【26】お猫さま、行方不明。

「――――あの、ジェド様。ここ、どこでしょうか」

 気づいたときには私の足は、石畳ではなく草の茂る土の上に立っていた。


 目の前には、緑がかった水を豊かにたたえる大きな湖。周囲の樹々から、せわしない蝉の鳴き声が聞こえている。


「ニール自然公園だ。ここは王都南西部にある王立公園なんだが。落ち着いた場所で話したくて、転移魔法を使ってみた」

 

 ジェド様は私の肩を抱いたまま、当然のようにそう言ったけれど。


「転移魔法ってすごく上級の魔法ですよね」

「ああ、最近覚えた。魔力消費が激しい割に使い勝手が悪いから、役立つ場面は少なそうだが」


 そんなすごいの使えるんですね……。


「ゴミゴミした場所より、こういう所のほうが好きだろ、君は」


 そう言うと、彼は切り株に腰かけた。なぜか私を手放さず、私のことを自分の膝に座らせる。


「えっ。あの、ジェド様!?」

「本物の夫婦は、こういうことも堂々と出来るわけだ。弟にはできないことも」

「はい!?」

「……何でもない」


 ふん、と鼻を鳴らすと、ジェド様は私から手を放した。何を考えてるのかしら、この人……。


 私は真っ赤になりながら、あたふたと彼の膝から降りた。


「話がしたかったんだ、君と」


 真剣な目をして立ち上がり、私のことをじっと見つめた。……ジェド様は吊り目がちだから、真剣な顔をしているとちょっぴり怖く見える。今みたいに、何を考えているか分からないときは特に。


「俺は明日から、レナス辺境伯領に戻る。辺境伯の座を継ぐための準備を、いろいろと始めるためだ」

「はい」


「レナス辺境伯領は、魔境と揶揄されるような場所だ。古代林のすぐ脇にある辺鄙な領地だし、魔獣もよそより多く湧く。そんな領地を、俺は将来治めることになる。他の領地より危険性が高いぶん、領主としての才能も責任も求められる」

 

 ……何を言いたいのだろう。


「努力するよ。今はまだ至らない点が多いが、地位に見合う人間になる。俺が辺境伯になったら――そのとき、クララに伝えたいことがあるんだ」


 だから――、とジェド様は言葉を継いだ。


「俺が一人前になるまで、待っててくれ。どこにも行くな。俺に不満があるときは、黙ってどこかに行ったりしないで、きちんと伝えてくれ」


 ジェド様は、どこか不安そうだった。


「……ジェド様」

 無意識のうちに、私はジェド様の手に触れていた。


「どこにも行きませんよ。居ていいなら、ずっと居ます」

 

 そしてこれからも、いろんな草花を育てます。きっとそれが、ジェド様の役に立つから。


 私が笑うと、ジェド様は少し安堵したようだった。


「……ありがとう。実は少し前から、気になっていたんだ。最近クララは、たまに暗い顔をしていただろう?」

 

 それはあなたに会えなくなるから――とは言えず、私は首を傾げてみせた。

 

「俺が辺境伯領に戻っている間に、なんとなくクララがいなくなってしまうような気がして、落ちつかなかった。俺はまた気づかないうちに、君を困らせているんじゃないかと」


「そんなこと、本当にありませんよ」

「なら、何で暗い顔をしてるんだ? 気がかりな事があったのなら、打ち明けてくれ。俺が善処する」


 ……気がかりな事。


 ジェド様にしばらく会えなくなるのは、仕方ない。それじゃあ、の悩みだけは、伝えておこうかな……。


「じゃあ、ご相談しても良いですか?」

 

 ジェド様はうなずくと、一歩近づいて私を見つめた。


「あの。実は最近、猫ちゃんが全然会いに来てくれないんです……」

「猫!?」


「はい。前は毎日のように遊びに来てくれたのに。大きくなった頃からあまり来なくなって……ここ一か月ほどは一度も。育てていたネコ草も、すっかり硬くなってしまいました」


 実は私は、猫ちゃんのことでかなり深刻に悩んでいた。涙がじわっと、勝手に目に滲んできた。


「会いに来てもらえないのは……嫌われちゃったということでしょうか?」


「…………っ、違う」


 なぜかジェド様は、ひどくうろたえていた。


「猫は本当に君が好きだ。だが、たぶん事情がある」


「ジェド様。あの子は最近、毎日どこで過ごしてるんですか。ジェド様のお部屋にいるなら、会わせてもらいたいのですが……」


「い。いや、無理だ。あいつは最近、行方不明で……」

「行方不明!?」


 血の気が引いた私を見て、ジェド様がさらに慌てている。


「行方不明というか、長い散歩中というか。ともかく事情があるはずだ。猫は無事だし、君を好いている。だが、……ともかく今は会えない」

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