キツネの真実

森本 晃次

第1話 温泉旅行

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。


 近所にあるスーパー金沢という店にパートに出ていた主婦が、本当であれば忙しいはずの木曜日、普段の時間に託児所を訪れていた。そこには、今年三歳になる子供を預けて、旦那と共稼ぎをしていたのだ、その奥さんは、子供ができる前からパートは続けていたので、パートを休んだ期間というと、臨月を迎えてから子供が本当の乳児だった一年間とちょっとくらいだったので、スーパー金沢も彼女が復帰したいと言ってきた時、元々ベテランであったこともあり、ありがたく受け入れた。

 ちょうど、最近辞めた人がいたので、却ってありがたかった。募集を掛ける手間が省けたというものである。

「奥さん、今日はどうされたんですか? 木曜日に通常の時間というのは珍しいですね」

 と託児所の保母さんから言われ、

「ええ、そうなんですよ。普段はお休みにはしないんですが、オーナー側の都合ということで、一週間のお休みを頂いたんです。その間に店舗内の老朽化した部分のメンテナンスをするということだったので、私も今まであまり休みもなかったので、少しリフレッシュさせてもらおうと思ってですね。本来であれば、こちらにお預けすることもないのでしょうが、今日だけは少し、私の方もお休みさせていただきました」

 ということであった。

「託児所に預けている人には、奥さんのような方もいらっしゃいますよ。急遽の休みができた時も、こちらにいつものように、お皓さんを連れてこられる方ですね。リフレッシュは大切ですので、奥さんがリフレッシュできたのであれば、私たちも嬉しいです。その分、お子さんにも優しく接することができると思っていますのでね」

 と、保母さんは言った。

 この奥さんの旦那さんは、それほど忙しい会社に勤めているわけではないので、いつも定時に仕事が終わって、どこにも寄り道をすることもなく、家に帰ってくる。

 それはそれで嬉しいのだが、そのおかげで、託児所からの帰り、買い物、さらに帰宅してからの夕食の支度と、夕方以降の家事は結構大変であった。

 特に木曜から週末にかけては、いつも忙しいので、パートが六時まで、そして託児所からの買い物と、慌ただしかった。

 下手をすれば、帰宅は旦那の方が早い時もあり、

「おかえりなさい。もう帰っていたんですね? じゃあ、私も急いで夕飯の支度にとりかかりますね」

 と言って、さすがにあまり待たせるわけにもいかず、どうしても手軽なメニューになりがちであった。

「申し訳ない」

 という思いを含んだまま、支度を始めるのだが、

「いやいや、慌てなくてもいいよ。お前も疲れているだろう?」

 と言って、気を遣ってくれているのが分かるのだ。

 それだけに、さらに申し訳なく感じるのだが、夕飯の支度をしている間、旦那が子供の面倒を見てくれているのは本当にありがたかった。旦那が家事をしないと言って、文句をいう家庭もあるようだが、ここでは家事をしないかわりに、十分、自分にできることはすべてやってくれる旦那がいてくれた方が、奥さんとしては、ありがたかった。下手に慣れない家事をすることで、二度手間になってしまうこともあるからで、そういう意味でも、ここの家庭の夫婦関係は実にうまくいっていると言っていいだろう。

 保母さんは、ここの旦那さんもよく知っている。たまに奥さんがパートで遅れそうな時は、旦那が迎えにくることもあった。特に年末や、お盆前などの書き入れ時などはよく見られたという。もちろん、ここに預けるようになってから、まだ一年も経っていないので、一年周期は分からないが、見ている限り、夫婦間には一点の曇りもなく、

「まるで新婚さんのような仲睦まじさですよ」

 という話が聞かれるくらいの仲良さであった。

「たまに奥さんのパート先のスーパー金沢に寄らせてもらっているけど、あのお店は、結構タイムサービスなどをやっていて、夕暮れ時くらいから、お客さんが結構たくさんいて、レジをすべて開放しないと回らないくらいになるんですよ、それだけ繁盛しているということなんでしょうね」

 と、後になって保母さんの話が聞かれるほどであった。

 お店を一週間ほど休みにして、その間に老朽化した部分をメンテナンスに充てているということであったが、その間、オーナー夫婦は旅行に出ていた。

「結婚、五周年を記念して」

 ということで、メンテナンスの間の旅行ということであったが、実はこの夫婦、あまり仲がいいというわけではなさそうだった。

 旦那とすれば、

「これ以上夫婦仲が悪くならないように」

 ということでの、形式的な、一種のパフォーマンスであった。

 奥さんの方も、本当は別に旅行など嬉しくも何ともないと思っているくせに。

「あなた、ありがとう。とても嬉しいわ」

 という。心にもないことを、いかにも誰もがいうようなセリフでいうのだから、明らかに二人の夫婦仲が悪いのは、少しでも二人に関わっている人であれば、一目稜線だったことだろう。

 結婚して五年、確かに夫婦仲が冷める時期でもあるのかも知れないが、スーパーのオーナー家族に嫁いでくるというのがどういうことなのか、奥さんの方としても、かなり甘く考えていたに違いない。

 そもそも、彼女はクラブでホステスをしていた。

 そこに、先代の、つまり義父が客として数人で訪れた時、彼女を見て、

「息子の嫁に」

 と望んだようだ。

 生真面目で、仕事一筋、そのためか、不惑と呼ばれる年齢を超えても彼女もおらず、もう本人は結婚を諦めていたくらいであったが、さすがに、先代としては、このままでは息子の代で、スーパーが終わってしまうという危惧を考え、まだ高齢出産には当たらないギリギリのところでの彼女に目を付けたというわけだ。

 先代からすれば、

「苦肉の策」

 であり、

「背に腹は代えられない」

 と思っていることであろう。

 本当であれば、クラブのホステスというのは、あまり望める結婚相手ではないが、ゆっくり選んでいる時間もない。贅沢は言えなかったのだ。

 オンナの方も、

「いつまでも、ホステスができるわけでもないわ」

 と思っていたようだ。

 人気ホステスで、お金を貯めて、将来は自分のお店を持てればいいのだろうが、そういうこともまずないということで、この話はある意味、玉の輿という意味では、願ってもない話であった。

 生真面目な息子の方は、先代のいうことなので、従わざるおえないというのが本音であるが、別に結婚に関しては特別な思い入れがあるわけでもない。自分でも、

「こんな、中年男性に嫁に来てくれる人がいれば、嬉しい限りだ」

 と思ったことと、

「親が勧めることなので、自分で見つけてきた相手を親に紹介したり、結婚を承諾してもるために説得しなければならない」

 などという面倒なことをする必要などなかった。

 それを思うと、この結婚は、

「まわりから望まれてする結婚だ」

 と思い込んでいたのだ。。

 ただ実際には、旦那の家族ではそれでいいのかも知れないが、親戚関係は反対だったようだ。

 それはそうだろう。親戚とは言え、赤の他人ほどどうでもいいわけではないが、必要以上に口を出せない人から見れば、まず考えることは世間体であった。

 さすがに、結婚に際しては、結婚後知り合う人には、嫁が元ホステスだということを、隠さなければならなかった。

 それは、先代の意志でもあるが、それに関しては生真面目であったはずの息子は承認しがたいところであった。

「どうして奥さんの過去を隠さなければいけないんだ? それじゃあまるで俺が曰く付きのオンナを嫁に迎えたと言わんばかりじゃないか」

 と思ったのだが、口に出すことはなかった。

 旦那としては、その思いがやがて奥さんへの目線に変わっていき、すぐに顔に出てしまう旦那を見て、さすがに元ホステスというだけで、彼女はすぐに旦那の気持ちを看破したのだった。

「私、これを玉の輿だって思っていたけど、ひょっとすると、とんでもないところに嫁に来てしまったのではないかしら?」

 と思うようになっていた。

 結婚までは、ちやほやしてくれていた義父も、結婚してしまうと、彼女に対して、あまり干渉しなくなった。口を開けば、

「早く、わしの孫を」

 と言っているのだが、それは同時に、

「早く後継者を」

 と言っているのと同じに聞こえるのだった。

 彼女は、結婚してまだ間もない頃にはすでに、

「自分は、結局子供を作るための道具として使われたのであって、嫁としては見てくれていないんだ」

 と思い、むしろホステスであったということを、世間体を考えてひた隠しにすることに従事していたようだった。

「こんなにも、簡単に態度を反転させられるものなのかしら?」

 と、掌返しの状況に、彼女は溜まらない思いを抱いていた。

 それでも、経営者の家族に玉の輿に乗ったということを、まわりからは見られていることで、離婚はもちろん、夫婦仲が冷え切っていることを自らに表に出すようなことはしたくなかった。

 それは、彼女の意地であり、特に、元ホステス仲間には知られたくないことであった。

 実は先代はまだ、彼女が勤めていたクラブを利用することがある。そこでは必然的に彼女の話題が出るのは無理もないことで、

「彼女、どうしてる? さぞやセレブな奥様をされているんでしょうね。羨ましい限りだわ」

 と無責任に女の子はそういうだろう。

 無責任というよりも、妬みと言ってもいい。自分たちにはそんな話が降って湧いてくるわけではないことに、嫉妬が生まれるのも当然であった。

 先代もそれが妬みから来ているのだと分かっているのかいないのか、

「うん、セレブを楽しんでいるんじゃないかな? 私は早く孫の顔を見たいと思っているんだけどね」

 と、いうだけだった。

 さすがにホステスもそれを訊いて、

――もう、嫁には興味がなくなってしまったんでしょうね、だから、疑問符がつくのであって、やはり、嫁というよりも、子供のためのあの人だったの――

 と感じたことだろう。

 それを思うと、このクラブでの社長は、もうすでに興味もなくなっているようだ。接待などでもなければ、本当は来たくないと思っているのかも知れない。

 この店のママも、それを察してか、先代にあまり構うことはなかった。すべてホステスに任せているというところであろうか。

 そういう意味では、さすがにクラブのママ。誰が店にとって重要な客であるかをしっかりと見極め、それに応じて、接客態度を変えていた。

 どうでもいい客に対しては、適当にあしらっていることで、重要な客に少々構うだけでも相手に対し、

「私は、この店で重宝されているんだ」

 とばかりに、客の自尊心をくすぐることで、満足させている。

 それを思うと、実にやり手と言ってもいいだろう。だが、それくらいでなければ、クラブのママなど務まるわけもないということなのであろう。

 このクラブのママは、元々歓楽街でもナンバーワンと言われていたクラブの、そのナンバーワンだった時代があり、一時期有名であった。雑誌社が取材に来ることも何度もあり、

「彼女が歴史を作った」

 と言ってもいいくらいのものであった。

 そんな彼女も他のレジェンドと同じように、お金を貯めて自分の店を持つということに邁進していた。

 念願の店を構えたがいいが、思ったよりも、自分の客をこちらに持ってくることができず、最初から船出は怪しいものだったが、最初から危機感を持って経営できていたということで、経営は安定しているようだ。

 危機感というのは、煽られると焦るものだが、最初から自分の中にあると、いい方向に向かうのではないかと思い、ママはそれを教訓にしていたのだ。

 そんなママのような破帽も覚悟もない彼女は、結婚して玉の輿に乗っかれればいいと思っていた。そして実際に、義父の目に留まり、うまく嫁になることができた。

 幸いにも富豪の家庭というと、躾であったりが厳しいものなのかも知れないが、そこまではなかった。逆に、

「昔のボロを出さなければ、それでいい」

 という程度なのだろう。

 彼女は名前を紗友里という。年齢は三十五歳で、結婚五年目だということは、クラブにいたのは二十歳代ということになる。紗友里の接客は大人しい方で、大人の魅力を醸し出していた。

 さらに、声もハスキーボイスだったので、

「若いのに、熟女の雰囲気もある」

 ということで、年配から若者までに、それぞれ人気があった。

 実際に、

「二十代です」

 というと、客のほとんどはビックリするというが、冷静になって見て見ると、

「ああ、なるほど、落ち着いて見えるから二十代と言われてビックリするんだけど、よく見たらあどけさや幼さがある。そのギャップに萌えるんだろうな」

 と、ほとんどの客は口にしていた。

 だから、義父に気に入られたのだろう。

 しかも、いくら玉の輿と言っても、年齢差が十歳以上もあるのだ。興味本位だけではとてもじゃないが、務まるものではない。

 旦那の方は、名前を金沢悟という。今四十五歳になるから、ちょうど紗友里とは十歳違いだ。

 結婚前は、年齢相応に見えていたが、結婚すると、急に老けて見えるようになり、さらに年の差婚のイメージを強く持たせた。

 だが、実際に気にしているのは、旦那だけで、まわりの人はそれほど気にはしていない。十歳くらいの違いはそんなに珍しいことではない。それよりも問題は、悟が真面目すぎて、ほとんど彼女がいた時期がないということだった。

 大学時代には数人、付き合ったことがあったようだが、長続きはしない。潔癖症なところまであるので、普通であれば、ついていける相手ではない。

 二十代で、年齢が十歳も違うとなると、相手は小学生になる。普通なら考えられない年齢だ。それ以降、ほとんど女性と付き合ったことのない悟には、十歳という年齢はまるで結界があるかのように見えたのだろう。

 二十歳を過ぎてからというもの、いよいよ義父の攻撃が激しくなった。

「誰かお付き合いしている人がいれば、いつでも紹介しなさい」

 と事あるごとに父親に言われていた。

 父もいよいよ、還暦を過ぎると自分の後継者のことを考え始めたのだろう。

 それには、まず嫁を貰ってから、跡取りができるところまで行って、やっと引退できると思っていた。だから、五年前に嫁を見つけてきた時は、まだ通過点だと思っていた。

「後は、子供だ」

 と思っていたので、父親としては、ほぼ秒読み状態だと思っていた。

 子供は男でも女でもどちらでもいいと思っていた。男女均等の今の時代なので、女の社長も十分にありえる。

「天変地異でも起こらなければ、今の情勢から言って、子供が後を継ぐ頃に、また男尊女卑の時代に戻っているということはありえない」

 と思ったのだ。

 そういう意味で、結婚してしまえば、後は子供ができるだけ、

「問題は結婚の方だ」

 と思っていただけに、結婚させてしまえば、後は時間の問題だったのだ。

 それなのに、肝心の子供の話を訊くことはなかった。あまりせかせすぎても、お互いに意識してしまって委縮してしまえば、できるものもできないのではないかと思えたのだ。

 それでも、じっと待っているのも辛い部分があるので、少しでも環境を整えてあげようと思ったのが、今回の一週間の店休であった。

「この休みを使って、温泉にでも行ってくればいい。私から二人の結婚五周年のプレゼントだ」

 と言って、温泉宿泊券二人分を三泊四日で貰った。

 それも、その温泉場での最高級ホテルの、最高級のフルコースである。三泊四日ともなれば、相当な出費であろうが、それだけしてでも、子供の誕生を待ち望んでいるということであろう。

 それも無理もないことで、何と言っても、自分の隠居が掛かっているのである、後進に道を譲って、自分は勇退するのが、一番の筋だと思っているので、当然と言えば当然である。

 そんなこんなで、とりあえず父親からもらった温泉宿のチケットを甘んじて受け取り、二人は結婚五周年を楽しむことにした。だが、これがきっかけでまさか、こんな恐ろしいことになろうと誰が予想しただろうか?

 結婚五年目、旦那の方としては真面目に夫をやってきたつもりだった。何と言っても、二年目までは、人がやっかむくらいの仲睦まじさ。それはまわりに何人も証人がいる。実際に夫婦ともども、最初は結婚にどこか懐疑的なところのあった二人だが、結婚してみると、それなりに楽しいし、それまでお互いに感じたことのなかった、

「相手が楽しいと思うことは自分も楽しい」

 と覆えることのあることを発見したことだった。

 それまでは、そういう言葉は訊いたことはあったが、

「なんで、相手が楽しんでいることを見ていて、自分が楽しくなれるんだ。そんなの物理的におかしいだろう」

 と思っていた。

 特に夫は真面目過ぎて、物事をそういう風にしか考えられなくなっていて、奥さんの方も、

「今までホステスとして人を楽しませることばかり考えていた。それは他でもないお金のためだけにであった。だから、お金が絡まないことで、人が楽しいと思うことは、嫉妬でしかない」

 と思っていたのだ。

 それぞれの考えは決して極端ではないが、考え方に開きがあるのは一目瞭然で、同じことに対してこれだけ開きをある考えを持っていながら、答えは同じだというのは、実際には同じ答えではないということを、お互いに分かっていなかった。

 つまり、距離などないと思っていたのが間違いで、それを素直に認めることができなかったことも、二人の間に亀裂をもたらす原因でもあった。

 だが、そんな考えは今に始まったことではなく、誰にでもある関係であった。

 実際に、結婚五年目くらいで、すっかり関係が冷めたことで、すぐに離婚する人もいあるだろう。五年という期間に、

「ここまで頑張ったんだから」

 という人は、まだ頑張れると思っているのか、逆に長いほど、一旦歯車が狂ってしまうと修復は難しい。なぜなら、絡み合った糸が、もうどうしようもなく、絡み合ってしまっているからであろう。ほどく苦労をするよりも、ぶった切った方が早いと思うのは無理もないことであろう。

 五年というのは、ある意味中途半端である。中途半端ほど、別れるにしても、元に戻そうと試みるしても、中途半端なものは中途半端ではない。どちらもそんなに難しいことではないのだろうが、その分、後悔が残るものなのかも知れない。だが、一旦相手を嫌いになってしまうと、片方の修復はすでに無理となってしまい、別れるしかなくなるのだ。

 そうなると、傷の深さは中途半端ではない。離婚というのは、どこで決めてもその痛みは、変わらないように思う。

「早いに越したことはない」

 などというのは、諦めがつく場合の話であって、離婚にはそこまで割り切れるものが存在しているのであれば、離婚に金銭関係以外のドロドロとしたものは、存在しないに違いない。

 さすがに、財産分与などのような金銭が絡んでくると、話はややこしくなってきて、相手の感情が見えてくると、露骨な態度を取ってしまうだろう。相手も同じことで、そうなると、すんなりと行くわけもない。

「離婚というのは、結婚の何倍も大変だ」

 と言われている。

 それは、結婚する時はお互いに先にある目に見えないものに対して不安を感じることで、ブルーなったりして、それをさらに感じているのが、自分たちが経験済みである親への説得があるからだ。

 そういう意味で、結婚するまでに結構大変だった人も少なくはない。だが、そんな人ほど長続きするもので、では、結婚するまでにいろいろ苦労した人だけが長年寄り添って生きていけるのかというとそうでもなかったりする。

 中には見合いで結婚した人も結構仲睦まじくできるもので、意外と恋愛結婚よりも、見合いの方が、長年寄り添えるものだったりするのかも知れない。

 知り合って、結婚までにどのような付き合い方をしたかで、結婚生活は決まってくるのかも知れないが、結婚を長く続けていけるかどうかというのは、また別問題なのかも知れない。


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