第16話
[花茎羽美視点]
母が亡くなった中学三年の春は――『母親との残りの時間を大切に過ごしなさい』と仰るお祖母様からの言い付けを守って、ずっと母の病室にいたような気がする。
でも、もう殆ど、人間としての機能をしていない――ただ、
だから、最後の方は一人でよく受付近くの待合所で読書をして過ごしていた。
沢山の人々が往来する場所が、私を自由にしてくれるような気がして、その場所を好んだ。
そこでよく見かける二人組の男の子達がいた。
あまり特徴のない男の子と綺麗な顔をした女の子みたいな男の子。
だけど、女の子みたいな男の子は左頬から首元にかけて大きな傷跡があった。
あらあら――。
何かあったのかもしれないけれど、特にこれといって関心はなかった。
だけど、ある日――あまり特徴のない男の子が声を掛けてきた。
『義弟の診察を待っているんだけど、今日は長くかかりそうだから、君さえ良ければ話相手になってくれない?』と言うことだった。
えっ、あなた達、兄弟なの?と内心驚いたけれど。
そして――ああ、これがお祖母様の仰っていたナンパというものね、と思いながら黙っていてあげる。
それはあなたの次の言葉が素敵だったから。
『その本をいつも読んでいるけど面白いの?それって……ゲーテの『若きウェルテルの悩み』だよね?』
『あら、意外……この本を知っているのね?』
『まー、有名だし。タイトルくらいだけど。それで面白いの?』
『あなたも読んでみたらどう?百聞は一見に如かずよ』
『いや……サボっていた分の課題が大変でさ、読書感想文は君の感想をそのまま使おうかと』
あらあら――。
『そうね――』
『…………』
『ふふっ、とても眠くなる本よ』
『なんだよそれ?まあ、もしも――俺が不眠症になったら読んでみるよ』
あなたが困ったように笑う。
『ええ、ふふっ、是非そうしてみて――』
それから――義弟さんの診察で病院に付き添うあなたを、今度は……私の方からナンパした。
◇
新国立劇場――オペラ演目『ウェルテル』
第三幕『オシアンの詩』
悲哀のあるテノールが劇場内へ響く。
『すべての私の魂はここにある。
なぜ私を目覚めさせた?
春風よ……。
私は額にあなたの愛撫を感じ
そして、そうでいながら、
嵐と悲しみの時が――。
すぐそばにいるのを感じている』
美しいアリア。
思わず涙が溢れた。
そんな私の手に、そっと添えられる手のひら。
「羽美ちゃん、今日はごめんね……。黒川さんと予定があったのに、父さん達が君を東京まで呼び出して――」
「いいのよ、島田君……。私のことは気にしないで……」
「いつも、君は……僕のことを優先してくれるけど、そんなに我慢しなくていいんだよ?黒川さんにくらい僕の存在を打ち明けてもいいんじゃないかい?それに僕とのことを公表すれば君への
「それくらい大したことではないの。それより島田君がサッカーに打ち込めるのはあと少しでしょう?私はそれを邪魔したくないの」
「君は……本当に僕には勿体ないくらいの素敵な婚約者だね」
そうじゃないわ。
そうじゃないの、島田君。
本当は知られたくないだけ。
いつも困ったように笑うあの人に――。
この事を知られたくないだけ……。
◇
お読みいただきありがとうございます。
わざわざオペラを家族で鑑賞するなんて、島田家……やばたにえんの家系です。
勿論、花茎家も。
今回は島田悠斗氏が初登場。
花茎さんが主人公に恋愛では一歩引いて接してしまう理由でした。
読者様の応援のおかげで、眠気と戦いながらもアップ出来ました。
感謝申し上げます。
それから心君の設定を間違えていました。
中学三年ではなく、現在は高校一年でした(汗)
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