8

 ジョンは雪を掻き分けながら、音のする方へぐんぐん進んだ。

 

 幾重にも降り積もった雪があたりの音をくまなく吸収し、音は微かにしか聞こえない。ジョンは同じ場所を何度もうろうろし、こちらからではあるまいか、あちらではあるまいかと彷徨った。

 

 きっと心細いに違いない――。

 

 ジョンは数日前の自分を思い出されて、きっぱり手を引くことが出来なかった。一心不乱に雪を除け、隙間のあるところ――路肩に停められた車の下や、側溝の下――を片端から確認して回った。きんきんに冷えた空気で手があかぎれ、ささくれから血が滲み、刺すような痛みが滲んでもなお、ジョンは雪の中をぐるぐると忙しなく動き回った。

 

「あ……。」

 

 思わずジョンは大きく素っ頓狂な声を上げた。声の主は思わぬところにいたのだ。声の主は子猫であった。骨の浮き出るほどにがりがりに痩せ細り、木の根の隙間に挟まって助けを求めていた。小さな黒い体をぶるぶる震わせて、必死に声を上げていた。きっと母猫とはぐれたに違いない。若しかすれば、親兄弟と死別して独りぼっちになってしまったのやもしれない。あるいは子猫をいじめる犬やカラスが居て、帰る場所がないのかもしれない。

 

 ジョンは同じような境遇かもしれぬ子猫を哀れに思った。機械仕掛けのネズミが嫌がるかもしれぬが、必死に頼れる誰かを呼ぶ小さな命を雪の中に放ってはおけない。ジョンは子猫を抱え、機械ネズミの古物店へ戻った。

 

「イーサン。牧師さま。この子を助けてあげて。」

 

 ジョンは悲痛な声で訴えた。機械ネズミはトムとジェリーのように猫を怖がりはせず、すんすんと鼻を動かし、子猫のそばへ寄った。その手には一枚の毛布が握られていた。此のネズミの女こどもへの奉仕精神は、弱肉強食の垣根を超えているらしい。なんと素晴らしいことか!

 

 するとリアムが子猫を抱き上げて言った。

「ジョン。お前さんは何と優しい子なのだ!弱きものたちを慈しむ美しい心根の子だ。」

 

「その子猫は助かるの?」

 

「勿論だとも。知り合いに獣医がおる。連れて行ってやろう。」

 

「本当に?」

 

「弱っている子猫を放っておくなど誰がしようか。電話を借りるぞ、イーサン。さあ、この子はジョンが暖めてやるんだ。」

 

 機械ネズミが引き摺ってきた毛布を差し出したので、ジョンはそれを受け取り、子猫を包んだ。みゃあみゃあと力強く鳴く子猫は毛布を吸い、そしてごろごろと喉を鳴らした。


 なんと可愛らしいことか!自分が救った小さな命が途絶えることなく、其の存在を主張する様のなんといじらしいこと。ジョンは子猫を愛おしく思い、頬ずりをした。

 

「……君は。」機械ネズミは静かに言った。「この子猫の存在を確かにしてあげたのだよ。」

 

 機械ネズミは続ける。

 

「この店にあるものたちの多くは、誰の記憶にも留まることなく一生を終えるのだよ。そしてきっとこの子猫もそうなる運命だったはずなのさ。」

 

 先程まで機械ネズミと話し込んでいた客が言った。

 

「その子猫はきっとずっと君の胸の内に住み続けるのだろうな。そして君の母親も。君は誰かを記憶し永遠に生かすことのできる――そしてきっと君も出逢った誰かに覚えてもらえる――そんな優しい子なのだな、君は。」


「君はきっと、迷える人々を心に留め、そして迷える人々に頼られるような、そんな善き導き手になれるはずだ。」

 

 電話をし終えたらしい。リアムが穏やかな声で言った。そしてリアムは更に付け加えた。


「私はそんなお前さんに是非、来てほしいものだ。どうだね。私とともに聖書を――ひとの心を導く術を学ばないかね。」

 

 僅かに目頭が熱くなるのをジョンは感じ取った。子猫は柔らかく――そして温かかった。ジョンは静かに、かぶりを縦に振った。


 そうして、ジョンは子猫とともに、牧師のリアムに引き取られて行った。冬の終わりの、最後に雪の積もった日であった。

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