犯人を見つけ出せ

犯人を見つけ出せ①

「閑静な住宅地……ね。ものは言い様だな」


 目的の住所は一見普通の住宅地に見えた。地図アプリでは周辺情報として「閑静な住宅地」と表示されている。しかしどうやら空き家が多いらしく、閑静というよりは閑散といったほうが正しい。


 朝の7時から物陰で西園の表札が付いた古い一軒家の様子を見ていたが、人の出入りもなく、物音もしない。


「こりゃハズレかな」


 仕事に向かう忙しい時間帯に話を聞けるのは警察だけだ。もともと様子見のつもりだったので話を聞けないのは構わないのだが、目覚まし時計の音もしないし、水を流す音もしない。朝から留守だとしたら旅行中かも知れなかった。せめて顔や身なりなどは確認したかったが運が悪い。


 本来なら急ぎでもないし明日以降に計画を練り直しても構わなかったのだが、凛太郎の好奇心が許してくれなかった。


「彼は本命だ」晶は昨日の帰り道、凛太郎に重々しく言ったものだ。

「ユーフォニアムの価格を調べたんだが、何十万とするらしい。そうそう生徒に貸し出せるものじゃない。そもそも、2台の学校備品だけでも一応は足りるんだ。3年のレギュラーに一台、もう一台で別学年の生徒が使い回しながら練習するのが一般的とも言える。私物の楽器なら学校備品よりも高価で高性能かも知れないし、どうせ貸すなら3年生に貸しそうなものじゃないか? そのあたりは僕は詳しくないのでわからないが。なぜ2年生の花田さんに私物の高価な楽器を貸したのか。二人の関係を疑うには十分だろう」


 教師と女生徒の組み合わせは学園恋愛ものではよくある設定だが、現実はどうだろうか。よほど魅力的な男性だったのかも知れない。


「加えて、顧問である以上は当日も学校にいたはず。彼が花田さんのパートナーなら、『動機がある』。『現場にいる』。『マウスピースを手に入れることもできた』。条件は揃っている。ただ……」晶は言い淀んだ。「家斉先生によると、西園先生にそんなそぶりはなかったし、疑いもしなかった、と言っている」


 まぁ会ってみれば分かるさ、とフットワーク軽くやってきたものの、当人がいないのでは話にならない。


 周辺を歩き回ったが、特に収穫はない。人通りもないので聞き込みもできない。


 もしかしたら、そもそも人が住んでいないのかも知れない。表札を残して引っ越してしまったとか。いっそ中に入ってしまおうかとも考えたが、学校ならともかく、人が生活しているかも知れない家に侵入するのは凛太郎でも憚られた。


 10時を過ぎたころ、両隣の家にいっそ聞き込みでもするか迷っていると、大きな荷物を持った男性が目的の家の前に立っているのが見えた。凛太郎はすばやく男の近くへ移動して、彼がポケットから鍵を取り出したのを確認し、ドアを開けるのを待ってから声をかけた。


「お疲れのところすいません」


 活動時間帯が一般的な人と違うなら今声をかけておかないと聞くタイミングを逃すと判断した。


 男は振り返った。細身で、ほほがこけており、神経質そうな目をしている。長い髪を後ろで束ねているところから見ると、やはり会社員や公務員をやっているわけではなさそうだ。ネクタイもしていない。襟元もボタン二つ開けている。エンジニアか、芸術家か。吹奏楽部の顧問なら後者だろうが、前情報がなければ前者だと感じただろう。


 あんまり中学生と恋仲になるような印象はなかった。どちらかといえば子供を嫌ってそうだな、と凛太郎は感じた。


「なんでしょう」


 見かけによらず、太く、低い声だった。


「僕、家斉孝太郎といいます。むかし、姉が先生のお世話になっていたのですが、覚えてらっしゃいますか」


「家斉……」男は遠い目をした。


「珍しい苗字だ。ひとり、覚えがある。お姉さんの名前は?」


「響子です。家斉響子」


「そうだった。家斉響子さん」男はにかっと笑った。先ほどと違い、笑うと子供のような顔になるな、と凛太郎は思った。


「弟さんがいたとは知らなかった。懐かしいな。彼女は元気かな?」


「ええ。実は、いま三王丸中学で教鞭をとっています」


「ほお……」感心したように頷く。

「ああ、立ち話もなんだから、どうぞ、入って」


 玄関扉を開けて、凛太郎を通す。


「ありがとうございます。お言葉に甘えてお邪魔します」


 中は外観から想像できる通りで、質素であまり物がなかった。女っ気を全く感じない。古い木造家屋で、木と畳の匂いがした。


「古い家だし、男の一人暮らしなのでね。たいしたことはできないが」


 凛太郎が通されたのは洋風の応接室だった。向かい合ったソファと、その間にテーブルがある。凛太郎を奥のソファに座らせて、「コーヒーでいいかな?」と聞いてきた。


「どうぞ、おかまいなく」実際コーヒーはあまり好きではない。


「いや、正直に言うと僕が飲みたいんだ。一人で飲むのも心地悪いし、作らせてくれ。ミルクと砂糖はいる?」


「ありがとうございます。甘いのが好きです」


 ふふふ、と笑って応接室を出て行った。凛太郎はずっと意外に感じている。こんなに紳士的な大人は久しぶりだ。凛太郎が中学生に見えないというのもあるだろうが、それにしたって精々高校生だろう。そんな子供を応接室に通して上座に座らせるものだろうか。


 それとも、ような人物、ということなのか。


 戻ってきた西園は、凛太郎でも分かるほど良い匂いのコーヒーと砂糖とミルク、繊細そうなお菓子をお盆に乗せてきた。凛太郎は甘党なので、我慢のしどころである。


「それにしても意外だな、家斉さんの弟さんとは。ずいぶん若い勧誘が来たなと思って、失礼な態度ではなかったかな」


「とんでもない、連絡もなく伺ってしまって申し訳ありませんでした。姉からご住所だけは聞いていたのですが、入れ違いにならなくてよかった」


「家斉さんか」目を細めて、かつての響子を思い出しているようだった。「そうか、彼女は教職に……」


 何かを思い出しているのだろうか。カップを口元に持っていきながら、まだ一口も飲んでいない。そのままテーブルに戻した。


「それで、今日はまさか、同窓会の誘いではないだろうね?」


 いよいよ本題だ。


「実は、その、姉が自分で来ればよかったんですけど、どうも足が重かったらしくて」


 気まずい話をこれからしますよ。そんな顔になっているだろうか。子供を馬鹿にするような大人はたいてい演技に引っかかるが、子供を一人の人間として見る大人を騙すのは難しいことを、彼は知っている。


「先生が以前、生徒さんに貸していたユーフォニアムのことでして」


「ユーフォ……ああ」


「お心当たりありますか」


「たぶん、わかる」そう言って力が抜けたように笑う。


 12年前のユーフォニアムだ。本当だろうか。


「実は、姉の担任のクラスに花田さんの近縁のお子さんがいらっしゃって、たまたまそれの話になったそうです。いま、そのユーフォニアムは花田さんのご自宅にあります。花田さんとしては、もともと先生に返されようとしてたらしいのですが、退職されていて連絡ができなかったと。姉は三王丸中学校卒業生かつ教員ということで、西園先生のご住所は心当たりがあった。それで、本来なら姉が言付かっているのですが」


 凛太郎は頭をかいた。


「その……当時の事故のこともあるので、僕が間に入っている、というわけです」


 西園は疲れたように笑った。さきほどから笑顔だが、最初に見せたような元気な笑顔ではなかった。いまは大人だ。


「もちろん、先生さえよければ後日姉がお伺いするつもりみたいなんですが、ひとまずは僕が返事をいただければと。どうでしょうか」


「そうか……」西園はやっとコーヒーを口にした。香りからすればきっと美味しいものなのだろうが、あまり美味しそうには見えなかった。


「花田さんさえよければ、そのまま貰っていただきたい。あれは一度僕のところに戻ってきたんだけど、知世さんが最期に持っていたものだそうだから、実は勝手ながら僕が届けたんだよ」


 またコーヒーを一口飲んで、カップを持ったままじっと眺めている。コーヒー好きはみんな考え事をするときはカップを眺めるのかな、と関係ないことを考えた。


「もしかしたら、余計なことだったのかも知れないなとは思ってたんだ。ユーフォは重たいから、あれがなければ彼女は……ただ、……うん……」言葉を慎重に探している。

「うまく言えないな。自己満足か保身なんだけど、知世さんはあの楽器が好きだったようだから。せめて、そばにあればと思ったんだ」


「そうでしたか」凛太郎も同じく言葉を選ぶ。「姉には、そのように伝えておきます」


 凛太郎もカップを手にした。が、まだ砂糖もミルクも入ってないことを思い出してそれぞれたっぷり入れた。


「君は本当に兄弟かい」可笑しそうに微笑んだ西園の言葉に、凛太郎はどきりとした。

「君のお姉さんはたしか、うすいブラックが好きだったはずだけどな。逆に、知世さんはミルクをやたら入れていたな。あれで仲がいいのだから、不思議なものだ」


「そうなんですか」動揺を悟られないように、あえてゆっくりと返した。「花田さんは、どんな方だったんでしょうか」


「そうだなぁ」少しリラックスしたような顔になった。

「中学になってユーフォを始めたらしいんだが、すごく上達が早かった。3年のコンクールが楽しみだと思ってたよ。正直、当時の3年生よりもうまかったんじゃないかな。三王丸中学はあんまり大会に力を入れてなかったから、申し訳ないけど彼女には我慢してもらって3年生を出したんだった」


 演奏の話ではない。話題を変えなければ。


「演奏も上手だったんですね。姉からは子供好きだったとか、そんな話しか聞いてませんでした」


「そうか、子供好きだったのか。あんまり彼女のプライベートなことは知らなかったな」


 また、コーヒーを飲んだ。どう切り出したものか、凛太郎は悩む。


「先生は、花田さんとは親しかったんですか?」


「うん、仲が良かったよ。というか、彼女は誰とも仲が良かったな」


 うまくはぐらかされている気がする。


「その、ユーフォニアムっていう楽器は結構高価なものだと伺っていたんですけど、普段から生徒さんに貸し出しされてたんですか?」


「いや、普通は学校の備品を使ってたよ。あの時は夏休み合宿の前で、二人とも自宅練習を希望してたから、たまたまだな」


「先生のユーフォは、備品のユーフォよりもいいものだったんですか? 素人質問で恐縮なんですが、やっぱりいいものだったらコンクールに出る3年が使うものなのかな、なんて」


「いやーそれがね、一概にそうとも言えないんだ。少しくらい質が良くても、使い慣れたもので思い通りの音が出た方がいい場合もあるんだよ。不思議でね」そう言ってまた最初の頃の笑顔になった。

「でも、知世さんは僕のユーフォの音が好きだと言ってたな」


 凛太郎は、さっきから感じていた違和感に気付いた。しかし、ここで口に出していいものだろうか。迷ったが、聞いた。


「先生は、花田さんを名前で呼ぶんですね」


 しかも、響子の名前は覚えてなかったのに、知世は覚えていた。


「……」


 これは早まったか、と凛太郎は不安になったが、杞憂だった。


「実はね」と、また笑顔に戻って言った。

「君のお姉さんにも秘密だったんじゃないかな。僕は、知世さんから手紙をもらったことがある。恥ずかしい話、人生で初めてもらったラブレターだ」


 目を閉じて、ため息をついた。


「あの時は、僕は何歳だったかな。35くらい? まぁ、正直嬉しかった。さすがにお付き合いってわけにはいかなかったけど、お断りの交換条件に、何故か二人の時は名前で呼ぶってことになったんだ」照れたような、悔やむような笑顔になった。

「まぁそんなわけで、特別な思い入れがないかと言われれば、大いにある」


 はは、と笑った。乾いた笑いだった。


 言葉に詰まった。ここまで簡単に花田知世との関係を聞き出せると思っていなかった。明らかに恋愛感情か、それに近いものを持っていたようだ。


「ただね、それが原因で当時の婚約者と喧嘩になって、結果今でも独り身なんだよ。人生初で最後の、短いモテ期だった。困ったものだね」


「……どういうことです?」


「名前で呼び合ってるところを見られたんだ。自分では気付かなかったが、浮かれてたんだな」


「浮気していると思われたんですかね、中学生と」


「そうらしい。そんなわけないのにね。まぁ、それも僕の信用がなかったのと、危機管理の問題だな。知世さんは悪くないんだよ」


 何かを振り払うように首を振った。


「それからすぐに事故が起こった。僕は彼女に……なんて表現すればいいのかわからないけど、謝りたかった。婚約者もえらい剣幕でね、散々彼女を悪く言ってたよ。それを庇ったのも悪かったんだろうな。なんというか、誤解されたまま、彼女がいなくなってしまったのが自分のせいだったような気がしてね……」


 凛太郎は、なんとなく彼は犯人ではない気がしていた。ただ単に安全圏に逃げ切ったと思っていて油断しているのかもしれないが、素直すぎる。


 彼が殺人犯でなければ、今でも花田さんを名前で呼ぶのは彼なりの彼女への気遣いなのかもしれない。殺人犯なら……サイコパスもいいところだ。


 そのまま、コーヒーを飲み終わるまで他愛のない雑談をした。今は夜勤で全く別の仕事をしていること。音楽活動そのものは続けていて、今日のようにカラオケのナイトパックで一人練習していることなど。美味しそうなお菓子は何とか我慢した。


 ひとまず、晶に頼まれたことは聞き終わったはずだ。


「長居してすいません、お邪魔しました。ユーフォニアムの件は、姉を通して必ず花田さんにお伝えします。お借りしていたマウスピースも、そのままでよかったんでしょうか?」


「マウスピース? 貸してたかな……もちろん、そのままで構わない」


「……今日はありがとうございました」

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