃ、ちょっくら十分くらいで戻ってくるんで、香菜さんは二度寝でもしながら待ってるっす!」

 東はそう言い残すと、あのカバンを持ってビルの中に入ってしまった。

 「……大丈夫かな……」

 香菜は心配性が発症して追いかけたかったが、タクシー代も払ってない以上離れるわけにはいかない。

 ていうか、十分で二度寝出来たらそれは才能だろ!



 ……十分後、香菜がタクシーの運転手に愚痴をこぼしていた時だった。

 「たっだいまー!」

 東が満面の笑みで戻ってきた。

 「東さん! それで、結果は……?」

 「フッフッフ……この通り、交渉成立っす!」

 そういって東が取り出したのは、十二枚の葉書。全てからんころんの目撃証言が書いてあった。

 「大当たりっすよ。素人目に見ても十二枚中八枚が同じ筆跡、残りの四枚も四枚で一人の手によって書かれているに違いないっす! これは後で警察の鑑識に回すとして……」

 葉書をジップロックに入れ、鞄に収納する東。これで任務完了かと思いきや、それで終わっては東ではない。

 「運転手さん、次は東邦テレビまで!」

 「え!? 『からんころん』を報じていないメディアにもリークするんですか!?」

 「そりゃ勿論! 黄金区、いや少なくとも関東在住の人間が全員知ってるくらいまでは粘るっすよ!」

 東の言葉を合図にしたかのように、タクシーが動き出した。

 そして香菜は、東が戻ってくるまでずっと考えていたことを言う。

 「ところで……いくら渡したんですか? お偉いさんたちに……」

 「ざっと二百万ってとこっすね」

 「あ、思ったより少なかった……」

 二百万円は大金である。これは一般的金銭感覚を持つ人間ならば誰でも思うことである。香菜はたった一日東と一緒にいるだけで、既に金銭感覚がおかしくなり始めていた。

 「何言ってるんすか、個人に対してだと過去最高クラスの出費っすよ。これだから公益にならないくせに金は持ってる連中は困るっす……でもまあ、今から行く東邦テレビは『からんころん』を報道してないってことは、賄賂は渡されてないっしょ! むしろ情報提供料としていくらかはいただけちゃうんすかね?」

 「私に聞かないでください!」



 こうして東は、その日の午前中、東京都内にあるあらゆるテレビ局・ラジオ局・新聞社などに交渉に行き、合計七百万円の賄賂と、二万六千円のタクシー代と引き換えにすべての交渉を成立させた。

 事務所に戻るころには既に午後一時を過ぎていた。



第九話 悪行退散 に続く

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