第12話

 太い毛糸を選んでのんびりと日向の椅子で編み物をしているのは、幸せだった。編み物との出会いは寄宿舎学校の中等部にいた頃である。大体今から三年ぐらい前だろうか。図書室にいるとほっとしたのは、実家ではそこに監禁されていたからだろう。なんとなくあの紙魚臭い空気に慣れていたので、友人もいない私はそこに入り浸っていたのだ。


 その時に見付けたのが編み物の本だった。幸い材料は購買部に売っていたので、ショールや膝掛け、マフラーなんかを作っていたものだ。編み物に魔法を込めるのは、この時に身に付けた技である。抱き締めてふぅっと息をあて魔力を込める。

そうするとそこら辺にいる妖精が魔力に引き寄せられて憑くのだ。

 魔術書なんかの安定した場所のない妖精には格好の餌場だっただろう。私も私で温かかったから、公平な関係だったと思う。もっとも、その編み物も実家に帰る段になっては邪魔だからと捨てられてしまったけれど。でも手は覚えているから、ちょっと複雑な編み物の本でも付いて行けた。手の込んだ飾り編みも組み込んでみたりして。


「奥様、そろそろお茶の時間ですよ」

「あ、はい。今行きます」


 執事さんに呼ばれて私は編み棒と教本を机に置いて立ち上がる。ドアを開けると、執事さんはにっこり笑ってくれた。ラペルホールには赤いバラのブローチ。みんながあれ以来私のブローチを着けてくれているのが、ほんのりと嬉しい。貴族の娘の手習いとしてはちょっと異端だけど。レース編みも出来るから、夏はそれで何か作ってみようかな。

 執事さんにも何か良い事はあっただろうか。きゃっきゃとはしゃぐメイドさん達と違って寡黙なこの人は何も言ってくれないから、ちょっと心配だ。もしかしてまじないがのろいの方に出ていた、なんて事があったらゾッとしない。

 私は所詮落ちこぼれの魔女なのだ。どこにいてもそれは変わらない。実際編み物ぐらいにしか魔法を吹き込めないし、それ以外の方法は知らない。母は私に魔法の使い方を本格的に教える前に亡くなってしまったから。否、殺されてしまったと言った方が正しいのだろうか。あまり父を悪く思いたくないがために押し殺していた感情を、今は発露できる。

 母は、父に、殺されたのだ。魔法が使えなくなったから。


 西向きのテラスでは紅茶を入れられたカップが二つ並べられ、コスタス様は足に膝掛けを乗せて待ってくれていた。茶葉は温かい所で育つから、この北国ではちょっとした高級品だ。それでも貴族は貴族、取り寄せることは出来るのだろう。

 コーヒーも好きだけど、この家に来てからは紅茶の方が好きになった。誰かと一緒に、楽しめるから。私は結局他人の情に飢えている魔女なんだろう。だから簡単に、魔法だって使ってしまえる。

 膝掛けを撫でながらコスタス様はご機嫌らしかった。ドライフルーツを摘まんで、紅茶を飲む。私も同じようにすると、くす、と笑われた。不躾だっただろうか、ちょっと頬を赤くしてしまうと、くすくす続けて笑われる。もう、意地悪。


「サーニャまで手掴みでなくても。ピンもあるだろう?」

「刺さるのが怖いので使えません。手なら汚れたら洗えば良いだけですし」

「それもそうだけれどね。そうだ、新しく始めた編み物はどうだい? 随分分厚い専門書を持って行ったみたいだけれど」

「基礎は学校に行っていた頃に覚えていましたから、特に引っ掛かるところも無く順調に進んでいます。それにしても大奥様の御遺品の毛糸はたくさんあるんですね。よっぽどお好きだったんでしょうか」


 くす、とまたコスタス様は笑って、手に取ったレーズンを口に含む。


「暇さえあればレースか毛糸を相手にしていたからなあ。僕が寝込んでいる時も、看病の間はずっと何か編んでいたっけ。せっせと何かこしらえていたけれど、僕の分はもうマフラーぐらいしか残っていないなあ」

「あら、どうしてです?」

「父が殆ど持って行ってしまったのでね。強欲なんだ、あの人。母の物は自分の物と思ってる。僕だって息子なのに」


 くっくっく、喉を鳴らされて思い出したのは肖像画の人間だ。ちょっと痩せ気味の、だけど優しい目をした紳士だった。私はまだ一度も会った事がない。と言うか結婚式自体していないのだから、それも道理だろう。本当にいびつな夫婦だ、私達は。ラム酒漬けの氷砂糖を紅茶のカップに入れてくるくるとまわす。中々溶けない。簡単に無くなりそうなのに、そうはならない。


「いつかお会いしてみたいものですわ、大旦那様にも」

「そうだね、もう少し温かくなったら僕たちも結婚式をしよう。それまでにドレスを仕立て上げられるよう、仕事を増やしていかなくちゃな。足が温まると血行が良くなるのか、この数日は仕事もバリバリだ。サーニャは本当にすごいね」

「コスタス様の勤勉さが出ているだけだと思いますわ。私は何もしていません」


 そう、魔法なんか使っていません。

 と言う嘘はいつまで続くだろう。多分妖精よりも嘘を嫌うだろうこの人に。嘘はいけない事だと教わらなかった私の非常識は、いつまで続けられるだろう。今は知っている。だから心苦しい。何もしていない。本当にそうだと言えたら。ただの編み物で喜んで頂くことが出来たなら。


 私はとても嬉しいだろうな。だけどきっと無理だ、そんなのは。私は無意識に魔法を使う事もある。意識的に使う事もある。この家に何か仇なすことがなければ、この平和な結婚生活が続くことになれれば、良いのだけれど。

 中々溶けないラムキャンディ。暖炉の薪が爆ぜる音。私には一体、何が出来ないんだろう。そして何を出来るつもりなんだろう。この心地良い場所を守るために。いっそ私が居なくなれば、それに近い形になってしまえば、良いんだろうな。

 だけどそれは無理だ。

 私は私込みでこの場所が好きなのだから。

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