06.『「会長」って、呼ばないで』


 副会長と立花姉妹とは途中で分れ、僕は会長とともに家路につく。

 登下校の時間が合わなかったので知らなかったが、僕らの家は同じ方向だったようだ。

 並んで歩きながら、僕は会長とカルルピについて語り合っていた。


「根岸くんも妹さんと一緒にカルルピを見ているの?」

「はい。エンディングのダンスも覚えさせられましたよ」

「嘘っ? 踊ってみせてよ」と、意地悪な笑みを浮かべてきたので、冒頭の振り付けを披露すると彼女は一瞬で破顔し、苦しそうにお腹を抱えた。


 もちろん二人きりだったからできたのであって大勢の前で披露する度胸はない。


「やめてよ、窒息するかと思ったわ!」

「会長が命令したんじゃないですか! っていうか、会長だって踊れるでしょ?」

「当たり前よ、前作のだって踊れるわ!」


 毎年一月から新作が始まり、翌年にも似た系統の作品が同じ時間に放送される。女児アニメに限らず、日曜の子ども向け番組とはそういうものだ。

 彼女は物心ついた頃から気高いヒロインたちに憧れるようになり、小学校では学級委員を、中学から生徒会役員を務めて今に至るのだという。


「カルルピ以前の作品は知らないですね。凛がまだ興味を持っていなかったから」

「ふっ、まだまだね。私は初期作からのタイトルとストーリーも順番に言えるわよ?」


 えへんと、どや顔をする会長。この人、威張り顔もするんだな。


「歴代の作品を見ている会長でも、カルルピへの愛はトップクラスなんですね」

「もちろん、あれは傑作だもん!」


 会長がカルルピの、とくに主役であるパールへの愛を語る。どんなに辛いことがあっても、一生懸命な彼女を見ていると力が漲るのだという。

 笑顔を咲かせる会長に、僕も自然と微笑んでしまう。

 なんだが、こっちの笑顔のほうが素敵だな。

 生徒会長時に浮かべる笑みも綺麗だが、心の底から嬉しそうな顔をする今のほうが本当の彼女らしくて美しいと、僕は気付いたのだった。


「あ、ごめんね。私だけ喋ってばかりで。学校だと話せる人がいないから、つい楽しくて」

「いいんです。僕も会長が喜んでくれて嬉しいです」

「え? そう? 普通ならドン引きするのに、優しいんだね。それに根岸くんって言いふらしたりしなさそうだから、なんだか安心しちゃうな……」


 会長が頬を染め、僕はドキッとする。もしかすると僕は彼女にとって趣味(ひみつ)を話せる唯一の存在なのかもしれない。これが佐野の言う、特別な関係なのだろうか?

 やがて、中層住宅の一角に洋風なお洒落な家が見えてくる。それが会長の家だった。


「さ、上がって」と、会長が玄関を開けた。


「あれ、友だち? あまり遅くならないうちに帰してあげなよ」


 スリッパに履き替えると、廊下の仕切り戸から一人の女性が現れた。お姉さんのようだ。


「わかっているもん。リビングは占領中?」

「当然でしょ」

「それじゃ、部屋に行くしかないか」


 階段を上る途中、階下から話し声が聞こえてくる。どうやら妹さんもいるらしい。


「梨香が男を連れて帰ってきたよ」

「え、お姉ちゃんに新しい彼氏ができたの?」

「彼氏かどうかはわかんないけど」

「どんな人だった?」

「後衛職みたいな男だった」


 僕は階段を踏み外しそうになる。後衛職って幅広いですけどどの職業(ジョブ)なんでしょう? まぁ、たしかに剣士や武道家にはなれない体格ですけど。


「あ、ちょっと待ってね。散らかってないか気になって……」


 会長が扉を少しだけ開いて部屋を覗いている。よく考えれば異性の、それも同級生の部屋に入ることなど初めてだ。いったいどんな部屋なんだろう?


「大丈夫、入って」

「失礼します」と、足を踏み入れる。


 会長の部屋は、とても整然としていた。

 カルルピのグッズが山積みになっているのかと思いきや、ベッドと机、本棚やパソコンなど、置かれているものは僕の部屋と同じものばかりだ。

 でも、どの家具も暖かみのある配色で、鼻腔をくすぐるような不思議な香りが漂っていた。

 カーペットの上に腰を下ろすと、会長が部屋の隅にあった収納ボックスを運んできた。


「ジャ~~ン! こちらが私のコレクションよ、写真を撮るときはフラッシュ厳禁だからね!」


 そこには緩衝材に包まれたグッズが大量に入っていた。


「あ、このアイテムはレトルトカレーの景品ですよね?」

「え、どうして知っているの?」


 僕はカルルピのキーホルダーを指差した。

 商品のレシートを撮影した人に抽選で当たる景品で、凛が欲しがったので三十回ほど応募し、その間の僕は毎日三食カレーだった。

 他にも会長のグッズはレアな景品ばかりだった。


「これはふりかけの抽選品で、これは展覧会の先着入場特典ですね」

「まさか、全部持ってるの? まさか、私のとっておきを制覇しているなんて……」

「会長もここまで集められるなんてすごいですよ。我が家は凛の為に総力戦ですけど、会長はお一人で全部集めたんでしょう?」

「ううん。お姉ちゃんたちにも手伝ってもらってる」

「そういえばお姉さん、カルルピのスナック菓子を持っていたような……」

「フッフッフッ。驚いたわ。様子見をしたのは失礼だったようね――」

「え? いきなり芝居じみた台詞を口にしてどうしたんです?」

「――もう遊びはおわりよ! 根岸くんには、私の本気をみせてあげるわ!」


 第二形態に変身するラスボスみたいな言葉とともに、クローゼットには更に希少なグッズを隠してあることを打ち明けられた。

 会長が戸を開けようとして、はっと僕へ振り返った。


「根岸くん、あっち見てて」

「え?」

「恥ずかしいから……!」

「あ、すみません!」


 僕は赤面するラスボスから顔をそらした。

 そこにはグッズだけでなく、制服や私服、肌着もあるはずだ。

 決して盗み見たりはしないけど、服を移動させているのか、柔らかい衣擦れの音が聞こえ卑猥な光景を想像してしまう。


「あれ、ここにしまったはずなのに見つからないわ。あれれ、おかしいぞ~~」


 見た目は子どもの高校生探偵みたいな台詞が気になって、つい肩越しに覗いてしまう。

 薄暗いクローゼットの中でごそごそと作業する姿は全身を墨汁で塗られたように真っ黒で、なんだか犯行直前の凶悪犯みたいだった。


「あ、あったわ! これよこれ! これなら凛ちゃんでも驚くはずよ!」


 闇のなかで目を菱形にして笑みを浮かべる会長。それは荷物から凶器を取り出してほくそ笑む犯人そのものだ。

 アニメだとこういう恐いシーンの後でアイキャッチが入るんだよな。ぎぃぃい、がちゃーーん! って扉が閉まるやつ。


「これでどう、DVD購入者に抽選で当たる原画よ! しかも未開封!」

「えぇ! これって抽選で百人にしか当たらないやつじゃないですか! 会長、これを当てる為に何枚DVDを買ったんですか!」

「しょ、しょうがないでしょ、抽選にする運営がケチなの! 全員にくれればいいのに!」

「それだと応募者全員サービスです、とにかくお小遣いは考えて使って下さい!」

「もう、遙輝くんってお母さんみたい、ぶーっ!」

「ほっぺたを膨らませてもダメ! いくら好きでも、玩具会社に踊らされたらダメですよ!」

「でも、好きなものの為に頑張って働いたんだもん。奮発したっていいじゃない……!」

「そうかもしれませんが――!」


 しゅんとなる会長に僕は言いかけた言葉を飲みこんだ。


「踊らされてるとか、そんな言い方しなくたっていいでしょ……」

「すみません、言い過ぎました!」


 顔を伏せていた彼女が涙声になり、僕は慌てて頭を下げた。

 再生数を追えるような動画を作るのも大変だし、年末には学校公認の『ゆうめいと』のバイトに参加して、自転車で年賀状を配達していたらしい。


「ごめんなさい、会長の頑張りも知らないで勝手なことを言ってしまいました!」

「あと、そういうのもやめてほしい……」


 涙を拭き、チーンと鼻をかみながら言う。僕がかしたままのハンカチで。


「なにをでしょう?」

「会長って呼ぶのをよ。堅苦しいでしょ」


 思い返してみれば、僕は一度も彼女の名前を呼んだことがなかった。


「もしかして、私の名前を知らないの?」

「違いますよ、九条さん」

「私の家で名字を使ったら誰を呼んでいるかわかんないでしょ?」

「すみません、ええっと……。梨香さんでいいんでしょうか?」

「そう。九条梨香よ。会長が本名じゃないんだからね」



 鼻をすすり、落ち着きを取り戻した梨香さんが居住まいを正した。


「使いすぎなのは自覚してるから、気をつけるようにする。でも、根岸くんだって好きなものにはお小遣いを使いすぎちゃったりするでしょ?」

「ええ、もちろんです」

「そういえば、根岸くんってどんなことが好きなの?」

「僕の好きなことですか?」

「私みたいな度が過ぎたのはなくても、なにかあるでしょ?」

「ええっと……」


 僕にだって興味をもったことはあるし、それに‘お小遣い’を使おうと思ったことは何度もある。だけど、それは無理なことだった。


「いえ、やっぱりなにもなさそうです。いやぁ、僕って無趣味人間だな~~」

「ふ~~ん。つまんない人~~」


 仕返しのつもりか、梨香さんが唇を尖らせていた。

 偉そうなことを言える立場じゃないな。彼女は僕にないものを持ってる。好きなことに情熱を注ぎ、それへの憧れから生徒会長を続けられるなんて僕には決して真似できない。


「でも、ありがとう。家族以外で趣味のことで意見してくれたの、根岸くんが初めて」

「僕だけですか? 今まで誰にも打ち明けなかったんですか?」

「じつはね、中学のときに教えた友だちが一人だけいたんだけど、あんまりいい反応されなくて。それから絶対に、とくに男子には言わないって決めていたの」

「そうだったんですか……」


 この趣味を打ち明けるほどの相手となれば、きっと中学時代の恋人だろう。


「彼のことを信頼していたから話したんだけど、そんなの捨てなよって嗤われたのがショックで、翌日学校を休んじゃったんだ……」

「えっ、そんなことを言われたんですか?」


 僕は拳を握りしめていた。

 年相応の趣味を持ったほうがいいという気遣いにしても、もっと彼女の気持ちを考えるべきだろう。

 生き甲斐を否定することがどれほど人の心を傷つけて、苦しめるのかわからないのだろうか。


「本当だから仕方ないよ。普通な趣味をもっていれば、もっと友だちも大勢いたのかなって思うこともあるし。それに、それぐらいで休んじゃう私が一番いけないんだよ」


 気丈に笑おうとする梨香さんに胸が締めつけられる。

 そんな悲しい顔をしてほしくない。

 僕は彼女の笑顔が好きだ。ごきげんようと、爽やかに手を振る姿も美しいけれど、趣味(カルルピ)に正直で生き生きとした笑顔のほうが素敵だと知ってしまったんだ。


「私だって、はやく卒業しなきゃいけないのはわかっているもん……」


 さびしげにグッズに蓋をする手を、僕は思わず握っていた。


「根岸くん?」

「自分の大切なものを捨てる必要なんてありませんよ」

「そう、かな?」

「当然ですよ」


 学校で隠した方がいいのは事実だが、捨てる必要なんてない。


「周りに合わせる気遣いは大切です。でも、自分を捨てないで下さい。カルルピのことを熱心に語ったり、笑ったりしてた梨香さんは、とっても楽しそうな顔をしてましたよ」

「本当に、いいの?」

「もちろんです。会長としての姿も素敵ですけど、少し我儘な姿も可愛いと思います。趣味に全力な梨香さんの方が、僕は、好きですよ」

「え?」


 あれ?

 今、僕はなにを言ったんだ?

 口を閉ざしたとたん、息ができないほど胸が高鳴り始める。

 傷ひとつない沈黙に包まれるなか、僕らは眼差しを交えたまま動けなくなっていた。

 だんだんと体が熱くなり、シャツの内側からは滝のように汗が流れていたのだった。


「すみません、今のは、なんというか……」


 取り繕ってどうする。これが本心じゃないか。

 梨香さんは顔を伏せている。長い髪が頬にかかり、どんな表情なのかはわからない。

 硬直していた僕の手の甲に、彼女の手が重ねられ湿った指が絡みついた。


「励ましてくれてありがとう。私、とっても嬉しい」

「いえいえ。元気になってくれてよかったです」

「うん。根岸くんのおかげよ」

「あの、そろそろ撮影して失礼します。遅くなりそうだし……」


 時計を見ると、夜の七時だった。


「あ、そうだ。よかったらこれを使わない?」


 写真を撮って退室しようとすると映画の前売券を渡された。特典ほしさに数枚買ったらしい。


「ひょっとして、もう持っていたかな?」

「いえ、これはまだ買っていなかったんです」

「もしかして、私がクイズ大会で邪魔しちゃったから?」

「違いますよ、いつ見に行けるかわからなかったから買わなかったんです」

「意外ね。てっきり初日に見に行くと思ったのに」

「今週末は親がいなくて無理なんです。初日の映画館は人も多いし、僕だけじゃ凛を見守りきれないし」

「そっか」


 梨香さんはしばらく悩むと「私じゃダメかな?」と僕を見据えた。


「私にも妹がいたし付き添えるかな、なんて。もし親御さんが許可してくれたら一緒に行かない? 凛ちゃんも映画を見られるし、それに――私も根岸くんとお出かけしてみたいし」


 恥じらうような笑みに射抜かれるような衝撃を受けた。

 会長としても作画崩壊時にも、それどころかどの異性からも、今までそんな表情を拝ませてもらったことはなかった。


「遅くまでひき止めてごめんね。返事は今度でいいから、気をつけて帰ってね?」


 梨香さんに見送られて家を辞去した。

 冷え切った夜の空気に触れるも、いつまでたっても胸は熱いまま。こんな気持ちになるのは初めてだった。


『励ましてくれてありがとう。私、とっても嬉しい』


 瞼の裏には梨香さんの笑顔がいつまでも焼き付いている。

 僕は彼女の笑顔を守れたのが嬉しかった。

 自分に嘘をついて趣味を捨てる必要なんてない。

 生き甲斐を否定される辛さや、それが途方もないトラウマを残してしまうことは、僕も痛いぐらいにわかっているのだから。

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