第3話

 最強に酔っていたら、セックスできるかも。


 くたくたの肌触りが好きで最近よく勝手に拝借している陽くんのスウェットの上からロングコートを羽織って、家を出た。一日中家から出ないと、夜の暗さに驚く。五分ほど歩いて、近所のファミリーマートに入る。買い物かごにどんどん商品を入れていく。ハイボール。ハイボール。ハイボール。チータラも買う。サラミも買う。


 歩道橋をゆっくり渡りながら、一缶空けた。最寄り駅から人がどんどん住宅街に散っていくのが遠目に見える。


 マンションの鍵を開ける。電気がついている。


 陽くんはTシャツにボクサーパンツだった。


「もうお風呂入っちゃったよ」


 あ。二一時って、セックス開始時刻だったんだ。集合時間かと思っていた。


「ごめん、ちょっとお酒買いに行ってた」


「おお、いいね」


 陽くんが抱きしめてくる。逃げたい。


 キスしてくる。ひげがちくちくして痛い。なんでお風呂には入ったのに、ひげは剃らなかったんだろう。


 陽くんの舌がわたしの口をこじ開けて、中にぬるぬる入ってくる。くちびるを閉じて抵抗しようかと思ったけれど、昨日が昨日だったし、それはさすがにあんまりな気がする。わたしの口はハイボール臭いけど、陽くんの口はどぶ臭い。営業としてどうなんだろう。この前、デンタルフロスをおすすめしたのに使ってないんだろうな。陽くんの鼻息が荒い。鼻息も臭い。


 服の上から胸を揉まれる。ぞわぞわする。ちょっと、もう無理かもしれない。ブラジャーを外される。ノーブラ状態の胸が心許ない感じがなんだか嫌で、わたしはブラを付けて寝る派なんだけど、お母さんはいつもノーブラで寝てたなあ。


 布団に押し倒される。服が重量限界まで掛けられて、たわみかけているハンガーラックが陽くんの肩越しに見えた。


 陽くんがわたしの乳首を舐める。目を閉じて一生懸命舐めている。舌をとがらせて乳首を転がされると、気もちいい気もするけれど、わたしの下は長い間放置されてカラカラになったプランターの土くらい乾いているのがわかる。極限まで乾いていて、水をあげるとシュワシュワいうやつ。


「気もちいい?」陽くんが聞いてくる。


「うーん」


「気もちよくない?」


「ううん」


 陽くんが動きを止めて、深いため息をついた。


「なにが嫌なのか、ちゃんと話してくれないとわかんないよ」


 陽くんはよく「ちゃんと話して」と言う。そう言われるとわたしはなにを言えばいいのかわからなくなって、押し黙ったまま思春期の子供みたいに泣いてしまう。陽くんはそういうわたしを、使えない後輩を見るみたいな目で見る。


 今は、口が臭いのが嫌なんだけど。それをちゃんと言ったらどうなるんだろうか。


「なにが嫌か?」


「茉優ちゃん、全然気もちよさそうじゃないから」


 陽くんのパンツの中で熱くなってはち切れそうだったペニスは、すっかりしぼんでしまっている。それはなんだかもったいないし、かわいそうな気がした。


「陽くんの口が臭いからかも。一回歯磨きしてきてくれたら、できるかも」


 うん、そうかも。一回歯磨きしてくれたら、できると思う。歯磨き粉のミント味。いけるかも。解決策をみつけたかもしれない。


 なのに、陽くんはなにも言わないままだ。


「どうしたの、大丈夫?」


「なんでそんなひどいこと言うの?」


 陽くんの目からぼろぼろ涙の粒が流れ出ているのに気づいた。目がびっくりしたときみたいに大きく開いていて、ちょっとシュウマイの目みたいだ。


「ちゃんと話してって言ったから、言ったんだよ。わたしも最初、言わない方がいいかなって、思ったんだけど」


「もういいよ」


 陽くんが怒鳴った。声が大きくてこわい。


「そうやって怒鳴るの、こわいからやめて」


 陽くんは服を着て、そのまま何も言わずに家を出てしまった。スマホを見ると、まだ二一時半だった。


 布団の脇の衣装ケースの上に乗っけられていたブラを着ける。やっぱり着けていた方が安心する。冷蔵庫に入れなかったのでぬるくなってしまったハイボールの缶を開けた。何本か買っておいてよかった。


 無意識に顎に力が入っていたみたいで、歯が沁みるように痛い。


 話してって言ったから、ちゃんと話したのに。

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