第7話 ソニアは激怒した

 着陸したトルノは、シャワーを浴びる間も与えられず、司令官のオフィスに呼び出された。

 戦闘機を用いた私闘をやらかして、おとがめ無しなはずもない。降格か減給かもしくは営倉入りか。とはいえ人手不足の状況を考えれば、飛行資格の取り消しはあるまいと高をくくっている。


 しかし状況は、予想を超えて深刻だった。


ジャグをイジメないで下さいよッ!」


 デスクの上でクルカルニが手を組んでいる。無表情を装っているが、灰色の瞳には愉快なものでも見物するような光が踊っている。

 その横にはミラ・アミッシュ少佐が立っている。こちらは完全な無表情で、凍てつくような視線を送り込んでくる。

 そしてジャグの技術担当者であるソニアが、直立するトルノに猛然と食って掛かった。


「いや、イジメたつもりは無いんだが……」

「黙らっしゃい!」


 飛び級を重ねて18歳で大学を卒業したソニアは、人工知能の開発に携わった今でも20歳を過ぎたばかりだ。

 小さな顔に大きな眼鏡、加えて低身長。童顔を真っ赤にした彼女に詰め寄られたトルノは、ハイスクールの生徒に叱られているような気分になった。


「このデータを見てください!」


 困惑するトルノの目の前にレポート用紙が突き出される。右肩上がりの折れ線グラフは、最後の部分で跳ね上がっている。


「これは?」

「ジャグのプロセッサー稼働率です」


 数値はジャグがここに来た日から計測したものだった。初日は機体とのマッチングや司令部とのデータリンク確立。パイロットやスタッフたちとの出会いや彼らに関する情報収集など、すべき事の多さに比例して数値が高い。

 翌日からは戦闘に参加して、空戦時の数値が高いのは当然だ。


 友軍の安全と自機の保全、敵機の撃墜と作戦成功のために演算すべき事は多い。その上ジャグには、生身のパイロットの戦術を学習するという課題も与えられている。


「それが、数日後から変化します」


 それまで高かった戦闘時の数値が落ち着きを見せたのは、ルーチンの最適化が成された結果。つまりは“慣れ”だ。

 しかしそれとは逆に、今度は待機中の数値が上昇し始める。


「ジャグには、あなたたちパイロットと円滑な関係を築くように指示を与えているんです」


 デラムロ王国軍の無人兵器運用に関する方式メソッドは不明だが、その方面で遅れを取っているアストック軍では、まずは戦闘用AIの育成からスタートする必要があった。


 戦闘で鹵獲ろかくした機体を調査した結果、デラムロの戦闘用AIに言語機能は存在しない。

 しかし、ジャグを始めとするA.W.A.R.S.エイワースの人工知能にそれが与えられたのは、生身のパイロットたちとの共同作戦による運用を企図したからに他ならない。


「でも、それが上手く行かなくて、は悩んでいます」


 友好関係と信頼関係の構築。目的達成のために何をすべきか、ジャグは考える。

 より多くの敵機を撃墜し、生身の人間である彼らに掛かる負担を軽減する。でしゃばらず、余計な事は言わない。ジョークで人を笑わせる機能も彼にはない。


 その計算と配慮が好意的に報われると、ジャグは期待していた。敵のAI兵器に脅かされた彼らが、最初から自分を受け入れる事が無いことも想定していた。しかしそれでも、計算は外れた。


「ボクたち人間は、どうにもならないと思えば諦める。開き直る事もできます。でも彼にはそれができないんです」


 要因も分からない自分のミスを検証する。期待外れの再計算を繰り返す。

 人の感情はリセットできないと理解しながら、好転の見込みが減り続けるのを分かりながら、それでも問題を放棄できずに考え続けている。


 これがプロセッサーの稼働を上げている。つまりはストレスだった。

 結果として、待機室でパイロットと過ごしている時よりも、空戦に集中している時の方がストレスが軽いという逆転現象が起こっている。


「そこへ来て、さっきの中尉の言動です」


 最後に跳ね上がった数値は、言われずとも分かる先程の模擬戦によるものだ。

 撃墜の危機にある味方機の救援と、それを達成した後の叱責。そして予想外の敗北。

 どれかひとつを取っても重大なストレス要因が、同時に3つもやってきたのだ。これが愉快な道理がない。


「ジャグはもう、カンカンです!」

「あんただろう、カンカンなのは」

「当然、ボクもカンカンですッ!」


 つい口を挟んだトルノは、即座に後悔した。


 ソニアの言葉の通り、ストームチェイサーに搭載されたジャグ本体の発熱は、危険なレベルに達していた。

 コクピットには陽炎が立ち上り、アルミ製の筐体が溶けてしまう。最新鋭機の電装品が焼けてしまう。巨額を投資したプロセッサ・ユニットが燃えてしまう。

 しかし安易にシャットダウンは出来ない。政府の肝煎りによる軍産共同の成果を守ろうと、スタッフたちは必死の冷却に努めていた。


 物理的な意味でカンカンな黒い水ジャグ筒は、クルカルニのデスクの上で沈黙しているが、彼の開発者にして保護者を自認するソニアは黙っていなかった。


「機械だから、感情が無いからどう扱ってもいいって言うんですか」

「そんな事は言っていない」

「でも実際にジャグをイジメているじゃありませんか、このヒトデナシ!」


 欲望も打算もなく、人の役に立つ事を目標にしている者が、無理解と不寛容に晒されている。

 他でもない、助けるべき仲間からの疎外そがいと軽視に、文字通りに身を焦がしている。


 それを思うと、怒りと興奮でソニアの瞳に涙が滲んだ。喉の奥がかっと熱くなる。声が湿るのをものともせずに、目の前に突っ立っているトルノをなじった。

 しかし、口から出る言葉は嗚咽おえつに塗れて伝わらない。理路整然と追い詰めて謝罪の言葉を言わせるつもりが、今は自分が頭を垂れている。

 トルノの胸を拳で叩いても、紛れない悔しさに涙がこぼれた。


「ボクは……ジャグは……ッ」


 踏ん張っていたはずの脚が震えて立っていられない。よろけた所をトルノに支えられて、後は声を上げて泣くことしかできなかった。

 泣き崩れるソニアをミラが引き離すと、それまで黙っていたクルカルニがようやく口を開いた。


「バンクロイド中尉には、ジャグと正式なコンビを組んで貰う」

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