第10話

 そっとドアを開けてきょろきょろと辺りを見回す。深夜の廊下には誰もいない。ナターシャさんは住み込み、他にはコックさんと執事さんが起居しているこの屋敷ではちょっとした物音も出せないのがネックだった。そろりそろりと地下へ通じる階段を下りて敷くと、ほの明るく暖かい空気が込み上げてくる。懐かしいな。妖精の気配だ。落としておいたハンカチを拾うと、辺りの本からぶわっと光が総動員してくる。

 人差し指ぐらいの大きさの人形みたいな妖精たちは、だけど明るく背の羽をぱたぱたさせて私を迎えてくれた。


『サーニャ! 来てくれたのね、嬉しい!』

『やっぱり聞こえてたんだ! やっぱり同じだったんだ!』

『私達の同胞、魔女のサーニャ! 私達はあなたを歓迎するわ!』


 きゃあきゃあと言いながらネグリジェを引っ張られたり髪に懐かれたりすると、私も悪い気はしない。ちょんちょん、と撫でるようにしたりしてみると、わらわら湧いて来た妖精たちが私の指に懐いた。流石に本が多いだけあって妖精の数も膨大だ。と言う事は図書室全部の本が魔導書なのだろうか。だとしたらそのコレクション振りは、すごい。

 私が生まれた家にも魔術の本はたくさんあったけれど、それでもせいぜいが百冊ぐらいだっただろう。狭い家の中で戸棚はすべてが本だった。父が来るたびに違う本を選んで妖精を使役していた母は、間違いなく魔女だっただろう。それを理由に殺された。母の寿命が尽きる前にと、父は家に火を放ち、私だけを連れて屋敷に帰った。


 その私が使い物にならないと言ってコスタス様に押し付けたのだから、まったく大変なものだ、大貴族と言うのも、小貴族と言うのも。運良くコスタス様は私を受け入れて下さったけれど、この蔵書と妖精の数を見ると、もしかしたらコスタス様のお母様――大奥様も魔女だったのかもしれない。破天荒な人だったとメイドさん達は言っていた。まるで自分勝手で、でも奔放さが嫌味でない人だったと。

 コスタス様は私の魔力に気付いて、私を引き取ってくれたのだろうか。私が魔女と知っていて、そうしてくれたのだろうか。真摯な瞳が目の裏に浮かぶ。魔女と呼ばれて来た私。家の中では父の本妻につらく当たられ、父には役に立たないと知られたらすぐに見放され、兄や姉妹たちは顔もあまり見たことがない。何とかならないかと入れられた寄宿舎学校での成績も平凡だった。


 私は何も出来なかった。出来ない振りをしているしかなかった。母のように父に好意を出汁にして使い潰されるのは嫌だった。だけど、何かできたわけでもない。私は魔女でいるしかない。そんな私を歓迎してくれる妖精がこんなにもいる、良い所に嫁いでこられたのかも。でもコスタス様はこの蔵書を、妖精たちを、私と関わらせたくないようだった。どうしてだろう。普通の人には妖精なんて見えないはずなのに。もしかして、コスタス様にも見えている?


 だとしたら嬉しい。共有する秘密を持てることは、嬉しい事だ。少なくとも捨てられない。殺されるかもしれないけれど、昨日のパーティーでの私への立ち回りから察するに、彼はそんな事はしないだろう。一緒の物を見られる。一緒の物を感じられる。それは私にとって、幸福だった。


『ねえサーニャ、あなたは何か願いごとはなあい?』

「え?」

『出会った祝福に、あなたの願いを一つ叶えてあげようと思うの! 何が良い? 水晶の髪飾りでも、アメジストの指輪でも、金の櫛でも、なんでもあげるわ!』


 どれも魔力を増幅するものとしては一級品だったけれど――私は――


「私は、コスタス様が健やかに過ごして下されば、何も望むことはないわ」

『あらそれは駄目よ』

「どうして? 私の事じゃないから?」

『違うわ。それはもう願われているの。アリアズナから』

「アリアズナ?」

『私達の持ち主よ』

「もしかしてコスタス様の――」

『そう、お母さん!』

『いつも私達が魔法を使うとご褒美に砂糖菓子を持って来てくれたの!』

『もう五年近く会っていないけれど、元気にしている?』


 知らないのか、彼女たちは。

 妖精は境目を超えられない、と聞いた事がある。だからドアも開いていないと出入りできないし、一度本に収められたら次に開かれるまで出てくることが出来ないとも聞いた事がある。もっとも消費魔力の小さな妖精はその中に含まれないらしいけれど、ここに居る結構な歳を重ねた彼らならその制限は強く効くだろう。

 どうしよう。ここで言って良いのか、悪いのか。癇癪を起されて本の下敷きになるのは嫌だけれど、嘘は最も嫌われる行動の一つだ。信じて貰えなくても、言うしかないんだろう。

 私が口を開こうとしたところで、


「何を騒いでいる」


 後ろの階段からコスタス様の声が聞こえて、慌てて本棚の陰に隠れた。


 ぺたぺた言うのはスリッパの音。ランプの明かりに照らされないようにすると、ナイトガウン姿の彼がむっすりと部屋を睥睨しているのが解った。私のランプはいつの間にか消されていて、傍らには妖精が一人浮かんでいる。


『鏡の魔法を使っているから平気よ、サーニャ。彼から私達は見えない。元々魔力も薄いしね。それにしてもこんな時間にこんな所に来るなんて珍しい』

「おいお前ら。サーニャに何かしたら分かっているだろうな」


 珍しく低い声。昨日一つ歳を重ねた威厳は、まだちょっと出ていない。


「全員焼き殺してやるからな。厄災の魔女どもめ」


 ずきん、と胸が痛む。

 彼は妖精を、魔法を嫌っている?

 私が魔女だとばれてしまったら、どうなるだろう。

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