第16話 容赦なき追求

 土曜日の星輪高校は四時間目で終わりを迎える。ホームルームは告知があった日にしか存在しないので、この日はチャイムが鳴り終わると同時に終了だった。学級委員の号令がかかると、夏生は実に中途半端なお辞儀をして、満面の笑みを空色に向ける。

 だが、その瞬間、槇志は打ち合わせどおりに窓の外を指差して、綺理華に言われたとおりの台詞を発していた。


「あっ、あれはなんだ」


 完全な棒読み口調だったが、空色は律儀にもそちらに顔を向けた。

 その瞬間を見計らって行動を起こした綺理華は、一瞬にして夏生に駆け寄ると、みぞおちに拳を叩き込んで気絶させ、そのまま肩に担ぐようにして教室の出口を目指した。教室の扉は素早く先回りした綾子によって、すでに開かれており、綺理華は夏生を抱えたままノンストップで廊下に飛び出して行く。

 ――その間、わずか数秒。まさに電光石火の早業だ。

 もっとも、空色はたっぷり数十秒は熱心に窓の外を見回しており、慌てる必要はまったく無かったようだ。やがてあきらめたように窓から視線を戻した空色は、困ったような顔で槇志に告げた。


「ごめんなさい。何も気づかないんだけど?」

「そ、そうだな。ごめん、なんか見間違いだったみたいだよ。最近疲れているせいか、よく幻覚が見えるんだ」


 またまた棒読みで言うと、空色はむしろ心配そうな顔になった。


「大丈夫、笠間くん? 今日はとびっきり変よ。最近もずっと元気がないみたいだし……」

「い、いや、大丈夫さ。ごめん」


 槇志は後ろめたい思いにかられながら背を向けると、足早に教室をあとにした。

 空色はひとりポツンと取り残されたように立ちつくしている。いつもなら、すぐに声をかけてくる夏生がいないことで、彼女はどんな気持ちになるのだろうか。槇志としては、あまり考えたくない事柄だった。



 薄暗い部屋の中、ライトをまともに顔面へと向けられて夏生は目を細めた。分厚いカーテンに覆われた小さな部屋は、なぜか空調も効いておらず、むわっとした暑苦しい空気が立ちこめている。室内にはありふれた長テーブルと、パイプイスが並べられ、夏生はそのひとつに座らされていた。

 対面には厳めしい顔つきをした金髪の少女が腰かけ、その手は傍らに置かれた電気スタンドの頭に添えられている。そのやや後方にはクールな顔立ちの少女が腕を組んで立っており、冷たい視線を彼へと送っていた。


「あのさぁ、なんの遊びかは知らないけど、せめてエアコンはつけようよ」


 空調を制御するための装置は各部屋の入口あたりに設置されているはずだ。大元のエアコンが動いている限り、すぐにでも快適な室温まで下がるはずである。


「だいたい、生活指導室で勝手に遊んだら怒られると思うよ、僕は」


 なるべく相手の気持ちを和らげようと、夏生は努めて爽やかな笑みを浮かべた。もっとも、端から見れば小悪党が官憲に媚びているようにしか見えない。


「ハチ、わたしの目を真っ直ぐに見なさい」


 綺理華が言った。


「まぶしくて見えないよ」

「目がダメになってもいいから」

「よくないよっ」


 夏生はやや焦った。綺理華が無茶を言うのはいつものことだが、なんだか今日はかなりご機嫌斜めのようだ。


「いったい、これはなんなのさ。ねえ、彩河さんっ?」


 綺理華では話にならないと判断した彼は、その後ろに立っている綾子に呼びかけた。空色を通じて、昨今ずいぶんと仲良くなった彼女なら、自分を助けてくれると判断したのだ。

 もちろん実際には彼が思っているほど仲良くなってはいない――というよりも、むしろはっきりと関係は悪化していた。


「本当のことを話せば、すぐに解放してあげるわ」


 綾子は冷淡に告げてきた。


「ほ、本当のことって……?」


 夏生はとまどいながらふたりの美少女を交互に眺める。綺理華はすでにライトをやや下に向けており、とりあえずは人の顔をしていることだけは確認できた。


「単刀直入に訊くわ」


 身を乗り出すようにして綺理華が口を開く。圧せられたかのように夏生は同じ分だけ仰け反った。


「空ちゃんとあんたの関係――本当は全部嘘なんでしょ」

「ぬぁっ!?」


 夏生は驚くと同時にさらに仰け反り、イスごと後ろへと転がった。背中をしたたかに床に打ちつけ、目を白黒させたあと、あたふたと身を起こしながら抗弁する。


「な、ななな、何を言っているんだよ君は? ぼ、僕と彼女がアツアツラブラブのカップルだということは、み、見れば、み、見るほど明らかじゃないか」


 動揺があからさまだった。


「ハチ、あんたもしかして空ちゃんを脅迫してるの?」


 綺理華がさらに声のトーンを低くして詰問してくる。


「してないよ、僕の目を見なよ!」


 テーブルに両手をついて、夏生は臆することなく綺理華の瞳を覗き込んだ。視線と視線が絡み合い、言いようのないプレッシャーが夏生の心臓をわしづかみにする。逃げ場のない檻の中でライオンと睨めっこしている心境だったが、夏生はなんとか視線を逸らすことなく堪えつづけていた。

 綺理華は真剣な表情のまま夏生を見据えつつ、ライトに添えた手を軽く動かす。光がまともに目に飛び込み、夏生は慌てて顔を背けた。


「目を逸らしたわね」

「当たり前だ!」


 理不尽なやり方に夏生は腹を立てたが、もちろん綺理華に対して強気に出るような度胸はない。


「たしかに、八条くんが空色を脅迫するっていうのには色々と無理があるわね」


 綾子の静かな言葉に、夏生は一瞬ほっとしかけた。しかし、つづく言葉は友好的なものとはほど遠い。


「だから、本当はこういうことなんでしょ。同情を惹くような嘘を使って、空色を無理やり彼女にした。たとえば自分があと半年の命だとか言えば、お人好しのあの娘のことだもの、恋人のふりくらいはするはずだわ」

「うぬぬぬっ、なんて卑劣な!」


 綺理華が綾子の推論を真に受けて怒りを倍増させる。吹き出たオーラが陽炎のように揺らめいているような錯覚さえ受けた。


「ち、ちょっと待ってよ、ふたりとも!」


 夏生は慌てて叫んだ。相手を制止しようと両手を前に突き出しながら抗弁する。


「僕はそんなことしてない、したくないし、するわけもない。だってそんなことしたら、僕が愛する空色の笑顔が曇っちゃうじゃないか!」


 この言葉に綺理華と綾子は、ややとまどうような仕草を見せる。手応えを感じた夏生はさらにまくし立てた。


「冷静に考えてみなよ。最近の空色の笑顔にどこかおかしな点はあるかい? 少しでも不幸せそうに見えるかい?」

「あんたと並んでいるだけで、どんな女も不幸に見える」


 綺理華は身も蓋もないことを言ってくる。


「無茶苦茶言うなよっ。だいたい、僕と空色の愛が嘘だなんて話、いったいどこから出てきたんだよ!?」


 夏生が叫んだちょうどそのとき、生活指導室の扉がガラリと開き、心地よい冷えた空気とともに槇志が姿を現した。


「うわっ、なんだよ、この空気は?」


 室内の熱気を浴びて顔をしかめている。

 彼の出現と同時に、夏生はすべてを悟った――つもりになった。


「そうか、君の指図だったんだな、槇志」

「え?」

「見損なったよ、槇志。いくら親友とはいえ、僕と空色の愛をこんな卑劣な方法で引き裂こうなんて!」

「いや、ちょっと待てよ、俺はどっちかっていうと、このふたりに巻き込まれただけで……」


 弁明してくる槇志だが、夏生には見苦しい言い訳にしか聞こえない。


(つまり、槇志のヤツは空色に未練たらたらなわけか。これは僕にとっても、空色にとっても不都合だ。ここはやはり、きっちりとどめを刺しておかなければ!)


 夏生は自らの知識の中から、恋敵に対してもっとも効果的だと思える言葉を選び出すと、綺理華の横を大回りに通って、槇志に歩み寄った。


「槇志、この際だから君には、はっきりと言っておこう」


 夏生はなんだか性格の悪い生徒会長のような澄まし顔を浮かべる。


「な、なんだよ?」


 やや怯んだ様子の槇志に向かって、夏生は険のある悪趣味な形に口元を歪め、そして告げた。


「あたし彼女と寝たわ」


 その瞬間、暑苦しいはずの室温が、急激に冷え切ったような気がした。


(しまった! これは女の台詞だったー!)


 夏生は胸中で己のミスを嘆いたが、場の空気が変わったのは台詞をとちったせいではない。むしろ彼の言わんとしたことの意味が正確に伝わったためだ。

 バキッという何かが砕け散る音が聞こえて、夏生は驚いて振り返った。

 見れば綺理華が、おそらくは学校の備品であるはずの電気スタンドを、笠もろとも電球まで握りつぶしている。うつむき加減の表情は前髪に隠されて見えなかったが、怒り狂っていることだけは疑いようもない。

 戦慄が背筋を突き抜け、全身からどっと脂汗が噴き出してきた。膝は恐怖にガクガクと震え、逃げなければならないのに上手く足が動いてくれない。

 すくみあがる夏生の視線の先で、綺理華がゆらりと立ち上がる。開いたままの扉から差し込む光で、その表情がはっきりと見えた。

 意外なことに、綺理華はいままでに見たことの無いような、穏やかな笑顔を浮かべていた。しかし、いつもとは異なるその平穏さが、なおさら本能的な恐怖をかき立てる。


「さようなら夏生。わたし、あんたのこと嫌いじゃなかったわ」


 目尻に涙さえ浮かべて綺理華は言った。それが今生の別れの言葉であることは疑いようがない。


「うわぁぁぁっ、思いっきり殺す気だあああっ!」


 夏生はよりにもよって槇志の背中に隠れてガタガタと震えまくる。それを見ても綺理華は気にした様子もなく、軽く身を屈めて、いまにも飛びかかってきそうな気配を見せた。


「ダメだ、ひとりじゃ足りないぃぃっ!」


 夏生はさらに、ことの成り行きに茫然としていた綾子の腕をつかむと、自分のほうへと引き寄せ、立ちつくす槇志ともども盾にしてみせた。


「ちょっと、痛いじゃない! 放してよ!」

「放したら殺されるぅぅぅっ」


 恐怖に声を震わせる夏生。抵抗する綾子を意外な力強さで抑えつけている。ほとんど恐慌状態だ。そんな彼に綺理華は穏やかすぎる声で告げる。


「ハチ、これ以上、わたしを失望させないで。そんなことしたって、あんただけ殺っちゃうのは簡単なんだから」

「ま、待って、紫葉。ぼ、僕は本当は――」


 恐怖に絶えきれなくなった夏生は、思わず真実を口にしかけた。

 しかし――、


「もういい……」


 槇志がぼそっと発したひと言で、場に張りつめていた緊張感が霧散していた。


「え?」


 綺理華がきょとんとした顔を槇志に向ける。


「もういいんだ、紫葉」

「笠間くんっ」


 綾子は非難のこもった声をあげた。しかし、次の瞬間、はっとしたように声を呑み込む。


「夏生も天咲も、俺たちの仲間じゃないか。そのふたりの仲を疑ったり、邪魔したりするのは良くねえよ」


 力の無い声で槇志は言った。口元には微笑とも薄笑いともつかない笑みを浮かべている。それはたしかに笑顔の一種ではあったが、この上なく悲しい表情だった。


「槇志……」


 深く傷ついた親友の顔を茫然と見つめる夏生。彼がどれほど空色に惹かれているのか、それが痛いほど伝わってくるようだった。


「悪かったな夏生。嫌な思いをさせちまって。けど、もう邪魔はしねえよ」

「い、いや、いいんだ。僕のほうこそ、君への配慮が足りなかったよ」


 夏生の言葉に槇志はとくに表情を変化させることなく、最後にひと言付け足した。


「俺が言うのも変だけど……天咲をよろしくな」

「う、うん」


 夏生がうなずくと、槇志は背を向けてゆっくりと去っていく。その背中を見つめながら、夏生は寂しげにつぶやいた。


「恋って残酷だね。勝者も敗者も、ともに傷つくことがあるんだ」


 何だかテレビドラマの締めの場面のような台詞だったのだが……綺理華たちはそれほどあまくはなかった。


「あんたを勝者にする気はないけどね」

「え――」


 疑問符の付いた声をはっきりとあげる暇もなかった。夏生はいきなり首根っこを綺理華につかまれて、部屋の奥へと引きずり込まれる。同時に綾子が扉を閉めて鍵をかけた。


「さて、尋問をつづけましょうか」


 ふたりの少女は揃って冷淡な視線を夏生に向けた。


「ち、ちょっと! 槇志の言葉は聞いてなかったのかい!?」


 夏生の物言いに、綾子がかえって怒りを露わにする。


「その笠間くんを、あそこまで傷つけて、どうして平気でいられるのよ。あんな傷ついた顔を見せるなんて思わなかったわ。おかげで呼び止めることもできなかったじゃない」

「しかたないだろ、恋は残酷なんだ!」

「そう……。あくまでもとぼけるというのならしかたがないわ。わたしたちが恋なんかより、はるかに残酷だってことを教えてあげる」


 綺理華は壮絶な笑みを浮かべた。


「うひぃぃぃぃぃっ!」


 夏生は局地的な地震にでも見舞われたかのようにガタガタと震えた。

 この後、少女たちの尋問は実に四時間半もつづいた。

 夏生は精も根も尽き果てた状態で、ようやく解放されたのだが、彼がこの尋問に耐えきることができたのは、皮肉にも恐怖と暑さで意識が朦朧としていたからだ。しかし、少女たちは最後まで疑念を抱いたままであり、この分では明後日の月曜日が不安である。

 だが、とりあえず明日は待ちに待った日曜日。空色とのデートの日だ。一緒に、改装されたばかりの市民プールに出かける約束をしており、夏生としては彼女の水着姿がいまから楽しみだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る