エピソード30:サービスです


「まだ営業されてたんですね? てっきり閉店したものかと。去年? いや、それよりちょっと前にのぞいた時は、ずっと閉まっていたから」


「いやはや申し訳ない。ちょっと剣道で手首を痛めてしまったと言うのを口実に、一年ぐらいブラブラとしていた時期があってね」



 ここはーーーー



 昔ながらのという言葉が良く似合う、そんな喫茶店。


 ご存知、喫茶 Night view。




 閉店迫った店内のカウンター席には、ビシッとスーツに身を包んだ40代ぐらいの男性客がマスターと談笑していた。



「センパイ、初めて見るお客様ですよね?」


「そうだね。常連さんってのは、間違いなさそうだけど」



「はい。マスターがいつもより、なんだかちょっと嬉しそうですし」



 確かに……マスター嬉しそうだ。


 もう一年近く働いている俺でも、お会いしたことのないお客様ではあるのだけど。そもそもうちの喫茶店は常連さんが多い。それでもカウンター越しのマスターは、いつもより楽しそうに見える。


 そういえば 喫茶Night viewって、いつから営業しているんだろう? 



 あっ……



「じゃあマスター、また来ますね。今度はみんなで」


「楽しみに待ってるよ。本当に悪かったね」


 

 謝罪の言葉を口にしながら、マスターはお店の外までその男性客を見送っていた。マスター自ら店外までお見送りする場面を初めて見た俺は、思わず真央ちゃんと顔を見合わせる。



「彼はね、私が初めて採用したアルバイトの子だったんだよ。もう20年以上前になるかな?」


 ご機嫌そのままにマスターは『男前だっただろ?』と笑みを浮かべ、カウンターの奥へ戻ると俺たちに上がる準備を促してきた。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 いつも通り先に着替え終えた俺は、カウンター席に腰を掛け真央ちゃんの支度を待つ。『いただきます』と、マスターが淹れてくれたダージリンに口をつけ、横に置いた紙袋を見ながら、大事なことを思い出した。


 

「マスター、ちょっとご相談なのですが」


「大地君、改まってどうしたんだい? ん? あぁ、真央ちゃん、可愛いだろう?」


 と、ニヤニヤしながら、何故か鼻歌交じりにマスター専用カップに珈琲を注いでいる。



「実は、俺の妹なんですけど……そろそろ誕生日で。プレゼントをどうしようかなと」


「そ、それを私に聞くのかい!?」



「すみません。なんとなく、マスターだったらって」


「それは嬉しいけど。確か、中学2年生だったよね?」



「はい、そうなんですよ。何かアイデアありますか?」


「それなら、真央ちゃんに相談してみるといいんじゃないかい? 妹さんの気持ちを、一番理解してくれるんじゃないかな? 大地君のお願いなら、快く相談を受けてくれるよ」



「私がどうかしました?」



 振り返ると不思議そうに首を傾げた真央ちゃんが更衣室の前に立っていた。



 少し誤魔化すように俺は『お疲れ様』っと真央ちゃんに声を掛ける。



「お疲れ様です……って、センパイ、マスターと私の話をしてましたよね? なんの話をされていたんですか?」


 真央ちゃんは俺のすぐ隣の席に座ると、覗き込むように見つめてくる。



 『妹の誕生日プレゼント、何がいいと思う?』って、単純な問いなんだけど、なんだか真央ちゃんに幼いって言っているような気がして。


 少し躊躇ためらってしまった俺は、マスターに視線を向ける……が、素知らぬ顔をしたマスターは、左手を腰に当てて優雅に珈琲を飲んでいた。



「さっ、真央ちゃん帰ろうか。遅くなっちゃうしね」


 そう口にしてから俺は立ち上がり、『マスター、ご馳走様です。今日もお疲れ様した』と軽く頭を下げて入口に向う。


「あっ、センパイ? もぉ……。マスター、今日もお疲れ様でした。お先に失礼します」


「はい、二人ともご苦労様。気をつけて帰るんだよ」



 俺がドアを押すと『カランカラン』っと、いつものように音が鳴って、店の外へ一歩踏み出そうとした時、再びマスターの声が聞こえた。



「そうそう。彼の奥さんもね、ここで、一緒にアルバイトをしていたんだよ」



 そんなマスターの一言に、慌てて振り向いた俺の視界には、目を瞑りながら専用カップに口をつけ、俺たちに手を振る白髪をオールバックにした紳士の姿が映った。


 その言葉と仕草に、若干思考を奪われかけた俺の肘の下辺りへ、ぽよんっと柔らかい感触を感じる。



「センパイ、さっ、帰りましょ」


「まっ、真央ちゃん?」



 俺と腕を組み、少し強引に店外へと連れていかれる。時々当たる柔らかな真央ちゃんのそれにドキドキされられたかと思うと、急に真央ちゃんは俺から離れた。



「センパイ、私、お店に忘れ物をしちゃったので、少しだけ待っていて貰って良いですか?」


「あ……あぁ。待ってるよ」



「ごめんなさい。すぐ戻ってきますので」


「慌てなくて大丈夫だから」



 良かった。何か臭ったとかじゃなかったみたいだ。あ、あんなにくっつかれると色々な意味で……



「お待たせしました、センパイ」



 程なくしてお店から出てきた真央ちゃんは、何故かとても嬉しそうで。さっきと同じように紙袋を持っていない俺の腕へと抱きついてきた。



「どうしたの真央ちゃん?」


「いつも送って頂いてるセンパイに……サービスです」



 えぇ!? サービスって。でも、この距離は



「イヤ……ですか?」


「い、嫌とかじゃないんだけど、きょ、距離がね。臭いとか、気になったりするから」



 さっきよりもぐっと真央ちゃんの腕に力が入り、柔らかな感触がより鮮明に俺へと伝わる。



「私、センパイの香り、大好きですよ」



 上目遣いに俺を見つめた後、真央ちゃんはそっと胸の辺りに顔をつけてきた。



「センパイはいつも、とっても良い香りがします。てっきり小さいから、がっかりして嫌だったのかなって」


「そっ! そんなこと……思ってないよ。思わないよって、何言わせるんだよ」



 そんな俺の返しをニコニコと笑顔で迎えとくれる真央ちゃんは、本当にご機嫌そのもので。薄暗いこの道を照らしているように思えた。


 そして俺は、真央ちゃんとの帰り道を、ちょっと懐かしく感じている。


 

 俺の肩へ届かないぐらい小さな女の子。笑顔が可愛くて、どことなく甘え上手なところが守ってあげたくなるような女の子。


 可愛い後輩……なんだけど、妹のような。だからちょっと


 

 懐かしい。



「あっ!!」


「急にどうされたんですか? センパイ」



「忘れないうちにと思って。これ、前に話していたスパイクやウェア」



 俺は手に持っていた紙袋の中が見えるように広げた。



「せ、センパイ……こんなにたくさん頂けません。こ、こんなに」


「真央ちゃん気にしないでよ。前にも話したけどさ。使ってもらった方が、この子たちも喜ぶから」



 でもっと、呟きながら、俯いてしまった真央ちゃんを見て。


 さっきまであんなご機嫌だったのに、俺のこういうところが、女性から嫌われてしまう要因の一つなのかなって、考えたりする。



 俺は真央ちゃんと向き合って、『ごめん、迷惑だったかな』っと、そう口にした。



「迷惑だなんて! せ、センパイ、今は見ないで下さい」


「え?」



「わたし」


「真央ちゃん?」



「私……嬉しくて。


 本当に嬉しくて、泣いちゃいそうだから」



 自然と


 無意識って言葉を体現するぐらいに俺は


 気づいた時にはもう、体が動いていて……



       『あとがき』


真央ちゃんの忘れ物



『カランカラン』


「おや? 真央ちゃん、忘れ物かい?」

「マスター、ちょっと相談があるのですけど?」


「ふふふ、本日二度目だな」

「え?」


「いや、なんでも。それで私に相談とは、どうしたんだい?」

「あの……」


「どうしたの? 別に怒ったりしないよ」

「もおーー、マスター? そんな子供扱いして」


「で? どうしたの?」

「あの……お店の。お店の制服で、お買い物とか、行ってもいいですか?」


「んん? あぁぁ。構わないよ。でも、いいのかい?」

「ハイ! それは私にしかできないと思うので」


「そうだね。 真央ちゃん、頑張って」

「マスター、ありがとうございます!!」

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