第4話 プレス発表

「今回、ご紹介させていただくメガネの効用は、今申したように二つです。一つ目の高所恐怖症に関してですが、皆さんの中には、高いところが怖いという人もいると思います。中にはまったく平気だと言われる人も多いと思いますが、まず高所恐怖症というか、高所に恐怖を感じるということが、人間であれば、誰にでもあることだということを前提としてお話させていただきます。高所恐怖症と呼ばれる人は、高いところから下を見ると、身体が勝手に反応して、身が竦んで動けなくなり、そこから痙攣を起こしたり、嘔吐を催したりする人が多いと思います。それは、いくつかの原因があると思います。小さい頃に高いところから落ちた恐怖であったり、恐怖に至るまでの外的障害のようなものが影響して、恐怖を感じます。まずは視覚で、感じたものが脳に恐怖として送られるのか、それとも、脳に送られたものを脳が恐怖と感じるのか、そのどちらなのかということですが、私は、前者だと思っています。つまり、視覚で恐怖を感じる。見た瞬間を抑えてしまわないと、高所恐怖症は収まらないのだと思いました。そういう意味で、恐怖というものを根本からなくしてしまうしかないんです。その根拠として、子供の頃のトラウマを思い出して、高いところは怖いものだという先入観を抱いていると、本当は恐怖でもないものを恐怖に感じる。それが、疑心暗鬼という先入観で物事を見てしまうと、実際に視界に入ってくる前に、すでに目がくらんだ形で見えるということなんですよ。見ているつもりで、まったく見えていないのと同じですね。いわゆる『幽霊の正体見たり枯れ尾花』と呼ばれる心理と同じですね。だから、このメガネはそんな心理を最初から怖くないという意識で見せるものなんです。そもそも、トラウマというものが恐怖の錯覚を見せるのだから、恐怖に至る前に解消できればいいのではないかというところから始まった発明なんです」

 と、まずは、高所恐怖症に関しての話だった。

 今回の記者会見は、最後に質疑応答の形をとっておらず、途中で質問があれば、発言が途切れた時に、言っていいというルールで開催されている。だから、このタイミングでの質問は許可されていた。

「はい」

 と言って、一人の記者が質問をした。

「教授は、高所恐怖症にいろいろな原因があると言いましたが、今回の発明ですべてを網羅胃できているとお考えですか?」

 と訊かれて、

「すべてだとは思っていません。原因というのはさまざまで、一つの恐怖症の原因を克服すると、別の恐怖症が生まれてくる場合もあります。それは高所恐怖症に限らずだと思っています。そういう場合の複雑なメカニズムがなかなか解明されていないので、我々はそちらの研究も並行して行っているのです。これからの話の文脈の中でお伝えできるかと思っていましたが、先に質問されてしまいましたね」

 と言って、教授は微笑んだ。

「ありがとうございました」

 と言って、その記者は納得したようだが、他の記者も納得してくれていたのか分からないが、とりあえず、話を進めることにした。

「もう一つの効果になるんですが、その効果を示すという意味のパフォーマンスとして、まずこの会場を、普通の記者会見場と別の形にしていたので、皆さんは違和感を感じられたと思いますが、それは、舞台効果のような演出が施されていることですね。普通の記者会見であれば、前に長机が並んでいて、主催者側の人が並んでいて、近くに記者席が折り畳み式の椅子かあるいは、筆記できる簡易の椅子のついたテーブル椅子のようなものがあるのが普通だと思いますが、今回は、大学の講堂をお借りしての舞台効果を用いらせていただきました。これは、もちろん、発明に対しての演出であり、ただの奇抜な趣向というわけではありません。最初に私が、皆さんの方を見渡して、目が合った時、会釈していただいた方に対して、こちらからも会釈をしたことに気づかれた方も多かったと思います。これに関して、何か違和感を持たれた方、いらっしゃいませんか? これが私どもの発明に関係してくるのですがね」

 と言って、また、まわりを見渡した。

 まわりの反応は普通なら真っ暗なのだが、手に取るように分かった。

 一生懸命にメモを取っている若手の記者もいれば、半信半疑なのか、何かを書くつもちもなく、身体を崩して、まるで他人事のように訊いてり人もいる。かと思えば、何かあれば、重箱の底を突いてやろうとして、虎視眈々と狙っている人もいる。

「暗いものというのは、恐怖を煽りますよね? 目の前に何があるのか分からない恐怖。それはまるで、暗黒の世界で自分がどこにいるのか分からず、前に踏み出そうにも後ろに下がろうにも、どうしようもなくなってしまう。そもそも、どっちが前でどっちが後ろなのかも分からないですよね? それが恐怖というものなんです。そして考えることは、このまま身動きもできず、自分がどうしていいか分からない。頼みは助けがあるかも知れないというだけで、そのうちに、その可能性もないことに気づいてしまう。そうなると人間はどうなるでしょう? その人の性格にもよると思うんですが、無駄に過ぎる時間であっても、このまま、じっと待っている人。あるいは、どうなるか分からないが、覚悟を決めて動き出す人、皆さんはどちらなんでしょうね?」

 と、まわりに問いかけてみた。

 すると、その中の一人が手を挙げるので、

「はい、そこの人」

 というと、

「私なら、覚悟を決めますね。じっとそのまま時間だけが過ぎても何も起こらないわけでしょう? それが分かれば、奈落の底に落ちて死んでしまうかお知れないけど、それでも仕方がないと思って、動きます。後で後悔しようにも死んでいるので、その心配はありませんからね」

 と、最後に笑い話にならない笑いを交えて話をした。

 それを聞いた演台の上の川村教授は、

「ええ、その通りでしょうね。私もそうします。可能性としては、半々だという思いでですね。でも、実際には、暗闇の中で奈落の底に落ちるということは、まずありませんからね。自分の考えすぎだということで、ほっと胸を撫でおろすということになるんでしょうが、その時の恐怖は拭い去れませんよね? 実際にこういう経験は、夢うつつの状態では得てして起こりやすいことなんです。夢というのは、目が覚める前の一瞬で見るということを言われていますが、私はその発想を少し発展させています。今のような怖い夢は、本当に目が覚める前に見るものなんですよ。だから、怖い夢だけは覚えているんです。眠りの浅い時に見た夢は、潜在意識が働く余地がないので、眠りが深いと思われるところで見るんだと思われます。そういう意味では、さっきのような恐怖を感じるような夢を見る確率は高いと思うんですよ。それでですね、皆さんにもう一度お伺いしますが、この恐怖を拭い去るにはどうすればいいと考えますか?」

 と、言われたので、皆考えているふりをしているが、実際には誰も考えていない。

 考えたとしても、最初の一瞬で、それ以上何も勘変えていなかった。ただ、それは考えられないというべきで、最初のとっかかりが思い浮かばないのだ。

「皆さんは、今考えてみようと思われた方も少しはいたと思いますが、考えに入ろうとした瞬間に諦めたのではありませんか? 実はそこに秘密があるんです。先ほどのたとえ話をした時に、皆さんは不思議に思いませんでしたか? 暗闇に入った時、どうすればいいかということを話しましたが、どうして、そのような状況になったのかということを話していませんでしたよね? 何かの現象が起これば、原因があるはずですからね。それが夢であれば、特にそうです。私は恐怖の夢を見た時に、まずは、どうしてこのようなところに入り込んだのかということをすぐに考えてしまうのですが、皆さんはどうでしょうか?」

 と訊ねると、ほとんどの人は下を向いて、目を合わせるのを避けていた。

 さすがにここまでくれば、質問が飛んでくるのが分かっているので、目を合わせることを誰もがしないようにしているのだ。

 教授は反応がないのを承知の上で話し始める。

「恐怖を感じる時、必ずその理由やきっかけがあると思うんですよ。どうしてそんな環境になったのかということをですね。でも、気が付いたらそんな状況になっているので、それ以前のことを一切考えないようにする。それが余計に恐怖を煽る、だから、私はそのことに目を付けたんです。このメガネを嵌めていれば、暗所のように恐怖を煽って、前に進めない精神状態が続いている人の治療に、役立てばと思っているんです。実際に恐怖に陥るまでに、その過程が分からずに、入り込んだ後で、慌ててしまって、すべてがうまくいかなくなってしまうことを防ぐためですね。私は、その恐怖に入る現象は、すべて本人の中にあると思っています。だから、メガネを嵌めて見るということは、自分自身を顧みることのできるメガネでもあるんです。それは精神論ではなく、精神的なことでですね。つまり恐怖というものは、その恐怖を感じる前に、本当のきっかけがあって、その部分を自分で自覚して、入り込まないように自己暗示が掛けられればという発想から開発したメガネなんです」

 と言った。

 それを聞いていた一人の記者が、教授の話が少し途絶えるのを待って、手を挙げた。

「今のお話は暗所に関してですよね。じゃあ、高所においても同じことが言えるんですか? 高所の場合は、いろいろな原因と言われましたが、その原因も、暗所のように、恐怖の状況に陥ることを最初から分かっているという考えですか?」

「この二つは、原因という意味では、少し突入景気が違うと思います。なぜなら、暗いところが怖い人は、必ず高所恐怖症だとは言えませんからね。逆も同じですよね?」

 と教授は言った。

「じゃあ、どっちも予防という意味なんでしょうか?」

「いいえ、予防とは限りません。実際に恐怖を感じるようになった時点で、すでに症状は出ているわけですからね。恐怖症というのは、一旦身についてしまうと、それを払うことは難しいです。そしてその病を患ってしまうと、いつ起こるか分からないということにもなります。それが恐ろしいんです。いつ起こるか分からないから、余計な心配をしてしまう。その状態を拭うことができないと、慢性化してしまって、自覚から、いつ症状が出るか分からないという感覚から、余計なストレスとして身体の中に入り込んでしまうことになるでしょうね」

 と、教授は言った。

「じゃあですね、恐怖症というのは、基本的に高所と暗所、そしてもう一つ、閉所というのがあると思うんですが、閉所の方の開発はいかがなんでしょうか?」

 と言われて、予期していた質問であったのは間違いなく、

「もちろん、そのことは分かっています。今、閉所に関しては研究中なんです。ただ、閉所恐怖症というのは、高所恐怖症や、暗所恐怖症よりも、少ない事例しかないのも事実なんですよ。高いところや暗いところは日常でも味わえるけど、閉所に関しては、なかなか味わうことはできませんよね。それを考慮して、今研究を続けているところなんですが、いくら事例が少ないと言っても、強引に事例を作るというのは危険ですよね。先ほどの高所も閉所も無理に事例を作ろうとすると、社会問題になりかねない。人間モルモットなどはあってはいけないと思っているので、なるべく、危険のない形での研究となると、難しいところですよね」

 というのだった。

「なるほど、分かりました。閉所に関しては、これからの発表をお待ちするということで、先ほどの説明は、正直分からないところがほとんどですが、やはり、それはこれ以上簡単に説明するということは難しいんでしょうか?」

 と聞かれたが、今度はそこを司会者の人が話を遮って、

「それに関してはこちらからご説明させていただきます。今のところは、発明に関しての発表ということですので、これから民間企業などとも連携をとりながら、実用化に向けたプロジェクトが組まれることがあると思われます。その際に、スポンサーであったり、医薬系の専門家の方々のご意見を参考にすることもあるでしょうから、今の段階で、お越しいただいている皆様方のご要望のような取り扱い説明などに関しては。まだまだ白紙だということをご承知願いたいと思います」

 と説明をした。

「分かりました。ありがとうございます」

 と簡単に引き下がった。

 これは当然のことであり、それくらいのことは質問をした記者も分かっていることだろう。

 だが、それでも聞いてみたかったのは、

「もし、あの司会者が遮らなかったら、教授は何と答えていただろう?」

 という記者としての好奇心からであった。

 そもそもこの部分に関しては、記事になる部分だとは思っていない。それでも質問をしたのは、今まで落ち着き払ってまったく慌てた様子もない教授がどのように答えるかが見てみたかったからだ。

 さすが百戦錬磨の新聞記者、この記者には、教授が最初から緊張していることは分かっていた。それなのに、

「どうしてこんなに平然と話ができるのか。話し慣れているわけでもないのに、どういうことだろう?」

 と考えていた。

 「覚悟を決めていると言えばそれまでなのだろうが、それだけで説明のつくことだろうか?」

 とも、考えていたのだ。

 意地悪をするつもりはないが、それだけこの記者が、川村教授に興味を持ったことだ。

 言い忘れたが、この記者は女性記者で、このような学術発表の場には珍しいのではないかと思われた。

 南陽出版の記者だという彼女は、名前を

「初村つかさ」

 というのだった。

 質問の時に、自分の社名と自分の使命をいう人は最近では半々くらいだが、彼女はキチンとしているのか、ちゃんと名乗った。もっとも年齢の若い人の方が名乗る人が多いのは、リポーターあるあるで、ベテランになるほど、いきなり質問から入ってきた。

「それにしても、若いのに、よく知っているし、食いつきもよさそうだ」

 と、川村教授は感じた。

 そもそも、このような場所に来るくらいだから、科学的なことや、SFっぽい話題が好きなのだろう。読書家なのではないかと勝手に思ったほどだ。

 記者会見の時間は、約一時間だが、質疑応答を最後にせずに、その都度行うというのは、意外と時間を取られないでよさそうだ。これが政治の話題などになると、質疑も結構あるので、最後に持っていった方が、同じような質問が頭に浮かんでも、誰かが代表で質問するような感じなのだが、途中で質疑を入れると、その時々の質問になるので、金太郎飴のように、同じような質問になってしまう。それでも、状況が違っているので、似たような質問でも同じではないということで、いちいち答えなければいけない。それは、実に質問を受ける側は億劫なものだ。最後に質問を回せば、話の流れから、質問する方もなるべく同じ質問をしないようにしようと意識するだろうから、質問の数も少ない。何よりも、最後に回すことで時間が限られているということで、ごまかしも聞く。いや、質問をする方も最後だと何を聞いていいのか分からなくなる人もいて、ごまかしがききそうな感じなのだ。

 だが、それは、誰にでも分かる話の時であり、学術発表などの専門的な話になると、質疑応答を最後に回せば、質問自体がなくなってしまう。それも記者会見を行う方とすれば、困るのだ。一応、プレス関係の人の反応を見ておきたいという意識があるからで、そのためには今回のように、記者会見の合間に質疑応答を挟むのもいいことであった。

 あらかた、説明も終わり、時計を見ると、所要時間の一時間にほぼピタリだった。発表自体は三十分くらいだろうと思っていたので、少し幅を持たせて一時間という時間にしたが、ちょうどいいくらいの時間になったということは、それだけ充実していたということなのだろう。

「もう、これ以上何もありませんか?」

 という進行役の人が言ったが、さすがにもう誰も何もなかった。

 進行役の人も誘導がうまいもので、途中に質疑応答を挟んだうえで、一番最後に、この言い方をすれば、誰も質問をしてこないだろうということを分かっての確信犯であった。会場から記者の人たちが去り、教授は進行役の人に一礼すると、そそくさと、研究室へ戻って行った。

 普通なら、この記者会見を主催した大学側の人に挨拶をするのが礼儀なのだろうが、研究室の人は、昔から、進行役の人にだけ挨拶をして、すぐに研究室に引きこもる。

「普段から記者会見など慣れていないだろうから、しょうがない」

 というのが、大学側の考えで、そもそも、大学のために研究して、その完成を発表するのだから、本来であれば、大学側の仕事なのだろうが、何しろ専門的なことなので、開発者、あるいは、研究室の室長が記者会見をしなければいけない。

 しかも慣れていないのだから、記者会見が終われば、相当なストレスになっていることは分かっている。そのあたりを大学側も考慮しているに違いない。

 そのためにも、質疑があれば、記者会見中にしてもらうのがm必須である。研究室に戻った教授を呼び出すわけにもいかず、他の人がこの手の質問に答えられるわけがない。下手なことを答えて、それが間違いだったり、まだ極秘事項であることをうっかり喋ってしまわないとも限らない。そうなれば、大学の信用問題であり、下手をすれば、社会問題を引き起こしかねないだろう。

 研究室に戻った教授は、その日は皆をねぎらうと、残業もせずに、皆を定時で帰らせた。教授自身も定時から三十分以内に研究室を出て、馴染みの飲み屋に顔を出すことにした。

 以前、門松記者と話をしたあの店で、しかも、今日があの日以来の来店となる。

 あの日にはすでに研究は完成していて、後はプレス発表の準備をするだけだった。あの日、実際に研究が完成していたので、精神的には少し楽だった。

 その思いもあるからか、門松記者には、研究について、ある程度的を得ているような、それでいて、話の展開によって、開発すれば面白いと思えるような話を思いつくことができた。さぞや、今日のプレス発表を聞いて、門松記者は、

「しまった」

 と思っているかも知れない。

 さすがに今日は門松記者が来ることはないだろう。もし現れるとすれば、今日ではない日にすると思ったのは、彼がすでに、川村教授の性格を見切っているからではないかと思えたのだ。

 川村教授が今日は記者会見で疲れているだろうということ。そして、研究のような、自分の集中力を最大限に生かせるものに対しては、無双の力を発揮するが、それ以外の、今日の記者会見のようなあまり気乗りしないことで疲れている時には、本当に一人になりたいと思うことを分かってると感じているのだ。

 しかも、そんな時は怒りっぽくなるのは、学者あるあるで、そんな時には、声を掛けることもしてはいけない。放っておくしかないのだ。

 そういう意味で、マスターも今日は川村教授に話しかけない。普段であれば、川村教授に軽く挨拶程度の声を掛けるのがいつものマスターだった。その日の気分は、見た目でも分かるが、どのような話題がいいかというのは、早めに推察するようにしている。早めに聞いておかないと、教授の場合は酔いが回ってくると、その性格が左右に揺れてしまって、どう対処していいのか分からなくなってしまう。要するに、教授は、

「酒には弱いが、たまに一人になって飲みたくなることがある」

 という、そんな客だったのだ。

 だから、その日は、話しかけてもいいと思うと結構早い目から一度話しかけてみる。注文を聞く前に話しかけることもあるくらいで、教授も話しかけられるなら、そのくらいの時間の方がいいと思っていた。

 だが、その日は最初から、今日が記者会見だということも分かっていたので、表情を見ていると、今日という日が、

「話しかけてはいけない日」

 だということは分かったのだ。

 マスターが話しかける時は、まずマスターから話題をふるようにしている、普通の状態であれば、教授はマスターの投げたボールを普通に投げ返してくるので、非常に話題も作りやすい。比較的話題にNGがないのはありがたいことであった。

 その日、店には比較的客が少なかった。まだ早い時間ということもあったが、川村教授にとってはありがたかった。こういう日は、二時間くらいで引き揚げればいいと思っているので、今日は酒というよりも、食事をしに来た気分だったのだ。

 やはり、普段やり慣れていない記者会見などをすると、お腹が空くものである。普段ならあまりこってりとしたものは食べなくて、しかもアルコールが入ると、最近では、時短メニューと言われるような、枝豆や卵焼き、サラダのようなものが多かったのだが、この日は焼き鳥もお任せで作ってもらった。それだけ腹が空いていたということだろう。

 これにはさすがにマスターも少しビックリした。若い人であれば、焼き鳥に行くのは分かるが、

「この年齢になると、あっさりしたものが口に合うようになってね」

 と、常々言っている教授だったからだ。

 それはきっと、最初は、そういい続けているうちに、あまりこってりしたものを食さないように、いざとなれば、マスターにとめてもらおうという意識があったからだろう。

 教授はその人の縄張りのようなものはわきまえているつもりだった。自分が室長とう立場にあるということもあるのだが、特に研究室のようなまわりから見るとブラックボックスのような場所であれば、余計に自分がその中の長であるという認識が強くなる。

 だから、専門的なものであったり、職人肌のように、自分の努力でつかみ取った、しかも他の人には分からない領域、つまりは聖域と言える場所での長というのは、

「冒してはならない存在」

 ということで、最高の尊敬の念をもって接するということを自覚するようになっていたのだ。

 だから、この店では誰が何と言おうとも一番偉いのはマスターである。

 いつもはそんなことを頭の中に置いている川村だったが、今日は一人でゆっくりと飲んでいた。

 すると、何やら後ろで人の気配がしたのでびっくりして振り返ると、そこには見覚えのある女性が立っていた。

「あ、あなたは」

 と、川村教授はそう言って振り返ったが、彼女は。

「先ほどはどうも」

 と言って、すぐ隣に腰かけた。

 今のびっくりは、知った顔がそこにあったからで、しかも、さっき初めてあったばかりの人で、

「まさかこんなところにいるわけはないだろう」

 と思える人だった。

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