第37話 偽装夫婦の終焉 2

 混乱した頭のままドレスに着替え、食堂に向かう。

 そこにはすでにルイとジョスラン、カロリーナの三人が揃っていた。

 無表情のルイ、こちらをにやにやと見ているジョスラン。……気味が悪い。

 おそらく何も知らされていないのだろう、カロリーナだけがこの場の異様な雰囲気におどおどとしている。


 ――叔父様の持っている毒が、どんな形をしているのかわからない……毒は口にしなければいい。


 料理が運ばれてくる。給仕が同じものを全員の前に並べる。

 それぞれがフォークやナイフを手に食事を始める。セシアはその様子をじっと見つめていた。湯気の立つ出来立ての食事はおいしそうだ。おなかが鳴る。でも食べる気にはなれない……。


「どうしたセシア。食べないのか?」


 料理に手をつけずじっと皿を見つめているセシアに向かって、どこかおもしろそうな顔をしながらジョスランが声をかける。


「毒なんて入れていないぞ? なんだったら僕の皿と交換するかい?」

「遠慮します」


 セシアはテーブルの下でこぶしを握り締めた。


「それとももう、つわりが始まっているとか?」


 ジョスランがにやにや笑いのまま聞いてくる。セシアはキッとジョスランを睨みつけた。


「まあ、それは大変。無理をしてはいけないわ……」


 ジョスランの声に慌てたのはカロリーナだった。


「食べ物のにおいがつらいなら、中座してもいいのよ? 無理することはないわ」

「大丈夫よ、カロリーナ。お気遣いありがとう……デザートくらいなら、食べられるかもしれないわ」


 セシアはあまりカロリーナのことを知らないが、裏表がある女性ではないように思う。なんだってカロリーナはジョスランと結婚したのだろうか?

 会話がないため重苦しい雰囲気だが、そのせいで晩餐は淡々と進み、あっという間にデザートの時間となった。


「まあ……この赤いものは何かしら。ベリー?」


 ムースの上に乗っている赤い実に反応して、カロリーナが晩餐室の片隅に控えていたトーマにたずねる。


「いえ、赤クルミです」

「クルミ! よかったわ、口にする前に聞いて。私、ひと口でも木の実を食べると具合が悪くなってしまうの……おなかが痛くなったり吐き気がしたりするのよ」

「そんなものは食わず嫌いなだけだ。食べていれば慣れてくる。わがままばかり言うな」


 トーマに答えていたカロリーナに対し、ジョスランが吐き捨てるように言う。


「でも……」

「食事がまずくなる。カロリーナ、あれこれ文句をつけるくらいなら残せばいいだろう」


 いらいらした口調のジョスランに、カロリーナは縮こまった。

 見ていてあまり気持ちのいい光景ではない。カロリーナのおどおどした態度を見ると、この二人の結婚にも何かウラがありそうな気がしてきた。


「ルイ君、このあとのご予定は? よければ外国で手に入れた蒸留酒があるんだがいかがかな?」


 ジョスランがマナー通りに食後の談話に誘う。


「……妻の具合が悪そうなので、遠慮させていただく」


 ルイに促されてセシアは立ち上がり、振り返ることなく、二人は食堂をあとにした。


「……何も食べなかったのは毒を警戒したのか。あとで厨房から何か持ってこさせよう」

「叔父様にはすべて見抜かれているわ。私たちが夫婦のふりをする必要は、もうないのよ」


 並んで歩きながら、セシアは力なく呟いた。


「ふり? 実際に夫婦なんだから、ふりではない」

「あなたがルイ・トレヴァーという人になりすましていることだけではなくて、あなたとは寝室が別々だったこともバレているの。……部屋を荒らされたわ」


 壊されたからくり箱を思い浮かべ、セシアは奥歯を噛みしめた。


「いつどのようにジョスランが仕掛けてくるのか、俺もまったく予想ができない。さっきトーマと一緒にフェルトンの姿を探したんだが、屋敷の中には見当たらなかった。ジョスランたちと一緒に来たのは間違いないんだが、いるのかいないのかよくわからないらしい……どうやらアルスターの森のほうをほっつき歩いているようだが」

「フェルトンというのは、とても変な人ということでいいのかしら」


 いろんなことがあって心が疲れたし、空腹で頭も回らない。セシアが弱々しい声で問うと。


「変人だな。自分のことにしか興味がない」

「まあ、叔父様と一緒ねえ。気が合うはずだわ」


 ルイが案内したのは、主寝室だった。部屋に踏み込んでから、セシアははっとなる。


「……部屋が違うわ。私は自分の部屋に戻る」

「だめだ。なるべく一人にならないほうがいい」


 ルイが、セシアの出した結論と同じことを言う。


「……この部屋であなたと寝泊りするの?」

「俺はあっちの長椅子でいい。床でも眠れる」

「そう……じゃあ、そこでお願いするわ」


 そう答えながら、自分は鬼畜か、と思わず心の中でツッコミを入れてしまった。

 仮にも護衛してくれている人物を床に寝かせるなんて、失礼にもほどがある。


「嘘よ。私が長椅子に寝るわ。気にしないでいいのよ、一度やってみたかったの。長椅子から落ちて床で寝るっていうことを」

「俺に気を遣わなくていい。そんなに時間をかけるつもりはないから大丈夫だ」

「何か作戦があるの?」

「……そうだな、すでに作戦実行中だ。イヴェールには連絡を入れてある」


 予想外のことを言われ、セシアはぎょっとなった。作戦実行中ですって?

 どうしてそう大切なことを当事者でもある自分に伝えないのか!


「何を……何をしているところなの」

「心配しなくてもいい、セシア。あいつに毒は使わせない。ただ、不測の事態に備えてなるべく俺の近くにいてほしい。たぶん数日以内に片付く。……片付ける」


 ルイの言葉にセシアは溜息をついた。


「心配するな、なんて言われても、無理」

「信頼されていないのはわかっているが、俺に課せられているのはセシアの安全確保だ。絶対に守る」


 ルイがまっすぐセシアを見つめる。強い視線を受け止めきれず、セシアはふいと視線を逸らした。頭がぐちゃぐちゃして何も考えられない。




 しばらくしてリンが別に作ったサンドイッチを持ってきてくれた。

 もそもそとそれを食べたあと、リンに促されて入浴をすることにする。湯で一日の汚れと疲れを流すと、どうしようもなく眠くなった。今日は朝から列車に揺られており、相当に疲れていたらしい。

 主寝室に戻ればルイがそこにいた。


「寝る場所だけど、半分はあけておくわ。長椅子では疲れは取れないでしょ。でも私には指一本触れないで。触れてきたら許さない。イヴェール少佐に言いつけるから」


 眠くてほとんど開かない目のままルイに告げ、ルイの返事を聞かないうちに両親が使っていたベッドに体を放り投げる。

 ルイが触れてくるかどうかはわからないが、仮に先日のように触れてきても疲労困憊の今日は気づけそうにないな……とぼんやり思ったところで、意識は途切れた。




 夢を見た。

 幼い頃の夢だ。アルスターの森を歩いている。セシアはまた迷子になっていた。


 ――またこの夢……。


 何度も見た。心細くて泣きながらクロードの名を呼べば、必ずクロードはセシアを見つけてくれた。


「どうして勝手にうろうろしちゃうんだよ」


 いつもクロードはちょっと焦ったような困ったような顔で、セシアを見つけてくれた。


「だって」


 絶対に見つけてくれると信じているから。だから好き勝手、気の赴くままに歩きまわっていたの……なんて言えない。

 そのうち、どれくらい離れても大丈夫なのかな。遠く離れてしまっても見つけてくれるのかな。そんなことを考えていたことを思い出す。

 幼いセシアはクロードを試していたのだ。


 ……本当にひどい……。


 クロードが自分に優しかったのは、仕えるべき屋敷のお嬢様だからにほかならず、セシアのことが大切だからというわけではないのだと気付いたのは、もっとずっとあとになってから。

 今ならわかる。


 ルイはセシアのことを「好きだった」と言ってくれた。

 本当に?

 それは本心からの言葉?


 セシアのことを好きになる要素なんてどこにもない。自分はわがままで傲慢なお嬢様だった。

 上の人間の命令に逆らえないクロードに甘えていた。それでも、クロードが必ず迎えに来てくれる安心感はセシアにとってかけがえのないもので、そのあとつないでくれる手の温かさは特別だったのだ……。

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