屋敷に帰ると、わたくしは鞄を放り投げ、雨晦明学園の制服を着替えもせずにベッドにダイブした。わたくしの体を受け止めたクッション性のいいキングサイズのベッドが揺れ、軋む音が聞こえる。その揺れが収まる前に、小さい子供ほどの大きさの枕を、わたくしは殴りつけた。

 ……失敗しましたわっ!

 修学旅行の行き先が、今日決まった。つまり、帝一に、わたくしは負けたのだ。

 部屋の扉がノックされ、給仕服に着替えた源さんが入ってくる。彼女は表情を変えないままベッドの傍までやってくると、お嬢様、とわたくしの事を呼んだ。

「残念ながら、目論見が外れてしまいましたね」

「まさか、あんな方法を取ってくるとは思いませんでしたわ……」

 帝一の言葉を思い出し、わたくしは歯ぎしりをする。源さんが、彼の言った台詞を淡々と、この場で口にした。

「『地域で投票するのではなく、まず熱いところに行きたいか、寒いところに行きたいか、最初に二択で投票すればいい』ですか。こちらで操作出来る投票数は一年生の生徒数の半分なので、最初の投票で確実に選択肢から沖縄か北海道が消えます」

「……もしこちらが全ての票を操作できても、同じですわ。だって帝一と古戦さんの票だけは、わたくしたちは自由に出来ませんもの」

 源さんが、首をかしげる。

「ですが、帝一様は白票を投じているのでは?」

「それは帝一が、修学旅行の行き先がどこでもいいと思っていた時だけですわ。でも、修学旅行の行き先が決まらない、という問題を解決するのであれば、前提が変わったのであれば、彼は票を投じます。だって彼は、この問題を解決する事を、妥協点に含めましたもの」

 だから最初の投票で、選択肢が半分になる。そして帝一は、それを続けるよう生徒会に進言したのだ。

「つまり一度の投票で修学旅行の行き先を解決するのではなく、選択肢を二分の一にする投票を連続すればいい、と帝一様は考えられたのですね」

「旅行の候補が投票を重ねるごとに半分になっていけば、五、六回の投票で修学旅行先が決定しますわね。そして、一日でその回数連続して投票を行われれば、投票先の指示が間に合いません。完敗ですわ」

 ……あれだけわたくしたちが手間をかけたのに、こんなにあっさりこの問題を解決するなんて――

 

「ああ、もう! 帝一、カッコ良すぎですわぁっ!」

 

 わたくしはポカポカと枕を殴りつけ、ジタバタと足をバタつかせる。それを見ていた源さんは、ため息交じりにつぶやいた。

「いい加減、素直になりませんか? お嬢様」

「そんな事出来ませんわ、源!」

「お嬢様。呼び捨てになっているので、素が出ておりますよ」

 ……あら、いけませんわ。わたくしとしたことが。

 わたくしは、がばり、とベッドから体を起こして、源さんの方へと振り向く。

「だって源さん、わたくしとの婚約は、帝一の方から解消しましたのよ!」

「あれだけ会う度何かに付けて難癖つけていれば、断られもしますよお嬢様。特に、中学二年生辺りから、酷かったではありませんか」

「だって源さん、わたくし、今まで帝一に冷たい態度を取っていましたのよ? 急に態度を変えたら、その、わ、わたくしの、その、あれが、ば、ばばばば、ばれてしまうではありませんかっ!」

「婚約者だったのですから、むしろ好意は表に出した方がいいではありませんか」

「わかってますわよ、そんなことっ!」

 でも、帝一がいけないのだ。ミルクティーの一件があった後、こちらは次に帝一と会うのを一日千秋の思いで楽しみにしていたというのに。それなのに、次にあった時は突然、胸の大きいメイドなんかを侍らせて――

 ……帝一のスマホでしたら、いくらでもわたくしが持ちましたのにっ!

 聞けば帝一は、絶体絶命の古戦さんを、どこからともなく颯爽と現れ、あっという間に救ってみせたと言うではないか。何だそれは。羨ましすぎる。その時の話をしていた古戦さんは、完全に目が乙女のそれだった。

 その時の事を思い出し、わたくしはベッドの上で手足をバタつかせる。

「たとえ人助けのためであっても、突然可愛いメイドが帝一の傍に現れたら、わたくしだって心中穏やかではなくなりますわっ!」

「確かに桜様は、天真爛漫と言いますか、色んな意味でお嬢様とは違うタイプだと思いますが。ですが、その怒りを帝一様に向けるのも、どうかと……」

「でも婚約解消はあんまりじゃありませんの! しかも何ですの? 新しい婚約者候補一覧まで帝一は作ってきてっ!」

「……まぁ、帝一様視点では、出会った時から冷たい婚約者には嫌われ、そして嫌われ続けている、と思っていたのでしょうね。それなら、お嬢様が嫌っている相手、つまり帝一様との婚約は解消する。解消する代わりに、お嬢様に釣り合う自分の代わりを見つけておく、というのが、帝一様の妥協点、落とし所になったのでしょう」

「わかってますわよ、そんなことっ!」

 確かに過去、わたくしは帝一に冷たく当たった。それは自分が悪い。でも、だからといって、帝一の代わりを充てがえば満足するような女だと思われるのは、絶対に嫌だ。

 ……わたくしが望んでいるのは、帝一だけなのですわっ!

 それなのに帝一は、自分の中で勝手に妥協点を見つけ出し、落とし所だからとあっさりわたくしとの婚約を解消した。つまり自分は、帝一にとってその程度の存在だったのだ。

「だから、今度はわたくしが、帝一を跪かせて見せますわ! わたくしから、二度と離れないようにっ!」

 拳を突き上げるわたくしを、源さんが感情のこもっていない瞳で見つめている。

「……でも、なんだかそんなお嬢様の思惑も見透かされていそうですね。全て、帝一様の手のひらというか」

「何を言ってますの源! それはそれでいいじゃありませんのっ!」

「どうしたいんですか、お嬢様……」

「決まっているじゃありませんの。ただ、意中の相手に振り向いて欲しい。それだけですわ」

 問題は、その相手が、あの不知火帝一だということだ。

 ……普通にアプローチしても、なんだかんだ妥協点を見つけられて、望む結果が得られないに違いありませんわ。

 それは、古戦さんを見ていればわかる。あの二人は、今の所、全く何も進展していない。二人っきりで同棲していると知った時は嫉妬に狂い、憤死しそうになったが、あの帝一のことだ。主人と従者の関係の落とし所に、恋愛関係は選ばないだろう。

 なんていったって、妥協点に婚約破棄を選ぶ男なのだ。そのくらいのことはわかる。

 ……だって、元許嫁ですもの。

 だから帝一へのアプローチは、彼の首根っこどころか心を砕きに行くぐらいの意気込みでいかないと、駄目なのだ。

 ……恋愛の話というよりも、これではもう戦争ですわね。

 惚れたほうが負けというのであれば、既にわたくしは一敗している。既にこちらはビハインド。ならば、イーブンに戻すには、がむしゃらにでも勝ちを狙うしかないのだ。

 対戦相手が、あの不知火帝一であったとしても。

 苦笑いを浮かべ、右手で乱れた髪を撫でる。彼に撫でられた時の事を思い出し、少し頬が熱くなった。

「……まぁ、いいですわ。源さん。次の手を考えますわよ」

「まだ続けるのですね、お嬢様」

 流石に呆れた表情になる源さんに向かって、わたくしは胸を張る。

「当たり前ですわ。わたくし、諦めの悪い女ですもの」

 諦めが良ければ、こんな思いをしなくても済んだのかもしれない。

 でも諦めが悪いから、こんな想いになれるのだ。

 ……まぁ、今回の修学旅行の行き先、古戦さんの希望とは真逆の北海道になったというので、良しとしましょう。

 そう思い、わたくしは小さく微笑む。

「待ってなさい、帝一。必ず、わたくしに跪かせて(振り向かせて)見せますわっ!」

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