早朝。砂煙を上げながら、建築機械が旧校舎の周りに続々と集まってくる。校舎を取り壊すためのショベルカーやクレーン車が並んで止まり、建築廃棄物を運ぶためのトラックが、更にそこへ横付けされた。

 機材が積まれたトラックから、グレーのつなぎをきた職人たちが降りてくる。彼らは足場を組むための鉄パイプや鉄筋、その鉄筋の交差部の固定に使う結束線などを運び出していた。

 急に騒がしくなり始めた旧校舎の前で、私はただただ立ち尽くす事しか出来なかった。

 ……どうしよう。もう、工事が始まっちゃう。

 まだ調べていないのは、封鎖されている地下教室だけだ。改修工事ならともかく、解体工事なのであれば、地下の階段を塞いでいる板ごと、全てがなぎ倒されるだろう。そうなったら、隠された手帳なんてバラバラになってしまうに決まっている。

 地上の校舎だけ取り壊し、地下を後で取り壊す順番で工事が進められないか? と工事の責任者と交渉するというのも考えた。でも、それも無理がある。老朽化が進んで立入禁止となっている地下教室への立ち入りを、すんなり認めてくれるとは思えないからだ。工事中に私の身に何かあれば、現場の責任者が責任を負わされることになってしまう。

 ……それでも、なんとか地下教室を調べるだけの時間が、稼げないかしら?

 そう思うものの、私には工事を止める手立てが全く無い。

 ただ立ち尽くすしかない私をよそに、職人たちは厚手のブルーシートを旧校舎のグラウンドに敷き、工事の音をなるべく漏らさないための防音シートや、火災が発生した時の備えとして使う防災シートを積んでいく。

 着々と解体工事の準備が進められる中、こちらにやってくる、二つの人影があった。

 一つは桜のもので、もう一つは――

「不知火、帝一……」

 ふむ、と小さく頷いて、不知火帝一は私の隣に立つ。工事の準備をすすめる職人を眺める彼の隣に、今日はセーラー服姿の桜が、少し遅れて立った。

「聞いたぞ。まだ、見つかっていないそうだな」

 こちらを見もせず、淡々とそうつぶやく不知火帝一を、私は恨めしそうに睨む。

「ええ、そうよ。あんたも手伝ってくれたら、今頃旧校舎の中から手帳を見つけられていたかもしれないけどね」

「俺の稼働を計算に入れるな。それは妥協できん」

 その言葉に、私は小さく唇を噛んだ。

 私だって、不知火帝一に八つ当たりしている、って気づいている。桜を応援によこしてくれただけでも、本当は感謝しなければならないのだ。

 でも、その結果、おばあちゃんの手帳は、まだ見つからなかったのだ。

 でも、その結果、おばあちゃんの手帳が、失われようとしているのだ。

 私は半泣きになりながら、不知火帝一を睨む。

「でも、おばあちゃんの手帳が……」

「大藤。地下教室を、調べるだけの時間さえあればいいんだな?」

「え? そ、そうだけど」

 ……その時間が稼げないから、困ってるんじゃない!

 不知火帝一の言葉の意図が汲み取れず、私は混乱した。しかし彼は、そんな私を意に介さないで、桜へと視線を送る。

「桜。お前と大藤の二人だと、どれぐらい時間が必要だ?」

「そうですねぇ」

 むむむむむっ、と桜は腕を組み、首をひねった。

「地下教室の広さが問題ですねぇ。学校の教室の大きさは、明治二十八年に文部省から出版された、学校建築ほにゃららなんとかかんとか、っていうやつが一般化されて、ひとクラス大体四間×五間、つまり約七・三メートル×約九メートルぐらいの広さになってるはずなんですよ。更に地下教室は、防空壕の役割もあったみたいなんで、もう少し教室の広さが絞れますね。まとめて吹き飛ばされないように、防空壕は二十人ぐらいを収容できるものを複数用意するはずで――」

「結論は?」

「二日もあれば、なんとかいたします。帝一様!」

 ビシっ! と桜は、不知火帝一に向かって敬礼をする。それを一瞥もせず、ふむ、と言って、不知火帝一は小さくつぶやいた。

「二流上等、一流重畳」

 そう言い終わる前に、彼は慌ただしく動き回る職人たちに向かって、歩き始めた。その不知火帝一の後を、当たり前のように桜がついていく。

「では、帝一様。手はず通りに」

「頼む」

 わけが全くわからないが、一人にされるのが嫌だったので、スマホを操作し始めた桜の後ろに、私もついていった。

 不知火帝一は、誰と定めるわけでもなく、大きな声で問いかける。

「すまない! ここの責任者は居るか?」

「……今、席を外してるが。あんたは?」

 不知火帝一の声に振り向いたのは、熊のような大男だった。顔は日に焼けて黒光りしており、着ているつなぎを筋肉がパンパンに膨らませている。

 そんな男に睨まれているにもかかわらず、不知火帝一は、いつも通りの態度を崩さない。

「俺の名前は、不知火帝一。この雨晦明学園の、高等部一年生だ」

「はぁ? 不知火? 不知火って、あの不知火か?」

「それは、ただの記号だ。今論じるつもりはない。それよりこの工事、地鎮祭は行わないのか?」

 そう言って不知火帝一は、辺りを見回す。そう言われてみれば、神主さんの姿や、お神酒がどこにも見当たらない。

 大柄の職人は、気まずそうに眉をひそめた。

「まぁ、な。どうも、そういう事らしい。元々短納期だった解体工事だが、前倒しになったから、地鎮祭は今回は飛ばすんだとよ。まぁ、地鎮祭をするのにも、十万、二十万の金はかかるからな。経費節減って意味もあるんだろうぜ」

「その口ぶりからすると、あなたは地鎮祭を行いたいようだな」

「そりゃそうさ! こう見えても、オレたち職人は信心深い連中が多いんだ。工事現場では、事故がつきものだしな。一歩間違えれば、命を落とす世界だ。そりゃあ神様にでも縋りたくなるってもんだ。迷信だとバカにされるかもしれねぇが、お祓いや地鎮祭をやってねぇ現場ほど、工事が上手くいかなかったりするんでな」

 気づけば、周りの職人たちが、手を動かしながらではあるが、こちらの方を伺っている。不知火帝一の言っていることが、気になっているのだろう。

 そんな彼らを横目に、不知火帝一は、ふむ、と小さくつぶやいた。

「ならばその様子では、解体工事が早まった理由は、聞かされていないようだな」

「……何だ? 何か、あったのか?」

「ああ。どうやら、この旧校舎。出るみたいだぞ」

 その言葉に、周りはざわめきたった。職人たちは今度こそ手を止め、近くの人と話し始めている人もいる。

 ……そうか、そういう事ね!

 彼の魂胆に気づき、私は小さく唸った。不知火帝一は、尚も周りに聞かせるように、口を開く。

「今月の上旬ぐらいから、人魂を見た、と言う生徒が出たらしい。それで年明けからの工事が前倒しになり、今になったと、そういう事だ」

「おい、そりゃ本当かよ!」

「このまま進めてたら、ヤバい事が起こるんじゃないか?」

「地鎮祭じゃなくて、お祓いをしてもらった方がいいんじゃないか?」

 不知火帝一の言葉で、職人たちに不安が広がっていく。彼は更に畳み掛けるように、言葉を紡いでいった。

「この校舎は、何でも戦時中、一度延焼したものを建て直したものらしい。だが、地下教室は無事だったらしく、そのまま使われていたみたいだな。まぁ、今は封鎖されているが」

「……おい、何で封鎖されたんだよ」

「老朽化が進んだせいだ、とは聞いている。しかし、俺も今地下教室が実際、どうなっているのかは、知らんよ。なにせ、中に入れないのだから」

「……本当に、老朽化が原因なのか?」

「ひょっとして、地下教室で誰かが亡くなった、とか」

「それが幽霊の正体だ! そうに違いないっ!」

 騒然とし始めた工事現場の中、私は不知火帝一へ視線を向ける。

 ……酷いペテンだわ。

 確かに不知火帝一は、嘘は言っていない。言っていないが、幽霊が出た原因が、地下教室にあるだなんて証拠、どこにもないのだ。

 ……そもそも、地下教室が封鎖されたのは、幽霊が出るよりもっと前よ。

 しかし、ここにいる職人たちは、もう工事をする気は無くなっているだろう。信心深い彼らにとって、この場所はいわくつきの場所になってしまったのだから。

 不知火帝一は、最初に話しかけた大男に向かって、こう提案する。

「どうだろう? ここはひとまず、今日の所は工事を中止するのが妥協点だと思うのだが? お祓いをするにしても、地鎮祭をするにしても、それなりに準備が必要だ。工事の再開は、二、三日後にした方が、ここに居る現場の方々も納得して作業が出来る。この辺りが落とし所だと思うが、どうだろうか?」

 それが、今回の落とし所。

 解体工事は、行う。

 でも、地下教室を探す時間は確保する。

 それが、不知火帝一の導き出した、妥協点だ。

「……そうだな。ありがとうな、兄ちゃん。そっちの方が、オレたちもスッキリ仕事が出来るってもんだぜ」

「そう言ってもらえると、ありがたい」

「じゃあ、早速オレから現場の責任者に――」

 

「その必要はないよ」

 

 解体工事は延期する、という事で話がまとまりかけていた、その時。

 それを、否定する声が聞こえてきた。

「解体工事は、予定通り実施する。幽霊も、ただの見間違えさ」

 そう言ったのは、ハーフ顔の、容貌魁偉な男子生徒だった。学ランの第一ボタンを外している彼の登場に、私は驚愕していた。

 私は、彼の事を、知っている。

「布引、先輩……」

 旧校舎の一階。元々三年四組として使われていた教室の窓が一つだけ、鍵が空いている事。それを私に教えてくれた先輩が、何人かの生徒を引き連れて、私達の目の前に現れたのだった。

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