第8話 カプグラ症候群と、再生への期待

 研究もある程度まで進み、すでに、

「第一段階の研究は終わった」

 と言ってもいいところまできた。

 臨床試験も、ここまでくれば問題もなく、売り出すだけの裏付けも数字として取れている状態になっていた。

 治験者としての松前の仕事も、無事に終わったと言ってもいいだろう。

 松前も赤松も研究者なので、基本的に治験に関しての知識はさほどあるわけではない。複数の治験に関わっている先生たちが、

「もう大丈夫だ」

 と太鼓判を押したことは、それまでの不安を払しょくするに十分だった。

 松前としては、今まで研究に没頭していたことで、治験を受けていたという不安を発散させることができた。ここにきてある程度のめどが立ってきて、研究結果が証明されるようになると、自分たちの仕事も、後は後始末程度のことで、前向きな仕事はなくなり、落ち着けるのは落ち着けるが、その分、治験者としての不安が多くなってくるのも無理もないことだった。

 ある日、赤松が、

「松前君、今度家でパーティをするんだが、来ないかい?」

 と言われ、断る理由もないし、気分転換にもなると思って、

「はい」

 と答えた。

 最近は、あまりゆいと会うこともなかったのだが、その理由の一つが、

「仕事が一段落着いたことで、治験への不安が募ってきた。こんな精神状態の中で、ゆいと会うのは、精神的にきつい」

 と思っていたからだった。

 しかし、赤松も一緒だということが、安心感を与えてくれた、

「一人だったら、どんな顔をしてしまうのか、自分でも不安だが、赤松先輩がいてくれるということは、訝し気な表情をしても、それは赤松先輩に対してのことだということを感じてくれればいい」

 と思うのだった。

 先輩が指定した日は、週末の土曜日だった。

「予定があるかどうか、確認して、来れるようなら連絡をくれ」

 と先輩に言われたので、お言葉に甘えて、即答は避けた。

 別に用事があったわけではないが、二日ほど余裕をもって、先輩に連絡を入れた。

「お言葉に甘えて、お邪魔いたします」

 というと、電話口で喜んだように、

「そうか、それはありがたい。待ってるぞ」

 と言っていた。

 毎日のように、研究所の方で会うのだから、それまで何も会話しないようなわけもないのだが、それだけ、赤松先輩は公私混同をする人ではなかった。

 そのあたりが、赤松先輩と二つしか年齢が違わないのに、かなり年上の、

「頼れる兄貴」

 と言った雰囲気なのだと思うのだった。

 約束の土曜日になって、赤松先輩の家に行くと、懐かしさがこみあげてきた。

 今までにここに来たのは三回だけだったが、それも最初にお邪魔してから、二か月の間に三度来ただけだった。

 どうして足が遠のいてしまったのかというと、松前とゆいが付き合い始めたためであり、別に、

「敷居が高くなった」

 という感覚ではないのだが、プライベイトを大切にする先輩の顔を、まともに見ることができない気がしたからだった。

「あの頃は本当にウブだったよな」

 と当時のことを思い出していた。

 デートにしても遊園地や公園と言った、まるで中学生か高校生のようなもので、

「よく彼女も退屈せずについてきてくれたものだ」

 と感じたほどだが、それだけ、ウブだったということだろう。

 だが、お互いにウブな交際が、新鮮で純粋だと思うと、赤面してしまうほど、恥ずかしさがこみあげてくるようだった。

 久しぶりの赤松先輩の家は、前に来た時よりも少し狭く感じられた。しかし、敷居はあの時に比べれば高く感じたのは、この中に、自分が意識している女性である、ゆいがいるからだった。

「いらっしゃい、松前君」

 と言って、赤松先輩は迎えてくれた。

「いやあ、こちらにお邪魔するのは久しぶりですね」

 とわざと、ラフな言い方をした。

 その様子に、何も感じていないかのような赤松先輩は、松前をロビーに招き入れてくれた。

 キッチンでは、ゆいがエプロンをして、料理を作っていた。その様子をほのぼのした気持ちで松前が見ているのを、今度は赤松先輩も見逃さなかった。

「今日は、ゆいが君のために、丹精込め料理を作ってくれているんだよ」

 という兄の言葉を聞いて、

「何言ってるの。私はいつも、丹精込めた料理を作っているでしょう。失礼しちゃうわ」

 と言って、笑顔を見せた。

 松前は、台所に立って料理を作っているゆいを見るのは初めてだった。自分の部屋に呼ぶことがあっても、料理を作ってもらった経験はない。ただ料理が上手なのは分かっていた。

 いつもデートをする時、遊園地だったり公園だったりするが、時々、ゆいがお弁当を作ってくれていた。毎回ではないのは、

「たまには、レストランとかでおいしい料理を食べるというのはいいことなのかも知れないわ」

 と思っていたからだろう。

 ゆいの口からきいたことはなかったが、

「ゆいだったら、そういう言葉を口にするに違いない」

 と思ったのだ。

 レストランを選ぶのは、松前の役割、そして、当然お弁当はゆいの役割、お互いに何も言わなくとも、阿吽の呼吸であるかのように、暗黙の了解を持っていたのだった。

「ゆいちゃんが作ってくれたお弁当、本当においしいよ」

 というと、

「何が好き?」

 と聞かれたので、本当は、

「何でも」

 と言いたいところだったが、さすがにあざとい感じがしたので、パッと頭に浮かんだおかずとして、

「タマゴ焼き」

 と答えた。

 子供の頃に作ってもらったお弁当で一番のお気に入りは、

「チキンの照り焼き」

 だったのだが、中学に入ってから、手作りお弁当というものから遠ざかってしまっていて、それを新たに作ってくれる人ができると、かつてのお弁当で思い出すのは、チキンの照り焼きではなく、タマゴ焼きだったのだ。

 ただ、今になって思い出すことというと、お弁当というよりも、毎朝の朝食だった。

 判で押したように、毎日のように、白飯と、味噌汁。たまに納豆や冷ややっこの小鉢があるだけだった。

 みそ汁もとりあえず、毎日同じものにならないように工夫はしていたが、子供のこrおから高校の頃まで毎日同じメニューだった。

「さすがに悔い飽きた。最初の一年で、見るのも嫌になってきた」

 と思っていた。

 そのせいで、一日の中で朝食の時間が、朝の時間の中で一番嫌な時間帯だった。

 朝目が覚めてから、

「学校に行かなければいけない」

 という憂鬱な気持ちよりも、さらに嫌だったのだ。

 大学生になってからは、家では絶対に朝食は食べない。他で食べる時も、絶対に洋食だった。

 特に味噌汁だけは嫌だと思っていた。

「親は、自分よりも前から、毎日同じメニューでよく我慢ができるよな」

 と思っていた。

 一体、どうしてなのだろう?

 そういえば、今回の研究も、そのあたりから始まったような気がする。

「自分の親は、どうしてあんなに毎日同じものを食べていて、飽きなかったんだろう?」

 という思いであった。

 普通だったら、あれほど、毎日同じものを食べさせられていれば、見るのも嫌になりそうなものなのに、と思うのも当然であった、しかし、そうではないということは、これは一度子供の頃に感じたことだったが、

「俺の親は、人間ではないのではないか?」

 ということであった。

 人間の川を被った、人間ではない悪魔であったり、アンドロイドか何かの類ではないかと思うと、ゾッとしてきたものだった。

 小学生だったので、一時期ではあったが、本当に信じたものだ。

 そして感じたことは、

「息子である俺を洗脳しようと思っているのではないか?」

 ということであった。

 もっとも、息子一人を洗脳したところでどうなるものでもない。ただ、何か大きな事業のための実験台として自分が使われている、という考えもないではなかった。

 ただ、この考えがある時に読んだ本に書いてあった心理学的な話と酷似していたことが印象に残った。

 普通なら、こんな話、小学生が気になって読むわけもないのだが、どうも親が洗脳しているように感じたところから、感じたことであった。

 この話は二十世紀に入ってから、心理学として提唱された精神疾患の一種で、

「カプグラ症候群」

 というものである。

 映画やドラマなどで、時々題材になるようなことで、現象はある程度限られているのに、原因となったり、その症状は滝に渡るのではないかと言われているものではないだろうか?

 このお話は、

「自分に近しい人、家族、恋人、親友などが、うり二つの替え玉に入れ替わっているという妄想を抱いてしまうこと」

 という心理現象を、精神疾患として考えるという発想である。

 特撮などでは、よくこの発想は用いられる。

 世界征服を狙う悪の結社が、次々と人間を自分たちの手先に変えていっているという発想は、よくあったものだ。

 これも、ロボット工学三原則と並び、同じ頃にカプグラ症候群のような話が多くあり、カプグラ症候群を知らない人でも、感受性の強い人が、特撮などを見て、それを夢になど見たとすれば、それがトラウマとして残ったとしても、無理もないことだろう。

 小学生が見る番組には、ある程度、深い印象を与えてしまうことで、見たくないものを見てしまったかのような感覚に陥り、カプグラ症候群などという稀な現象も、次第にそれほど珍しくないものとして、今では認識されるようになったのではないだろうか。

 そういう意味で、テレビ制作の罪は重いのかも知れないが、まずは、社会情勢や、その頃の子供の精神状態など、いかに深く考えなければいけないものなのということを考えさせられるものではないかと言えるのではないだろうか。

 ただ、カプグラ症候群というものが、よく言われるようになってから、小学生時代を迎えた松前にとって、

「カプグラ症候群」

 という言葉は知らなくても、そのような心理状態は分かっていた。

 しかし、誰がカプグラ症候群に掛かっているかなどということは、なかなか分かりにくいものだ。

 特に大人であれば、

「そんな子供じみたことを信じているなどということを知られると、自分の社会的立場はないかも知れない」

 と思われた。

 社会的立場というのは曖昧なもので、

「子供の頃から培われてきたことで、どうしてそんなに今になってまで消えない妄想なのかと思っているが、その状況は中途半端なものなのではないだろうか」

 と考えていた。

 自分がいかに、

「夢の内容を覚えていないのか」

 ということを証明しているようなものである。

 子供の頃は、

「いつも夢を見ていた」

 という感覚が残っている。

 しかし、実際に覚えている内容は、大人になってからと同じである。

 つまり、

「覚えていることは同じなのに、忘れてしまったことは、子供の頃の方が多かった」

 ということであるが、それは、

「忘れてしまったこと」

 というよりも、

「忘れてしまう確率の方が大きかった」

 ということであり。この感覚は、

「子供の頃の方が、夢をたくさん見ていた」

 という感覚に結び付き、

「夢をたくさん見るのだから、それだけ忘れてしまった確率は高いのではないだろうか?」

 という感覚なので、言い方は的を得ているかどうか分からないが、

「プラマイゼロ」

 という感覚が頭をもたげた。

「プラマイゼロ」

 というのは、見た目、まったく何もなかったかのように感じられることであるが、実際には、プラスとマイナスが確実に存在している。

 まるで、小学校で習った、

「見かけの光合成」

 という言葉が頭をもたげた。

「酸素を吸って、二酸化炭素を出すのが、呼吸というものだが、光合成は逆に、二酸化炭素を吸って、酸素を放出している。同じ植物によって行われるので、これを見かけということを使って表現することに対し、子供心に違和感があったが、気になる言葉の一つだった」

 ということを印象深く覚えていたのだ。

 それにしても、自分のまわりの人が信用できなくなるという感覚は何かに似ているような気がしていた。

「そうだ、麻薬中毒の時の禁断症状ではないか?」

 というこの発想は、少し大人になって感じたことだった。

 さすがに小学生が麻薬をいきなり発想するというのもおかしなもので、この発想が生まれたことで、自分が小学生の頃に感じたカプグラ症候群をまるでトラウマのように、潜在的に覚えていたということであろうか。

 ちょうど、麻薬のことを考えている時に、ちょうど潜在していた感覚の、

「カプグラ症候群」

 が意識として入り込んできたのかも知れない。

 たぶん、その時に感じたのは、夢に見たこととシンクロしていたのではないだろうか。カプグラ症候群などという言葉がついていて、それが、社会現象を引き起こす原因にもなっているなど、思いもしなかった、

 あくまでも、子供の頃に見た特撮の発想でしかないと思っていた自分が本を読んで、さらにその思いを深くしたことが、後々、開発チームに入ることになった一つの要因になったと言っても過言ではないだろう。

 そんなカプグラ症候群が自分の頭からなかなか消えてくれないのは、これを元々、トラウマとひっかけていたからだろう。

 自分にとってのトラウマとして、一番大きな印章として存在しているのは、

「夢としての感覚」

 であった。

 目が覚めるにしたがって忘れていくのが夢だと思っている。しかも、忘れたくないと思っていることを忘れてしまうくせに、

「もう二度と見たくもない」

 ということをしつこく覚えている。

 それが、トラウマとなっているのだろうが、今度は、もう一度見てみたいと思うであろう夢は、もう二度と見ることができないというのが、夢のメカニズムであった。

 それほど夢というのは、、ある意味、

「都合よくできているもの」

 であり、その都合のよさは、必ずしも、見ている人間の意志によるものではないということだ。むしろ、夢を見ている人間にとって、いいことではなく、却って悪い方に誘われているかのようなものなのであった。

 そんなカプグラ症候群を感じるようになったのは、夢を見たからだと思うのだが、今から思えば少し、腑に落ちない部分があったのだ。

 というのも、この夢を見た時期が問題であり、一体いつのことだったのかということを考えると、夢ということもあり、曖昧だった。

 ただ気になっているのは、カプグラ症候群を意識するようになった特撮番組よりも前に、その夢を見た気がしていたのだ。

 つまり、特撮を見た時、

「過去にどこかで見たような気がする」

 という、まるでデジャブのような感覚に襲われたのだ。

 どうしてなのか、子供の頃には分からなかったが、心のどこかでそのことを気にしていたようだ。

 そして、それがなぜなのかということを考えてみたが、なかなか結論が出てこない。

 ただ、デジャブという現象には意識があったので、それに近いものではないかという感覚はあったのだ。

 ということを考えると、

「カプグラ症候群ということに対して、特別な意識は持っていなかったが、自分がその環境に入り込むと、まるで前から知っていたかのような気がするものだ」

 という感覚になるようだった。

 その感覚が曖昧なために、

「意識したことがあったような気がする」

 というハッキリとした意識にならないのだろう。

 心理学的な現象であったり、障害であったりするものは、えてして、そういうものなのではないだろうか。

 自分にとって、このカプグラ症候群というものは、曖昧な意識であること、さらに夢に見たことで、曖昧な意識を裏付けているような気がして、そのせいもあってか、

「デジャブというのは、曖昧なものなのではないか?」

 という思いに至り、その思いが、

「辻褄合わせ」

 という感覚に結び付いてくるのだろう。

 デジャブという現象は、ハッキリと科学で証明されているわけではない。

 いろいろな考え方がある中で、松前としては、

「本当は最初から分かっていたもので、それを紡いでいるのが、遺伝子というものの働きではないか?」

 と感じていた。

 今まで見たことがないと思っているはずなのに、なぜか、

「どこかで見たことがあったような気がする」

 と感じるのだ。

 どちらの感覚が強いのかというと、前者の方である。

 だから、

「どこかで見たことがある」

 という感覚が錯覚であり、

「なぜ、そのような錯覚を起こすのか?」

 ということを考えるということになるのだろう。

 そこで思いついたのが、

「辻褄を合わせているからではないか?」

 ということであった。

 絵は写真で見たものが、漠然として意識の中にあったとすれば、それが自分の中にある意識と結びついて、以前まったく違う場所に行った時に感じたことと、かつて見た印象に残っている絵や写真がシンクロし、頭の中によみがえってくる気がするのではないかということであった。

 本当なら、違う景色で見たのかも知れないが、それでは納得のいかない感覚に陥り、その辻褄を合わせようと、見てもいないものを見たような感覚になるのではないかと考えていた。

 この説は、実は有力な説としてあるものだということで、それは自分の頭が冴えているというわけではなく、単純に、

「多数派の意識が自分にはあるというだけのことだ」

 という冷めた目で見ているだけであった。

 そもそも、何か不可解な現象であったり、症候群と呼ばれるものは、錯覚から始まっているのではないか。

 錯覚というものもいろいろとあり、以前聞いた話で興味深いものが、

「サッチャー効果」

 と呼ばれるものであった。

 サッチャー効果というのは、絵や写真で、真正面から見たものを、今度は上下を反転させて、見てみると、まったく違うものに見えるという現象である。

 本当であれば、

「正対しているものが逆さまに写っているという感覚から、よく分からないものが映っていると思っているのに、逆さにすれば、また全然違った、しかも、理屈が分かるような絵が浮かび上がってことで、自分が錯覚を起こしている」

 ということに気づくという現象である。

 そもそもが、かつてのイギリスの女性首相である、

「鉄の女」

 と称された、

「マーガレットサッチャー」

 の写真から来ていると言われている。

 これは完全に錯覚であり、別名として、

「サッチャー錯視」

 と言われている。

 錯覚というのは、元々、人間が目の前にあるものを最初から、

「こういうものだ」

 ということを前もって想像する力があるから、その感覚と違った時に、錯覚であると感じるのだろう。

 想像もできない生き物に、錯覚というものを求める方が、おかしいというものである。

 人間というものが、他の動物と違っている価格として、人間の方が優れているものがほとんどなのだろうが、動物の方が優れていることも実は少なくない。

 本能という意味で動物は人間よりも強く、さらに人間にも存在はするが、動物のそれとは比較にならないくらいの低俗性であるということを示しているのが、

「再生能力」

 というものではないだろうか。

 動物にはクスリなどというものはなく、あるとしても、天然のクスリとして、摂取できるものだけしかないだろう。

 人間が今後開発する薬を考えるうえで、この

「再生能力というもの」

 を無視することはできないであろう。

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