魔女の台所

二之腕 佐和郎

第1話 ヤカタ会

〝魔女の台所〟と称される貧民窟の往来で、やくざがひとり殺された。

 全身を焼かれ、現場に残っていたのは灰と骨だけだという。歯型を用いた照合の結果、遺体は〝台所〟を一手に仕切る暴力組織〝ヤカタ会〟の末端組員だと判明した。

 奴が取るに足らないチンピラだったにしろ、そこは彼女達の縄張りだった。事によっては抗争に発展しかねない事件である。なぜなら、かの組織にとって、どれだけ時代が下ろうとメンツとは何より重んじられるものだからだ。

 マル暴の刑事、宮本真夏みやもとまなつは、報が届くが早いかジャケットを引っ掴み、スニーカーをつっかけると、母と姉の写真に手を合わせることだけは忘れず、足早に道端組みちばたぐみの事務所へ向かった。

 入口に立つ若い衆と挨拶を交わし、真夏は敷居を跨いだ。

「──露子さん、お変わりなく」

 真夏が会釈すると、ヤカタ会幹部にして道端組組長、道端露子みちばたつゆこは切れ長の目を細めて迎えた。

「マナは大きくなったね」

「このあいだ会ったばかりでしょう?」と真夏はくすぐったそうに笑った。

 道端組はヤカタ会傘下の中でも屈指の武闘派魔法少女が集う組で、ヤカタ会に寄せられた後ろ暗い仕事を引き継いでいる。ヤカタ会本家は数年前から合法化へ転換を図っており、表向き、実働部隊である道端組とは縁の薄い風を装っていた。

「なんだか、会うたび大きくなってる気がするよ」

「そんなわけないですって。私もう二十五ですよ」

 奥の部屋へと通され、安っぽい合皮のソファーに差し向かいで腰を降ろした。すでに人払いがされて、部屋には二人だけだ。

「昔はあんなにちっちゃかったのにねぇ」

 露子は真夏の頭を撫でた。いささか子供扱いがすぎるが、真夏はしかし、悪い気はしなかった。

 十五年前、強盗によって家族が殺され、真夏は天涯孤独の身となった。

 それを拾い上げ、親代わりに育ててきたのが露子だった。真夏のことは、いつまでも子供のままだと思っているのだろう。

「それで、殺しの件ですが」ペタペタと撫でられるのに任せ、真夏は切り出した。「相手はどこです?」

 露子はすっと手を引っ込め、ソファーに身をもたせた。途端に、その目の針のような鋭さに気づく。

「殺ったのはニッショウですか。それとも、水添組みずぞえぐみですか?」

「いや、他の組ではないようなんだ」

「それじゃー、身内が?」

「どうも、身内でもないらしい」

 真夏は言葉を切り、露子が口を開くのを待った。

 しばらくして、露子は細く息を吐いた。

「おそらく、おそらくは外部の人間だろう」

「なるほど」と、真夏は頷いた。

 下手人がどこにも属していないとすれば、取引の余地のない血の報復が行われるはずだ。組同士の揉め事か、血の気の多い身内の喧嘩なら、あるいはもっと簡単に事が済んだに違いない。

「必要なら、誰かしら懲役に行かせることにする。ただ、ケリは内々でつけたいんだ。この意味、わかるね?」

「犯人に心当たりは?」

 露子はゆっくりと首を横に振った。知らない、というより、介入を拒絶するような仕草に思えた。

「犯人の手がかりか何かあれば逮捕に向けて……」

「マナ、わかってるだろう」

 露子は首を振った。子供に算数を教えるような口ぶりだった。

「その必要はないんだ」

 ぞっ──と、真夏は胃の腑が冷たくなったような気がした。

 露子は言外に、犯人を見つけ出して必ず殺す、と宣言したのだった。

「──わかりました」

 真夏はこくりと頷いた。育ての親である露子に対して、真夏は絶大な信頼を寄せている。

 しかし──と真夏は懸念を抱いてもいた。

 合法化を推し進めるヤカタ会は、露子の過激なやり方を快く思わないはずだ。本家ヤカタ会の助力を望めない大勢では、犯人の足取りを掴むことも容易ではないだろう。

「とにかく、何か情報があれば、それだけはお知らせに来ますから」

「ありがとう。でもね、マナ。間違っても、逮捕しようなどと思っちゃいけない」

「ええ、その……わかります。そのまま渡しますから。大丈夫」

 真夏は報復について言っているのだと思ったが、露子はそうじゃない、と首を振った。

「この、若いを殺ったのは、すごく危ない奴だ。できることなら関わってほしくないんだよ」

「──でも、私を警察に入れたのはこういうときのためでしょ」

 そう言う真夏の目を、露子はまともに見られなかった。

 彼女が真夏を育てた目的は、情などではなかった。ヤカタ会と警察を繋ぐ強固なパイプを得るためだ。露子は細心の注意を払って、生活の面倒を見、警察官としての道を舗装してやった。結果、真夏は間者かんじゃとして申し分なく育ち、実質的にもヤカタ会を裏から支えるほどになった。

 だが、今の露子にとって真夏は──。

 露子は無言で、くしゃっと歪んだような笑みを作った。

 それで、話は終わりだった。

「それじゃ、また来ます──」

「うん。落ち着いたら、ごはん食べに来な」

 真夏が腰を浮かしたそのとき、部屋の外で言い争う声が微かに聞こえてきた。

 二人が顔を見合わせる間もなく、ドアが大きな音を立てて開いた。

「邪魔しますぜ」

 現れたのは、片目を眼帯で覆った大柄な女だった。彼女は背後から追ってきた若い衆を乱暴に蹴りつけると、ごついブーツの底をドカドカ鳴らし、真夏の隣にドスンと座を占めた。

「仕事熱心だな宮本。オレんとこにはまだ情報が入ってきてねぇってのに」

「どうも、青柳さん」

 真夏は、マル暴の刑事、青柳あおやなぎサイケに会釈した。

 青柳はフンと鼻を鳴らして、その隻眼を露子のほうへ向けた。

「お手数をかけるが、オレにもやられたチンピラのことを教えてくれや」

「青柳刑事、あなた、ヤカタ会の担当からはとうに外れていますでしょう?」

「手が空いてたものでな。宮本も、オレが手伝ったほうが捗るだろ?」

 なぁ、と肩を組まれて、真夏は苦笑した。

「──そうですね、先輩が一緒なら大変心強いです」

「それとも、道端さんはオレが一緒じゃ都合が悪いのかい?」

 露子はフッと口元を緩めた。

「そんなことありませんよ。ただ、犯人はもうわかってますからねぇ」

「ふーん」と青柳は気のない返事をした。

「いやね、身内同士の喧嘩らしいんですわ」

 露子はチラッと真夏に目配せした。

「やった奴は行方をくらまして……まあ、当然といえば当然ですがね。組員で捜し回ってるところです。いずれ捕まるでしょう」

「そいつは魔法少女か? 殺られたチンピラも?」

「ええ、もちろん。殺られたのはウチの若いのでね」

「フン。殺った奴の氏名は?」

「引き渡す準備ができてから改めて連絡しますよ」

「準備たぁ何だ、てめぇらで痛めつけてから寄越すのか」

「──あなたが昔されたように?」

 露子が皮肉って言うと、青柳のこめかみに静脈が踊った。

 瞬間、テーブルの上のカップが砕けた。カップは押し潰されるように粉砕され、コーヒーの黒い水たまりがソーサーの外へ広がった。山盛りの陶磁器の破片は、奇妙なオブジェのように沈黙の中に居座った。

「よゥ、誰を懲役に寄越す気か知らねえが、どいつを逮捕するか決めるのは警察だ。お前らじゃない」

「何を当たり前のことを……」

 露子は微笑さえ浮かべながら、カップを片付けはじめた。

「担当が変わったせいか、当たり前のことがわからなくなっているようだからな」

 返事はなかった。

 行くぞ、と青柳は腰を上げ、来たときと同じように、ブーツの底をドカドカ鳴らしながら部屋を出た。

 真夏はペコリと頭を下げ、足早に青柳を追った。

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