第7話 自費出版系の罠

 そんなことができる出版社は、その頃には、全国の出版社の中でも出版数だけに限れば、日本一だった。この頃が、自費出版業界としては最盛期だったのだろうが、たぶん、新聞で記事が目立ち始めてから。五年も経過していなかった頃ではなかったが。マスコミも新たな成功した商法としてもてはやし、特集も組まれるようになったが、実際の衰退は、すでに始まっていたのかも知れない。

 そこから二、三年は確かに、出版数や売り上げはかなりのものだったのだろうが、綻びというのは、一度発生してしまうと、そこから崩れてくるのは早いもののようだった。それだけ土台がしっかりしていなかったというのか、まるでプラスチックでできた石垣の上に、城が建っているようなものだったのだ。

 崩れ落ちるわけではないが、徐々に足場が崩壊していく。その理由はいわゆる「自転車操業」にあったのだ。

 その理由は崩壊していくうちに分かってくるのだが、全貌が見えてくると、

「どうしてこんな簡単なことが誰にも分からなかったのだろうか?」

 と言われたが、それだけ、時代が荒廃した状態で、底辺にいたから、後は上しか見えないという感覚があったのかも知れない。

 そもそも、こういう商法における成功のシナリオとしては、

「会員を増やして、その人たちにお金をたくさん使ってもらう」

 ということが、根底にあるのだ。

 会員を増やすための最大の方法が宣伝であることは誰もが分かっていることであろう。最初に見かけたのも、新聞広告ではなかったか。何しろそれまでには存在していなかった業態で、誰もが海の者ともう海女の者とも分かっていなかったが、それでも、とりあえず原稿を贈ればただで批評をしてくれるという意味で、それまで、自分の作品に対して批評をしてくれることがなかった業界なので、それだけでもありがたいことである。しかも、お金がかからない。そこが善良なところだったのだ。

 そして、実際に批評をして返してくれる。

 しかも、その内容が、いいことばかりを褒めちぎるわけではなく、悪いところもしっかりと批評してくれる。そこがありがたかったのだ。

 いいところだけでは、いかにも自分たちの目的を察知されやすく、胡散臭いと思う人もいるだろう。そこを見越して、残念なところもあるが、すぐにそこさえ気を付ければ、最高にいい作品になるなどと書かれていれば、信用したくなるのも人情というものなのだろう。

 それを考えると、宣伝で人を引き付けることには成功する。後はいかに協力出版に持ち込むかであるが、正直、おじさんも他の人が協力出版に踏み込む気が知れなかった。

「数十万じゃないんだよ。百万以上のお金がかかるんだよ。はい、そうですかって、簡単に出せる額ではないよね? 作家デビューがプロとして約束されているわけでもないのに、確かに有名出版社から出版できて、自分のコーナーが本屋にできるなら、百万も出せなくはないだろうが、そうでもなければ、そんな清水の舞台から飛び降りるようなことができるわけもないよね。そもそも、本屋で自分のコーナーができるくらいの作家に、お金を出させるなんて、ありえないでしょう」

 ということだった。

 それは訊いていて、もちろんな話だった。考えてみれば、おかしなことが多すぎる。本屋に一定期間置くというが、一日にどれだけの作品が世に出るというのか。これだけ出版社がたくさんあるのだから、一社一冊出たとしても、一日に何十冊と新刊が出続けることになる。それが毎日続くのだ。そのうち売れるのは、どれくらいで一冊だというのか、一週間で一冊売れる本があるとしても、数百冊の中から一冊ではないか。それも、有名どころの出版社から、プロの作家が入れ代わり立ち代わり刺していくのである。

 それを思うと確かに以前言われた、

「売れる本というのは、最初からネームバリューのある人の著作でないと無理なんだ」

 という言葉を思い出した。

 悔しいが、まさしくその通りである。そういう意味では、早いうちに分かってよかったというおじさんの話にはそれこそ、信憑性があった。

「しょせん、自分はプロ向きではないのかも知れない」

 と想うと、気が楽になったというか、

「どうせプロになったとしても、自分の思ったような執筆ができるわけではない。あくまでも、主催は出版社であり、出版社が発注した通りの作品を作り上げなければならない。ただ、それも売れる保証はまったくないのだ」

 とおじさんは言っていた。

 要するに、出版社が発注することで、書きたいものが描けなくなるし、ます最初にプロットを書く前に出版社と協議し、その企画に沿ってプロットを書く。そして、そのプロットの内容が出版社の中の編集会議に掛けられ、OKになれば、初めて、採用されるということになる、

 誠也自身もそうなのだが、おじさんもプロットを作るが苦手のようだ。

プロットというのは、書き方は自由なのだが、その内容がしっかりと分かるものでなければいけない。何しろそれが会議に出されるのだからである。

 書きたいこともなかなか書けないのに、そんな向こう主導での作品を書き続けられるかどうか自信はない。相当なストレスに悩まされることは分かっている。趣味を職業にしてしまうということはそういうことなのだと、おじさんは悟ったという。

 それを感じるようになって、目からうろこが落ちたのだという。

 プロになろうと思わなければ、そんなに必死になって、借金してまで本を出したいとは思わない。あくまでも趣味の世界。いずれお金を貯めて出版にこぎつければいいとは思うが、実際にお金がたまって、いざ出版と思った時、本当に出版の意欲があるのかどうかも分からない。

 とにかく、本を出したいと思ってお金をがむしゃらに貯めても、最終的に目的への意識がブレてしまうと、きっと本を出したいとは思わないだろう。そう想うと、作品を書き続ける意欲と、本を出したいと思う物欲とでは、これから進む先が別れてくるような気がしたのだ。

 そう思っていると、そのうちに、自分が以前にコンクールに応募し、その時もその出版社に投稿用の作品を書いているところ、いきなり原稿応募の締め切りがホームページで掲載された。

 そこは、自費出版系の「出版者では、ベストスリーに入るくらいのところで、いろいろなところでの募集広告も派手だったにも関わらず、そんな宣伝広告もなくなってきた。

 ネットニュースを見ていると、どうやら、訴訟問題がもちあがっているということだった。

「自費出版系出版社である〇〇社、数人の素人作家に訴えられる」

 と書かれていたのだ。

 争点になるのは、

「うちで本を出せば、有名書店に、一定期間置かれる」

 という話であったのに、実際には、一度たりとも本屋に並んだことがないということだったからだ。

 怪しいと思ったその人は、全国の知り合いに頼んで調べてもらった挙句、一度も自分の本を見たことがある人が一人もいなかったということだった。

 冷静になって考えれば、前述のように、本というのは、プロ作家を含めて一日に何冊も出版されているのである、本屋の限られたスペースに置かれるのは、プロ作家だけで十分だろう。しかも、次の日も、また次の日も同じ状況が続くのだ。プロ作家の小説であっても、売れなければ返品となる世界である。誰が無名の作家の本をたとえ一冊でも、本屋に並べるスペースがあるというのか。

 それに考えてもみよう、日本で有数の有名作家の本であっても、一つの出版社から何十冊と出しているとしても、売れていた時代が、かなり前であれば、かつてベストセラー作家だったというだけで数冊の本しか置かれていないだろう。本当に売れそうな本しか、本屋では置いてはくれない。それが実情だった。

 実は本屋もその頃はまだ街にいくつかはあった。大都市にいけば、最盛期には商業ビルの中に一つは本屋があり、大小合わせて、十軒近い店があっても不思議のない時代があったにも関わらず、どんどん衰退していった。

 それは、芸術を媒体にした商売の店に共通したことであり、ここ十年くらいの間に急速に衰退していった。

 それは、ネットにての販売が主流になり、本であれば電子書籍、音楽CDであれば、音楽配信と言った、媒体を必要としない購買方法が主流になってきたからである。

 つまりは、いちいち店に行かなくても、本が読める、音楽がダウンロードできるのだから、媒体としての、本やCDなどを出版しなくなってしまった。

 そうなると、街の本屋。CDショップはなくなってくる。街並みがどんどん変わってくるというのは、前述の通りである。

 だから、もしその当時存在していた自費出版系の出版社が、訴訟を受けたり、人気が下降してきたりしなくても、いずれは衰退する運命であったのだが、それが自ら滅んでいったとはいえ、実際には自分たちの会社を使って本を出した人を巻き込みながら潰れていったのであるから、社会的な責任は大きいだろう。

 潰れる時もおとなしく潰れればいいものを、本当に清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで本を出した人たちの作品を、まるで紙くず同然にしてしまったことは大きな罪であろう。

「でもね、本当は最後まで気付かなかった方も愚かだと言えるのかも知れないと、私は思うんだよ」

 とおじさんは言っていた。

 その内容としては、

「私にでも冷静になって考えれば分かる自転車操業ですよね。やつらが一番本を出したいという人の心を掴んだというのは、それまでは、ほとんど持ち込みだったことで、まったく読まれることもなく、すぐにゴミ箱にいっていたような原稿でも、読んでくれて、しかも。批評までして返してくれるんですよね。これには二つの意味があって、一つは、読んでくれるということだけでも、それまでまったく何もしてくれなかった大きな硬い山が動いたということと、批評をしてくれることで、自分が今どれほどの位置にいるのかを理解できるという意味ですよね。でも、これって、騙す方からすれば、実に楽なことなんですよ。人を雇って人海戦術でいけばいいわけなので、読んで批評することで読者が動きを悟ってくれる。さらに少々おだて冴えしていけば、簡単に信じてもらえるという考えですね。つまりは今まではあまりにも暗黒だった部分を少しでも開けてくれただけで、皆がここまで信じるということに繋がるということなんですよ。ただ、ここまでに関しては、気付かなくても仕方はないと思うんですよね。実際に私だって、正直騙されていたわけだからですね」

 とおじさんは言ってさらに続けた。

「ここからが問題であって、原稿を送って、たぶん、よほどの端にも棒にもかからない。つまり、バブルが弾けて趣味を持たないと時間を持てあますというだけで、安易に小説を書くという趣味を持った、まったく勉強もしていない。本すら読んだこともないという俄かな人に対しては、本当に騙しやすいですよね。まったく箸にも棒にもかからないような人ばかりではないだろうから、動機は不純であっても、それなりに文章的に整っている人であれば、これほど騙しやすい人はいない。そんな連中は自分んぽ技量も分かっていないでしょうからね。どんなに文章が上手い人、今ではベストセラー作家になっている人でも最初に小説を書こうと思った時というのは、誰もが、小説を書くことに恐怖を感じたと思うんですよ。文章が書けない。続かないという意識を持っていたでしょうからね。だから、にわかの小説を趣味にし始めた人は、その苦しみを知らないで、出版社の人の口車に乗せられて、お金を出してでも、本を出そうとするんですよ。本当に身のほど知らずだとは思うんだけど、そういうところに出版社は付け込む。いや、最初からのターゲットが彼らだったのかも知れないですよね。どうせ、本屋に並ぶわけでもないんだから、お金を出させればそれでいい。少々疑問を感じていたとしても、編集者とそれなりに出版について話をしていれば、まるでプロにでもなったかのような気分になるでしょう。しかも、実際に自分の本が出来上がってきて、それを手に取れば、誰だって、もうお金のことは二の次に思うことでしょう。頭の中には広大なお花畑が広がっていて、まったく他が見えていないんですからね」

 というのだった。

 さらにおじさんがいうには、

「そうなってくると、出版社のターゲットは完全にそっちに集中する。だから、少々疑問に思っていて、昔から作家を夢に見ている人の中には、この出版社を怪しいと皆が思うようになってくる。だけど、肝心の出版社の方は、楽な相手ばかりで商売をしているから、本当であれば、最初に懸念していた悪い方のシナリオを本当は作っていたとしても、すでに楽な道を歩んでしまったことで、出版社の方は、足元に火がついていることを分からない。そして、自分たちが詐欺をしているという感覚すらなかったのかも知れない。そうなってくると、本当に本を出したいと思っている本来相手にしなければいけない人たちと目線がまったく違ってくる。彼らに対してのいいわけも、どんどん陳腐なものになり、そうなると、素人作家は皆出版社を信用しなくなる。裁判沙汰になったというのは、そのあたりの問題があったと思いますよ」

 というではないか。

「なるほど、ということは、出版社側の傲慢さが招いた社会問題ということになるんでしょうか?」

 と聞くと、

「うん、そうだとも言えるね。だからこそ、以前、企画出版できる人は、有名人か犯罪者しかいないなどという、それは言ってはいけないはずの本音を、いくら苛立ちを覚えたからと言って行ってしまうような人が現れるんでしょうね。そういう意味でも、このように考えると、すべてが繋がってくるような気がするんだ」

 とおじさんは言っていた。

 それを訊いた時、誠也は目からうろこが落ちた気がした。やはり、一つのことを一本の筋を持って考えていくと、最終的に矛盾だと思ったことも納得できるような考えが生まれてくることの証明のような気がした。

 おじさんは続けた。

「自転車操業というと、この場合は典型的な自転車操業だと思うのだが、まずは売り上げを増やすにはどうすればいいかということなのだが。それには、本を出したいと思う人を増やすことだよね、そのためには会員を増やす必要がある。会員と言っても、一冊でも本ができれば大きいので、いかにその人にお金を出させて、本を出すかということが問題になってくるんだ。そのためには、まずは宣伝、つまりは本を出しませんか? ということを大々的に宣伝して、あなたの作品を送ってください。私たちが審査して、お返事、お見積もりをしますという宣伝文句で、本を出したいと思っている人の気持ちをくすぐる。しかも、ちょうど時代的にバブルが弾けたサブカルチャーが受ける時代なので、本を書くというような高尚な趣味は、ほとんどは自分にはできないと思っているかも知れないが、それを募集しているということは、中には騙されたつもりで、作文気分で応募してくる人がいるだろう? それがターゲットさ、まずは宣伝、そして食いついてきた人をいかに逃さずに引き込むか、そのために、原稿を送ってきて、目のありそうな人には担当をつけたり、反復して作品を送ってくる人にはさらにアプローチを重ねるなどしなければいけないので、担当になる人、それから作品を読んで批評する人(同じかも知れないが)をそれぞれ野党必要がある。会員に本を作らせるまでの経費として、宣伝費と、人件費が必要になってくる。そして実際に本を出すとなると、出版に関わる印刷会社であったり、本来の本の制作を行う清本工場への費用も掛かるだろう」

 とおじさんは言っていた。

 しかし、おじさんは、そこから先が、実際に出版してからでないとなかなか思いつかない部分だということで話をしてくれたのだが、

「本を出すということは、数十冊などという単位ではない。普通であれば、千冊単位くらいからであろうから、本を出したいという人に対して、千冊で初版を見積もるだろう? だけど、できた本とすれば、数冊は作者へ進呈という形にはなるだろうか、さっきも話したように、無名の出版社で、しかも無名の作家の作品をどこの本屋が置いてくれるというのか、まかり間違って置いてくれたとしても、二、三日中には間違いなく返品されてくることになるだろう。

 そうなると。九百数十冊という本は、作るだけ作ったが、売れないという在庫になってしまうのだ。在庫はどうなる? 捨てるわけにもいかない。焼却するわけにはいかない。一応、出版社の名前で出版した本だとはいえ、作者の意見もなく勝手に処分はできないはずだからね。一日に数人の作家の本を出したとすると、一日だけで、数千冊の本を在庫として抱えなければいけない。一か月でどれだけ、一年では? と考えると、在庫を抱えることで、倉庫代もバカにはならないということなんだよね。すぐに一つの倉庫はいっぱいになって、さらに第二、第三倉庫ともなると、それだけで結構なお金になってしまうだろう。そんなことを出版社が最初から分かっているとは思えない。すると、最初に見積もっていた利益はかなり削られることになる。そうなると、余計に本を出さなければ利益は得られない。そうなると、やはり会員を集めること、つまり宣伝に戻ってくるんだよ。このように、終わることのないサイクルに陥ってしまうことから、自転車操業と言われるんだ。これが、計画通りすべての面で機能していればいいかも知れないけど、どれか一つでも狂ってくると、安定感がなくなって、負の連鎖を引き起こす可能性が高くなって、結局、気が付けば火の車になっているということが多いのさ。しかもさっきも言ったように、皆がお花畑の中にいるような感じなので、危機が迫っていても気付かない。気付いた時には大きな津波に飲み込まれているというわけさ。これが、彼ら自費出版系の会社の共通の末路であり、あれだけマスコミでも、今の時代のニーズにこたえた新たな産業の成功例などともてはやされていたのが、最盛期から二年もしないうちに、すでに数個の会社が破産宣告をしたかということなんだよね」

 とおじさんから聞いて、

「それが社会問題になったということなんだね?」

 と聞くと、

「いや、本当の社会問題はその後なのかも知れない」

 とおじさんは言った。

「どういうこと?」

 と聞きなおすと、

「彼ら出版社側は自己破産をして、弁護士を頼るだろう? そうなると、弁護士は依頼人の利益を守ろうとするので、出版社から本を出した人に対しては、ほとんど悲惨な要求しかできないんだ。つまりは、大金を出して共同出資で本を出しているのに、売れていない本は、本当であれば、作者に返すべきでしょう? 少なくとも半額くらいではね。でも、やつらは、定価の二割引きでなら引き取ってもらえるというんだ。そうでなければ、ゴミとして捨てるだけだというんだね。つまり破産宣告をしたことで、破産した方が守られて、騙された方が割を食うというわけさ。そこが社会問題だったというんだね」

 とおじさんが説明してくれた。

 そういえば、企業が経営危機に陥ると、まずは民事再生の手続きを取ることが多いと聞く。

 この民事再生というやり方は、経営危機に陥った会社の再生に向けたやり方なので、債権者にはあまりにも酷な対応になることが多い。ただ、それでも、裁判所によって仮押さえや保護が行われるので、多少ではあるが、保証は受ける。ただ、零細企業のようなところで、その企業が売り上げのほとんどなどというところは、ひとたまりもないだろう。

 そんなこともあり、債権者に対して、

「すべてを焼却しないだけ、まだマシではないか」

 とでも言いたげで、騙された人たちからすれば、たまったものではない、社会問題になるのも、当然だと言えるのではないだろうか。

 おじさんによる、十数年前にあったという悲劇を訊いていると、今の時代の流れも自然な気がしてきた。

 たぶん、もうあの頃のように、

「猫も杓子も」

 とでもいうような、誰でもが小説家になれるという風潮はなくなってきた。

「しょせん、そんなうまい話が落ちているわけではない」

 という教訓を残して、あの時にいきなり増えた作家志望人数は一気に減り、前とあまり変わらないくらいになっているのではないだろうか。

 それでも、過去の教訓と、ネットの普及というものがうまく絡みなったというのか、砂金ではネットでの小説の発表というのが、それ以降は流行ってきた。

 さすがに、最盛期は抜けてはいるが、いまだにあれから十年近い歳月が建っているが、お金が絡んでいないこともあり、一切の社会問題になっていることはない。

 しいて言えば、印刷物や、音楽で言えば、CDという媒体が売れなくなったことで、本屋やCD屋というものが、急激に街から姿を消しているのが、一つの社会問題と言えるであろう。

 ただ、これは他の業界でも言えることなので、全体的に見ての社会問題の中の一つに埋もれていると言っていいのではないか。

 誠也は、昔の自費出版系の社会問題はおじさんの話や、それを聞いてネットで調べて読んだ記事くらいでしか知らないが、今のSNSなどを使ったやり方は、ある意味、自分やおじさんには合っているような気がした・

 最近の小説の発表というと、電子書籍のような形のものが結構あるが、それはプロの人の販売方法であって、素人の人は、

「無料(あるいは有料)投稿サイト」

 なるものに発表することが多いだろう。

 これは文章だけではなく、最近ではタブレットやスマホなどを使って絵を描く人も多いので、そんな絵であったり、マンガなども同じように投稿できるサイトも結構あったりする。

 無料投稿サイトの特徴は、

「登録しなくとも、誰でも無料で、作品を閲覧することができる」

 というもので、無料登録さえしておけば、作家として作品のアップであったり、他の人の作品を読んだ感想であったり、登録者同士で、サイト内伝言板にて、交流ができるというのが主なものとなっている。

 大小合わせると、数十のサイトが存在し、それぞれに特徴がある。サイトによっては、どのジャンルの作品が多いだとか、年齢層は若い人が多かったり、女性専用などというところもある、自分に合ったところを探せばいいだろう。

 ただ、そこではコンクールをやっているところもあり、作家デビューの道も残されてはいるが、基本的には趣味のサイトという感じが強い。小説にしてもマンガにしても、自分の書きたいものを書いて、それで読んでくれる人がいれば、それが嬉しいという、趣味という原点に戻るのは、気が楽だということもあるが、まずは、いきなり作家になどなれるはずはないという基本的な考えを思い出させる意味でいいのではないかと、おじさんも誠也も考えるのだった。

「確かに、世の中、そんなうまい話が転がっているわけはないよな。そのことに誰も気付かなかったのが、バブル経済なんだから、それを利用して詐欺行為を行った方もまずいだろうが、それに乗せられた方も、甘いと言えるかも知れないな。そもそも、自費出版の方でも、本当に最初から詐欺をしようなんて思っていたわけではないだろうからね。誰も見てくれないという盲点をついて、それが商売となればと思っただけで、そういう意味ではマスコミが煽った理由も分からなくもないしね」

 と、おじさんは言った。

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