第16話 ヤミツキ




 気づいたら広場にいた。目の前にはピィピィ。

 ピィピィは、僕がくるのを待っていましたとばかりに、僕の周りを鳴きながらぐるぐると飛び回る。

「ねぇ、ピィピィ」

「ピィ?」

「ピィピィは、相沢さんのところに連れていってってお願いしたら、できる?」

「ピイッ!」

 ピィピィが耳の先で差す方へと、とぼとぼ歩いた。

 一番話ができそうなのは、相沢さんだと思った。

 相沢さんと話をすれば、何かわかる気がした。

 ここの建物、大きいくせに出入り口が少なすぎるんだよ。この世界に火事とか地震とか、そういうのはないってことなのかな。避難しろって言われたら、両手を上げて「無理!」って叫びたくなるくらい、ヘンテコな建物。

 それとも、アレかなぁ。

 扉を開け閉めすると、中の構造が変わったりするくらいだから、外とつながる扉なんて、ひとつあればいいとか?

 何日か前までは、ここに来るとワクワクしていたはずなのに。今はただ、心が重だるい。

 もう歩けないって愚痴りたくなるくらい歩くと、ようやく扉が見えてきた。裏口、かなぁ。ちょっとホテルっぽくない扉だけど、ピィピィが「あっちあっち」ってしてるし、あそこから入ろう。

 コンコンと扉をノックしてみる。中から応答はない。

「す、すみませーん!」


 声を出しながら、誰もいない、スタッフルームみたいなところを進んだ。

 電気がつけっぱなしだから、お化けが出そうとかはないんだけど――

 ひとりって、こんなに心細いんだなぁ。

 情けないな。足がブルブル、震えるなんて。

「だ、誰!?」

「わ、わわわ!」

 急にどこからか聞こえてきた声にびっくりして、うわずった声が出た。声がした方を見たら、会いたかった――探していた相沢さんがいた。

「なんだ、夢野くんでしたか」

「相沢さん! 話したいことがあって!」

「よくここに来られましたね」

「うん、ピィピィが連れてきてくれた」

「ぴ、ピィピィ?」

 これこれ、と指差すと、相沢さんは腑に落ちらしい。顔から驚きが一瞬にして消えた。

 ピィピィはといえば、「連れてきたんだから褒めてよ」なんて顔で、言葉を待ってる。

 待ってるけど、相沢さんは褒めない。僕はなんとなく……頭をヨシヨシしてやった。

「ここは関係者以外立ち入り禁止のエリアです。ひとまず、応接室にでも行きましょうか」

 相沢さんに誘われ、たどり着いたその部屋は、普通に生活していたら入ることのない、ドラマとかでしか見たことがないような豪勢な部屋だった。

 正直、居心地が悪い。

 ふかふかのソファも、なんてことない時に座らせてもらえたならはしゃぎそうだけれど、今はなんだか不快だ。

 ピィピィは満足そうに座ったり、跳ねたりしているけれど。

「それで、話とは?」

 部屋の中にある小さな冷蔵庫から水のペットボトルを二本取り出して、片方を差し出しながら、相沢さんが問うてきた。

 ぺこりと会釈してそれを受け取る。ふう、とひとつ息を吐いた。

「この前の、薬の話、なんだけど」

 相沢さんがキャップをひねるカチッという音が、中途半端に鳴った。息をのむ。また鳴る。

「間に合いませんでしたか?」

「えっと、その。よく分からなくて」

「よく分からない?」

「飲んだかどうかも。話、出来なくて」

「それは、ええと?」

「……学校で会えると思ったんだけど。眠ったまんま起きなくなっちゃって。だから、話せてない」

 沈黙が続く。水が喉を通るゴクリという音が、マイクとスピーカーを通したみたいに大きく聞こえた。

「こちらに来てから、会いましたか?」

「あ、え、えっと……すぐに相沢さんに話を聞こうって、そればっかり考えてて、だから……」

「責めるつもりはありません。その子はホテル内にいます。後で探してみてください」

「分かった」

「あと、あなたにはお伝えしておこうと思うのですが。……飲んだのは没入眠のジュースだと思います」

「ぼ、ぼつ……なに?」

「没入眠。それを飲むと、チェックアウト要件を満たせなくなります。よって、この場所に居続けることが可能になる。居続けるということは、つまり、現実における覚醒は、ない」

「え?」

「一度飲んだら病みつきです。私は――数ヶ月、目を覚まさなかった人を知っています」

 喉の辺りまで「その人は誰?」が膨らんできて、でも言っちゃダメだ、って、何度も飲み込む。

 もしも、だ。もしも彼女がケラケラ笑って話していたなら、多分悩まず聞いたんだ。でも、今。目の前の顔は、暗く沈んでいる。笑ってなんかない。こんな、苦しい顔をしている人に、ただブクブクと膨らんで、喉から飛び出していきそうな衝動を、ぶつけるのは怖い。

 口をつぐんだ。僕から次の言葉を吐く勇気がなかった。気がきくのか、小心者なのか知らないけれど、少しも勇気が膨らまなかった。


 何も言わない僕を見て、相沢さんが、ふふっと笑った。

「まぁ、私のことなんですけどね」

「……え?」

「少し前まで、没入眠してました」

「い、今は?」

「今は普通に暮らしていますよ。早寝遅起きですけど」

 キャップをぎゅっとしめたペットボトルを、ポンと上に放ってキャッチした。キラキラと水が光る。

「大人たちが『覚醒剤はいけません』っていうけれど、可愛いラムネみたいなやつとか、ちょっと興味あったんです」

「え、えっと……まって」

「飲んではいないですよ? どうやって買うのか、知らないし」

「うん」

「でも、死ぬまで絶対、危ない薬には、知らない人から与えられたよく分からないものには、手を出さないって決めたんです。あのジュースにから、興味よりも恐怖を抱くようになって……」

「そんなに、夢中になるものなの?」

 飲んでいた頃を思い出しているらしい。遠くを見つめたまま、口をつぐんでしまった。

 僕は、相沢さんの言葉を待った。

「離れたほうが幸せになれるって、心のどこかでわかっているのに。溺れていれば楽だからって、辛い今を受け入れてしまうというか。勇気のいる一歩を踏み出すことから逃げるために、それに依存してしまうというか」

 すごく悲しい目をしていた。すごく強い想いが滲んで、目から溢れていた。



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