【29】妹、暴れる。

「何であんたがここに居るのよ!? この、泥棒猫!」


 そう叫んで、イザベラは私に掴みかかってきた。私が……泥棒猫?


「待って、イザベラ。あなたが何を言っているのか、さっぱり――」


「お黙りなさい! あんたはいつだって、そう! とぼけたフリをして無能ぶっていながら、一番大事なものは絶対に譲らないの……この卑怯者! 今回はヒールトーチの栽培法を、秘密にしていたらしいわね?」


 妹は逆上して、意味不明なことをわめき続けている。……ヒールトーチの栽培法って?


「わたくしに次期当主の座を譲ったふりをして、あとで取り返すつもりだったんでしょう!? デリックもお父様も、今じゃあんたに夢中ですもの。本当に腹立たしいわ、この泥棒猫!!」


「分からないわ。私は相続辞退しているし、爵位はイザベラが継ぐのでしょ――」


 ぱんっ。と、話の途中で頬を叩かれた。


 イザベラは、美しい顔を醜くゆがめて罵詈雑言を私に浴びせかけた。私はただ、ぽかんとしてそれを聞くばかりだ。


 ……この子は、何を怒っているのだろう。イザベラは、癇癪を起している幼児のようだった。


「わたくしに損な役回りを押し付けて、あんたばかりズルいわよ! これまでは、わたくしだけを愛してくれてたお父様も、今ではヒールトーチを復活させることで頭がいっぱい! あんたを呼び戻すことばかり考えて、わたくしが甘えても全然聞いてくれない……」


 デリックも、そう! と彼女はさらにまくし立てた。


「デリックも、偽装のもみ消しにあんたが必要だと分かった途端、わたくしに見向きもしなくなったわ! ……あんたを捨てて、わたくしを妻にしたいと前は言っていたのに。あんたがヒールトーチの栽培法をダシにして、お父様とデリックを誘惑したせいでしょ!?」


「……?」


 私が反論しても、黙って首を傾げていても、どちらでもイザベラの癪に障るようだ。きぃ――と叫んで、私に掴みかかってきた。


「あんたなんか、いなければ良かったのに! あんたがいなければ、お父様もデリックもウィリアムも、わたくしだけのモノだったのに! あんたが……あんたが、」


「痛いわ……、やめて、イザベラ」

 四つも年下の妹に手を上げるような真似は、絶対にしたくない。どうしたら良いのかしら……と考えあぐねていたそのとき。


「イザベラ! 何をしているんだ!!」

 応接室に、お父様とデリック様が駆け込んできた。……でも、お父様は危篤のはずでは?


「いい加減にしろ、イザベラ! お前は口を出すんじゃない」


「お父様こそ黙っててよ! クララお姉様のせいで、マグラス家は大変なことになってるんじゃないの! なのにどうして、こんな女をちやほやと……」


「余計なことを言うな!!」


 父の怒号に、イザベラはびくりと身を強張らせた。父に目配せされて、デリック様がイザベラの前に進み出る。


「さぁ、イザベル行くよ。君がいると邪魔になる」

「わたくしが邪魔ですって!? デリックなんて、大嫌い! わたくし、もう、貴方なんて要らないわ! クララと好きにくっつけば良いじゃない!」


 金切り声で喚き続けるイザベラを、デリック様が力任せに引きずり出していった。


「離して……離しなさい! この、浮気者!!」


 何を言っているの……?


 イザベラの声が遠ざかり、父は溜息まじりで私に声を掛けた。


「イザベラのことは気にするな」


「お父様、お元気そうに見えますが……。手紙には、明日をも知れない命だと」


 父はやつれて疲れた印象にはなっていたが、命が危ぶまれるような容体には見えなかった。私が怪訝な顔をしていると、


「すまんな、あれはお前を呼び戻すための口実だ。本当の用件は、『私に力を貸してほしい』……ということだ。このままでは、マグラス家が取り潰される危険さえある。それを避けるには、お前の力が必要だ」


 私の両肩を掴み、血走った目をして父は言った。


「クララ。お前はヒールトーチの栽培法を知っていたんだろう? お前がいる間は問題なく育っていたヒールトーチが、お前が嫁いだ後にどんどん枯れていったんだ。それはつまり、お前だけが知っている特別な方法で、ヒールトーチを育てていたということだろう?」


「!?」


 予想もしなかったことを言われて、私は絶句していた――私は、栽培法なんて知らない。ただ、たまに庭師のジミーに請われて花壇に入っていただけだ。本当に何もしていないし、ただ触れて様子を見ていただけ。


 でも父は、私の沈黙を肯定の意味と受け取ったらしい。


「やはりお前が育てていたのか。……隠していたことについては、今さら責めても仕方ない。だが、家族のためを思うならマグラス家に戻って来なさい」


「戻る……? 私は嫁いだ身ですよ?」

「どうせじゃないか」

「!」


「条件交渉の末に結んだ、結婚という名の取り引きなんだろう? だからまだ、夫婦の仲には至っていない――そうだろう?」


 なぜ父がそれを知っているのだろう。私は、混乱して頭が真っ白になっていた。


「夫を伴わずにひとりでほいほい戻ってきたということは、レナス家では大した扱いはうけていないということだろう。――それならもう、離婚してしまえ。この家で、思う存分ヒールトーチを育てれば良いじゃないか。ほかの農地もほしい分だけやるから、好きに耕しなさい。土いじりだけが、お前の生き甲斐なんだろう?」


 何を勝手な――。


 血の気が引いて、体が勝手に震え出した。そんな私を見た父は、なぜか同情するような口調で言ってきた。


「もし爵位も欲しいというなら、相続辞退を無効にしてお前にマグラス家を継がせてやろう。夫が欲しくなったのなら、それも用意してやる。デリック君でも他の男でも、好きに選びなさい。だから、ヒールトーチの世話だけは、絶対にお前に……」


「馬鹿にしないで!!」


 私は声を張り上げた。こんなに不快だったのは、生まれて初めてだ。


「次期当主の座なんて要りません! 他の夫? そんなの、考えただけで吐き気がします。そもそも私は、ヒールトーチの育て方なんて知りません! くだらない勘違いで、私をレナス家から呼び戻したんですか!? 私がどれだけお父様とマグラス家の心配をしたと思っているんですか!」


「まだ白を切るつもりか、クララ! マグラス家を思うなら、素直に私に従え。お前は一生、ヒールトーチを育てるためにここにいろ!! ――おい、デリック君!」


 ちょうど応接室に戻ってきたデリック様に、お父様は鋭い声を掛けた。


「クララを屋根裏部屋に連れていけ。ヒールトーチの栽培を引き受けるまで、絶対に外に出すな」


「分かりました、お義父さん」


「君がクララの監視役だ。今度失敗したら、……分かってるな?」


「……お任せ下さい」


 デリック様はこわばった表情をしてうなずくと、私の腕を拘束した。


「さぁ。おいで、クララ」

「――――!」


 離して、やめてと叫んでも、デリック様は決して腕を離さなかった。そのまま、引きずられるように屋根裏部屋の階段手前まで連れて行かれる。


 デリック様は私を無理やり抱き上げると、階段を上って屋根裏部屋に私を押し込めた。


「君が素直に従えば、こんな屋根裏部屋からはすぐに出られるよ。快適な生活をして、好きなだけヒールトーチを育てればいいじゃないか。――僕は部屋の前にいるから、気が変わったら声を掛けてね」


 ねっとりと優しい声音で言われて、ぞっとした。


 ばたん、と扉を閉められて、外鍵を掛けられた音が無情に響く――それらの音を、私は呆然として聞いていた。

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