魔法少女くん ~ブランニューマイ(がーるず)ライフ~

沼米 さくら

第1話 ビー・チェイスド


 三毛猫が走っていた。金と緑のオッドアイの三毛猫が。

 犬の頭が付いた人間――犬人間に追われ、走っていた。

「鈴を返せェェェ!!」

 サングラスをかけたチワワ頭の筋肉犬人間が叫ぶ。怒りに顔を歪ませながら。

[――お前らのものになった経歴はないがな]

 猫の首に巻かれた首輪、否、チョーカーについた鈴がちりんと告げたその言葉。三毛猫はふっと息を吐いた。

「そうそう。勝手に決めないでほしいにゃ、ヘンタイおじさん!」

 冷や汗を垂らしながら告げる猫。そのまま進行方向に跳躍。

 次の瞬間、猫は変貌する。九歳程度の、少女の姿に。

 ダボっとしたパーカーをワンピースのように着こなした猫の少女は、猫耳を一瞬倒し、短い尻尾を揺らし、金と緑の瞳で相手を睨み、スニーカーをアスファルトにこすりつけながら、犬人間に「ベーッ」と舌を出す。

「ぐぬ……ペッ。余裕ぶっこいてんじゃねぇこのメスガキがァ!」

 対する犬人間は唾を吐き、少女を睨みつけ――拳銃を取り出し――銃声。

「――ッ」

 猫は大声に弱い。人間よりも圧倒的に鋭い聴覚は、時に弱点にもなりうる。

 いま一度倒れた猫耳。歪む少女の顔。しかし、弾は。

[当たらないんだな、それが]

 ちりん。鈴が小さく鳴る。

 背後の壁にあたった弾。チワワは目を見開いて。

 瞬間、小さく鋭い拳が、大きな体とはアンバランスなちいさな顔面に突き刺さる。

「っ、やりやがったなァ」

「油断したおじさんが悪いんだよっ」

「クソ、メスガキめ」

 殴られた鼻先を撫でながら、チワワの犬人間は猫の少女を睨みつけた。

 トスっと着地の音が聞こえたのも一瞬。犬人間は見失う。捉えたはずの少女の姿を。

 辺りを見回してもいない。いたのは一匹の猫だけ――それが少女だと認識するのに一瞬の遅れが生じた。

 猫は逃げる。どこでもなく、ただ首につけた「魔法の鈴」を守るため。

 犬人間は笑った。あたかも「まだ余裕がある」と言わんばかりに。


「ふ、追っているのが俺だけだと思ったか、メスガキ!」


 瞬間。

 猫は目を見開く。

 トラックだ。目の前に巨大な、それこそ何トンも積めそうな巨大なトラックが迫っていた。

 ここは歩道。そのはずだった。車なんて走れないはずの歩道。

 なんで、そこにトラックが――車道から逸れて、突っ込んできているのだと気付いたのは、それも一瞬遅れてのことだった。

 背後では犬人間が拳銃を構えていた。脇道は――ない。壁だ。横は車どおりが少ないとはいえ車道。逃げようとしても――もう間に合わない。

 猫は自分の運命を悟った。

 瞬間、声を聴くまでは。


「危ないっっ!!」


 どんと轟音が鳴った。

 ――肉の潰れる音がした。


 ちりん、と小さく、鈴が鳴った。


    *


「――っ」

 はっと顔をあげた。

 ひゅっと詰まるような呼吸。ぜえ、はあ、と息を整える。

 見渡すと座っている学生たち。僕――吉水よしみず ゆうもその一員であることをすぐに思い出す。

 前方には黒板。女性教師は教科書の一節、問題の数式を黒板に写していた。

「おはよう」

 右隣の席の黒髪の女子生徒が、跳び起きた僕を見て少し笑っていた。

 僕は目を逸らす。……この笑いの意味を考えると、とても目を合わせてなんていられない。

 どうせにやにやと嫌な笑いを浮かべてるのだろうな。小学生の頃、僕を女みたいだと笑ったクラスメイトみたいに。

 顔なんて変えようのないものを嘲笑うなんて卑怯だと当時は思ったが、それよりかはまだ変えようのある性格や髪形までも可能な限り男に寄せていても中性的が関の山な僕がおかしいのだと後になって悟った。

 周りの男子が第二次性徴を迎える中で唯一、高二のいまになっても成長から取り残され続けている。

 おそらく一生変わることのない少年のようなソプラノボイスと小柄な体躯、そして青年どころか少女と間違えられるような顔面。

 そりゃ笑われるよな。男なのに、男らしさの欠片もないんだもの。

 僕はため息を吐いた。


 それにしても、嫌な夢を見た。

 犬人間としか形容できないナマモノに追われる猫……の女の子。最後の――たぶん最期のシーンでもあったのであろうその一瞬には、僕の声が聞こえた。

 やけにリアルで、妙に現実味を帯びた、しかしあまりにも現実感のない変な夢。

 嫌な胸騒ぎがして――それを落ち着かせるために軽く深呼吸をすると、不意に「ころん」という音。

 小さな音につられて下を見てみると、音の発生源はすぐに分かった。

 足元に転がってきた消しゴムだ。

 誰かが消しゴムを落としてきたのだ。

 ……ふと右隣――さっきの黒髪の女子生徒の机をちらりと見る。

 消しゴムがない。……たぶん落としたのは彼女だろう、とすぐに見当がつく。

 僕は深呼吸して思考した。

 消しゴム、拾うべきか拾わないべきか。

 これを拾うことで、彼女はどう反応するだろう。果たして素直に喜ぶだろうか。

 たとえばこれが見知らぬ誰かのものであれば嫌われてもいいので拾って届けてやればいい。けれど、よりにもよって彼女なのだ。

 眉目秀麗才色兼備、文武両道でかつ性格も最高という男の夢、氷見ひみ あやめさんなのだ。

 氷見さんに頼まれたとあれば無条件で動く男子は多いだろう。かくいう僕もその一員だと思う。頼まれごとなんて一度もされたことないのでわからないけど。

 果たしてそんな彼女が、果てしなく陰気でしかもイケメンでもない――むしろ下手な女顔で、彼女とつりあいそうなイケメンとは百八十度程ずれている僕に、消しゴムを拾われて喜ぶだろうか。

 ……喜ばないよなぁ……。

 そんな風に考えているうちに。

「ほら、消しゴム落ちていたぞ」

「あ、ありがとうございます……」

 見回りに来た女性教師に消しゴムを拾われたのだった。


 きんこんかんこん、チャイムが鳴った。

 授業終わりの挨拶。にわかに教室内はざわめきだした。

 僕は息を吐いた。バッグから弁当を取り出そうとして――。

「あやめ、一緒に飯食おうぜー」

 ……クラスメイトの、不良めいた女子に押し出される。

 どうやら、氷見さんとお弁当を食べるために、ちょうど隣の僕の席を使うらしい。

 クラス替え直後だがあやふやに出来上がっているクラス内カーストを見るに、彼女らはおそらく最上位軍。九割九分最下位の僕が敵うはずもない。

「あー……なに睨んでんだ?」

 ただ様子を一瞥しただけの僕。「こら、そんなこと言わないの」と不良女子の言動をたしなめる氷見さん。

 やっぱり彼女は優しすぎると少し頬を染めたのはともかく。

 僕はため息を吐いて、バッグごと教室から引き上げることにする。

 ごめんなさい、とわずかな嘆息をして。

「なんかあるなら言えばいいのに。へんなの」

 さっきの女子の言葉が喉元に突き刺さった。

 ――できるわけないだろ。僕なんかが意見を言う権利、あるわけない。

 向かう先は男子トイレ。その個室の中。

 バッグを床に置いて、さっき取り出しかけた弁当を取り出し、膝の上に置いた。

「いただきます」

 これが僕の日常だった。

 ……叶うことなら、氷見さんと一緒に弁当を食べたい。中庭で、二人きりで。

 まあ、叶うはずがないから、こうして一人で便器に座って冷めた弁当を食べているのだけれども。


    *


 きんこんかんこん、とチャイムの音。

 帰りのホームルームが終わり、挨拶を適当に済まし、僕はバッグを持ち上げた。

 そのまま廊下を俯いて早歩き。向かう先は昇降口。

 校舎を出る僕を気に留める者は誰もいない。やや走り気味で校門に向かう僕を、誰も一瞥もしない。

 ――それでいい。僕は空気だ。

 こつこつとスニーカーがコンクリートの地面をたたく。

 学校に一つしかない校門はがやがやと騒がしく、大勢の生徒が友達を待っていたり肩を並べて駄弁ったりしている。いつものこと。

 その中を僕はかいくぐり――ため息を一つだけついて――アスファルトへと出た。

 別に寂しくなんてない。孤独にはもう慣れっこだ。

 十六年半も生きてきたうちの約半分近くにはなるだろうか。その程度、ずっとこうして一人で校門をくぐってきたのだ。

 背負うかばんや場所は二度も変わって背丈もずいぶん大きくなった。だけども孤独なのはずっと変わりはしなかった。

 それだけずっと一人きりなんだから今更――。

 今更、と言い訳しようとして、しかしそこで息が詰まった。

 ……今更、一人きりじゃなくなろうだなんて、もう遅い。

 悟りを開こうとしたところで、やはり青春を孤独のまま過ごしてまともでいれるわけがない。僕はそこまでのメンタル強者ではない。

 けれども、諦めざるを得ない事も知っていた。

 僕に、そんな勇気はないから。

 誰かに話しかけようとすれば避けられ、話しかけられたと思えばからかわれ。そういった暮らしをだいたい四、五年も過ごせば、誰だって人と面と向かって話すことを拒否しだすだろう。

 学習性無気力に囚われて「どうせ誰ともまともに話せるわけがない」と人間関係についての一切合切を放棄しようとするのだ。

 当然、幼児の頃にはまだ控えめながらも多少はなくもなかった「他人とコミュニケーションをとろうとする意志」などとっくの昔に擦り切れてしまっていた。

 そんな軟弱な敗北人間が、今更人間と関わりあおうだなんて虫が良すぎる。以前に不可能に決まっている。そういうことだ。

 結末のついた誰に語るでもない脳内独り言にけりをつけ、拗らせた思考をほどくようにふうっと息を吐いた。

 これからどうしようか。

 帰ったところでなにをするわけでもない。かといって出掛けるあてもない。宿題は学校で終わらせた。

「暇だ」

 意味もなく口にだした。当然、道行く誰もこんな嘆息を聞くわけがない。

 妙なセンチメンタリズムに犯されそうになって、僕はふるふると首を横に振った。


 そのときだった。


 ちりん、と鈴の音がした。


 ――夢で聞いた音だ。僕は悟る。でも、どこから。

「待てェ――――ッ!」

 男の叫び声。

 辺りを見回す。誰もいない。否、それは後方。


 三毛猫が走っていた。

 犬の首がついた人間――犬人間に追われ、走っていた。

「鈴を返せェェェェ!!」


 僕は慌てて避ける。

 三毛猫はするりと僕をかわし、サングラスをかけたチワワ顔の筋肉犬人間は「どけ!」と僕を押し退ける。地面にたまった、遅咲きの桜の花びらが舞う。

 学校近くの人通りの少ない道。他に人間はいない。

 夢で見たのと全く同じだ。

 気付いたら、僕は見入って、追いかけていた。

「そうそう。勝手に決めないでほしいにゃ、ヘンタイおじさん!」

 三毛猫は少女に化け、犬人間にあっかんべーと舌を剥き。

「ぐぬ……ペッ。余裕ぶっこいてんじゃねぇこのメスガキがァ!」

 拳銃を撃つ犬人間。しかし当たることはない。

 ――このまま夢で見たのと同じなら。

 遥か前方、トラックが高速で走ってくるのが見える。

 犬人間を撹乱する猫の少女。トラックには気付いていない様子で。

 どうする。助けるべきか助けないべきか。

 ……もし関わりあいになって面倒事に巻き込まれたらどうする。

 自分ではどうしようもないような、途方もない出来事に巻き込まれてしまったらどうするんだ。

 僕ではどうしようもないことなんていくらでもある。そのくらいわかるだろう。

 見殺しにしたほうが楽だよな。逃げちまえよ。

 僕は笑う。そうだよな。そりゃそうだよな。

「ふ、追っているのが俺だけだと思ったか、メスガキ!」

 迫るトラック。衝突まで秒読み。

 気付けば僕は駆け出していた。

 何故か。


 助けなければ、後悔する。そう思ったからだ。


「危ないっっ!!」


 以上の思考、およそ一秒にも満たない半ば反射的な判断の末に。

 叫んで、僕はトラックの前に躍り出た。

 煌めく高めの夕日。目を見開く猫。驚愕する犬人間。

 トラックの運転席に座っていた男――黒柴の犬人間は、慌ててハンドルを切ろうとするが、間に合うことはなかった。

 僕は悟った。そうか、夢の中で潰れた肉の音は……。

 そこまで思考が及ぶ前に、僕は激しい痛覚に断末魔を上げ――。


 ――走馬灯が見えた、気がした。


 ろくな記憶がない。嫌なことばかりの人生だった。

 理不尽なことでいじめられ、けなされ、挙げ句の果てに自分から殻に閉じ籠って。

 ずっと、一人きり。思い出なんかありゃしない。


 一度くらい、友達と一緒に遊んでみたりしたかったなぁ。


 誰かと一緒に弁当を食べてさ。他愛もない話をして、笑いあって。

 そんな青春を、少しでもいいから送ってみたかった。

 許されやしない。知ってる。わかってる。

 もう叶うことのないはずの願い。今にも壊れていく身体。崩れていく体組織。

 絶望する。絶望する絶望する絶望する。

 そして、今一度願うのだ。


 もっと、生きてたかった。


[わかったぜ。その願い、叶えよう]


 意識が途切れる寸前。

 ちりん、と小さく、鈴が鳴った。

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