第8話 うそ?




 ―――――――― チェックアウト――――――――

 リトルホテルのご利用、ありがとうございました。

 またのお越しをお待ちしております。

 ――――――――――――――――――――――――


 チェックアウト、できたみたいだ。

 ほっぺたを両手でパンパンっと叩いた。痛いから目が覚めている。それに、おかげで気合が入った。

 リビングに行くと、お父さんが仕事に行く準備をしていて、お母さんは朝ご飯を作るのに使った道具を洗ったり片づけたりしていた。

 ふたりには、絶対言わない。リトルホテルのことは、絶対に内緒だ。

「おはよう」

 大きな声で言った。

 ずっと目覚ましが鳴っているっていうのに起きなくて、お母さんに怒鳴られるくらいに熟睡していたはずの僕が、こんなにはっきりと挨拶をするとは思わなかったのかもしれない。お父さんもお母さんも、びっくりしていた。

 朝ご飯をかきこんで、準備をして学校に行った。疲れはしっかりとれている。ちゃんと寝た後の、すっきりした感覚が確かにある。

「おはよう!」

 教室のドアをガラガラと開けながら、叫んだ。

 みんなも元気そうにしていた。だけど、タイチはむくれていた。

 ここで詳しい話をするわけにはいかない。けれど、一言。言っておくべきことがある。

「タイチ、ごめん。道に迷った」

「嘘つかなくていいよ」

「嘘じゃないよ」

「あそこで道に迷った奴なんか、ひとっこひとりいないやい」

 ひとっこひとりいない、とまで断言できるほど、タイチはあそこに行って、いろいろな人と交流しているんだろうか。それとも?

「ほんとだってば」

「あっそ」

 信じてもらえない。でも、大丈夫。今晩またリトルホテルに行って、今度こそちゃんと部屋に行って、待ち合わせとかしたらその場所に行けばいいだけだ。僕はちゃんと、たどり着いてみせる!


 授業やクラブ活動を終えて、家に帰った。今日はそんなにおやつを食べたい気分じゃない。だからすぐに宿題を終わらせて、イメージトレーニングを始めた。

 メモリのことはちょっとわかった。

 あの、時計みたいなやつ。アレを見ればいい。みんなと別れて部屋に行くことがあるなら、きちんとメモリを見てから行くんだ。

 相沢さんに会った時。そう、ホテルのロビー。あそこにあった。きっと、相沢さんが居ない館――僕が居るべき館にも、同じようにメモリの時計があるはずだ。ロビーに行ったらすぐに見よう。そうだ、公園に時計があるみたいに、他の場所にもあるのかもしれない。遊ぶのに夢中になって、気がつかなかっただけで。もし、余裕があったら、メモリがほかの場所にもないか、探してみよう。

 今日はやることがいっぱいだ。気合を入れて、眠らなきゃ。

 イメージトレーニングをしていたら、いつの間にか夜だった。

 気づいたら電気が必要なくらいに暗くなっていて、レースのカーテンだけの窓から射し込む光が部屋を照らしている。

 お母さん、帰ってくるの、遅いな。

 電気をつけて、厚い方のカーテンを閉めた。

 時計を見る。普通の時計を。いつもなら、もうお母さんがご飯を作っている時間だ。

 なにか、あったのだろうか。

 こういう時、すごく不安になる。

 もし、お母さんに何かあったら。

 僕はお父さんとふたりになっちゃう。

 お父さんは好きだ。嫌いなんかじゃない。でも、お母さんも一緒がいい。みんなで一緒にいたい。

 怒られたりしてもだ。それでも、一緒がいい。

 タイチとか、みんなと一緒にいたいって思うのと、似ているようで、ちょっとだけ違う気がする。

 僕はまだ子どもで、まだ甘えん坊なのかもしれない。

 お母さんは、ちょっと別格。

 そんなことを考えていたら、少しだけ恥ずかしい気持ちがわいてきた。

 ただ、お母さんが大事っていうのが、少しだけ恥ずかしい。

 玄関から音がした。鍵を開ける音だ。続けて、ドアが開く。


「ごめん! お待たせ! コウジ、すぐごはんにしようね!」

 ドアを締め切るのを待たず、靴を脱ぐのもそこそこに、お母さんが玄関で叫んでる。

 元気いっぱいの疲れた声。大好きな、お母さんの声だ。

「お母さん、おかえり!」

 玄関まで出迎えに行ってみた。いつもはこんなことをしないからか、ちょっとだけ不思議そうな顔をしてる。

 床に置いてあったスーパーの袋に目をやると、「遅くなっちゃったからコロッケ買ってきたの」と気まずそうにお母さんが笑う。「コロッケ大好き。やった!」そう喜んだら、ホッとした顔になって、僕もホッとした。

 スーパーの袋をキッチンまで持って行く。たいしたお手伝いではないけれど、これくらいはできるし、したかった。

「ありがとね」

 頭をポンポン、と撫でられる。

 ちょっと恥ずかしくて、でもすごく嬉しかった。

 冷凍ご飯をチンして、即席のお味噌汁を作る。もう千切りになってるキャベツとコロッケをお皿にのせて、いただきますの挨拶をした。

 もぐもぐ食べていたら、お父さんが帰ってきた。

 だから、途中からみんなで晩御飯を食べた。

 休みの日はみんなで食べられるけれど、学校がある日はちょっと珍しい。

 お父さんが早く帰ってきてくれた。だから、たくさん話をしたい。けれど、リトルホテルに行かなくちゃ。そこで、タイチと話をしなくっちゃ。

 やることとやりたいことがごちゃごちゃになる。やりたいことが山のようにあったとしても、その時に何をするかを選ぶのは、自分だ。

 お風呂に入って、寝る準備をして、ふたりに「おやすみなさい」の挨拶をした。

 お父さんは、「早寝早起きをするって良いことだよ、偉いね」と笑った。

 本当は、もっと喋りたかったんだよ? でも、今は我慢。今は我慢? 今日は、我慢!

 寝るぞ、寝るぞ! と気合を入れるからか、目が冴える。

 あれ、何かを忘れているような、そんな気も……。

 ハッとして、布団から抜け出した。

 ランドセルのポケットに手を突っ込んで、封筒を取る。中から板を引き抜いた。


 ――――――――――チェックイン――――――――――

 リトルホテルのご利用、ありがとうございます。

 チェックインがすみました。

 お部屋へのご案内は、夜10時となっております。

 お待ちしております。

 ――――――――――――――――――――――――――


 危ない、危ない。チェックインを忘れるところだった。

 今日は、10時なんだな……。

 これを引き抜かなくても入れるのかもしれないけれど、入れないかもしれないし。今は、入れるかどうかを実験している余裕なんてない。きっと、大人にこのことを話さなければ、何回でもあそこに行けるはずなんだ。だから、この先、なんてことない時にそれを試せばいい。それに、そうだ。もしかしたら説明書に詳しく書いてあるかも。この前は、チェックアウトのことばかり読んでいたから、チェックインの所はほとんど読めてない。今晩、チェックアウトする前に、余裕があったら見てみよう。

 なんだか、やることが山のように増えていくなぁ。


 相変わらず、目はぱっちりしたままだ。

 このまま10時を過ぎたとしたら、どうなるんだろう。

 急いで寝るために、頑張ってひつじを数える。



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