第18話

「おはよ」

 寮の玄関で朝早くから待ち伏せしていた俺を、瑞希はビクッと警戒したあと、申し訳なさそうに顔をそらして、横をすり抜けようとした。

「『友だち』でも学校くらいは一緒に行くよな?」

 俺はそう言って、靴を履き替えている瑞希の横に並ぶと、逃さないから、という顔をして一緒に歩き出す。瑞希が見せる困ったような仕草や、自分で放った「友だち」という言葉に傷ついている暇なんかない。

 廊下の向こうからやってきた3年生2人組が、俺たちが一緒にいるのを見て何やらこそこそと話している。俺はそっちに向かって両手をパッと広げてみせると、「触れてないですから〜」とあっけらかんとした顔で言ってやった。

 諦めたくなかった。

 このまま終わりになんかしたくない。幸い同じ所に住んで同じ学校へ通っているので瑞希を捕まえることは容易い。俺たちが恋人同士だとみんなが、瑞希でさえもが認めてくれなくても、俺は卒業までねばってねばって、瑞希の心が雪解けを迎えるのをしつこく待ってやる。もう、そう心に決めた。


 それから毎日、俺は朝と帰り、瑞希を捕まえては強引に一緒に帰る、ということをし続けた。話題はあまりセンシティブな内容ではなく、今日の寮食の話とか、授業の内容の話とか、当たり障りのないものを選んだ。瑞希は俺のことを嫌がるわけでも無視するわけでもなく、「うん」とか「そうだね」とかそれくらいの返事なら返してくれるけど、やっぱり寮のやつらがいる前では少し緊張した様子を見せ、たまに「ごめん、先行く」と言うとそそくさと行ってしまう。そんなときは俺は無理には追いかけない。

 俺のしていることは、瑞希を苦しめているだろうか。だけど瑞希が俺と別れるなんて、絶対に本心ではないはずなんだ。そこがはっきりするまでは俺は、瑞希を諦めることができなかった。


「もうあっちゅー間に今年も終わりだなあ」

 12月に入ると毎年必ず同じことを言うニシダが、教室で俺の席の前の椅子の背もたれをまたぐようにして後ろ向きに座りながら、お気に入りの焼きそばパンを噛り窓の外を見た。

 俺もニシダと同じように窓の外の、冬の到来で少し色のくすんだような景色を見ながら、去年の今頃は何してたっけ?と考える。

 そう言えば去年もこんなふうにニシダと昼飯を食いながら、クリスマスに女の子たちとカラオケに行こうぜ。クリスマスは混むから早めに予約しとこうぜ。なんて話してたっけ。あの頃は楽しかったけど、嬉しくはなかった。今は楽しくないけど、嬉しい。瑞希がいてくれて、嬉しい。

「あ」

「ん?」

 俺が突然声をあげたので、ニシダがきょとんとした顔で俺の方を見る。そんなニシダを無視して、俺はふと考えにふけった。

 そう言えば、冬休みの閉寮日、瑞希はまた寮に残るのだろうか。俺と2人きりで過ごすのはもう、嫌がるだろうか。この前うっかり夏休みの閉寮日に寮に忍び込んでヤったことをみんなにバラしてしまったので、さすがに今回は拒否られるような気がする。でも、1人で残るのは瑞希、怖いんじゃ……。

「あっ!」

「だから、なんだよ!」

 あ、とか、あっ、とか1人で声をあげている俺に、わけもわからず突っ込むニシダを無視して、俺はいいことを思いついていた。

 クリスマスプレゼント、瑞希にランタンをあげよう。

 瑞希にピッタリのとびきり可愛いやつ。もし1人で寮に残ることになっても寂しくないように、俺のことを思い出してくれるように一生懸命、選ぼう。

 うん、やっぱり瑞希がいると、楽しい。


 次の休日、俺はバスに乗って、寮から少し離れたところにあるショッピングモールに1人で出かけた。ここには、割と大きめのアウトドア用品の店がある。

 俺は店内に入り、大きなテントや焚き火台の並んだスペースを抜け、小物類の並んだ棚の前に行ってそこに並んだランタンを眺める。うーん、イマイチ。ごつい。どれも山男のイメージで、瑞希じゃないな。

 そしてふらっと店を出て何気なくモール内をぶらぶらしていると、ある雑貨屋の前に陳列してあったクラシカルなデザインのランタンに俺の目が釘付けになった。

 屋根の部分と土台の部分の間に挟まれたガラスの中には、根本が雪に埋もれた小さなクリスマスツリーが立っている。手にとってスイッチを入れてみると、ライトがつくと同時に中のジェルに水流が起こり、下に沈んでいた雪代わりのラメが、スノードームのように舞い上がってツリーの上にキラキラと降り注いだ。俺はその美しさと、俺が今、見つめている光景を見つめる瑞希を想像して思わず笑みを漏らす。

「そちら、人気ですよ」

 奥から出てきた店員がにこやかに俺に声をかけてきた。

「これって、電池式ですか?」

 スイッチを切りながらランタンを持ち上げて底を覗くと、底板がビスで止めてあって、どうやら外れるようになっているらしい。

「はい。電池式なので、どこにでも置けますし、火を使わないので室内でも大丈夫です」

 確かに、オイルも要らないので手軽に使えそうだ。何よりデザインがクリスマスプレゼントとしてバッチリだし、お化けが苦手な瑞希もこれがあれば1人の夜でも楽しく過ごせるだろう。

「これ、プレゼントにしてもらっていいですか?」

 俺は即決し、まだラメが中でふわふわと舞っているランタンを店員に差し出した。


 期末テストも終わってあとは冬休みがやって来るのを待つばかりになった。瑞希と俺は相変わらず、学校への行き帰りに他愛もない話をして、寮へ帰ったら瑞希は部屋に籠もって出てこない。

 このくらいの時期になると、受験が終わって暇な3年生が寮内クリスマス会の企画をたてたりするのだが、今年は誰も言い出さない。

 俺と瑞希のことで、3年生の間に歪みができているのは間違いなかった。

 早乙女が1、2年生のみんなに、「今年はまだ受験終わってないやつが多いからクリスマス会無理だわ。すまん」と説明していた。実際、今年はまだ進路決まってないやつが多かったけど、クリスマス会を中止する程ではない。なんだかみんなの楽しみを奪ってしまったみたいで申し訳ない気持ちになった。瑞希も同じことを思っているだろう。でもだからこそ、俺はここで諦めちゃいけないんだ。色々と気を使ってくれている早乙女や、水上やニシダの気持ちを無駄にしないためにも。


「一之瀬と水上は、冬休みいつから家に帰る?」

 俺と水上が部屋でうだうだしているとき、早乙女がガチャリと俺たちの部屋のドアを開けて声をかけてきた。

「閉寮日いつからだっけ?」

 水上がベッドの上の段でスマホをいじっていた手を止めて言う。

「27日からだな」

「んじゃ俺、26まで」

 早乙女が答えて水上が言う。

「一之瀬は?」

 う〜ん、と俺は暫し考えて、水上と同じ「26まで」と答えた。

 本音はまた瑞希と2人で寮に残ることを希望だけど、どちらにしろ建前上は26までと言うしかない。

 クリスマスプレゼント、いつ渡そうかな……と俺はプレゼントの包みが入った自分のロッカーを見つめる。できれば24日の夜に渡したいけど、みんなにバレないように寮で渡すのは難しいかも知れない。俺は別に渡すところを誰に見られようが構わないけど、瑞希本人を含め、見られると構う人が多すぎる。となると、終業式に学校へ行く途中か、帰る途中……誰にも見られずに渡せるだろうか。終業式は22日だからクリスマスにはちょっと早いけど、渡せないよりマシかな……。


 ところが終業式の日、朝いつも通り早めに玄関に出て立っていたけど、いつまでたっても瑞希は玄関に現れない。

「一之瀬、遅れるぞ」

 そう言いながら自分も既に遅刻しそうな勢いで走ってくる佐橋を捕まえて、俺は「瑞希、知らね?」と訊ねた。佐橋は割と俺たちのことを応援してくれているやつらの1人だ。

「知らねー。でも多分俺らもう最後だって。行くぞ!」

 そう言われて俺は、まだ寮の中を気にしながらも、プレゼントの入った鞄の持ち手をグッと握って玄関を出た。


 学校に着いて教室に入っても瑞希の姿はない。まさか寮で倒れて誰にも気づかれないまま苦しんでるんじゃないだろうか、と不穏な映像が脳裏に浮かび、一気に不安になった俺は早乙女のクラスまで走った。

「早乙女、早乙女!」

 俺が廊下から教室の中でクラスの連中とだべっている早乙女に声をかけると、早乙女が何事かとこちらを向いた。

「なんだよ」

「瑞希って今日どした?風邪引いて寝てるとか?」

「え?あ〜……」

 早乙女の顔が一気に曇り、そのまま席を立つと俺の側までやって来て、声を潜める。

「戸村は昨日の夜からもう帰省してるよ」

「へ?」

 俺はびっくりしすぎて思わず間抜けな声を出した。

「始業式の前日まで帰ってこないってさ。やっぱり一之瀬知らなかったんだな。俺もベラベラ他人の予定とか話すわけにはいかなかったもんだから悪い」

 そう言って早乙女は、申し訳なさそうな顔をすると、俺の背中を軽くポンと叩いて自分の席へ戻っていった。

 昨日の?夜から?

 嘘だろ、瑞希……。

 鞄の中でプレゼントのランタンが、急に重さを増していく。


「きょ〜お〜は〜、クリスマス」

 勢いだけで格好良く見えるニシダの歌を聞きながら、俺は狭いカラオケルームの四角い椅子に、背もたれの方を向いて横たわっていた。足元には1人でデンモクを眺めている水上がいる。

「おい!一之瀬!俺の渾身のクリスマスソングをちゃんと聞きやがれ!」

 ニシダがマイク越しに大声で叫んだ。

 一之瀬え!すげえぞ!クリスマス当日に電話したのに1室だけカラオケの空きがあった!

 そう言ってニシダの手によってベッドから引きずり出された俺は、クリスマスイブだというのに水上も含めた男3人でカラオケに来ている。

「……女子がいねえ」

「女子が欲しかったのか」

 ボソッと呟く俺に水上が答える。

「いや」

 女子が欲しいのは、女子がいればニシダと水上がもっと楽しめるんじゃないかと思ったからだ。そしたら2人とも、貴重な高校最後のクリスマスイブを、終業式の日からずっとベッドの中で抜け殻状態になってる俺を元気づけるために費やさなくてもよかったのに。

 俺はムクッと起き上がると、お?という顔をしている2人に向かって、「ごめん」と頭を下げた。何に対しての「ごめん」なのかわからなかったけど、とにかくごめんと頭を下げた。

 頭を下げた途端、駄目だとわかっているのに場の雰囲気を湿っぽくしてしまうような言葉が次々にこぼれ落ちる。

「俺さ、絶対瑞希のこと諦めないって思ってたんだよ。周りに気を使って別れるってなんだよって。気を使うっていうなら、俺らのこと応援してくれてるニシダとか水上とかそっちにじゃん。だからといって他人のために付き合うわけじゃないけど。でも色々してもらったし、今もこうして俺のこと元気づけようとしてさ。でも……」

 ああ、駄目だ。これ以上は、もう駄目だ。だけど……なんで瑞希はここまで俺を拒絶するんだ。

「でも、もう俺はこれ以上頑張れないかも知れない」

 言葉に出した途端、目がジンと熱くなった。

 諦めたくない。だけどもう、心が限界だった。

 涙を2人に見られたくなくて、靴を脱いで椅子の上で膝を抱え、その中に顔を埋めた。

 俺は今、傷ついている。そのことに、自分ではっきりと気づいている。誤魔化しようのない、身をえぐるような痛みだ。俺はこの痛みを、しっかりと心に刻み込もうと思った。

 瑞希が好きだから。何物にも代え難いから。

 顔を埋めている俺からは、水上かニシダかわからなかったけど、俺の肩を、誰かがそっと抱くのがわかった。


「うわ〜もう暗え〜」

 あの後吹っ切るかのようにフリータイムで散々歌ったカラオケ店を出ると、外はもうクリスマスのイルミネーションが光る夜の装いだ。寮の夕食には間に合うように出たはずだから、そんなに遅い時間ではない。そう言えば昨日、冬至だからと大浴場にたくさん柚子が浮かんでたっけ。1年で、昼の時間が1番短い頃。

 空に大きな月が浮かんでいた。

 あの日、瑞希と2人で、初めて夜中に抜け出してホテルで抱き合った日、「月が綺麗だな」と言った俺に、瑞希が「えっ?夏目漱石?」って言ったっけ。あの後、気になって調べてみたら、俺はどうやら瑞希に愛の告白をしていたらしい。

 でも、気持ち的には間違いじゃない。今でもそうだよ。

 月が綺麗だ。

 ここに瑞希はいないけど、遠く離れた場所で、瑞希もきっと、今、俺と同じ月を見ている。

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