復職の宿命

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ある日子どもたちの迎え時間が迫る中、実験に手間取っていた里美とその同僚たち。

長い付き合いの者は里美を庇い、とある者は仕事を抜けようとする事に嫌味を口にする。

修二も手が離せない状況の中、里美が出した結論とは。

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慣れない松葉杖生活は厳しく、骨折で痛むギプスで固められたほの足は重たく暑苦しい。

それでも日を重ねるごとに不思議と慣れてゆくもので、執務室やその他の環境も少しずつ整い始めていた。

だが、様々な事が何とも上手く進まない。

かつて利佳子が担っていた職務を三人体制でこなしていることに、復帰してかなり驚いた。

驚く事に利佳子の後任どころか、里美の後任すら補充されていなかったと復帰早々に聞き、今の組織の状態はかなり不安定なのだろうと感じる。

だが自分が離れていた数年の間にそうなる様な事情が何があったのかもしれないと、まずは周囲の様子を見る事にして里美は口出ししないでおこうと決めていた。


「はぁ…」

「桃瀬さん、どうかしました?でも復帰して間も無いですしお疲れですよね。怪我のこともありますし。」

「高木くんは何も思う事ないの?」

「僕ですか?」


本来ならば復職後に部署異動があるはずなのだが人員不足、また元のその職を全うできる者がいなければ異動することもできないのだ。

しかし里美が出産と育児のため休職していた間、日々どの様に回っていたのだろうか。


「桃瀬さんの後に就いた方は、この三年間で三人いらっしゃいました。二人目の方は結構長かったんですが、異動願いを出されて去りました。でもここを辞めたわけではないみたいですよ。」

「色々と負担が多い仕事だからね。それも仕方ないか…」


左手に握られた松葉杖を前方に向け、その先端を床の模様に沿ってなぞっている。

里美の代わりに就いた職員は三年で三人居なくなっているという。

確かに体力面よりも精神面での負担が多い部署だと思う。

人間の本能や倫理に背く事に目を向けなければならない事もあり、それを担う期間が長ければ長いほどまるで専門人員となっているようにも感じる。

それが世界、人類のためになると分かっていても、自分が就いた職業は今後この世に生まれてくる命が幸福に生きていくため、そしてその命を確実に且つ安全に生み出すために欠かすことのできない研究組織なのだと理解していた。

すると里美は振動を感じたスマートフォンを手に、その画面を見つめる。


「私、一度席外しても良いかしら。今日の実験は長引きそうだから先にうちの子ども達迎えに行って、すぐにまた戻ってくるわ。」

「今日、賀城さんはお迎え行かれないんですか?」

「今ちょうど連絡きてね、夫も仕事抜けられそうにないんですって。」


すると里美の職務を担っていた女性職員が声を掛ける。


「桃瀬さんはお帰りになられたらどうです?お子さん達、まだ小さいんですよね?お迎えに行かれてここに連れて来てもお子さん方は楽しくないですし、桃瀬さんも仕事になんてならないんじゃないですか?」

「普段は夫が迎えに行くんだけど、今日は情報部も立て込んでるみたいで行かれないと連絡が来たの。なるべく今後はこういう事が起きないように私も努力するけど、約束は出来ません。」

「プライベートを巻き込んで職務にあたっても周りが迷惑なだけですから。」

「わかったわ…迎えの時間も制限があるから一度娘たちを迎えに行かせてちょうだい。このままここを放置できませんから、終わり次第また戻ります。」


里美は凛とした態度で部屋を後にしたが、心はかなり抉られていた。

彼女がどんな人物なのか正直まだ把握できていなかったが、責任ある立場の自分が現場を抜け、家族を優先させる事には指摘通り里美本人も後ろめたい気持ちを抱いていた。


「遅くなってすみません!ありがとうございました。」

「ママー!」

「優梨ごめんね、遅くなっちゃった。あのね、ママお仕事まだ終わらないから、もう一回戻らなきゃなんだ。急ぐからあーちゃんも呼んできてくれる?」

「うんっ!」

「お帰りなさい、お父さんも残業ですか?」

「残業というか、抜けられないみたいで…上もバタバタですよ。」


双子と亮二を迎えに行き、エレベーター前のコンビニでパンを買い、研究室へと戻る。

かなり憂鬱な気分だが、復職も今日の残業も自分が決めた事なのだ。

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