解答例と採点基準

「まず、状況を再現しよう。


 19時半頃、家斉先生がお手洗いに立った。廊下は明るくはないが、写真でわかる通り歩くのに苦労しない程度には電球がついている。明るい職員室から出たとしても気にならないだろう。そのまま廊下を通り、お手洗いのドアを押し開けて暗いトイレ内に入る。まだ目は暗がりに慣れていないので室内は見えない。ドア脇の電気のスイッチを入れる。ここでやっと室内を見ることができるが特に異常はない。用を済ませたら手を洗って、電気を消す。廊下に出るためにドアを引き開ける。ここまで幽霊は出てきてない」


「廊下にいる時とか、入る時に見たかもしれないんじゃない?」


 まだすこし拗ねた様子の榛菜が口を挟む。


「先生は『名前を呼ばれた気がして振り向いたら女の子がいた』から驚いた。いないはずなのにいたから驚いたんだ。廊下で生徒に呼び止められても別に驚かないだろう? トイレに入る前だって同様だ」


「む……そうかも」


「じゃ、入った直後はどうなんだ? 中に誰かいたんじゃないか?」


 榛菜に続いて凛太郎が質問する。晶は首を振って答えた。


「それだと振り向いてない。それに、その女の子は暗闇の中で誰がくるかも分からないのにずっと待機してたってことか? そのまま施錠されたら出られなくなるのに」


「ふーむ。確かに。そのまま帰られたら無駄足だしな」


「続けるぞ。


 先生はドアから廊下へ出ようとした。女の子の幽霊……『となりに立つ少女』か。を、見たとしたらこの時だ。声をかけられて振り向く。少女の幽霊を見た先生はショックを受け、後ろに下がると廊下に倒れ込んだ。そのまま壁際まで後退して悲鳴をあげる。田中先生がやってくる。田中先生が確認したがトイレの中には誰もいない、つまり密室になっている。


 ここまでで一連の流れが終わり」


「ちょっとちょっと。それだといよいよ幽霊になるんじゃない? 中に誰もいなくて、入ることも出ることもできなかったのに『となりに立つ少女』がいたってことでしょ?」


「そう、誰もいなかったし、出入りもしなかった。でも声をかけて振り向かせることも、少女の幽霊を見せることもできる。すりガラスの外から」


 榛菜と凛太郎は顔を見合わせた。二人とも磨りガラスは現場で確認している。外からは当然内側が見えないし、中からも外はほとんど見えない。昨日の調査ノートにも書いていたはずだし、しかも事件は夜に起こっているから尚更だった。


 さくらはじっと晶を見ている。


「だけど、磨りガラスだろ? 外からも内からも見えないし、窓は閉まってた。それに防音ってほどじゃないだろうけど、結構大声を出さないと外からの声も聞こえないんじゃないか? 目立つだろうしさ」


「確かに、外で大声を出したら目立つ。さらに言えば普通は電気と換気扇は一緒につけるから、ファンが回る音も結構大きい」


 晶は鞄から調査ノートを取り出して、榛菜に渡した。


「追記した通り、三王丸中学校には上下開口型の逆流防止換気扇が設置されている。外側部分のフードに、上下二つの開口部があるんだ。外から強い風を受けても上か下のどちらかに風が抜けるようになってて逆流しない仕掛けになってる。つまり、本来なら空気を外に逃すことはあっても中には入れないようになってる」


「じゃ、だめじゃん。余計に外の音が聞こえなくなるんじゃない?」


 榛菜が口を尖らせる。


「そう、本来なら。でもこれ、片方を塞ぐと簡単に逆流するんだ。


 家斉先生は室内の電気と一緒に換気扇の電気も切った。すると空気の通り道が一本になって、冷たい外の空気が室内側に逆流する。特にドアを開けた時、廊下側にも空気の通り道ができるので、外の音が中に通りやすくなる。話し声程度でも相手に届くんだ」


 そこで一息入れてコーヒーの缶を振った。当たり前だが中身はすでになくなっているので何も音はしない。飲む配分を間違ったようだ。諦めて話を続けた。


「まぁ正直なところ、小型のスピーカーで名前を呼びかけるなんていう離れ業もあるだろうし、そういった機器も簡単に手に入るんだが、すぐに回収できないことを考えると今回は使ってないんじゃないかな。それにもっとも気にかけたいのは、が現場にいたってことだ。証拠が残るくらいなら自分で呼びかけたほうが楽だし確実だから」


「犯人」


 さくらが小さく呟いた。


「そう。犯人は先生の名前を呼んだ。おかしいと思わないか? 磨りガラス越しでは中に誰がいるか分からないはずのに。でも、残っている女性の教師が家斉先生だけだと分かっていたら話は別だ。先生が当日も残業していて、他の女性教諭が残っていなければ、化粧室に来るのは間違いなく彼女だけ。室内にいなくても電気の明滅だけで誰が来たのかも判断できる。問題があるとしたらその日にお手洗いを使うかどうかだが、これは機会を窺うしかないだろうな。


 でも監視カメラもスピーカーも必要ない。現場にいて職員室を確認できるのなら」


「なるほど。で、あとは幽霊か。磨りガラス越しの少女の幽霊」


「幽霊に化けるのは簡単だ。さっきも言った通り、先生の目は明るいところに慣れていて暗いところが見えない。犯人が女生徒なら懐中電灯か何かで自分を照らせば、明順応した眼は磨りガラス越しに勝手に幽霊を見てくれる。仮に犯人が成人男性だったとしても、磨りガラス越しだから巧妙な変装は必要ない。輪郭だけでも誤魔化せれば十分だ。


 さあ、これで仕掛けは揃った。


 犯人は、最初に換気扇のフードの一方を塞ぐ。これは当日でなくても良い。


 職員室を覗いて条件が整っていることを確認したら、外の植え込みで敷地外と校舎から視線を遮る場所で待機する。


 電気がついたのを見て、窓に近づく。


 電気が消え、換気扇が止まったら名前を呼ぶ。もしかしたら保険で軽く窓をノックするくらいはしたかも知れない。


 懐中電灯を点け、磨りガラス越しでも確認できそうな距離で、数秒だけ自分をライトアップする。


 幽霊の完成だ。


 仕掛けも簡単、道具も少ない。誰でも実行できる。


 以上から、僕の結論はこうだ。。今回は誰かの悪戯だった」


「……なるほど」


「おおー……」


「……」


 観衆は各々感嘆する。


「まぁ、誰でも実行可能だからこそ、犯人を絞り切れないんだけどね。ただ、状況から考えると家斉先生個人を狙ったのかも知れない。そうなると、多少は推測できるんだけど」


 ここまで話すと、晶は缶コーヒーを買いに自販機へ行った。








「灰野くん、本当に探偵みたいだね」後ろ姿を見送りながら、さくらが言う。


「デリカシーはないけどね」と、榛菜はまだ機嫌が治ってない。


「探偵って、だいたいデリカシーないよ。ホームズなんて麻薬打ってるし、マーロウは皮肉屋で口が悪いし、コナンも小さくなるまで蘭姉ちゃんと微妙な仲だったし。灰野くんはだいぶん紳士的な方だよ。その、探偵にしては」


「それ、晶が聞いても喜ばなさそうだな」凛太郎が笑った。


「あ!」榛菜がスマホを見て声を上げた。

「やばい! パパから凄い着信入ってる! もう帰らないと!」


 言われて、凛太郎は腕時計を見た。すでに10時を過ぎている。塾が終わってから1時間近く経っている計算だ。


「そうだな。女の子たちはもう帰らないとな」


「あの、わたし、お母さんと待ち合わせしてるから、榛菜ちゃん先に帰っててくれる?」


「わかった! さくらちゃんも気をつけて帰ってね!」


 そう言いながら、スマホ片手に地下鉄の階段へ走って行った。きっと父親に言い訳の電話をしながら電車に駆け込むのだろう。


 ほどなく晶が戻ってきた。


「白崎さんは帰ったんだね」先程まで榛菜が座っていたベンチの空席へ腰掛け、缶コーヒーを開けた。


「灰野くん」さくらは晶をしっかりと見ながら言った。


 晶は開けたコーヒーを一口飲んでから、ゆっくりとさくらを振り返った。


「犯人は、誰だと思う?」


「特定はできない」


「その口ぶりだと、推測はできるってことだな」自転車に寄りかかりながら、凛太郎が言った。


「ああ。推測はできる」


「聞いてもいい?」


「……。ああ」また一口、コーヒーを飲んだ。

「ちょっと長くなるけど、時間は大丈夫なのかい」


「今日はお母さん、夜勤だから」


 凛太郎はさくらを見た。が、何も言わない。


「そうか。お父さんいないんだ。お母さんだけだが、夜勤だから遅くなってもバレない。うん。でも、せめてメールくらいはしておいたら?」


「……あとでする」


 意外にも、しっかりした口調で返してきた。


 晶と凛太郎はわずかに目を合わせた。


「じゃあ、遠慮なく。


 まず部外者の可能性は低い。家斉先生を狙ったストーカーなどの可能性は捨て切れないが、夜の7時まではまだ部活生が残ってたし、その顧問も校内に居た。さらにその後も用務員さんと理科の教師が害虫の駆除で薬剤を散布していたので、不審者にとっては侵入しにくい状況だった。目撃もされてない。


 それに、そんな奴が幽霊の真似事をするだろうか? 家斉先生を待っているなら、車の近くで隠れていれば良い。そんな手間のかかるようなことをするとは思えない。


 だから、犯人は学校関係者か生徒だ。


 そして単独犯。


 複数ならもっといいやり方があったし、証拠も残さずに済んだはずだ。さっきは端折ったけど、換気扇のフード、まだ上側の穴に板が乗ってたんだ。凛太郎が確認してくれた。


 犯人は逃げる際、その板を持ち帰ることができなかった。換気扇は外から見て窓の右側、少し上にはみ出るような位置にある。一般的な成人男性なら、背伸びすれば何とか届くだろう。犯人は小柄で、簡単にそこに手が届かなかった。


 もし犯人が複数なら、肩車でもすれば十分に届く。しかし、騒動から3日経った今でも回収されてない。一人だから脚立なり足場なりが必要で、目立つから日中にそんなことはできなかった。多分、仕掛ける時も時間がかかったろう。遅い時間帯に、タイミングを選んで設置したはずだ」


「なあ、用務員か、最後まで残ってた理科の教師が犯人ってことないのか?」


「殺虫剤を散布していた用務員と先生の共犯、どちらかの単独犯という線も考えたけど、それもないと思う。


 まず単独でやるなら、こんなお互いが監視するような状況下でやらない。ばれるリスクが大きすぎる。害虫駆除ならピレスロイド系の噴霧剤だと思うけど、学校で使うようなやつは結構デカいんだよ。あれを振り回しながらやるのは、まぁできなくはないがちょっと面倒なんじゃないかな。だいたい証拠が残ってるのが変だ。用務員ならいつでも回収できただろう。教師だって適当な理由を作って、人目が減る時間まで残ることはできる。そもそも実行する日をずらせば良いんだし。


 共犯は証拠が残ってるし、まず、ない。


 よって、教師などの学校関係者が犯人ではない。


 納得できた?」


「できた。犯人は部外者ではなく、学校関係者でもない……ということは」


「そう。生徒だ。しかも、小柄な生徒」


 晶は言葉を切った。


 さくらを見る。彼女はじっと、晶を見つめたままだ。


「山岸さん。僕らの塾は、月曜、水曜、金曜、土曜に授業がある。つまり、それらの曜日は遅くまで学校に残れない。夜の7時、人気ひとけが減る時間まで残れるのは、火曜日と木曜日だけだ。


 今回の騒動は火曜日に起こった。

 水曜日に僕らの耳に入った。

 木曜日は君と白崎さんは放課後いっぱい使って聞き込みをしてくれたので、きっと忙しかっただろう。

 そして、今日」


「……」


 少女は答えない。


「おい、まさか」


「僕は残念ながら君たちの学校のことに詳しくない。君らの吹奏楽部が何人いるのか、どの部活が何時ごろまで残っているのか、全くわからない。だから、犯人を絞り込むことはできても、特定はできない」


 コーヒーをぐい、と飲んだ。彼女はまだ何も言わない。視線も外さない。


「でも、10年前の事故のことなら新聞にも載っていた。調べることはできた」


「灰野くん。名探偵に、お願いがあるの」


 さくらはまだまっすぐに晶を見ている。晶も目をらさない。確信を得たように、晶は口にした。


「山岸さくらさん。君が『となりに立つ少女』だ」






——『なぜささやくのか』採点基準——




心霊現象の可能性を排除した(配点5)

□「見間違いがない」など、本文の記述を根拠に現実的な理由を推測した。

□実現可能な悪戯と判断した。

 以上を一つでも満たしていれば加点


トリックの可能性に気付いた(配点5)

□職員用トイレが密室であったことに気付いた。

□室外からの呼びかけトリックについて推測した(室内に発見困難な小型スピーカーを設置したなどでも可)。

□家斉響子の証言から少女が磨りガラスの外側にいることを説明できた。

 以上を一つでも満たしていれば加点


特別加点対象:

実行犯に気付いた(配点10)

□山岸さくらが実行犯であることを疑った。

——曖昧な根拠でも可。例として「心霊が原因と誘導している」「そもそもの話題提供をさくらが行っている」「さくらの説明や表現が少しずつずれている(下駄箱事件の時はトイレに幽霊が出ると言っていたが、今回は職員用トイレに……等、追加・ブレがある)」など。

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