14.梨香さんに、謝れ


 予算調整が間に合わないことを耳にした瞬間、女子部員たちは凄まじい剣幕で梨香さんに詰め寄った。


「じゃあ、足りない金額は私たちに自腹をきれってこと?」

「新しい機材(アンプ)がなけりゃ演奏できないでしょう! これは必要経費よ!」

「っていうか、私たち朝一でアンタの教室に行ったんだけど? なんでサボってたわけ?」


 体調が優れず午前中は休んでいたことを伝えるも効果がなく、次第にクレームは彼女自身を責めるような言葉に変わっていた。

 嵐のように押し寄せる心ない暴言に梨香さんは小動物のように震えている。


「待って下さい」と、僕が立ちはだかると邪魔者のように睨まれたが、これ以上好き勝手に言わせるのは我慢ならなかった。


「こちらとしては予算に問題があれば連絡するよう泉部長にもお伝えしたのですが?」

「だから、それを言おうとしたらコイツが学校をサボっていたんだって!」

「皆さん、生徒会役員の連絡網をご存知ですよね? 予算会議の件もそちらに連絡させていただいてきましたし。直接会えなくても、金曜にそちらから連絡できたはずではないですか?」

「は? なんだよ! また俺たちが悪いっていうのか?」


 桑原が吠えた。


「そもそもお前らから確認の連絡をよこせよ、こっちはもう買っちまったんだぞ!」


 しわくちゃになった領収書を見せつけられ、とっさに購入日が日曜であることを確認する。


「催促すべきでしたが、連絡済みの予算を確認せずに高額な機材を購入されたそちらにも非はあるはずでしょう?」

「おい、まさか払わないつもりか!」

「検討はしますが、対応できるかはわかりません」


 ここでその場しのぎの嘘をついてもしかたない。

 相手が強豪の部であろうと無い袖はふれないと示さなければ理不尽な要求はつづくだろう。

 それに、これは会計(ぼく)が責任をもって対処すべきことだ。


「お前、雑用のくせに偉そうなこと言ってんじゃねぇぞ!」


 胸ぐらを掴まれるも僕は動じることなく、むしろ怒りを抑えられずに睨み返してしまった。


「根岸くん……! お願いです、乱暴なことは止めて下さい!」

「そうです、私たちが理事長にお願いしに行きますから!」


 一触即発の状況のなか、梨香さんたちが仲裁にはいると、桑原が目を細めた。


「そうそう、最初から素直に従えばいいんだ。土下座でもしてエロ理事長に出資してもらえよ」

「痛っ!」


 その瞬間、僕は目を疑った。

 桑原が領収書を丸めて彼女に投げつけたのだ。


「会長っ!」と、泣き崩れる梨香さんを美音が抱きしめている。その様子に「大袈裟なやつ」と桑原と女子部員どもが嗤っていた。


「お前っ!」


 僕は桑原に掴みかかっていた。憎悪のこもった目で睨みつけ「梨香さんに謝れ!」と、自分でも信じられないほどの怒声がでた。

 桑原は一瞬怯んだが、女子たちの嘲笑を聞いて嗜虐的な顔に戻った。


「ねぇ、今の聞いた?」

「梨香さんだって?」

「もしかしてこんなのと付き合っているの?」

「おいおい、無理して格好つけなくていいんだぜ、見ているこっちが恥ずかしく――」

「――さっさと謝ってくれ、でないと今後一切、君たちに予算も部費も出さないぞ!」

「お、お前、何様だよ!」

「会計は僕です、理事長に申請して部費を減らすことだってできるんですよ!」

 

 僕の一言で女子部員たちが顔色を変えた。


「げっ、小遣いを減らされるの?」

「いや、職権乱用だし」

「でもアイツ、目がマジだよ?」

「う、うるせえな! 俺たちの道具は高いんだよ! それともお前らのバイト代や小遣いで買ってくれるのか?」


 その言葉に、僕は失笑してしまう。自分の玩具を買うお金ぐらい、自分で‘増やして’用意できないのかと。


「なにが可笑しいんだ、調子にのるんじゃねぇぞ!」


 激昂した桑原が僕を突き飛ばした。

 殴られる覚悟はあったけど、想定外のことになった。

 背後の梨香さんたちを避けようと身体を捻った拍子に足が縺れ、バランスを崩した僕の眼前に窓が迫っていたのだ。思わず顔を守ろうと腕を上げた瞬間、両手がガラスを突き破って飛び出し、それと同時に燃えるような傷みが手首に走った。


「根岸くんっ!」


 ガラスの割れる音に混じって梨香さんの悲鳴が響き、室内はパニックに陥った。


「ちょっと桑原、やり過ぎでしょ!」

「知らねぇ、アイツが変な動きするからだ!」

「ねぇ、行こうよ、私ら関係ないし!」

「いや、逃げたらよけいマズいわ! もうすぐ智子が来るから待ちましょう!」

「あぁんもう、なんでこんなことになるのよ!」


 よかった。外は体育館の屋根だから人がいない。怪我人がでることはないだろう。

 それにしても痛いな、ちくしょう。血が止まらないよ。


「根岸くん、大丈夫……?」


 梨香さんが駆け寄って怪我を見た瞬間、『あ』とも『お』ともつかない声とともに頭をふらつかせ、その場にぱたりと倒れてしまった。


「か、会長、しっかりして下さい!」

「梨香さん!」


 僕は窓から腕を引っこ抜いて彼女を抱き起こす。意識を失っていた。


「ど、どうしよう少尉?」

「保健室へ運ぼう、支えていてくれ!」


 美音の力をかりて梨香さんを背負うと、僕は生徒会室を飛び出した。

 廊下に出るなり副会長と鈴音、そしてラジオ局の人たちとすれ違うことになった。


「Hey、どうした、なにがあった!」

「根岸先輩、どうしたんですか!」

「梨香さんが倒れたんです、保健室へ連れて行きます!」

「Crazy、お前の方が重傷じゃないのか、止血しろ止血っ!」

「大丈夫、血が出てるだけですから!」

「そんな人間がいるわけないだろ!」


 僕は保健室に飛び込み、先生に事情を説明する。

 梨香さんを病床に寝かせて鈴音に付き添わせると、僕は止血を適当に済ませて生徒会室に駆け戻った。

 そこでは副会長と騒ぎを聞き付けた先生たちが軽音部に詰問していたところで、そのなかには教頭や理事長もいた。

 美音の証言のおかげで発端は軽音部にあるということでまとまり、部員たちは生徒指導から厳重な注意をうけ、桑原については三日間の自宅謹慎となったのだ。


 しかし、部長の泉は引き下がらなかった。

 遅れてやって来た彼女は、先生たちが去るのを見計らって領収書を出したのだ。


「迷惑はかけたけど、それと予算は別問題でしょう?」


 どうやら他にも購入した機材があったらしく、桑原のものと合わせると本来用意しておいた予算でも足りない金額となった。


「こんな金額無理ですよ!」

「そう。それなら毎日会長さんのところに行ってお願いしようかしら?」

「え? なんでそんなことを?」

「Hey、会長に嫌がらせをするつもり?」

「勘違いしないで下さい。あくまでお願いしているだけですから。建学祭の予算は無理でも、高校総体や文化祭の分で帳尻を合わせてくれてもいいので」


 泉は他人事のように言うと、皮肉めいた笑みを浮かべて立ち去った。


「Fuck、あのガキ、調子にのりやがって!」

「あんなやつらの為に捻出する必要なんてありませんよ!」

「そうですね。理事長からの期日は過ぎていますし、検討したことにして本来の予算を伝えるしかなさそうです。でも、それだと梨香さんが危険な目にあうかもしれません……」

「お前、なぜ怒らない? そんな怪我をさせられたんだぞ?」


 副会長がガーゼの巻かれた僕の腕を見つめる。幸い傷は浅かったが、もし動脈を切っていたらお陀仏だっただろう。


「副会長、少尉は悪くありません! アイツらから私たちを守ろうとしたんですよ!」

「立派な働きぶりだな。だが、行事の前になると理不尽なクレームもくるものだ。お前のように大事にしていたら身がもたないが、かといってお前がいなければ梨香の心が折れていただろう。難しいところだな」

「すみません、今後は相手を刺激しないよう気をつけます」

「Good。素直に従えてよろしい。だが、今日はもう遅い。作戦会議は今度にしよう」


 部屋の掃除をおえて僕らは下校する。

 保健室にいる鈴音たちを迎えに行くと、室内からは梨香さんの啜り泣く声が聞こえた。

 彼女はご家族が車で迎えに来るとのことだった。


「そういえばラジオ局の人は?」

「引き取っていただきました。収録日をあらためて連絡してくれるみたいですよ」


 微笑む鈴音だが、その顔には元気がない。

 そもそも放送に間に合わないから予定日を繰り上げたのだ。おそらく番組の内容は変更となり、今回の出演は見送りになるだろう。


「ごめんね、せっかく準備してくれたのに……」

「根岸先輩のせいじゃありませんよ。そもそも急いで作ったから原稿も荒削りだったし、それに球技大会とか文化祭とか、次のイベントで出演のオファーがきますよ」


 鈴音の言葉に僕らは勇気づけられる。

 後輩が涙を耐えているんだから、僕だってもっと頑張らなくてはならない。

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