第5話 禁断の関係

 大学に入ると、勉強もさることながら、小説を書くことに集中し始めた。二年生の頃までは、

「せっかく書いているんだから、プロになりたい」

 と思っていて、出版社系の新人賞に何度か送ったりした。

 しかし、最終選考に残ることもなく、二年間は文芸サークルに入って、そこで機関誌を定期的に発行し、フリーマーケットで出展したりという地味な活動をしていた。

 その間にも、SNS系の無料投稿サイト、もちろん、異世界ファンタジーが主流ではないところのサイトに登録し、いくつもの作品をアップしていたりした。

 そういうサイトのほとんどは、商業販売している小説でなければ、他で発表していても、別に問題ないというところが多く、あくまでもオリジナルであれば問題ないというところばかりであった。

 そういう意味では気も楽だったし、文庫本でいえば、百数十ページくらいの中編小説を中心に書いていた。

 それらの作品を、月一くらいで発表していたので、二年間で三十近い作品ができていたのだ。

 最初の頃は、小説を書いていても、完璧な作品に仕上げようと思い、何度も読み直して仕上げることで、最初に書くよりも、仕上げる時間の方が数倍時間がかかっていた。

 しかし、プロになるという意識を捨てることで、ほとんど読み直しもせずにアップするようになると、そこから先は、半分の時間で作品を作れるようになり、大学在学中では、百近い作品ができたのは、自分でもビックリだった。

 作品は、書いているうちに、どんどん発想が生まれてくるのだ。プロットは書いていても、書いているうちに生まれてくる発想を加えていくことで、どんどん枝葉が増えてきて、プロットとは違う作品になったり、下手をすれば、違うジャンルになることもあった。

 だが、それも別に問題ではなかった。

 プロ作家のように、

「最初に通した企画通りに書きあげなければならない」

 などという制約があるわけではない。

 自分で好きなように書いていけばいいだけなので、出来上がった小説を見ていて、気になるところは、次第になくなってくるのだった。

「書いている時には、違和感のようなものがあったけど、書きあがったものを読んでみると、結構様になっているではないか」

 と思うのであった。

 考えてみれば、結構奇抜な小説を書いたりしたものだ。恋愛小説などでも、不倫や先生と生徒の愛などという禁断の恋について書いてみたり、その描写も、官能小説顔負けと思うくらいのきわどい書き方をしたりもしていた。

 しかし考えてみると、官能小説というのも、実は結構難しいものだという。

 ただ、興奮させるだけの、エロ小説もあれば、人間の悩みは欲望、本性などが、心と身体を支配するようになり、たまらなくなってきた感情をいかに表にはじき出すかということを書きあげるのもまた、官能小説である。

 その場合は、エロを前面に押し出してしまうと、読者の方で飽食状態に陥ってしまい、却って、吐き気を催してしまうのであれば、まったく書いている意味がないと言えるのではないだろうか。

 官能小説一つとっても、シチュエーションはいくつもあり、それがジャンルになったりするのではないだろうか。レンタルショップでのアダルトビデオの設定によるジャンル分けにどれほどたくさんあるか、それを考えると分かってくるというものだ。

 もちろん、その中にはSMというものもある。性格的なものもさることながら、官能小説のSMというのは、プレイが基本である。緊縛やロウソク、ムチなどと言ったプレイで、ご主人様と奴隷という関係は、どちらが男でありどちらが女でもありである。

 しかも、女性同士というのも、そそるものがあるが、さすがに、男性同士というのは、性質的に受け付けないものがあり、想像しただけで、嘔吐を催してきそうであった。

 小説の書き方などというハウツー本であったり、ネット検索などで出てくる。同種の内容の投稿などを見ていると、最初に総論として、全般的な書き方というものがあり、その後で各論として、いくつかのジャンルのそれぞれの書き方というのが書かれていたりするが、一般的なのは、ミステリーやホラー、そして恋愛小説であろうか。そして、それと同じように、官能小説というのもあったりする。それだけ、小説の書き方としては、難しい部類になるのだろうと、彰浩は感じたのだ。

 さすがに官能小説は書いたことがなかったが、他のジャンルの小説を書いている時、数ページにわたって、性的描写を書くことはあった。

 数ページくらいであれば、別に意識することもないだろう。小説を書いていると、

「このあたりで、性的描写を入れたいな」

 と思うような場面を感じたりする。

 これは、小説を書いてきて、自然と感じるようになったからなのか、それとも、

「官能小説を書いてみたい」

 という願望が自分の中にあるからなのかではないかと思っていた。

 しかし、

「別に両方を感じたとしても、それはそれでいいではないか?」

 と思うようになっていて、官能小説を書いてみたいと思う気持ちがある限り、小説はこれ以降の書き続けるという思いを強く感じるようになったのだった。

 大学を卒業する頃には、妹は、十歳になっていた。それまで意識したこともなかったが、すでに、

「大人の女」

 という雰囲気を醸し出していたのだ。

 最初に付き合った女性とは、二年くらいで別れた。最初は、

「二年というのは、早かったのではないか?」

 と思っていたが、時間が経つにつれて、

「自分の性格からすれば、結構続いたうちに入るよな」

 と思ったのだ。

 それは、高校時代までと、卒業して大学生活を送るようになってからの時間の経ち方がまったく違ったからだった。

 高校時代までは、一日一日が結構長い感じがしたのだが、時間が経ってしまうと、結構あっという間に過ぎてしまったという感覚になっていた。

 逆に、高校を卒業してからは、毎日があっという間だったにも関わらず、過ぎてみると、結構時間がかかったと思うのだ。この感覚は子供の頃からあり、過ごしている時間と過ぎ去ってからの時間とでは、感じ方がまるで違うのだった。

 そういう意味で、高校時代の二年間というのは、過ごしている間は二年というのは長く感じられ、過ぎてしまうとあっという間だったと思うのも、当たり前のことではないだろうか。

 初恋は、咲江さんだったと思うので、二年間付き合った相手ではあるが、自分の中で、本当に彼女として意識したのは、最初の半年くらいではなかっただろうか。後の一年半は下手をすると、

「そんなに好きではなかった。惰性で付き合っていると言っても過言ではないだろう」

 と思っていたような気がした。

「好きなところばかりが見えていた最初の半年、それ以降は、嫌いなところばかりが目立ってしまって。好きだったところを忘れてしまうほどであった」

 と感じていると、

「二年間もよく続いたな」

 と感じた。

 それはあくまでも、いいことではなく、惰性で付き合うくらいなら、どこかで別れてしまった方がよかったのではないかと思わせるくらいだったのだ。

 そういう意味では、その時の二年間というのは、自分にとって良かったわけではないと思っている。

 つまりは、二年間というのは、これ以上ないというほどに、中途半端な時間だったのではないかと思うのだった。

 なぜなら、惰性がなければ、まだ好きだった感覚を持ったまま別れられたであろうに、惰性になっている間に見えてくるものは、嫌いなところばかりであった。そうなると、彼女に対しての想い出の多くは、嫌いなところということになり、せっかくいい思い出もあったはずなのに、最終的には悪い思い出しか残らないことになる。

 嫌いになって別れたわけではないのに、嫌いで別れたというような、後味の悪さをかんじさせることに、

「不器用な別れ方だった」

 と言えるのではないだろうか。

 彰浩は、その時の別れ方が衝撃的で、寂しさから、

「新しい彼女がほしい」

 という思いと、別れ方が衝撃的だったことで、

「本当は自然消滅に近い形だったのに、後味の悪さから、衝撃的だと感じたことで、もう新しい彼女がほしいという感覚にならない気がする」

 という思いの両面を持っていた。

 もっとも自分がどう思おうが、知り合うきっかけがなければ、彼女ができるなどというのはありえない。

 きっかけがあって、相手を好きになって、そしてどちらからかアプローチをしないと付き合うことには発展しないのだ。

 いくつもの段階があるのが、恋愛なのだ。お互いに引き合うものがなければ、なかなか付き合うまでに行き着かない。行き着いたとしても、付き合い始める前に、相手から愛想を尽かされるということもあるだろう。

 実際に、大学に入ってアルバイトをした時、お互いに意識しあっていた女の子とデートをするようになったのだが、一回目のデートの後に、

「せっかく、あなたとは、いい関係になれると思ったけど、私の勘違いだったようね」

 と言われ、

「えっ? どうしてそんなことを思ったの?」

 と聞くと、彼女は意外な素振りを見せて、

「あなたは、何も感じないの?」

 とビックリしているではないか。

「うん、なんで、別れ中ればいけないの?」

 と聞くと、

「あなたは、私とのデートの間に、かつての彼女だか何だか知らないけど、他の人と私を比較していたでしょう?」

 というではないか。

「僕は、単純にそう思ったからなんだけど。前の彼女に比べて、君のこういうところがいいというようにいうことで、僕がどれだけ君のことを気にしているかということを分かってくれると思ったんだ」

 というと、

「それがあなたの性格なのよ。相手のことを考えようともせず、自分だけの領域の中に私を押し込んで考えようとする。まるでクモが張り巡らせた巣に餌になる蝶を張り付けて、後はじっくりと食べていくような感じなのよ。想像しただけで、吐き気を催すようなものよね」

 というのだった。

「僕はそんな気持ちはサラサラないんだけど」

 と言っても、時すでに遅く、何を言っても言い訳にしかならないではないか。

 そう言われてみると、まさにそうである。

「穴が合ったら入りたい」

 というほどの恥ずかしさであった。

 彰浩が思い悩むように下を見ていると、

「ね、分かったでしゅ? あなたが自分では気づいていないのは、さすがにビックリだけど、まあ、あなたはそんな人なのよ」

 と言われてしまった。

 しかし、前の時のように惰性で付き合うよりも、まだスタートラインにも立っていない状況で言われる方が、かなり気は楽だと言えるのではないだろうか。

 大学時代というと、どうしても、浮かれた気持ちになりがちだ。まわりが皆浮かれているように見えて、自分もそれに乗っかる形で皆に接していたが、後から思うと、皆、それなりに自分の立ち位置を考えていて、どこまでが自分なのかということをしっかりと把握していた。

 しかし、彰浩にはそんなことはできなかった。

 自分の感情を表に曝け出してしまうと、他の性格を一緒に表に出すことはできない、

 それは皆も同じなのだが、その切り替えのタイミングがしっかりとできているのだ。

 それは本能からなのか、それまで育ってきた感情によって育まれたものなのか、どちらにしても、それができるのが本当なら普通の人間なのだと思った。

 しかし、他のことではちゃんとできているのに、こと恋愛というもになると、どうもうなくいかない。

「これが僕の性格なのかな?」

 と思い悩んでいると、さすがに大学時代で長く付き合った人はいなかった。

 半年が最高だったが、

「恋愛期間としては、半年くらいがある意味で一番いい期間なのかも知れないな」

 と感じるようになった。

「最初の二年が惰性だったんだからな」

 と思うと、ハッとした気分になり、

「また、昔と比較してしまった」

 と思い、これが一回目のデートで別れることになった女性から言われたことなのだろうと感じるのだった。

 そのうちに、何人かの女性と付き合ってみたが、うまくいった試しはなかった。好きになった女性もいたが、少し付き合ってみると、

「なんだこの程度の人か」

 と、自分で感じてしまうのだった。

 好きになれる人はたくさんいるのだろうが、長く続ける相手ということになると、そうでもなくなってくる。

「まさか、時間の経過がここまで気持ちを萎えさせるなんて」

 と思ったのだが、それはハッキリ言って、

「飽きがくる」

 ということであった。

 飽きが来るのは身体に対してであったが、身体に飽きがきてしまうと、性格的にも合わないのではないかと思えてきて、相手の悪いところばかりが目立ってくるのを感じるのだった。

 どこが悪いというわけではないが、それはきっと今まで相手の悪いところに気づいてはいたが、贔屓目に見て、目をつぶっていたからではないだろうか。分かっているつもりでいるから、余計に途中で気付いたということを感じたくないので、どうして、急に嫌いになるのかということを分からなくなってしまうのだった。

 彰浩にとって、大学時代に知り合った女は、皆似たり寄ったりだった。

 最初、知り合った時は新鮮で、

「今までこんな感じの女性に出会ったことがなかった」

 という思いから、

「この人を好きになったんだ」

 と思い込もうとしていたのではないだろうか。

 しかし実際に付き合ってみると、それまで見えなかった粗が見えてくるようになると、話をする内容にまで気を遣ってしまい、最後には疲れてしまうのだった。

 疲れが襲ってくると、何か刺激がないと、相手への感情が失せてくるのではないかと思った。

 刺激とは、SMプレイのようなもので、もちろん、実際のプレイをするところまではないが、変質的なプレイなどを想像し、しかし、相手にそこまで強要できないと思うと、却って欲求不満がたまってくるものであった。

 ただ、自分はSなのか、Mなのか分からない。しかし、最近になって、自分がSだと思えてくると、相手がMでなければいけないと思い、Mの女性を探してMだと思い付き合うことになるのだが、付き合ってみると、実際には相手もSだったりするのだ。

 そうなってくると、もうどうしようもない。S同士であれば、ほぼその時点でダメなのはわかっている。

 そして相手からは、

「あんであなたはSなのよ」

 となじられてしまう。

 相手も自分がこちらをMだと思って付き合ってみるとSだったというのと同じで、こちらも、Mだと思ったらSだったというオチになってしまう。

 やはり、Mに限りなく近いSの人は結構いるもので、そもそも、自分のことをずっとどちらなのか分からないでいたくらいなので、人のことを分かるというのは、結構難しいことではないだろうか。

 ただ、彰浩も自分がSだと分かったと言っても、いきなり、Sのプレイができるわけではない。しかも、一度試しにやってみると、相手から、

「あなたは、どうしても、相手に遠慮するのね。本当にSなのかしら?」

 と言われた。

「俺はそうだと思っているんだけどな」

 というと、

「それは思い込んでいるだけなのよ。しかも、その思い込みはあなたが自分に自信を持てないからということで、自分に自信が持てないことがあなたは、優しさだと思い込んでいるんでしょうね。でも、実際は逆なのよ。一歩間違えると危険なプレイなんだから、相手が自分を信頼してくれるだけの腕を持っていて、しかも、相手に気遣えるだけの度量があることで、相手に安心感を与える。それができないと、本当にSだとは言えないのよ。いい? SMプレイというのは、信頼関係ができあがってこそ、スタートラインなの。ただの遊びでやるプレイではないということをしっかりと意識していないと、絶対にうまくいかないのよ」

 と彼女はいうのだった。

 何度か、Mっぽい女の子と付き合ってみた。中には本当にMの女の子がいて、性格的にも合いそうなので、付き合っていけると思い、実際に付き合ってみたが、どういもお鳴くいかない。

 好きになったはずなのに、何か物足りなさがあった。

「Mに対しての感情ってこんなものだったのか?」

 と感じたのだが、それがどうしてなのかが分からなかった。

 それは、二つ原因があった。

 まず、相手が自分を信頼してくれているという雰囲気が感じられないことだった。そしてもう一つは、

「この人、本当にMなのだろうか?」

 と感じるとこrであった。

 自分を信頼してくれないところは、自分にも相手に対して信頼させられるようなハッキリとした確信のようなものがないからではないかと思うので、ある意味、

「自分さえしっかりしていれば、信頼というのは、後からついてくるものだ」

 と思えるので、さほど心配はしていないが、もし彼女がMでなかったのだとすると、自分の見る目が狂っていたということであり、

「一体何度同じことを繰り返せば気が済むのか?」

 ということであった。

 だが、彼女は今までの、

「似非マゾ」

 と違って、従順であることは分かる。

 逆らうという感覚が最初から欠如しているようなのだが、それと一緒に人に対しての信頼感までないのだとすれば、また話は変わってくる。

 そもそも、SMを名乗ってはいけない人ではないかと思うと、その言葉がブーメランとなって自分の帰ってくるような気がした。

 だが、ゆくゆく考えてみると、彼女が、

「私はMなの」

 ということを口にしたことはなかった。

 彰浩が勝手にそう思い込んで、相手をMだとして扱ってきたことが、彼女の中に、彰浩のことを何も感じないような感情にしたのかも知れない。

 そう思うと、彰浩は、一体何を信じて相手を見ればいいのか、想像もつかなくなっていたのだ。

 もっとも、こんな相手は珍しかった。いかにも、

「Mに限りなく近い。ノーマルというべきか、ノーマルの範囲の中での一番の変態と言ってもいいだろう。中の上というよりも、上の下と言った方がいいくらいで、かろうじて状の方に傾いているといえるくらいではないか」

 と感じたのだった。

 何度も同じことを繰り返しているうちに、

「俺って、SMの領域に踏み込んではいけない人間なのかな?」

 と感じた。

 SMプレイに興味があるというよりも、SMの関係に興味があると言った方がいい。

 緊縛も、ロウソクも、ムチもほとんど興味はない。他のSMプレイにも興味があるわけではない。興味があるのは、Mの女の子から慕われたいという思いが強いからだった。

 だから、自分はSだと自分で自分にいい聞かせて、Mだと思った子には、それを思いこませることで、自分を慕ってほしいと考えていた。

 だが、相手が本当にMでも、彰浩の本性を知れば、ご主人様として慕うことはできないと思うのではないだろうか、そう思ってしまうと、相手が自分になかなか信頼を置いてくれない理由も、相手が悪いわけではなく。根本的な原因は自分にあるということを、思い知るしかないのであろう。

 彰浩という男は。何となく分かっていても、それを誰かに言われるか、別の意味で罵倒されない限り、自分で認めたくないと思うのだった。

 人から指摘されると、

「やっぱりそうなんだ」

 と、最初から分かっていたかのように見せることで、まわりから。

「言い訳をしている」

 と言われるであろうが、本当は言い訳なんかではなく、もっとたちが悪いということになるのではないだろうか。

 そんなお互いに決して交わらない平行線の上を歩いているのだから、すれ違った時、

「何かおかしい」

 と感じるだけで、相手が見えなくなるまで自分で勝手に思い込んでしまい、すでにダメだということを理解しようとしても、プライドが許さないというおかしなことになってしまうのだるう。

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