なぜ彼女なのか②

 数日後、部活動勧誘週間になって、すぐに吹奏楽部へ入部した。顧問の中村先生に、思い切って聞いてみた。


「よろしくお願いします、山岸さくらです」


「こんにちは、よろしく。山岸さんは希望の楽器はあるの?」


「ユーフォニアムっていう楽器に興味あって……」


「渋いの選ぶね! アニメにもなってたからかな」


「近所のお姉ちゃんがやってたみたいで、興味あって」


「近所? じゃあここの中学で吹奏楽部だったの?」


「そうみたいです」


「何年前? 三王丸こっちに戻ってきたのはちょっと前だけど、私が知ってる子かな」


「だいたい10年くらい前……花田さんです」


「……えっ……」


 何か考えてるような顔になった。


「ご存知ですか」


「うーん、その頃は三王丸にはいたけど、私が顧問してた時ではないね。でも音楽教師だったし、お手伝いはしてたから……花田さんという名前で私が覚えている子はいるけど。……その、事故に遭われた?」


「……はい」


「そう、もう10年前になるか……早いね。もうそんなに。まさかあなた、その頃のこと覚えてるの?」


「覚えてないんですけど、お世話してもらってたそうです。この前、花田さんのおばさんに話を聞いて、それで」


「そう……それでユーフォニアムを……」


「先生、ちょっと変なこと聞いても良いですか?」


「なぁに?」


「お姉ちゃん、本当に事故だったんですか?」


「本当に事故だった? ってどういう意味?」


「つまり……事件だった、誰かが関わっていたんじゃないかって」


「……よく意味がわからないけど……」


「花田おばさんが、本当は納得してないんじゃないかなって……」


「そう……。あれは悲しい事故だった。あんまり、その話したら駄目よ。子供の不幸を受け入れるのは、とても大変だから。変な噂をする子もいるけど、花田さんはそっとしておいてあげて。

 そういえば、家斉先生が確か同級生だった。彼女も事故の時に近くにいたのよ。事故だったことは彼女も知っているわ。家斉さんも、あの時は大変だったみたい」



 ——————



「先生、ちょっと聞いても良いですか」


「あら山岸さん。勉強の話?」


「いいえ、先生が中学生の頃の話なんですけど」


「中学生の頃の……? どんな質問? お金と恋の話じゃなければ答えられるかもね」


「花田知世さんって知ってますか?」


「花田知世さん……。花田……、どうしてあなたがそんなことを聞くの?」


「近所に住んでたおねえちゃんだったんです。わたし、小さい頃に遊んでもらってたらしいんですけど、覚えてなくて。どんなひとだったのかなぁって」


「ともちゃんかぁ。たしかに小さい子供とか好きそうだったなぁ。一緒に吹奏楽部だったんだよ。私も同じユーフォニアムっていう楽器を演奏してたの。でも、そのパートって基本的に一人だけしかいらないから、先輩がいない時はだいたいともちゃんが代役をやってたね。上手だったなぁ」


「先生、おねえちゃんは本当に事故だったんですか?」


 目を細めて10年前を見ていた先生は、その質問を聞いて体を少し震わせたようだった。


「『本当に』ってどういうこと?」


「花田おばさん、やっぱりまだ納得できないみたいで、今も悩んでるみたいなんです。本当は別の原因があるんじゃないか、誰かのせいで死んでしまったんじゃないか。自分の娘の最期を、本当の最期を知らないんじゃないかと。わたしが何ができるってわけじゃないんだけど、気になって」


「山岸さん。ともちゃんは事故で亡くなったのよ。あんまり勝手なことを言って、おばさんを困らせたらいけないわ」


「先生は、気にならないんですか」


「忘れないといけないこともあるの!


 ……ごめんなさい、大きな声を出してしまって。あなたはまだ子供だから分からないかもしれないけど、ただ、自分が気になるからって、探偵気分で詮索するのはね、自分は楽しいかもしれないけど、色んな人に迷惑をかけるし傷つけることもあるのよ。


 あの時も、事件かも知れない殺人かも知れないなんて根も葉もない噂のせいで、いまは、ともちゃんは幽霊にまでなってしまった。『となりに立つ少女』なんて……ともちゃんが人を怖がらせるはずなんてないのに。


 だから、忘れないといけないこともある。あなたには早いかもしれないけど」


 わたしは、気になった。


「先生は、中学生のときは納得できたんですか。わたしのおねえちゃんが死んだとき、納得できたんですか」


「……」


「先生は、わたしのおねえちゃんを忘れたんですか。花ちゃんが、自分の子供の最期に納得できないのがそんなに変ですか。もしかしたら本当に事故だったのかもしれないけれど、少しでも疑問があって、不安があって、どうしても納得できないのは変ですか。姉妹のように育てられたわたしが、姉の事故について知りたがるのはおかしいことですか。あなたはあなたの友達を忘れられるんですか!」


「……」


「先生、おねえちゃんは本当に事故で死んだんですか。そう思うのだったらそう言ってください。でも、誰かのせいで……誰かがきっかけの事故で……。もしかしたら、他に原因があるんじゃないんですか。花田おばさんがどうしても気になるような……事件を疑うようなことがあるんじゃないんですか」


「……。私は何も言えない。もうその話はしないで。誰かの生き死にを話すのは、とても苦しいものなの」


「わたしだって苦しいし、花田おばさんはもっと苦しいんです。どうして話してくれないんですか」


「話したくないからよ」


「……」



 ——————



「先輩、となりに立つ少女って知ってますか?」


「さくらちゃん、もうその話知ってるの?」


 先輩はびっくりした様子だった。家斉先生が口にした『となりに立つ少女』は上級生の間では有名なようだ。


「この学校に出てくる幽霊だよ。寂しがりで、みんなに混ざりたくて、夕方になったらいつの間にか隣にいるんだって」


「山岸さん、そういう話大丈夫なほう?」別の先輩が興味津々といった様子で話しかけてきた。「いかにも苦手そうにみえるけど、実は大好きなパターン?」


「え、あ、あの、あんまり大丈夫じゃないんですけど、不思議だなぁって」


「そっかそっか。わかるよ、怖い話って聞きたくないようなでも聞きたくなるような、日常に潜む危険な香りがするからね。別に信じてはないけど、でも本当はちょっと期待したりして、なんてね?わかるよー!


 ではおねえさんが教えてあげよう! 我が校に伝わる伝説の美少女幽霊、『となりに立つ少女』を!


 といっても別にとんでもないパワーがあるとか誰かを呪い殺すとか、そういうことはないみたいで、さっき言われたみたいにただの寂しがり屋さんな幽霊なんだけどね。


 でもね、結構いろんな話があるんだよ。深夜の渡り廊下に一人で立っているのを見たとか、屋上の……ほらうちって屋上プールじゃない? その屋上プールからね、グラウンドを見ていたとか。たまにね、上靴とか体操服とかを勝手に借りて着てるらしいよ。畳んでた服がクシャってたりとか、上靴の紐がほどけてたりとかしたら、夜中に借りてった証拠なんだって」


「体操服置きっぱの奴が畳んで置くわけないけどね」


「確かに!」


「トイレにも出てくるらしいね。夜中にトイレの鏡を見ると、声をかけてくるんだって。トイレの花子さんみたいに」


「花田さんらしいよ」


「えっ!?」黙って聞いているつもりだったのに、思わず声が出た。


「花田さん?」


「そう、トイレの花田さん。その死んじゃった女の子の名前。名前じゃなくて、苗字の方が花子さんっぽいのよ」


「……」


「でね、その花田さん、表向きは事故で亡くなったってことになってるんだけど、実は失恋の結果自殺したのかも知れないって!」


「へー!」


「花田さんが死んじゃった階段があるんだけど、そこは夜に見ると血溜まりがあって、そこから点々と血痕が……後を辿ると、好きだった相手の教室の前で泣いているとか」


「おお、本格的なやつになってきた」


「それ以外にもね、付き合ってた相手に殺されたって説もあるらしいよ! 本当は事故じゃなくって、階段の上から突き落とされたんだとか」


「ふぁー怪しくなってきたねぇ……あれ、山岸さん?」


「さくらちゃん!? ごめんね、ちょっと怖過ぎたね」


「……いえ……」


 ——————


 悔しかった。


 花田おばさんはお母さんの友達で、大好きな人だった。お母さんの真似をして、小さい頃はずっと「花ちゃん」と呼んでいた。今でもそう呼びそうになる。記憶に残っている小学校低学年の頃は、まるでもう一人のお母さんがいるようにさえ思っていた。本を読み聞かせてもらった。初めての財布をもらった。水族館に連れて行ってもらった。わたしを甘やかしてくれる、大好きな人だった。


 そんな花ちゃんの大事な女の子が、わたしのおねえさんになるはずだった女の子が、事故で亡くなっていた。しかも、本当に事故なのかはわからない。何か疑わしい理由がある。


 こんなこと、全く知らなかった。幼稚園生や小学生には人の生き死にを教えるのは難しかったのかも知れないし、口に出すことさえも苦しかったのかもしれない。


 少し大人になった今。わたしは何もできない。


 花ちゃんの……、わたしのお姉ちゃんがまるでおもちゃのようにされているのに、わたしは何も出来ない。


 お姉ちゃんに何があったの?


 どうやったら真相を知ることができるの?


 どうやったら、花ちゃんを助けられるの……?


 一人で生徒昇降口まで来たけれど、我慢できずにまた涙が溢れてきた。きっともう目も真っ赤になっていて、跡に残っている。お母さんが夜勤で良かった。それまでには、たぶん収まっているはず。


 自分の下駄箱の前で動けずにいると、男子たちの声が聞こえた。


「ほら、白崎さんの下駄箱どこだよ。はやく戻せ。誰かに見られたら俺まで疑われるだろ」


「ごめんごめん」


 そのままわたしの方へ近づいてくる。わたしが居る棚の裏側で、足音が止まった。


「ほらほら、誰かに見られる前に」


「声でかいよ! わかってるって」


 下駄箱を開ける音。そして閉める音。


「じゃ、俺はもう帰るから。こういうの武士道に反するからな、次やったら許さんぞ」


「僕だってやりたくてやったわけじゃないよ……」


 声の主が回り込んできて、やっとわたしに気づいた。


「うおっ! 山岸さん! いつからいたんだ!?」


「え……その……さっきから……」


「……なんと」


 同じクラスの倉持くんだった。下駄箱の位置が近いのだ。わたしを見て驚いた様子だったが、泣いた跡に気付いたのか急に神妙な顔になった。もう隠すのも面倒だった。


「何かあったのか?」


「うん、ちょっと。大したことじゃないから」


「……ほう」眉間に皺を寄せて、

「大したことではないかも知れん。しかし、うちのじいちゃんに女の子を泣かすのは男のやることではないと言われた。何かあったら遠慮なく言ってくれ。俺のほうこそ大したことなんて出来ないが、いじめる奴とか居たら俺がぶっ飛ばしてやるから」


「うん。ありがとう」


「で、それはそれとして、すまんが今聞いたことは内緒にしてくれ……る?」


「うん。いいよ」


「助かる! 恩に着る」


 倉持くんたちは慌ただしく帰って行った。彼の気遣いのおかげで少し冷静になれた。彼らは何をしていたんだろう?


 白崎さんの下駄箱。開ける音。……。


 そのとき、わたしは思いついてしまった。


『話したくないからよ』


 白崎さんのクラスの担任は家斉先生だ。あの人はお姉ちゃんが怪談の中で話されていることを知っている。そして、わたし達の知らないことも、きっと。


 幽霊なら。


 いまだに怪談の中で生きている幽霊になら、何か、一言だけでも、あの人だけが知っていることをポロリとこぼしてしまうのではないか。


『どうして?』とか。『あの人を恨んでるの?』とか。『本当に事故だったの?』とか。


もしかしたら、もしかしたら、『ごめんなさい、許して』とか。


 ———たまにね、上靴とか体操服とかを勝手に借りて着てるらしいよ……畳んでた服がクシャってたりとか、上靴の紐がほどけてたりとかしたら、夜中に借りてった証拠なんだって。


 そうだ。わたしが幽霊になって、先生からその一言を聞けば良いんだ。


 ためらう気持ちはなかった。わたしはこれから花ちゃんを、もう一人のおかあさんを救うのだ。


 だから、おねえちゃん、もし居るのなら、わたしの隣にいて見守ってて。わたしは覚えてなかったけど、これからはおねえちゃんのこと、忘れないから。


 二人で一緒に、花ちゃんおかあさんを助けるんだ。


 ……わたしは、榛菜ちゃんの下駄箱を開けた。

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