あたしとあなたはLonelyLover

野々露ミノリ

Prologue「あたしとダーリン」


 森が燃えていた。

 ごうごうと燃えていた。

 夜空にゆらゆら黒煙が昇る中、月と星はただその様子を静観するだけだった。

 遠い町の方では警鐘が鳴っていた。

 もうじき警察官がやってくるはずだ。

 パーシアは目の前に立つ恐ろしい怪物を見上げ、あんぐり開いた口を両手で覆った。


(あらら大変っ。ダーリン、ドラゴンになっちゃったわ)


 つい数分前まで、彼も普通の人間だった。けど、あのずんぐりむっくり大木になった実を口にした途端、彼は深紅の巨体を持つドラゴンに変わってしまった。

 今は、慌てて駆けつけてきた警察官に銃口を向けられている。彼も持っていた機関銃で、このときの為に持っていた機関銃で、木よりも大きな身体に無数に光る銃弾を浴びている。

 

 銃弾は、堅強な鱗に空しく弾き返されていた。それでもドラゴンは、苦しげに炎の息を吐いていた。

 金色に変わった目で、助けを乞うように空を仰いでいる。その瞳が悲しげに揺れたのも束の間、眼前に通り過ぎた何かに瞼が大きく開かれた。

 パーシアは驚いて、それが飛んできた方向を見やった。そこには煩わしげに松葉杖を放り投げ、尻もちをつきながら銃口をドラゴンに向ける男がいた。

 ドラゴンになってしまった彼の、父親だ。男はきつくドラゴンを睨み、銃を発砲した。


「くそっ! お前など、私の手で葬られるがいいっ!」


 耳を劈くような鳴き声が、炎に包まれた森に木霊した。まるで大地を裂くような、おぞましい声だった。

 パーシアはそのあまりの不気味な声に、耳を塞ぎ目をつぶった。だがそうしている間に、ドラゴンは尻尾を引きずり逃げてしまった。止むことのない銃弾の嵐を避け、森の奥へと大地を揺らして去っていく。


 銃撃部隊は慌ててそのあとを追いかけた。百人にも満たない小さな部隊だが、みんなのその目は殺気立っていた。

 パーシアはぞろぞろと走っていく彼らを見てハッとした。殺されちゃうのかしらあのドラゴン。死んじゃうのかしらあのドラゴン……。あれはあたしのダーリンよ。愛しのあたしのダーリンよ。あたしを置いて、この世界から去っていく……そんな恐ろしいことったらないわ。


 よし……。


 パーシアはキュッと拳を握り、決意を固めた。そして紺色のサラファンのスカートの裾を、腰を曲げてむんずと掴んだ。

 足首まである重々しいスカートである。パーシアはそれを腰の辺りでまとめると、白いタイツを履いた足で、力強く地を蹴った。


(待っててダーリン、今行くわ……!)


 森は今や、炎そのものとなっていた。熱く、焦げ臭く、煙は目に染みて痛かった。

 しかしそれでもパーシアは、細くて短い黒眉を歪めながら、燃え尽きようとする森を全速力で駆け抜けた。真っ赤な靴で木の根を越え、髪を覆ったプラトークに枝をぶつけ、誰よりも速く誰よりも必死に、切なげなドラゴンの背中を、身体が溶けそうになりながら追いかけていく。


 やがて、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。雨は瞬く間に大きな粒に変わり、ざあーっと勢いよく地面を叩きつけた。

 火の海と化していた森は、次第に炎をしぼませた。と突然、目の前が眩しく光り出した。

 気づくと、ドラゴンは幻のように森から姿を消していた。


「あれ……ダーリン……?」


 青い目をぱちぱちさせ、パーシアはドラゴンを探した。けれど、いくら見渡してみても、あの木よりも大きなドラゴンの姿は見当たらない。

 薄煙の中、恐る恐る歩を進ませる。すると、幹と幹の間に人影を見つけた。人影は、泥だらけの地面に突っ伏していた。泥で半分汚れた髪は、短い赤茶色。あたしを熱く見つめていた目は、今は苦しげに閉じている。


「ダーリン!」


 見間違えるはずがない。あれは紛れもなくあたしの恋人ダタールだ。ドラゴンになった影響か、身体の半分が硬い鱗に覆われているが、鱗を塗した顔も、服を失くした右上半身も、あたしのこの肌で何度も何度も擦りあったダーリンのものである。

 パーシアは急いで彼の身体を揺すった。赤く火照った瞼が、ゆっくりと開かれていく。優しそうな緑の目、ドラゴンの皮膚に囲まれた金の瞳……。二つの目が、パーシアとその向こうの雨空を静かに捉えた。


「あ……パーシア……」


 ゆっくり身体を起こそうとして、ダタールは目を瞠った。

 地べたについていた両の手を見る。正常な人間のものではない。そこには明らかに、ドラゴンの皮膚が生えている。両足にも腰にも、上半身の左半分にも、人間の肌を押しのけて、食い込むように紅い鱗が生えている。

 ダタールの大きく開いた目から、熱い小さな粒が溢れ出した。微かに残る火の跡、焼けた匂い、煙の影……ドラゴンが見たあの恐ろしい光景が、頭の中に蘇る。


「パーシア……あれは……」


 声を詰まらせながら、ダタールが言った。


「あれは……一体何? 嫌な夢じゃ、なかったの? 僕は、ドラゴンになってた。森を燃やして、みんなに睨まれて、父さんまで……僕を殺そうとしていた。あの実を食べたから? 僕が、勝手な判断をしたから? だからこんな身体になって、人間じゃなくなって、みんなに殺される……そんな存在になったの? 僕があのとき、あんな……」

「あんっ、待ってダーリン、落ち着いて!」


 ごつごつしたドラゴンの手を取って、パーシアはまっすぐにダタールを見つめた。


「そんなにビクつかなくたってヘーキよ。あたしがいる。あたしがいるわ。あたし、ダーリンを見捨てたりしない。たとえみんながそうしても、あたしはダーリンの味方よ」


 掴んだその手に、ぎゅっと力を込める。そうだ。こうなった今、彼の味方でいられるのは自分しかいない。


「あたし、ダーリンを一人になんてさせない。ずっと傍にいるわ。ずっと一緒よ。だって、ダーリンを愛しているもの」

「パーシア……」


 ダタールはするりと手を離し、流れ出た涙をドラゴンの腕で拭き取った。


「ありがとう……嬉しいよ、君に出会えたことがとても……。僕もだよ、パーシア。僕も、君を愛している」


 ダタールの目から、再び涙が溢れてきた。ダタールは人間とドラゴンの二つの手で、泣き顔を覆った。

 パーシアは彼の肩をそっと抱きしめた。胸の中で泣き咽ぶ彼の背中を、あやすように優しく叩く。


「安心して、ダーリン。約束するわ。あたしは絶対ダーリンを裏切ったりしない。あたし達はだって、恋人同士だもの」


 森の中は雨音が響くだけで静かだった。ドラゴンを見失ったのか、それとも撤退を決めたのか、銃撃部隊が追ってくる様子はなかった。

 パーシアはほんのり暖かくなった彼の手を掴んで、すっと立ち上がった。こうしてはいられない。愛しのダーリンを匿うために、準備を始めなければ。

 衣服に毛布にマッチ……あ、あと食糧も必要だわ。用意するものは山ほどある。


 パーシアはダタールと別れ、早速町へと向かい出した。無残な姿となった森の中を、ひたすらに駆けていく。

 『嬉しいよ。君に出会えたことがとても』……。

 彼の熱っぽい声を何度も何度も思い浮かべながら、ニコニコ笑顔で、上機嫌に。



 好き好き好きよ 好きダーリン

 あなたが好きなの アイ ラブ ユー

 あたしのあたしの DA DA ダーリン

 ずーっと一緒よ マイダーリン 


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