第8話 女神の祝福

「お会いしたのは初めてだと思うんですが……」


 突然目の前に現れた女性に「お久しぶり」と言われたが、私は彼女とは全く面識がなかった。


「あたしはあなたの事知ってるわよ。ていうか前に会った時より良い顔になったんじゃない? でも、これじゃが無くなっちゃったわ。人に頼り切って甘ったれた顔をしてた時のあなたは、最高の獲物だったのに――」


 まるで私と知り合いのような口ぶりの彼女は、心なしか少し寂しそうにしていた。

 もしかして本当に知り合いで、ただ私が忘れているだけなのだろうか。


「以前どこかでお会いしました?」

「まあ覚えていないのも当然よね。まあいいわ。それよりも、あたしはあなたに感謝してるのよ」

「感謝――、ですか?」

「そうよ。だってあなたに啓示を授けなきゃいけないから、時の狭間から出ることを許されたんだもの」


(んっ? なんか今、一番聞きたくないフレーズを聞いてしまったような……)


「あの……今、啓示を授けるって言いませんでしたか?」

「ええ、言ったわよ」


 この展開に、私は嫌な予感しかしない。

 私の知る限り、啓示を授けることが出来るのは――。


「もしかしてあなたは神様ですか?」

「正解」


 そう言うと、女神様はニヤリと笑った。


「それはつまり……、私は神様の祝福を受けたって事ですか?」

「またまた正解! それと私はヘルって呼ばれているわ。ちゃんと覚えてね」


(そんなお名前の神様、いらっしゃったかしら?)


 少なくともローラン王国では、ヘル様という女神の名前は聞いたことが無かった。


 それにしても何かがおかしい……。

 私の持つ未来の記憶の中には、洗礼の儀で神様から啓示を受けたという記憶がないのだ。


「私の記憶とは違う――、どういうこと?」


 動揺した私は、心の中で思っていた事をつい声に出してしまっていた。


「記憶? ――ああ、ね。どう? その記憶は役に立ってる?」


 どうやら女神様はこの記憶のことをご存知のようだ。

 ということは、やはりこの記憶は神の祝福によって授かった能力なのだろうか。


「私の持っているこの記憶は、神の祝福として授かったのですか?」

「えっ!? 違うわよ。確かにその記憶はあたしからのだけどさ――」

「じゃあこの記憶は一体――。私が授かった恩恵は未来予知ではないのですか?」

「あの記憶が未来予知? そんな大層なものじゃないわよ。大体その記憶は元々あなたの物だし」


 どうも話の筋が読めない。

 私が状況を全く理解できていないと思ったのか、女神様はこう切り出した。


「さっきから勘違いしているようだから教えてあげる――。あなたには感謝してるし、今日は機嫌が良いから。今回だけ特別よ」


 女神様は、時の狭間という所から出て来られた事が本当に嬉しかったようだ。なにしろ私に感謝するなんて恐れ多い言葉を、二度も仰ったのだから。

 きっと時の狭間とは、よほど退屈な場所なのだろう。


「あなたは、自分が持っている記憶を未来の記憶だと思ってるようだけど、その記憶はあなたが実際に経験した記憶なのよ」

「どういう意味ですか?」

「その記憶はこれから起こる出来事じゃなくて、あなたが過去に経験した記憶ってことよ」


 過去に経験した記憶?

 女神様には申し訳ないが、私は十八歳で死ぬ――、なんていう経験をしたことはない。

 大体私はまだ六歳なのだ。

 

「申し訳ありません。私には女神様の仰っている事が理解できていないようです」

「そんなに難しく考えなくていいのよ。すごく簡単な話よ。――要するに、あなたは一度死んでるのよ。で、今また同じ人生をやり直しているってわけ」


 ――人生をやり直している!!??


 それは今までで一番衝撃的な言葉だった。


「そんな事が出来るはずは……」

「それが出来るのよ。――ならね」


 ヘル様はそう言うと、またニヤリと笑った。


「あたしは死を司る神よ。あたしなら死人を生き返らせる事だって可能よ」

「死を司る神様……」

「そうよ。ちなみにそんな芸当が出来るのは神々の中でもあたしだけ。どう? すごいでしょ」


 確かに死人を復活させられるなんて、すごい御業だ。

 だが不思議なのは、そんなヘル様の名が、この世界では全く知れ渡っていないことだった。

 あまりにも強大な力を持ってるが故に逆に恐れられ、その存在を隠匿されてしまったのだろうか。


 しかし、なぜヘル様が「」と、私に言ったのかについては合点がいった。


「私は以前、ヘル様とお会いしているのですね」

「そうよ。あなたが前回死んだ時にね」


(そっか……私は一度死んでいるのか)


 しかも記憶の中の私は、無残に殺されている。

 さぞ無念だったであろう。

 きっとヘル様はそんな私を見兼ねて、救いの手を差し伸べてくださったに違いない。


「私はヘル様に救っていただいたんですね」

「えっ?! 救った? えっと……。ま、まあ……そういうことかもね。でもめったにそんな事しないから、あなた特別な存在なのよ」

「そうなんですね。しかも前世の記憶があれば、私が人生をやり直し易いだろう、そう思ってくださったんですよね?」

「あっ、えっ、えっと……そ、そ、そうなのよ。よ……よくわかったわね」


(ヘル様は本当にお優しい方だわ。感謝してもしきれない)


「本当にありがとうございました」

「き、気にしないでいいわ――。じゃあそろそろ話を戻すわね。今回私がここにいるのは、あなたに啓示を授るためなんだから」


 そうだった。すっかり忘れていた。

 それにしても、死を司る女神様に与えてもらう能力――。

 一体どんな能力なのだろう。やはり死に直結するような恐ろしい能力なのだろうか。

 そう思うと緊張で顔がこわばってくる。


「まずは能力について教えないといけないわね。あなたに授ける力――、それは完全治癒よ」

「えっ? あのう……もう一度言ってもらってもいいですか?」

「だから、完全治癒よ」


 私はそれを聞いて、すっかり拍子抜けしてしまった。

 死を司る女神様から授かる能力なので、てっきり恐ろしい能力なのかと思っていたのだ。


「ただし――、寿命で死ぬ者や、すでに死んでしまった者は無理よ。あくまであなたが治癒出来るのは、病気や怪我だけよ」

「あっ、はい……」

「すごい能力でしょ? きっと権力者たちはあなたを放っておかないと思うわ、ふふふ」

「えっ、あっ、はい……」

「ってちょっと! さっきからなんなのよ……、もうちょっと嬉しそうな顔しなさいよ」


 緊張が解けて腑抜けた顔をしていた私に、思わず女神様はツッコミを入れた。

 もし自分の手に負えない能力を授かったらどうしようと思っていた私は、授かった能力が治癒能力だったことですっかり安心してしまっていた。

 だから私は、この能力の凄さにはまだ気付いていなかった。


「あなたこの力の凄さが分からないの? ――ふーん、まあいいわ。とりあえず今から力の使い方を教えてあげる」

「今ここでですか? 他の人が見てますけど――」

「問題ないわよ。んだから」


 それを聞いた私は、思わず後ろを振り返る。


「あれ? 誰も動いていない――」


 そこには、まるで石になったように固まって動かない人々がいた。

 そういえば、祈りを捧げている時に急に周囲が静かになって――。


「今は時が止まってる状態なのよ」

「そんな事まで出来るなんて。やっぱり神様って凄いんですね」

「やだ! もっとほめてくれてもいいのよ」


 ヘル様は嬉しそうだ。

 それにしても、私に治癒の力なんて――。果たして覚えられるのだろうか。


「私は魔法が苦手なんですが、大丈夫でしょうか。完全治癒っていうのは、いわゆる治癒魔法の事ですよね?」

「たしかにこの力は魔力を使うことになるわね。でも私が一回見本を見せれば、あなたもすぐに使えるようになるわ。神の祝福で与えられる能力は覚えるものではないのよ。意味わかるかしら? ――まあいいわ、早速始めるわよ」


 ヘル様は私の目の前で、治癒能力を一回発動させてみせた。


「はい、おしまい。これでもう使えるようになったわよ」

「えっ! もう終わりですか? ――えっと……、ありがとうございました」


 正直こんな事で本当に使えるようになったのか、正直私は疑心暗鬼ではあった。

 だが神様の仰ったことだから、これで間違いなく使えるようになったのだろう。


「気にしないで。まあせいぜい今回は殺されないように頑張んなさいよ。じゃあ、


 女神ヘル様が消えた途端、今まで静まり返っていた周囲の音が再び聞こえ出した。

 私は冷静を装って、まるで何事も無かったかのように子どもたちが集まっている場所へ戻っていった。

 だが私が祝福を受けた事に皆相当驚いているのか、誰も話しかけてこないし、何か言ってくる人もいない。


(どうしよう……)


 そのうち皆冷静になってきて、大騒ぎになるはずだ。特に心配なのは私の過保護な両親だった。今後の事を考えると、今から頭が痛くなってくる。


 それに――、神の祝福を受けたとなれば、私は王都に連れて行かれることになるだろう。

 これからは一生監視され続ける人生なのかもしれない。

 でもそんな事を私の両親が許すだろうか。

 父が「王都の連中と戦争だ!」なんて言い出さなければいいんだけど。


 だが今後何が起ころうとも、祝福を受けてしまったという事実は変えられない。


(なんか面倒くさい事になってきたわ……)


 そうこうしているうちに洗礼の儀に参加した全ての子供が祈りを捧げ終わり、神官が締めの挨拶を始めた。


「今回は残念ながら神の祝福を受けた者はでしたが――」


(えっ!? どういう事?)


 神の祝福を受けた人がいない?

 私は女神ヘル様に祝福を受けたはずなのだけど……。

 だが神官の言葉に、異議を唱える者は誰一人いなかった。


 こうして私は、まるで狐につままれたような気分で神殿を後にする。


 しかしその後、なぜ誰も私が神から祝福を受けたと気が付かなかったのか、その理由が判明する。


 なぜなら――。


 神殿には、啓示を受けた時に輝くはずであった、女神ヘルの神像が祀られていなかったのだ。

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