第2話 侯爵令嬢セシアの事情 2

 セシアが結婚したくない理由は、主にふたつ。


 ひとつめは、幼い頃に事故に遭っており、右の下腹部に大きな傷跡が残っていること。

 見た目も美しくないが、傷は深く、後遺症も残ってしまっている。

 まず、長く立ったり歩いたりすると右足の付け根の部分が痛んで、引きずるような動きになってしまう。

 そしてこの傷は、セシアの子宮と卵巣も痛めている可能性が高く、おそらく妊娠出産はできないと言われている。繊細な内容であるためにその事実は主治医とリンと、二人の会話を盗み聞きしたセシアしか知らない。

 この傷がセシアの将来に暗い影を落とすのは、目に見えて明らかだった。


 それにこの傷は、自分の愚かさのせいで二人の人生を狂わせてしまった、罪の証拠でもある。誰にも見られたくない。

 結婚適齢期が近づくにつれ、セシアはかなり真剣に結婚しなくていい道を模索するようになった。


 ふたつめの理由は、セシア主導でアルスターに工場誘致を行っていることだ。


 現在このバルティカ王国は、隣国ロレンシア帝国が周辺国のひとつであるイオニア王国に侵攻したことで、大勢のイオニア系難民が流入している。さらにロレンシア帝国はバルティカ王国との国境にあるリーズ半島へも侵攻、実に四年にわたる戦争がつい一年前に終結したばかりだ。そのせいでこの国は経済状況も治安も悪くなっている。

 セシアの生家、ドワーズ家が領主を務めているアルスターでも、難民流入や戦争の影響による貧困問題への対応が急務だった。

 その解決方法として手っ取り早いのは、雇用を作ることだ。


 貧困院への奉仕活動は上流階級の義務。行き場をなくし貧困院を頼る人々については胸を痛めていた。そして王都の社交界に顔を出さないセシアだが、地域の集まりにはよく顔を出す。そこでいろいろな人の話を総合した結果、セシアが目をつけたのは、紡績工場だった。機械の登場で繊維の大量生産、大量消費も可能になってきており、繊維は世界的に需要が高まっているのだ。比較的少ない投資で始めることができるのもいい。そんなわけで、バルティカ王国でも紡績業は盛んになってきている。始めるなら今だろう。


 工場を誘致し、雇用を作り出して恵まれない人々を支援すれば領地の貧困問題解決につながる。祖父にそう提案し、誘致活動をしてみたいと提案したのが半年前。「物知らずの小娘に何ができる」と祖父には渋られたが、セシアには譲れない理由があった。

 ゆくゆくはこの事業に関連する仕事に就くことを思いついたためだ。そうすれば結婚せずとも、また実家を頼らずとも生きていける。


 そのためにはなんとしても、セシア主導で工場誘致活動を行いたい。結婚回避のことは祖父に怒られそうなので伏せたまま、誘致の必要性を祖父に訴えて後押しを取り付ける。もちろん祖父は「女一人で何ができる」と渋った。だから隣の領地のベルフォンス伯爵子息のレイモンドを巻きこみ、多くの人に頼んでツテをたどり、ようやくとある企業と話がまとまりかけていたところだったのに。


 セシアが大きく溜息をついたところで、昼食の準備が整った合図のベルを鳴らしながら係員がラウンジを通り抜けていった。


   ***


 アルスターを出て約八時間後、午後六時過ぎに列車は王都キルスの中央駅に到着した。


 セシアは祖父ともに駅の構内を抜け、手配していた馬車に乗る。本来なら宿泊先に向かうところだが、今日はこのままジョスランの住むタウンハウスに向かう予定だった。

 貴族は一般的に領地のほかに王都に滞在用のタウンハウスを持っている。だが祖父はジョスランにタウンハウスを渡してしまったため、王都滞在時にはホテルを使うことになっている。


 夕方の王都を馬車が走る。窓から外を見ていると、王都がいかに華やかな場所であるかがわかる。すれ違う馬車の中に着飾った貴婦人を見かけ、ああこれからどこかで夜会があるのかしら……などと思いを馳せているうちに、ふとセシアは、幼い頃のある夜の出来事を思い出した。

 両親がいた頃だから……まだ、六歳とか、七歳とか、その頃の話。




「つまらないと思わない?」


 祖父母や両親だけでなく、セシアの世話係の使用人たちも駆り出されるため、夜会がある日のセシアは早めに三階の子ども部屋に押し込まれる。それが不満だった。

 夜会は大人の集まり。子どものセシアは決して参加できない。


「大人ばっかり集まって、本当に楽しそう」


 階下から聞こえる音楽に、笑い声。華やかな夜会の準備を垣間見ているだけに、参加できないのは本当に悔しい。


「大人になったらセシアも参加できるよ」


 三階には子ども部屋のほかに、使用人たちの部屋もあった。本当は、夜に同じ部屋にいてはいけないのだけれど、一人ぼっちの夜に合図するとクロードが遊びに来てくれたものだ。

 一人娘で大人にちほやほされて育ったセシアは、一人ぼっちにされるのが苦手だった。そんな時にはクロードを呼び出す。


 クロードは使用人の一人の連れ子だ。セシアより五歳年上の彼は、屋敷の中ではセシアにとって一番年が近い人物ということもあり、特に親しかった。

 銀髪に深い青色の瞳。クロードとその母アレクシアは、大陸北部で起きたロレンシア帝国のイオニア侵攻による難民として、この国に入って来たのだという。

 バルティカ王国を脅かすロレンシア帝国は、バルティカ王国以外とも戦争を起こしており国際問題になっていたのだが、当時のセシアは知る由もない。


 アレクシアが赤ん坊だったクロードを抱えて貧困院で弱っているところをセシアの母、ルイーズが見つけて屋敷で保護したのだ。アレクシアには夫はいない。戦争で行方不明になったという。だからクロードは自身の父親を知らないと言っていた。


 元気になったものの行くあてがないアレクシアはそのままドワーズ家で使用人として働き始め、その子どもであるクロードは年が近いということもあり、セシアが成長するにつれ子守り要因として引っ張り出されることが多くなった。


 クロードは非常に賢い子どもで、自分の与えられた仕事を理解し、セシアの面倒をよく見てくれた。当時すでに若くないリンや教育係にとって、おてんば娘のセシアを追い回すことは骨が折れる仕事になりつつあった、というのも大きい。


「大人って、いつなれるの?」

「十八歳だよ」

「うわあ、ずいぶん先だわ。私、待ちくたびれちゃうわよ」


 セシアの嘆きに、クロードはくすりと笑ってセシアの髪の毛をなでてくれた。

 銀髪に青い瞳、整った繊細な顔立ち。大人の一歩手前にいるクロードは華奢で、少女にも見える。絵本に描かれている妖精の挿絵がそのまま抜け出してきたかのような透明な美しさが、クロードにはあった。


 そんな美しい存在が自分のそばにいる。自分を一番に考えてくれる。幼いセシアにとってそれは何よりの自慢だった。

 お屋敷のお嬢様と使用人の子ども。その関係はなんとなく理解していたが、クロードが仲良くしてくれるのはきっとセシアのことを「特別」だと思ってくれているからだと。


 だって、使用人の中にはセシアによそよそしい人もいるから。クロードはそうじゃない。


 遊びに行った森で迷子になったら必ず見つけてくれるし、大人にバレたら大目玉ないたずらにも冒険にも付き合ってくれる。内緒だよと言って馬に乗せてくれることもあったし、一緒に釣りをしたこともある。疲れて動けなくなった時にはおんぶもしてくれた。

 優しくてあったかくて、セシアはクロードが大好きだった。

 クロードはセシアにとって家族と同じくらいには一番身近な存在だった。

 ずっと一緒にいられると思っていた。


「でもセシアが大人になったら、こうして夜に眠れないからって、俺を呼び出すことはできなくなるよ」

「え、そうなの!?」


 セシアの驚きに、クロードはびっくりしたようだった。


「え、知らなかったの? だめなんだよ、大人になったら……一緒にはいられなくなるんだ」

「どうして!?」

「どうしても」

「じゃあ、私、大人にならないわ! クロードとこうしておしゃべりできなくなるのはいやだもの」


 セシアの宣言に、クロードは深い青色の瞳を細めて微笑んだ。


「俺もだよ」

「クロードも? じゃあ約束して。私とずっと一緒にいるって。どこにも行かないって」

「……いいよ。俺はどこにも行かない。行くあてなんかないんだ、セシアこそ俺を追い出さないでね」

「当たり前じゃない」


 クロードのお願いに、セシアは頷いた。


「私、クロードを追い出したりなんかしないわ」

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