第10話「レンとの恋バナ」

 レンは、僕が魔法学校に通って初めて出来た友達だった。教室で一人孤独に過ごしていた僕に、レンが最初に話しかけてくれたのだ。そこから僕達は意思疎通をし、仲良くなった。魔法学校の授業が終わると、いつも僕たちは一緒にくだらない話をしながら寮まで帰った。


 そういえば、レンがツグミさんに告白する1週間くらい前に、僕はレンと珍しく恋バナをしたっけ、とふと懐かしい気持ちになる。僕は、レンと夢の中で再会をするようにイメージを膨らませ、その時の会話のやりとりを少しずつ思い出そうとしていく。人間が一昨日食べた昼ご飯が何だったかをすぐに思い出せないのと同じように、僕がレンと1週間前に話した会話の内容はほとんど忘れており、すぐには思い出せない。脳内の記憶を辿ろうとすると、何か大事なことを忘れてしまっているような感じがして、頭が鈍器で殴られたように痛くなる。


「ミクジは、好きな女の子とかいたりする?」


 確か、レンとの恋バナは、文脈もなく突然始まったのだった。ただ、レンとの会話で自然な文脈が用意されている方が珍しいから、ある意味いつも通りの自然な会話でもあった。


「え、いや……特にはいないけど」


 好きな人なんてものを真剣に考えたことのなかった僕は、正直にそう答えた。強いて言えば、この前の魔法の授業でツグミさんに優しくされた時に体が火照るような感覚があったが、ツグミさんが好きな女の子なのかというとなんか違う気もする。


「そっか!じゃあ、クラスのあの子と付き合いたいとか、そういうのもないんだ?」


「うーん、付き合うとかよくわかんないし、告白したりされたりとかってなんかハズいし……」


 男女が付き合ったとして、そのあと何をするのかが僕はよく分からなかった。よく分からないというか、正確には解像度高くイメージをすることができない、という感じだ。例えばもし僕に彼女が出来たりしたら、一緒に映画館に行ったりとか、服を買いに行ったりとかするんだろうけど、それが自分の人生においてそんなに役立つものだとは思えなかった。普通に男とだって映画や買い物には行けるだろう。そんなもののために勇気を出して恥を晒して告白をする人達の感覚がよく分からなかった。それに、もし、万が一相手に振られたら傷つくのは僕の方だ。女の子は星の数ほどいるが、僕にとっての僕はたった一人しかいないんだ。


「はっはは、ミクジはまだお子ちゃまなんだな。俺たちくらいの年齢になると、男女は付き合って、いちゃこらするもんなんだぜ」


 いちゃこらという言葉に、僕の体はピクっと反応してしまった。いちゃこらという言葉が指す行為は、流石の僕でも何となくわかる。普通はいちゃいちゃ、と言うのだろうが、それだとレンは何か気恥ずかしいのか、いちゃこらと言うのだろう。交際を始めた男女は、手をつないだり、キスしたり、体を触りあったり、そんなことをするのだろうか。僕にとっては経験したことも見たこともない世界だから、いまいち現実的に想像ができなかった。男はそれができると嬉しいかもしれないけど、女の子に何のメリットもなくないか?と思ったりもした。


「……レンは、女の子といちゃこらしたことあるのかよ?」


 少し考えた後、僕は少し顔を赤らめながらレンにそう問う。きっとレンも僕と同じで、女性との経験値なんてほとんどゼロのマサラタウン状態だろう。だが、もしかしたら、レンは僕に隠れてこっそりと女の子といちゃこらしているのかもしれない。そう考えると、みんなが遊んでいた公園で一人だけ取り残されたかのような不安な気持ちになった。


「もちろん、ない!!だから早くいちゃこらしたい。なぁミクジ、俺はどうすればいいと思う?」


 ふっ、と僕は鼻で笑った。わざわざ自分から恋バナを仕掛けてくるくらいだから、実はレンは経験豊富なんじゃないかと不安になっていたが、レンも僕と同じくらいのレベルなようだ。単にレンは欲求に素直で、ある意味純粋なだけだった。恋愛経験の少ない僕にこんなことを聞くなんて、レンはよっぽどの馬鹿なのか、よっぽど僕を信頼してくれているかのどっちかだろう、とも思った。


「そんなこと僕に聞かれても……。でも、やっぱり自分から好きな人に告白したりしないとダメなんじゃない?幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ、と誰かが昔歌っていただろう。それと同じなんじゃない?」


 アドバイスを求められた僕は、ふと思い出した曲の歌詞をそれっぽく引用して、少し上から目線のアドバイスをした。僕は恋愛経験自体は少ないが、恋愛シミュレーションゲームは得意だし、馬鹿っぽい質問をしてくるレンよりは自分の方が上だと内心では思っていたからだろう。


「告白、か。告白ってどうすればいいんだ?」


 小学生のような純粋な目でレンは僕にそう問いかける。流石にそこまでなんでも僕に聞くなよ、と正直思った。的確な助言はすぐには思いつかなかったが、告白のやり方に正解と言えるような確実な方法なんてないことは、恋愛経験の少ない僕でもなんとなく分かった。


「当たって砕けろ、なんじゃない?よく分かんないけど……」


 頭の中を雑巾のように絞り出した結果、それっぽい言葉が頭に浮かんだ僕は、それをそのままレンに伝えた。人生において、やってみないと分からないことは多いし、やらないと後で後悔するだけ、という考えは、なんだかんだ十数年生きてきた僕の中では真理に近いものだった。


「おお、当たって砕けろ、か。いい言葉だな。ありがとうミクジ、何とかなりそうな気がする。」


 何とかなりそうってなんだよと思ったが、この手の恋愛の話が苦手な僕は深く突っ込むのをやめた。僕が適当に思いついた言葉は、レンの心に何故か深く刺さったようだった。僕はレンに恋愛のアドバイスができて、ちょっと得意げな気分になっていたことを、今、ようやく思い出したのだった。そして僕が『当たって砕けろ』とレンにアドバイスをした約一週間後に、レンはツグミさんに告白をすることになり、殺されてしまったのだった。


――たった数分間の会話を思い出しただけなのに、脳がオーバーヒートしてしまったかのように熱くなり、ひどくズキズキと痛む。だが、その頭の痛みよりもひどい痛みがナイフのように胸の中を、心を深く刺していた。痛みに耐えかねた僕は、この記憶は、思い出さないほうが良かったのかもしれない、とすら思ってしまった。最低だ。あの時、「当たって砕けろ」なんて言葉を僕がレンに言わなかったら、レンは今も僕の隣にいて、今日も一緒に魔法学校から帰っていたのかもしれない。当たって砕けろという言葉が、まさかこういう形で現実になるとは思ってもいなかった。思いたくもなかった。


『ちゃんと思い出したか?俺を殺したのは、ツグミさんじゃなくて、ミクジ、お前の方だ』


 頭の中でレンがそう僕に話しかけてくる。いつもの優しいレンの声じゃない。だが、確かにレンの声だ。いくら耳をふさいでもレンの声が鼓膜の裏側まで聞こえてくる。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、僕はそう口を動かし続けるが、いくら声を出そうとしても僕の声が聞こえてくることはない。レンが殺されてしまったあの日以降、ふとレンのことを思い出すと、僕の感情は悲しさよりも怒りよりも、罪悪感を感じることの方が多かった。だが、僕はそのことに気づいていないふりをしていた。その罪悪感を、うまく言葉にして頭の中で解釈することができなかった。ずっと感じていた不快な罪悪感の正体は、間接的だとはいえ、僕が言葉によってレンを殺してしまった殺人犯だったからだ。


 鼻歌に飽きた僕は、帰り道を一人で黙々と歩きながら、そんなことをずっとグルグルと頭の中で考えていた。というよりは、考えるのをやめようと思っても、自然と思考が頭の中にうじ虫のように湧いてくるのだったた。いくら謝っても、レンが許してくれることは無かった。俺を殺したのはお前だ、俺を殺したのはお前だ、俺を殺したのはお前だ。レンの声が鳴りやまない。いつのまにか僕の意識は朦朧としており、真っすぐな灰色の道路をフラフラと力なく歩いていた。


「おい!そこの兄ちゃん!ちゃんと前を見て歩けよ!危ないだろ!!」


 車に乗ったおじさんに、大声と共にクラクションを鳴らされ、ふと我に返る。僕は白線を大きくはみ出して歩いており、危うく轢かれそうになっていた。


(……いけない、まだこんなところで僕は死んじゃいけない。僕はレンとちゃんと向き合わなくちゃいけない)


 僕は、心を落ち着かせながら、レンとの会話を再び思い出す。変にネガティブなことは考えず、事実だけを冷静に受け止めよう。あの日僕がレンに言った『当たって砕けろ』、という最低な恋愛アドバイス。今思い返すと、知識も経験もない子供がなんでそんなクソみたいなアドバイスをしてしまったんだろうと後悔してもしきれない。でも、レンは僕を、その言葉を信頼してくれた。


(……僕を信じてくれたレンを、僕は死んでも助けないといけない)


 レンを救うことができる方法があるなら、僕が死んでも、誰かを騙してでも、その命を取り戻したい。そうしないと、僕はこの罪悪感を死ぬまで抱き続けないといけない。それはあまりにも重く、しんどすぎる。でも、レンの命を救いたいのは、罪悪感のせいだけじゃない。どうかもう一度、この耳でいつものレンの明るい声が聞きたい。もう一度隣でくだらない話をしながら、笑ってほしい。


(……でも、こんな間違ったアドバイスを平気でしてしまうほど恋愛経験のない僕が、ツグミさんに告白されることなんて現実的に可能なのだろうか)


 僕は本当にレンを救うことができるのだろうか。僕は僕自身を素直に信じることができなかった。道端に落ちていた小さな石に僕は躓きそうになったが、僕の身体は無意識にバランスを保って歩き続けることができた。小石は坂を転がり、重力に引っ張られ低い方へと落ちていく。


(もし僕がツグミさんに告白されることができたとしても、それでレンが生き返ったとしても、生き返ってそれを知ったレンはどういう気持ちになるんだろう)


 レンを生き返させることは、本当にレンの望んでいることなのだろうか。レンの気持ちは僕には分からないし、本人に聞くことも当然できない。


『ミクジ君、君はツグミさんから、愛の告白を受けなさい。それがレン君を生き返らせるヒントであり、もう答えみたいなものよ。』


 メイ先生が教えてくれたことは、レンを救うための本当の答えではなく、ただのヒントでしかなかったんだな、と思った。僕はこれから、本当の答えを自分自身で見つけないといけない。分からないことも、後悔したことも、数えきれないほどあるが、それでも僕は前を向いて進むしかなかった。


「ごめんね、レン。僕は死んでも君を救い出すから、どうか少しの間待っていて欲しい」


 僕はレンの命を救い出す救世主になってやると誓った。例え僕がレンを殺した殺人犯だったとしても、僕自身でそれを上書きしてやる、そう決めた。


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