第6話 芸術賛美

 店にやってきた典子は、最初から如月を目指してきているようだった。元々、典子は恵子のことで、嫉妬の対象になったことで、一時期人を好きになるのが怖くなった時期があった。

 しかし、それは、

「そもそも女性同士の間に友情を感じたことで、変に勘違いされたことが原因だ」

 ということだったわけで、人を好きになることを怖がる必要はなかったのだろう。

 だが、そのことに気づいた典子は、今度はノーマルに男性を好きになりたいという思いを抱くようになった。それは、

「遅れてきた恋愛感情」

 ということもあり、晩生であればあるほど、その熱心さは常軌を逸しているということもあるというではないか。それは、焦りを感じるからなのだろうが、その時の典子が焦りを感じていたのかどうか、見ている限りではよく分からなかった。

 典子が店に来た時、最初から目線は如月だった。如月は、視線が偶然あっただけだと思っているようだが、典子は違った。そして、思わせぶりな態度、一種のあざとさによって、如月が知らず知らずのうちに、典子を意識させるように仕向けていたのではないだろうか?

 そんな典子の態度に気づいたのは、俊介だった。

 俊介は、典子のことを知っているのは当然で、

「妹の恵子の友達」

 として認識していた。

 だが、典子を見ていると、確かに可愛いというイメージはあるのだが、俊介のタイプではなかった。

 俊介は、結構女の子のタイプではあまり嫌いなタイプはいないはずだったのだが、最近、嫌いなタイプもいるのではないかと思うようになった。最初はどうしてそう思ったのか分からなかったが、もちろん、どうしても好きになれないタイプの子が現れたからであろうことは、普通に考えれば分かることだ。

 では、それが誰なのか? 考えてみたが分からない。

「もしかして、無意識に見ていて感じることなのかも知れない」

 と感じた。

 つまりは、

「嫌いな人だと意識して見ていると、そんな人を見つけることはできないのではないか?」

 という思いであった。

「皆自分のタイプの女の子だ」

 と思って、ずっと女の子を見ていれば、そのうちにどうしても、自分と合わないと思える女の子が出てくるのを気長に待つしかないだろう。

 しかし、そんな労力を使うだけ無駄だというものだ。普通に意識さえしていれば、そういう人がそのうちに見つかるというだけのことで、そもそも、嫌いなタイプが分かったところでどうなるものでもない。

 逆に、

「嫌いなタイプがほとんどいない中で、本当に好きな人は誰なのか?」

 と考えた時、本当に好きな人を探す方が大変で、さらに重要なのだと思えば、探そうと思うだろう。

 しかし、実際にはなかなか見つからない。

 そこで考えたこととして、

「本当に好きな人は、自分が嫌いだと意識した人と正反対の人ではないか」

 とも思えたのだ。

 そうなると、嫌いなタイプを探すということの必然性も出てくるというもので、果たしてどちらが難しいかを考えると、本当に好きな人を探すよりも分かりやすいような気がしたのだ。

 幸い、友達の中に、

「俊介は、天邪鬼じゃないか? 皆がブサイクだとか、好きになれないと言っている女性を好きだというし、皆が好きなタイプの女性を、苦手だという。まるでわざと言ってるんじゃないかって思うくらいだ」

 というやつがいて、その友達の言葉を思い出した。

 確かに、俊介は嫌いなタイプは少ないが、それは日本人の中での話で、それが外人となるとまったく違っている。

「金髪のナイスバディなお姉さんに憧れるよな」

 と言っている、ちょっとませた連中の話を訊いていると、吐き気がしてくるくらいだった。

 俊介は外人の女が嫌いだった。どこか気持ち悪く感じる。それは肌の色が違うというのもあるが、あのセクシーと言われる態度にあざとさのようなものが感じられ、海外映画でのベッドシーンなどで見せる大げさな素振りや、まるで猛獣が叫んでいるような声を聴かされると、鳥肌が立つほど気持ち悪く感じられた。

 最初は、それがどこから来るのか分からなかったが、最近では分かった気がした。ただ、これは俊介が一人で勝手に抱いている思いなので、皆は同じものを見ても違う感覚になるのではないか。だから、外人の女をセクシーだと言えるのだろう。

 何が気持ち悪さを感じさせるかというと、その目力であった。

 そもそも、俊介は大人しめの女の子が好きなので、日本人の女性でも、目力のある女性は苦手だった。

 その目で見つめられると、

「まるでヘビに睨まれたカエル状態だ」

 と感じていた。

 ただ、それは、自分がまだ大人になり切れていないからではないかと思っていた。

 中学生の頃に思春期を迎え、実際に女子を意識するようになったのは、中学三年生と、結構晩生だった。

 晩生だっただけに、余計に、それまでまわりの友達に、彼女がいるということに対して嫉妬心を抱いていたはずなのに、その嫉妬心がどこから来るのか分からなかったことで、悶々とした気持ちになっていた。

 それだけに、自分の悶々とした気持ちの正体が、彼女を連れている友達への嫉妬心だと思うようになると、

「俺も彼女を連れているところをまわりに見せつけて、まわりのやつらを悶々とした気持ちにさせたい」

 という気持ちになっていた。

 それが、元々の女性への興味の始まりだった。

 他の男子連中が、女性に興味を持つ最初のきっかけが何なのか分からないが、始まりが嫉妬だというのは、無理もないことだろう。

 俊介は知らなかったが、典子も同じ感覚だった。典子自身が嫉妬心を表に発散させることで、恵子との間に生まれた嫉妬心を持った人に嫌がらせをさせるという間接的な関係になってしまい、そのために、嫌がらせの理由がなかなか分からなかったことに繋がったのだということを、典子は分かっていなかった。

 だが、典子も、俊介も嫉妬心という意味で共通点があった。ただ、俊介の場合は、ほとんどの女性を嫌いにはならないのだが、数少ない嫌いなタイプというのは、本当に生理的に受け付けない、気持ち悪いというほどに感じる相手だというのは、極端ではあるが、考えようによっては、無理のないことだった。

 俊介にとって、目力の強い女性が苦手だと思ったのは、嫉妬から、いつも自分の隣には自分に従ってくれる女性を置いておくという気持ちが強かった。つまりは、従順である必要があり、目力の強い女性を、

「気の強い女性だ」

 と思い込んでいる時点で、最初から拒否反応を示していたのだ。

 目力の強さはどこか、気持ち悪さを感じさせる、それは相手が、何でも見透かすことができる女性だということを感じるからだった。

 そういう意味では自分にあまり自信のない俊介は、メッキを剥がされるのが怖かった。ウソでもいいから、信用されていないかも知れなくてもいいから、まわりから見て、俊介に対して嫉妬させるだけの女性であれば、それでよかったのだ。

 逆に、

「どうして、あんな男に、あんないい女がついているんだ?」

 という言われ方にも憧れがあった。

「俺の友達に芸能人がいるんだ。羨ましいだろう?」

 というノリであったが、それは、中学生の頃であればありえることだが、高校生になってからは、そういう思いを抱くことはなくなった。

 中学時代までは、自分が人から羨ましがられることであれば、何でもよかったのだ。羨ましがられる相手が自分でなくて、隣にいる人であっても、それはそれでよかった。それだけ、自分に自信がなかったからなのか、自分を見ていなかったからなのか分からないが、それも思春期の間の、

「大人への階段をゆっくりと昇っている過程だ」

 と言えるのではないだろうか。

 だが、高校生になると変わってきた。

 自分では、

「思春期はもう抜けているんだ」

 と思っていたが、実際には抜けていなかったのではないか、

 ある意味、

「第二思春期」

 と言ってもいいだけの時代を、高校生になって迎えたのではないかと感じたのだ。

 その頃になると、自分というものへの見方が変わってきた。それまでは漠然とした自分がいるのだが、

「自分を見てみたい」

 という意識はほとんどなかった。

 どちらかというと、まわりのことが強く感じられ、まわりの視線も、自分でなくても、自分と一緒にいる人に向けられて、それで自分が羨ましがられることを喜びにしていたくらいなので、自分への意識は希薄だったということだろう。

 だが、高校に入った頃になると、急に、自分が見えないのが、気持ち悪く感じられた。

「どうして、鏡などの媒体を使わないと、自分を見ることってできないんだろう?」

 という漠然としてはいるが、当たり前と思われていることが、頭の中でクローズアップされてくるのだ。

 そのうちに、

「嫉妬されるのであれば、自分でなければ意味がない」

 と思うようになった。

 そのきっかけは、高校で毎年開催されている、

「クラス対抗弁論大会」

 でのことだった。

 高校一年の時、クラス代表がベストスリーに入ったのだが、

「あれくらいなら、俺にだって」

 と思っていたのに、表彰されるのを見せつけられ、悔しい思いをした。

 そもそも、自分が参加もしていないのに、悔しい思いをするというのは、ただの嫉妬でしかない。だが、その嫉妬が次第に自尊心をくすぐるということになってきて。

「じゃあ、二年生になったら、この俺だって出場して優勝してやる」

 と思い、実際に二年生になると、自ら立候補して、出場することになった。

 クラスの代表のほとんどは、皆から推薦されて出場していて、口では、

「嫌だな」

 と言いながらも、まわりから期待されていることに喜びを感じている人がほとんどであるので、辞退しようなどという人は一人もいない。

 しかも、自分から出場しようなどという殊勝な人もいないので、毎回同じパターンで、同じメンバーが選出されていた。

 それなのに、俊介が真っ先に立候補した時、クラスの中でどよめきが起こった。

「まったく想像を絶するものだ」

 と言わんばかりだった。

 ただ、クラス代表は基本的には何人でもいいことになっているようだ。だから、俊介以外でも出場選手はいた。もちろん、いつもの最初から分かっていたメンバーだった。

 完全に自分に酔っていた俊介は、

「優勝はもらった」

 とでも感じていた。

 リハーサルでも、先生に褒められたこともあって、さらに有頂天になったのだが、実際に蓋を開けてみれば、出場生徒二十人弱の中で、下から三番目という散々たる成績だった。

「最悪でもベストスリーには入るつもりだったのに」

 という予定が、

「最悪のワーストスリーになってしまった」

 という結末が待っていた。

 これは一体どういうことだろうか?

 その時、自分が弁論したテープを放送部の人に聞かせてもらったが、それを聞いて、正直愕然とした。声のトーンは高くなりすぎている。以前、自分の声だと言って聞かされたことがあったが、あの声よりもさらに高かった。しかも、声が小さく何を言っているのか分からないくらいだ。

 訛りも酷いようで、自分でもどこの訛りからは分からない。訛りのある土地に住んだことはなかったはずだが、もし考えられるとすれば、子供の頃に一緒に住んでいたおばあちゃんの訛りではないだろうか、

 おばあちゃんは、今は田舎に引きこもってしまったが、確か岡山県だという。だから、岡山弁というのは、

「老人が多い土地柄だ」

 という意識になってしまっていた。

 実際にそうなわけもなく、勝手な思い込みだが、弁論大会での演台に立っている人が岡山弁を喋っていれば、シャレにならないというのも、分かる気がする。

 そんなことで感心している場合ではない。自分の声が聞こえないのは、自分の声が小さいからだけではなかった。ヤジがひどかったからだ。

「おい、もっと大きな声で喋れよ」

 と言われたり、

「何言ってるか分かんねぇぞ。どこの言葉を喋ってるんだ」

 と怒鳴っている人もいた。

 確かにこれだけ声が小さければ、やじりたくなる気持ちも分からなくもない。

 そんな弁論大会だったので、

「これなら最下位にならなかっただけよかったというものだ」

 と、自分が情けなくて仕方がなかった。

 あれほど、リハーサルでも完璧だと思っていて、実際に初めて立った演台もそれほど緊張しなかった。さすがに前が見えなかったのには、ビックリしたが、それでも、普段から一人でいることが多いので、まわりが見えないのは慣れているつもりだったのだ。

 それだけに、演台の上でも自分は完璧だったと思っている。

 一位はさすがに微妙だと思ったが、ベストスリーは間違いないと思っていた。それがここまでひどいというのは、プライドがズタズタにされてしまったということであり、恥ずかしさも相まって、話題にすることすら嫌だった。

 本当は、今夜、家出受賞祝いをしてもらおうと思って、

「トロフィー持って帰るよ」

 などと言っていたのが虚しく感じる。

 だが、家に帰って、しょげていると、弁論大会のことはなかったかのように、誰も家で触れようとはしない。それどころか、普段と変わりなく、

「ちゃんと勉強してるの?」

 という毎日恒例の言葉が飛んでくるほどだった。

「今日はこの言葉聞かなくて済みそうだ」

 と思っていたにも関わらず、まさかの言われように、

「本当に弁論大会なんかなかったんじゃないか?」

 と思ってしまうほどだった。

 それならそれでいい。なかったと思えば、悔しくもない。だが、そもそも、嫉妬から出た大会だっただけに、今回も自分が出た大会で、他の人がトロフィーを貰うのは、やはり悔しくてたまらなかった。

「まあ、しょうがない」

 という気持ちが少しずつ出てきたのだが、それでも、自分以外の人間がトロフィーを貰うのが許せないという気持ちに変わりはなかった。

 ただ、弁論大会に出た理由というのが、そんな理由だったというのが、そもそもの間違いだったというのだろうか。

 いや、そうではない。何がきっかけであっても、やる気になったのだから、それは成果としてはあったのだろう。成績は散々だったが、この経験がいずれ自分を変えてくれるということにまだ気づくはずもなかったのだが、いつの間にか、自然と頭の中に閃くことが多くなってきた。

 それがちょうど、弁論大会に参加した時からのことで、あれだけ嫌いだった大会への参加も違和感なく出れるような気がしてきた。

 高校三年生の時、もう一度、性懲りもなく参加したが、その時も下から数えた方がいいくらいだった。

 やはりリハーサルでも本番でも完璧にできたと思っていたのに、後から再現テープを聞いてみると、酷いものであった。同じことを繰り返してしまったのだが、本人は同じことだとは思っていない。少しずつ成長してのことだと思っていた。

 さすがに現実を思い知らされたが、そのおかげで、何かに挑戦するという気持ちが生まれたのも事実だ。自分に自信が持てるまでには至っていないが、

「自信を持てるように努力することは、自分でだってある権利なんだ」

 と思うようになっていた。

 だが、実際には何をやっていいか分からない。

 いろいろやってみようと思って挑戦してみたが、なかなかうまくいかない。思いつくことはスポーツか芸術であったが、スポーツに関しては、最初から運動音痴だということが分かっていたし、本来スポーツよりも、芸術の方が好きだった。

 なぜかというと、スポーツでは記録として形に残るだけだが、芸術は、人に見てもらえるものであったり、人に感動を与えられるものだという考えを持っていた。もちろん、スポーツがそうではないというわけではないが、俊介の中では、その思いが強かったのだ。

 まず最初は、音楽に挑戦してみた。音楽というと、形に残るというよりも、人が聴いて感動するものだという意識があったからだ。

 そもそもスポーツが嫌だったのは、中学時代に、親善のある他校との交流体育祭というものが、一年に一度開かれ、それに向かって、運動部の連中は張り切って練習をしているのだが、それ以外の生徒は、応援という名目で、自分が見たい種目を自由に見学できるということになっていた。

 スポーツが好きな人はいいが、別に好きでもない人からすれば、

「何で俺たちまで、見学しなければいけないんだ」

 と思っていることだろう、

 生徒の中には、学校を抜け出して家に一旦帰るもの、あるいは、街に繰り出して遊びに行くものもいた。学校側はそこまで厳しくなかったので、すべてのスケジュールが終了する午後三時半くらいに、最終点呼を行うので、その時まで戻っていれば、その日は出席したということになった。一種の授業の代わりである。

 そんな一日をバカバカしいと思っていたのは、結構いただろう。確かに、スポーツを通して育む健康もあるだろうが、好きではない人、あるいは、芸術に勤しんでいる人、受験生などは、溜まったものではない。

 それでも、

「受験生と言えども、勉強ばかりではいけない。スポーツを通して、頑張る姿を見て、明日の活力に変えてくれればいいんだ」

 と言っている先生がいたが、それこそ、

「どこにそんな言葉が載っていたんだ?」

 とばかりに、明らかに自分の言葉で喋っていないということが分かる説得力も何もない言葉を言われても、心に響くわけはない。

 まるで、令和三年における日本の首相のようではないか。

 スポーツは、そういうことで大嫌いになってしまった。

 音楽は押し付けではない。聞きたくなければ聞かなくてもいい。しかし、それはあくまでも表向きで、学校から音楽鑑賞と称して、クラシックコンサートなどに行かされることがあった。

「どれだけ生徒を強制するんだ」

 と思った。

 世間では、

「文武両道を掲げた、理想の教育」

 などともてはやされているようだが、それは大人の理論で、子供はそんなものは関係ない。

 部活だって、やりたいからやっているだけで、いくら学校が興味を持ってほしいと言って音楽鑑賞や、親睦の体育祭を催したって、特に思春期で反抗期の生徒にとっては、反発の材料でしかないのだ。

「大体、文武両道って何なんだ? 一人でスポーツもやって、勉強もでくる生徒を一人でも多く輩出したいということか?」

 と考えると、あくまでも、大人の、いわゆる学校の名誉だけが優先されているように思えてならなかった。

 高校に入ると、さすがにそこまではなかったので、まず音楽をやってみようと思った。しかし、楽譜がなかなかなじめないことと、自分の指が音楽に向かないほど短いということを思い知らされる結果になってしまった。

 そこで次にやってみようと思ったのが、

「小説を書きたい」

 と思ったのだ。

 図書館では、本を読むことはたまにあったが、すぐに眠くなってしまうというので、長居はしなかった。しかし、雰囲気は好きで、本の匂いも好きだった。だから、小説を書いてみたいと思ったのだ。

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