【3】美形なのに残念です。

 ……つ、妻になる!? 私が?


 目覚めたジェド様からいきなり「妻になってくれ」と言われて、私は頭が真っ白になった。私と彼の間に、リンデル卿が慌てた顔で割り込んでくる。


「若、なに無茶苦茶なこと言ってるんですか! 初めて会ったご令嬢に言う台詞じゃないでしょ、それ!」


「だが、あの『猫』はクララ嬢を気に入っていたんだろう? ……そんなの初めてじゃないか。きっとこれも何かの縁だ。根拠はないが、妻に迎えてもなんとかなりそうな気がする」


「またそうやって、若は自分のことばっかり考えて!! 相手の迷惑、考えたことありますか!?」


 きょとんとしたまま、私は彼らの会話を聞いていた。そんな私を見ながら、ジェド様は説明を加えた。


「大丈夫だ、君にはできるだけ迷惑をかけないように配慮する。それに、妻といっても『戸籍上の妻』というだけだ。レナス家の戸籍に入って、俺と同じ屋敷で暮らすだけでいい。君の私生活には口出ししないし、もちろん家庭内別居だ。夫婦関係なんて求めないし、そもそも俺と顔を合わせる必要もない。必要なときだけ、妻として振舞ってくれれば十分だ」


 ますます、訳が分からない。


「事情があって、俺はどうしても妻が必要なんだ……」


 これってつまり、契約結婚を持ちかけられている状況よね? 契約結婚……つまり、恋愛関係にない男女が、なにかしらの目的のために形式的な夫婦になるというものだ。


「あの。ご事情がよく分かりません。もう少し詳しく教えて欲しいのですが……」


 契約結婚をテーマにした恋愛小説なら、前に読んだことがある。美しい貴族男性が次々に舞い込んでくる縁談を煩わしく思い、『女性除け』のためにヒロインに契約結婚を持ちかける、というようなストーリーだった。


 ……やっぱり、ジェド様も『女性除け』のために契約結婚がしたいのかしら。

 確かに、こんなに艶っぽい美貌の持ち主なのだから、きっと女性にモテすぎて困っているに違いない――などと思っていた矢先。全然違う答えが返ってきた。


「実は今日、婚約していた女性から一方的に婚約破棄されてしまったんだ。だから契約結婚でもなんでもいいから、ともかく新しい相手が必要でな。婚約だけでなく一気に結婚まで踏み切ってくれる人なら、さらに助かる」


 と聞いて卒倒しかけた。

 ジェド様、女性にモテすぎて困っていたんじゃなくて、ふられて途方に暮れていたんですか……。


「俺はこれまで三回婚約したことがあるが、結局どの令嬢とも破談に終わった。当主である祖父から『早く結婚しろ』と命じられた直後に、まさか三度目の婚約破棄とは……。祖父に知られたら『当家の恥さらしめ』とか何とかいわれて、半殺しにされちまう」


 あらまぁ。

 こんなに美形なのに、なんだか残念な人だわ。口を閉じていれば神か精霊と見紛うばかりのお姿なのに、見た目と中身のギャップが凄まじい。


「……と言う訳で、俺は君と結婚したい。なんとかならないか、クララ嬢」


(すごく残念な人……)


 真顔で求婚してきたジェド様と、絶句している私。そんな私達のすぐそばで、リンデル卿が「こりゃダメだ……」と呟いて天井を仰いでいた。


(ええっと。この状況、どうしたら良いのかしら……)


 私が途方に暮れていると、こん、こんというノックの音が響いた。


 入室してきたのは、私の父ドナルド・マグラス伯爵だ。最先端の流行を押さえた高級な上下を身に纏い、上背のある体躯をピンと伸ばして、大股でこちらに歩み寄ってくる。


「これはこれは、レナス家の次期当主殿! お目覚めになられたようで何よりですぞ! 私は当家の主、ドナルド・マグラスでございます。以後、お見知りおきを」


「マグラス卿、世話になった。……貧血で気を失ってしまい、恥ずかしい限りだ」


「いえいえいえ。それはそうと、今、偶然にもドア越しに聞こえてしまったのですが、あなた様はクララをご所望だとか?」


 お父様、たまたまではなく完全に立ち聞きだったのでは? と思ったけれど、私は口をつぐんでいた。父は目をぎらぎらと輝かせている。……なんだか面倒な流れになりそうな予感。


「……その通りだ」

 立ち聞きされていたことを気まずく思ったらしく、ジェド様は居心地の悪そうな顔で短く答えた。


「お言葉ありがとうございます! 名家のご令息に見初められるとは、クララはなんと幸せなのでしょう! どうぞどうぞ、今すぐ持ち帰っていただいても構いませんので、どうか可愛がってやってくださいませ!」


「あ、あの……お父様?」


 あぁ。お父様ったら、やっぱり面倒なことを言い出してしまった。野心家の父はいつだって、他の貴族とのコネを築くことにご執心なのだ……。高貴な家柄であるレナス家と縁づくチャンスなんてそうそうないから、この機を絶対に逃したくないのだろう。


「クララは健康が取り柄ですから、きっとすぐに健やかな後継ぎを生むでしょう。さすがレナス様はお目が高い!」


 などと、父は恥ずかしげもなく前のめりの姿勢で言っている。どうやら、会話の全てを聞き取れていた訳ではないらしい。ジェド様から申し込まれたのは結婚に過ぎないというのに、父は彼が私を見染めたと勘違いしているようだった。


「待ってください、お父様。私がレナス辺境伯家に嫁ぐなんて……」

「黙れクララ。お前の縁談を決めるのは、お前自身ではなく当主である私だ!」


 それはもちろん分かっていますけど……。


 でも、西の国境を守るレナス辺境伯家は、『国家の盾』と呼ばれる由緒正しき貴族だ。そんな高貴な家に私が嫁ぐなんて、不安しかない。


 私はジェド様に頭を下げた。


「……でも、私はとても口下手で、本当に社交の才能がないんです。辺境伯家の跡継ぎともなると、あなたは社交場に妻を伴って出る機会も多いですよね? こんな私が妻では、あなたが恥をかくことになります」


「いや。それは問題ない。当家の妻には、社交のセンスは一切不要だ」

 なぜならば――と、ジェド様は説明を加えた。


「レナス辺境伯家の存在意義は『国家の盾』になることだからな。優秀な魔法騎士と魔術師を数多く輩出し、国を守るのが当家の役割だ。だから、他家との交流とか駆け引きとかは割とどうでもいい」

 と、ジェド様はきっぱりした口調で言った。


「それは助かりますけれど……でも、」

「クララ、お前に拒否権などないと言っておるだろうが! お前がもたもたしているうちに、ご令息の気が変わったらどうしてくれる!? さぁさぁ、ご令息。クララとの縁談のお話、今すぐ進めてしまいましょう」


 ぐいぐい迫ってきた父を、ジェド様はちょっと不快そうな目で見つめた。


「マグラス卿、悪いが少し黙っていてくれ。いくら俺でも、流石に相手の承諾なしに話を進めたくはない。……クララ嬢、他にも不安なことがあるなら、全部言ってくれ。君と結婚するためなら、どんな願いでも聞き入れたいと思う」


 甘い美貌でそんなことを言われたらドキッとしそうだけれど、これはあくまで契約結婚のお話だ。雇う側と雇われる側の、契約条件のすり合わせ……。


 それなら、正直に私の希望を伝えてもいいのだろうか。


「……土いじり、したいのですけれど」

「ん? 土いじり?」


 気まずい気持ちで私が呟くと、父がものすごく不愉快そうに眉をしかめた。

「こら、クララ! 余計なことを言うんじゃない! ご令息、クララの戯言など捨て置いてください!!」


 しかし彼は父の声には耳を貸さず、ふしぎそうな顔で私に問いかけてきた。


「土いじりとは、農業のことか? ……君がやるのか? 農民の仕事だろう?」

「私……実は、花や野菜を育てるのが趣味で、やらないと気持ちが落ち着かないんです。だから、もし結婚するなら……土いじりは禁止しないでください」


 ……正直に言ってしまった。すごく恥ずかしくて、私は深くうつむいてしまった。


 世間一般では、『泥にまみれるような行為を貴族がするのは非常識』だと言われている。家族も元婚約者のデリック様も、私が花壇で作業するのを、いつも嫌そうな目で眺めていた。ジェド様も、たぶん『変な女』だと私を思っているに違いない……。


 ジェド様は沈黙している。『こんな変な女はやめて、他の女性を探そう』と考えているのかもしれない。まぁ、別に、それならそれで――


「要するに自分専用の畑が欲しいんだな? よし、分かった。面積は何ヘクタールあれば良いんだ?」


 え?

 驚いて顔を上げると、レナス様は真顔で私を見つめていた。……予想外の反応だ。


「……私のこと、異常だと思わないんですか?」

「趣味なんだろ? じゃあ良いじゃないか。で、面積は? 君が輿入れする前に耕させておけばいいのか? 何を植えておけばいいんだ」


「い、いえ。ゼロから自分でやるのが楽しいので、場所だけ貸して下されば……。ええと、面積は五平米くらいあると嬉しいですが……」

「そんなちっぽけじゃ、つまらないだろう。とりあえず五十平米は用意しておこう。もっと欲しくなったら拡張するから言ってくれ。で、他の要望は?」

「……ありません」


 ぽかんとしながら、そう答えていた。


「なんだそれだけか。じゃあ、俺との結婚にもう障害はないんだな?」

「畑の件が、嘘でなければ」

「嘘なんかつかない。俺には妻が必要なんだ。畑くらいで妻が得られるなら安いもんだ」


 今の彼の台詞、普通の女性だったら失礼すぎて激怒するに違いない。しかし、私は喜びのあまり膝が震えた。


 ぱんぱかぱーん。という祝福のファンファーレが、脳内で響いている。この結婚、断る理由が見当たらない。


「……あなたと結婚します」

「話が早くて助かる。――というわけだ、マグラス卿。婚約の詳細を話し合いたい」


 異様な生物を見るような目で私たちのやりとりを見ていた父が、我に返って「おぉお!」と歓声を上げた。ちなみに、部屋のすみで事の顛末を見守っていた騎士リンデル卿は、相変わらず唖然とした顔で固まっている。


 満足げに頷いて「よし、首尾よく進んだ!」と呟くジェド様の隣で、私は呆けたまま立ち尽くしていた。



 こうして私は、思いもよらない形でレナス辺境伯家に嫁ぐことになったのだった……。

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