第8話十四歳を全裸で待ち構えていた未来の同僚(メレナーデ)


「油断したのか……」


 ファレジは、リッテルの腕でくたっとしているユアを見つけた。軍の本部に久々に帰ってきたせいで、気が抜けたのであろう。風呂に入る前に、この状態になってしまったらしい。


「風呂は明日かな。朝一で風呂に飛び込んで、ついでに髪も洗いましょう。さすがに、体に力が入っていない状態で風呂に入るのは危ないし」


 リッテルに運ばれているユアは「髪の毛を洗いたかったのに……」と呟いていた。ハデア隊長から髪を伸ばせと命令されたせいもあって、ユアは軍人らしくない長さになっていた。


 艷やかに見える長髪は、戦場では満足に洗えないために脂ぎっている。このまま布団に寝かせるのは可哀そうだが、体に力が入らない状態での風呂は危ない。


「まぁ、戦場では気が抜けないし。本部ぐらいでは気を抜いてもいいんじゃないんですかね。俺たちだって、いつも気が張っていたら疲れますって」


 リッテルの言葉に、ファレジは「甘い」と言った。


「戦場ではないとはいえ、ここは本部。人の眼があるし、そもそも軍人が容易く倒れるような姿を見せるなんてとんでもない。階級を得たからには、それに相応しい行動を求められる」


 ファレジの言い分は正しいものがあったが、それを幼いユアに求めるのは酷である。ただでさえ、ユアの活動時間は限られているのだ。


「分隊長が人に気を許せる場所が増やせるならば、それは良いことだと思いますけどね。それに俺とファレジの旦那がサポートできる場所で倒れてくれるんなら、カバーもしやすいし」


 リッテルとファレジの視線が交差し、火花をちらしていた。良好な関係な二人なのだが、ユアについては意見がぶつかることがある。リッテルは、基本的にはユアを子供として扱い彼の行動や生活を出来る限り手助けする方針である。一方で、ファレジは自立させる方針を取っている。


「父親と母親が、子供の教育方針で揉めるって本当のようだな」


 リッテルの腕の中でユアが大きな瞳を瞬かせるので、大人二人は黙り込むしかなかった。二人とも自分がユアの保護者だと考えているが、父母に例えられるとは思わなかったのだ。


「……今の分隊長は、休むのが仕事。魔力を回復させないと風呂にすら入れないんだから」


 リッテルは仕切り直し、ユアを分隊長たちが使う仮眠室へと運んだ。本部にはいくつかの仮眠を取れる部屋があり、階級によって使える場所が分かれている。分隊長まで出世をすれば、仮眠室は個室を使えた。


 これは、ユアにとっては好都合だ。ユアは魔力が切れたら動けなくなってしまうので、個室は無防備なところを襲われる可能性を減らすことが出来る。


「俺も眠いし……。今日は休みましょう。ほらほら、しっかり休むのも仕事……」


 リッテルはユアを抱えながら、仮眠室のドアを器用に開ける。簡素な作りのベッドだけがある部屋では、裸の女が寝ていた。リッテルは、無言でドアを閉めた。


「ヤバイ……。俺、疲れている。滅茶苦茶に疲れている。思春期にだって、こんな妄想をしたことないのに」


 震えが止まらないリッテルの顔は、今までにないほどに引きつっていた。ユアは、そんなリッテルの顔を不思議そうに見つめている。彼からは、女の裸は見えなかったらしい。


「リッテル、どうかしたのか?」


 ファレジの問いかけに、油の切れた機械のようなぎこちなさでリッテルは振り返った。


「どうしよう……裸の女の幻が見えたんだ。俺は、もう駄目かもしれない」


 自分の見たものを恐れるリッテルの肩をファレジは優しく叩いた。男が多い軍においては、欲求不満はよくある事だ。そうでなければ、軍人の猥談は最悪だなんて巷で言われたりはしない。


「風俗に行くことを進める。今は、恋人はいないんだろう。なら、遠慮することはない。私の独身の同期から、おすすめの店を聞いておこう」


 ファレジの歯に衣着せぬ言葉に、リッテルは「分隊長がいるの!」と叫んだ。


「分隊長の前で、そういう話はダメ!絶対にダメ!!」


 最近の教育に詳しくはないファレジは、首をかしげた。ファレジは常識人なのだが、子供の教育についてはズレている。敎育の心得が、かなり古いのだ。教員免許を持っているリッテルとしては、冷や冷やしてしまう発言も多い。


「……俺も十四歳だ。風俗ぐらいは、なんとなく分かる」


 ユアの言葉に、リッテルの顔は引きつった。軍で生活をしているユアと猥談を完全に切り離すのは難しいらしい。国の方針に沿った性教育がすませているが、軍のなかで語られる歪んだ性交渉のイメージを植え付けられてしまうのは非常に教育に悪い。


「こういう教育は、デリケートなんですよ。ファレジの旦那も少しは気を付けてもらわないと……」


 ドアを再び開けたリッテルは、無言で閉めた。部屋のなかには、全裸の女がいたのである。しかも、今度は部屋の中央で立っていた。全部が見えており、興奮よりも寒気が勝った。


「やばい……。部屋の中に気の狂った女がいる。俺たちが対処すると不味いことになりそうだから、ファレジの旦那はどっかで女性を呼んできてくれ」


 部屋のなかから、乱暴にドアが叩かれる音が響く。リッテルは「ひぃ!」と悲鳴をあげた。


 もはや、ホラーである。


 出来ることならば逃げ出したいが、女性の身の安全などを考えると尻尾を巻いて逃げることもできない。


 なにせ、軍というのは男の方が多い。紳士ばかりとも言えないので、気がおかしくなったとしても全裸の女を放っておくのは良心が咎めた。


「ユア分隊長、どうしてなかに入ってきてくれないんですか!添い寝して差し上げます」


 女性の声が響き渡り、彼女の目的がユアなのだと判明した。


 軍の内部で女性が性的な事件に巻き込まれることは多々あるが、性的な事件を起こしそうになるのは初めての事例だった。この後、部屋のなかの女性は無事に連行される。


 最悪なことに、これがメレナーデとの二度目の顔合わせだった。もっともユアはメレナーデの顔を見ていないし、リッテルにいたっては顔とは別の部分が目に焼き付いていたが。


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