第八回「夏が終わる」

 井上陽水さんと安全地帯の『夏の終わりのハーモニー』、JAYWALKの『何も言えなくて…夏』、そしてサザンオールスターズの『涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~』。今年もこの曲を聴く時期がやって来た。


 八月もいよいよ下旬に突入。暦も処暑を迎え、どこからか涼しい風が吹いてきた。名実共に、夏の終わりが迫っている。


 夏から秋への移り変わりは、自然界だけでなく人々の心にも微妙な感情の波をもたらす。さながらスローの活動写真のごとく、夏の輝きが徐々に控えめな秋色へと染まっていく様子は、人々の心に深い余韻を残す。


 暑さが和らぎ、風が爽やかになることで人々は夏の終わりを悟る。太陽の光は柔らかくなり、影が長く伸びる。子供たちは夏休みの終わりを感じ、新学期への準備を始める。夏の思い出がまだ鮮明なうちに、新たな日々への期待が胸を膨らませるが、大半を占めるのは過行く夏への名残り惜しさだ。


 緑の葉がだんだんと赤や黄色に変わり始めると、秋の足音が近づいていることを感じる。木々が実をつけ、野原や庭は秋の実りに満ちてゆく。人々は収穫の時を迎え、農作業の喧騒が響く。夏の間に育てた植物や花々も、秋に向けて色鮮やかに咲き誇り、その美しさが切なさを増す。季節の変わり目に宿る淡い感傷は、人々の心に織り交ぜられた自然のリズムと共に流れる響きのようだ。


 それらは人々の内面にも確実に影響を及ぼす。夏は休暇やリフレッシュの機会とされる一方で、秋は新たなスタートや挑戦の季節とされることがある。事実、欧米では新年度の始まりは秋だ。


 夏が過ぎることで、何かを終えなければならないという焦りや不安が生まれることもある。それは欧米型の価値観に毒された影響か。これまでの思い出や経験と向き合い、新たな目標や計画を立てる過程で、心の中に喜びと同時に虚しさを感じることもあるだろう。


 繊細な季節の移り変わりには、人々の喜びや切なさ、未来への希望や過去への思いが織り交ぜられています。夏から秋への移り変わりは、自然と心の中で繰り広げられるドラマの一幕であり、その美しさと切なさが人々の感情を響かせるのです。


 残暑はまだまだ九月いっぱい続くのだろうが、この時期になると何処か寂しい。それはわたしを含めた多くの人々が夏という季節に熱狂しているからに他ならない。


 まだまだ本当の痛みには直面していないものの、夏から秋への移り変わり、その微妙な瞬間には虚しさが漂うものだ。


 青々と輝いた夏の日々が徐々に落ち着きを見せ、風が心地よい涼しさを運ぶ。しかし、それと同時に何かが失われたような虚無感が心に広がる。


 夏の活気や明るさが徐々に遠ざかり、日々が静かで深い色合いに包まれる。短い夏の間に生まれた思い出が、秋の訪れとともに遠くなるのを感じる。時間の流れは容赦なく、変化は避けられない。


 その刹那的な移り変わりの中に、未来への不安や過去への惜しみを感じずにはいられない。夏の終わりは、過ぎ去った瞬間と共に、何かを手放す哀しみとも似た情熱のような感情を引き起こす。空が高く澄み、木々が深まる秋の訪れは美しいが、それに引き換え失われた夏の光景が心に深く残り、心にぽつりぽつりと穴を開けるような虚しさが漂うのである。


 虚しさを覚えるのは熱狂するからだ。熱狂に取り込まれなければ虚しくなんかならない。


 では、何故、夏に熱狂するのか。それには気候的要因や歴史的背景、祭りやイベント、文化的特徴など、多岐にわたる要素が絡み合っている。


 日本の歴史では、夏は農作業や収穫の季節として重要な位置を占めてきた。稲作文化が根付いており、田園風景が美しい日本の風土は、夏になると緑に輝く稲穂で埋め尽くされる。この豊かな収穫は、人々にとっての喜びと希望を象徴し、夏が熱狂的に迎えられる理由のひとつだ。


 日本の文学や詩歌においては、夏の美しさや蒸し暑さ、季節の感情が詠まれた作品が古来から数多く存在している。また、他にも浴衣や狩衣などの涼しい夏着がファッションとして楽しまれ、夏ならではの風物詩となっていることは言うまでもあるまい。これらの文化的な要素は紛れもなく、人々が夏を特別な季節として愛し、熱狂へと導く要因だと私は思う。


 どういうわけか、夏には観光客の数が急増する傾向が見られる。日本政府観光局(JNTO)によると、令和二年の社会的動乱以前の数字に戻りつつあるらしい。この三年で人々の間には「家に居ること」を基軸として動く概念が染みついたかに思えたが、決してそうではなかった。殆どの人が鬱屈とした社会情勢の中でも外へ出ること、そして遠くへ出かけることを願い、我慢していたのだ。今夏における人出の多さは、そうした忍耐のタガが外れて気分が開放的になった結果といえよう。


 ……と、ここまでマクロな視点で論じてきたが、私自身はどうなのか。勿論、四季の中では夏がいちばん好きだ。それは私が東北の雪国に生まれたからであり、二十一歳で上京するまで夏を除いては殆ど寒冷な一年を過ごしていたからであろう。私のみならず、夏は我が故郷にとっては特別な時期だったのだ。


 よく比喩表現にて「夏が終わった」と云われる。人生の内の楽しみや喜び、そして情熱に満ちた時期が過ぎ去ったことを鮮やかに形容したものだ。


 七月十日、私は半年ぶりの新曲となる『夏時計』を発表した。恋の破綻に伴うを悲哀をうたったラブソングで、一種の叙事詩ともいえる楽曲だ。実際に曲を聴いて貰えればお分かりいただけるのだが、私が考える夏とは、まさにあの歌詞の流れに集約される。


 炎のように熱い風と共に押し寄せ、否応なしに燃え盛り、やがては気づかぬうちに去ってゆく。それが夏だ。私の中では、どの年もそうだった。うだるような暑気がジリジリ続いたかと思えば、ふとした時には既に気温が下がり、涼しくなっていた。夏は総じて短いものだ。


 だからこそ、その短い間に体験したことは頭の中で精彩に記憶されるのだと私は思う。流しそうめんやかき氷、ラムネ、夏野菜といった味覚と嗅覚はもちろん、風鈴の音や蝉の鳴き声などの聴覚、新緑に染まる景色の視覚、そして爛々と太陽が照り付ける熱気の触覚など、ひと夏に五感で経験したことは、全て忘が美しい思い出となってゆく。それらを子供のうちに知っておけば、ずっと忘れられない宝物となるだろう。


 サザンオールスターズの桑田佳祐さんが監督して平成三年に公開された映画『稲村ジェーン』には、こんな台詞がある。


「暑かったけどよォ、短かったよな。夏」


 夏は短い。日本の夏は確かに暑く、激しい暑さが特徴的ではるものの、気温の高い時期が続くのは意外と短い。六月中旬から八月いっぱいまでの二ヶ月少々。他の季節が少なくとも三ヶ月は続くのに対して、こちらは息をする間も無く過ぎ去ってしまう。


 高温多湿の気候が続くシーズンは夏休みと重なり、多くの人が夏を楽しむイベントや活動が盛んに行われる。だからこそ、その濃密さが短い期間に感じられることがあるのだろう。楽しい時間ほど、あっという間に過ぎ去ってしまうものだ。


 勿論、夏が全て楽しいとは限らない。気候変動の影響か、近年では破滅的なモンスター級の台風がきわめて短いスパンでやって来るようになった。まるでタイミングを計ったように列島を直撃する台風と、我々日本人は毎年のごとく向き合わなくてはならない。


 さてさて。そんな短い夏は、私に何をもたらしたのか? 何も与えてはくれなかったような気がする。


 確かに新曲は出せたし、執筆中の長編もひとつの区切りがついた。しかし、成果を得たのは創作活動だけ。それ以外の場面、殊にプライベートは思わず嫌気がさす程に暇だった。仕事の忙しさを言い訳に外へ出かけることをしなかった私の愚かさが悔やまれる。


 だが、「〇〇をしたい!」という気力に体力が追い付かなくなってきたのもまた事実。だいぶ疲れが溜まっているのか? ここ数日は明確に体の変化を自覚する場面が多くなった。


 毎日あくせく仕事に追われ、他の時間は専ら結果の出ない創作活動に費やしてしまった二十五歳の夏。こんな不甲斐ない終わり方をするとは思ってもみなかったな。


 よし。来年こそは……!


 そう、去年も言ったのだった。何をやっているのだ。私は。


 夏の終わりは切ない。一年の中で最も明るく、華やかで楽しい季節であるがゆえに、その美しい時期が過ぎ去ることに寂寥感が生まれるのだろう。秋が悪いわけじゃない。だが、夏に比べたら何だか寂しい。花々や葉っぱが色づいて、枯れてゆく。その模様を見るのが哀しいからか。


 あるいは楽しかった休暇やバカンスが終わり、強制的に日常へ引き戻される苦痛が待っている所為か。


 酒を飲んだ後、酔いの爽快が抜けた瞬間は物凄く辛い。夏の終わりの憂鬱は、それと少し似ている気がする。


 森山直太朗さんの『夏の終わり』の歌詞には様々な解釈があるものの、熱狂が冷めてゆく様子をこれほど美しく表現した作品を私は知らない。友情、恋、生き甲斐、熱狂の対象は非常に幅広くあてはまる。森山さんの楽曲が多くの人に愛されている理由がそれだ。


 私の中の熱狂も過ぎ去りつつある。来年も同じ夏を迎えられるかは分からないが、全てが冷めたこれからも出来る限り楽しんでみようと思う。


 とはいえ、落とし前をつけねばならない気持ちがある。夢が砕かれた青春の悔しさは未だに残っているし、口惜しさも、恋しさも、私の心で燻ぶっている。


 熱狂の余韻が完全に冷めるまで、まだ時間を要しそう。いずれ何らかの形で創作に結び付けたいと思っている。

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