第28話
目が覚めたのは夜半のことだった。何日経ったのかは分からないけれど時計は午前一時を指している。なんか温かいなと思うと私の毛布にはコスタス様に編んだ膝掛けと肩掛けが重ねてあって、ベッド脇には椅子が寄せられてそこには毛布にかぶさるようにコスタス様が眠っている。
ツキン、とした頭に手をやると包帯が巻かれているらしかった。お父様の杖は樫で硬いから、切れてしまったのだろう。髪は緩い三つ編みにされている。身体を起こすと頭が痛かったけれど、コスタス様をこんな所で寝かせておく訳には行かないだろう。そっと肩に手を触れて、揺さぶってみる。小さな声で呼べば、んん、と子供みたいな寝言が返って来た。ぼんやりとその目が開くと、途端に身体を起こされてびくっとしてしまう。覚醒早い。朝は結構ゆっくりなのに。
「サーニャ、傷は平気!?」
「は、はい、ちょっと痛いけれど大丈夫です」
「やっぱり痛いんだね、鎮痛剤を飲む?」
「いえそこまででは」
「倒れた時に他に打ったところはない!?」
「ないです、大丈夫です、だからコスタス様落ち着いて」
矢継ぎ早な言葉と切羽詰まった様子に、私はその肩に両手を置いてどうどうと宥める。でもコスタス様は落ち着かない様子で、私の身体をぺたぺた触って来る。子供のような様子にくすぐったくて思わず笑ってしまうけれど、笑っている場合じゃないよ、と窘められてしまった。確かに心配してくれる人を笑うのは良いことではないな、と私は咳払いをして居住まいを正す。
誰が着替えさせてくれたんだろう、メイドさん達かな。ネグリジェ姿の自分に気付いて、まだ消えていない痣を思う。流石にコスタス様に知られてしまっただろうか。見えるところにあるのだから見えない所にもあるだろう。あの杖で殴られた痕がまた増えたと言うだけなのだけれど、やっぱり客観的には痛ましいのかもしれない。
しかも今回は血まで出してしまった。私を受け入れてくれている屋敷の人たちにとってはショッキングだっただろう。でもコスタス様に当たらなくて良かった、思ってしまうのは私がこれでもコスタス様の妻だからだろう。私は私が傷付く方を選ぶ。大切な人を守る方を選ぶ。多分それは、大奥様――アリアズナ様と同じだ。
ぎゅっと抱きしめられて、はあっと息を吐かれる。肩にそれが触れるのがちょっとくすぐったかった。教えられた通りその背に手を回してぽんぽん、と子供にするように撫でると、ぐしっと鼻をすする音がする。
まさか泣いているのか。そんな、本当に大したことはないのに。ちょっと痛いだけで深刻な症状はないと言うのに。
「コスタス様、泣かないで下さい。私は大丈夫ですから」
「大丈夫なものか。二日も寝込んでいたんだぞ、君は」
「えーと……お城で夜明かししていたからそれとイーヴンに」
「ならない。全然、ならない。サーニャ」
「コスタス様」
「――死んでしまうかと思った」
相当心配させてしまったらしい。悪い事をしてしまったのだろうか。でも私は後悔していない。コスタス様を守れたのだから、名誉の負傷と言うものだ。私は大丈夫だけど、コスタス様は暴力になんか慣れていないだろう。だったら私が前に出た方が良い。慣れている私の方かよっぽど良い。
床頭台に置かれていた水晶の髪飾りからも、わらわらと心配そうな妖精たちが出て来る。大丈夫、とコスタス様の肩越しに笑ったけれど、彼らの曇った顔は消えなかった。妖精は血の匂いを嫌がるものだけれど、魔女はまた別なのかな。魔女。多分私がそう扱われて育ったからの、ショックの無さだ、これは。
普通は父親に血が出るほど頭を殴られたら衝撃を受ける物だろう。でも私は違う。魔女だから慣れている。魔女として扱われてきたから慣れている。そうして使えないと捨てられたから、今更動揺もしない。
「僕の所為かい、サーニャ」
「コスタス様?」
「僕が妖精や魔法を禁じたから、君は生身で身を晒さずにはいられなかった?」
何だそんな事気にしてたのか。くすくす笑って私はコスタス様の背を撫でる。ナイトガウンのふわふわした心地が良い。もう一眠りしてしまいそう。
「そんな事ないですよ。慣れてますし、あのぐらい」
「メイド達が言っていた。この屋敷に来た頃の君は全身痣だらけだったと。慣れるほどに殴られていたのか、君は」
「まあ私、魔女扱いでしたから」
「君は魔女かも知れない。でも年頃の女の子でもある。どうかそんな事を言って自分が傷付くことから目を逸らさないで欲しい。君はどこにも恥じ入ることのない、リュミエール侯爵夫人だ。誰に殴られる謗りもない。それをどうか、覚えていて」
と言われても、私も半ば無意識のようなものだったからな。とっさのこと。次がないとは言えないけれど、そもそも侯爵に手を上げる不届き者がそう何人も現れる訳も無いか。今回の事が社交界に広まれば、余計腫物扱いが広がって、コスタス様が成人する頃には誰も何も言えなくなっているだろう。
不届き者。そう言えば。
「あの、コスタス様。お父様はどうなさったんですか?」
「侯爵家の馬車に詰め込んで王都に戻って貰った。事の次第を書き付けた手紙を御者に持たせてね。近く裁判官の出入りがあるかもしれないけれど、怯えなくて大丈夫だよ。君のその姿を見ればどちらが加害者か、一目瞭然だ。医者の診断書もあるし、杖も保管してある。君の血の付いたものを」
「コスタス様、最近頭が回るのすごく早くなりましたね。根回しが良いって言うか」
「大切な妻を傷付けられて、ぼんやりしている僕でもないんでね。念のために持っていて良かったよ、鞭も」
「そう言えば。お父様顔から転びましたものね」
くふくふ笑うと、また笑い事じゃないよ、と抱き締められた。怒られてるのに愛されているようなこの感覚は何だろう。愛されている。私は愛されているのだろうか。解らない。まだ、それを知ることは出来ていない。でもなら私はどうして、この人を庇ったのだろう。
反射的に自分を危険にさらしてしまうのは確かに良くない事かもな、思いながら私はすりすりとコスタス様のナイトガウンに懐いてみる。気持ち良くてうとうとすると、朝まで眠るかい? と訊ねられた。はい、と応えてから、私は肩掛けと膝掛けをコスタス様に返す。
「これなら風邪ぐらいびくともしませんよ。本当は御自分の部屋に戻ってしっかり眠っていただきたいのですけれど」
「残念ながらその気はないな。でも温かい。僕もよく眠れそうだ」
「なら良かったです。コスタス様」
「でもサーニャ、今回のようなことはもう二度としないで。解ったね?」
「はい」
ゆっくり頭を枕に乗せられて、私はすぅっと眠りに就いた。
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